【解答編I】人気小説家のインタビュー


 怪奇堂かいきどう うそぶきのインタビューを見たのは、偶然のことであった。

 ふとテレビをつけた時、再放送のドキュメンタリーか何かの番組に、怪奇堂の姿が映っていたのだ。デビューから半年時点での取材らしい。

 中肉中背のどこにでもいそうな男性。それが世界の人気小説家を見た私の第一印象であった。彼の著作に恐怖を感じることが出来たのなら、もう少し神々しく見えたのだろうか――生憎なことである。

 字幕が付いているのはありがたいことだった。ちょうど、怪奇堂が話を始めたばかりである。

 話のテーマは――「恐怖の在り方について」。


 最近、ホラー小説を始めとした恐怖作品に対して、「怖くない」というアピールをする人が多くなりました。

 読まずして法螺を吹いたり、怖くてたまらないのに見栄を張っているのかな、とばかり思っていました。

 恐怖作品とはつまり、負の感情を揺さぶるモノなんです。恐怖や嫌悪を熟知しているであろうプロが作ったそれを、常人の彼らがどうして耐えきれるのでしょう。

 過去の名作の見過ぎで、恐怖に慣れてしまったのでしょうか……否。

 作成者の腕が下がり、恐怖を届けることが出来なくなったのでしょうか……それも否。

 今の我々は――にいるのです。そして、作品を外から観察しているだけ。だから恐れなど湧くはずもない。恐れとはつまり、自分への危険に対する防御の行動なのですから。どこかの喫茶店でお気に入りの曲を聴きながら暇つぶしがてらに読まれては、どんな小説だって、一時的な娯楽以上の価値を提供することは出来ないでしょう。

 そうでなくとも、結末を知ろうとすれば、いくらでも調べられる時代です。最後の一文は何なのか、一体、自分は驚かされるのだろうか――それは実際に調べなくとも、同じことです。ボタンひとつ、クリックひとつで恐怖の正体を知り、安全圏に退避することを出来る――その安心感こそが、読者と作者とを隔てる檻なのです。

 数は少ないですが――事前調査を頑なに拒み、正面から読む人はいます。ですが、それでも足りない。どんなに熱心に読もうとも、細かい文章や表現などは無視され、要所だけを抜き取ろうとするものですし、そもそも、読者の想像が、作者の思い描いている世界の構想が違う可能性だってあるんですから。

 現代とは、創作された恐怖がはびこるには、かなり厳しい場所だということが分かります。

 

 ならば、なぜ、怪奇堂 嘯の名はここまで話題に上がったのでしょう。

 小説を読む前に注意書き――心構えを載せたからでしょうか?

 この小説は自室にいる時、一人で読め。真夜中が好ましい。

 動画を見るな、耳栓もつけるな。

 余計な行動はせず、ただ本を読むことだけに、恐怖を覚えることだけに専念しろ。

 ええ、確かにそれも一つあるでしょう。ただ、それはビンゴの回答ではありません。

 簡単な話です。僕の小説は創作されたものではないからです――少なくとも、読んでくれた人にとっては。

 このままだと分かりにくいでしょうから、僕の経歴をまず説明しましょう。

 僕は小説家になる前、ビルの一室で雑貨の販売をしていました。水晶だったり石板、アクセサリー、ハンカチ、位牌、海外の食品と様々なものをです。

 お客さんはその部屋に十から十五人くらい入ります。小さい会議室くらいの大きさですから、一人当たりのスペースは狭かったですね。

 厚手のカーテンをかけて、部屋を暗くします。そこでろうそく一本だけを灯らせます。その中で、僕は話をするのです。

 その商品は如何に有益な代物であるのか。この買い物がどれほど大切な機会となるか。そして、これを逃すとどんな未来が待っているのか――

 話を進めていく程に、ざわつきは大きくなります。彼らは恐怖しているのだと、手に取るように分かりました。

 光が戻った時、僕より一回りも二回りも年上の人達が、一万円札を乱暴に握りしめながら、我先にとハンカチやアクセサリーにすがりつく光景は、今でも忘れられません――余談ではありますが、「怪奇堂」という苗字は、その際の雑貨店の名前から取っています。 

 一身上の都合があって「怪奇堂」は潰れてしまいましたが、芸は身を助けると言うべきか、すぐに次の当てが決まりました。

 きっかけは、商品を買ってくださった方からの電子メールでした。

 それは「購入した位牌から、死んだ祖父の声が聞こえてくる」という奇々怪々なもので、当初は半信半疑ではありましたが――それを機に、次々と同じような怪異譚が送られてくるようになりました。

 原因に関して自分なりに調査をしてみた結果、それが「言霊」によるものだと知ったのは、今から一年前のことです。

 メカニズムの詳細は割愛するとして――僕の言い放った言葉は、相手に対して影響を与えるようなのです。救いを求める者に救いを、安らぎを求める者に安らぎを。そして、苦しみを求めるものには、苦しみを。

 もう、お分かりですね。僕の小説を読んだ人には皆、僕の言霊が呟きとして届くようになっているのです。既に体験した方も多いでしょうが――


 この事実を踏まえると、恐怖というものが一体何なのか、紐解けるはずです。

 それは異形の化け物でもなく、醜い人間の本質でもありません。

 自分が今、猛獣と同じ檻の中に閉じ込められているのだというこそが、不安を呼び、恐怖を産み出しているのです。

 まあ、言霊に手足を縛られ、自分のペースで読み進めることすらも出来ずに、三百ページある小説の紙を一枚ずつめくり続けている状況では、そんな結論も出てこないでしょうね。

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