第四章

第四章

杉三の家。食堂。杉三と蘭の下へ、懍と水穂が来ている。

蘭「そうですか、、、。邪魔が入ったとは僕も、予想が付きませんでしたよ。」

杉三「あーあ、本当に学校ってのは、肝心なことを本当に忘れてるんだね。で、彼女、つまり節子さんはどうしてる?」

懍「ええ、部屋に閉じこもって、誰が呼んでも答えないのです。あれほど好きだった製鉄も一切やらないし、受験勉強をしているような気配もありません。」

蘭「ひどいこと言いますね。」

懍「僕も責任は取らないといけませんね。預かっている側が、クライエントの状態を悪化させてしまっては、重大な職務怠慢になります。」

蘭「教授が責任を取ることはないと思いますけど、」

杉三「そうそう、その村井っていう男が本当に性悪男なの!まあ教師ってのは口がうまいからさ、誰かを欺くことなんて簡単にできちゃう職業だよね!だから僕は嫌いなんだ!」

水穂「僕のせいですかね、、、。」

杉三「水穂さんこそ、一番の被害者じゃないか!自分を責めてると、また血が出るよ!」

懍「まあ、責任のなすりあいをしても仕方ありません。ここは専門のセラピストの先生を呼びましょう。費用は、お詫びのつもりで、僕が払いますよ。」

水穂「あ、ちょっと待って。」

杉三「どうしたの水穂さん。」

水穂「僕、一計を思いつきました。一か八か、わかりませんが、とにかくやってみたいのですけど。」

懍「一か八?」

水穂「教授、彼女と二人で御殿場まで行かせてもらえませんか?」

蘭「ご、御殿場?」

水穂「ええ、御殿場です。」

懍「それなら、手伝い人を一人つけましょうか?」

水穂「いえ、僕が連れていきたいんです。」

懍「しかし水穂さん、あなたは体のことがありますでしょうに。」

水穂「十分わかっております。ほんの数時間滞在してくるだけですので。それに御殿場駅は休むところもありますし。」

懍「わかりました。無理をしないという条件を承諾してくれるなら、許可します。」

蘭「大丈夫か?」

水穂「ありがとうございます。教授。明日行ってきます。」

その顔はとても凛々しく、心うちで何かを決断したのが見て取れた。


翌日。節子の居住室のドアをノックする音。

声「節子さん、入りますよ。」

布団に寝ていた節子は、ふてぶてしく起き上がる。

ドアがガチャンと開いて、外出用の着物を身に着けた水穂が入ってくる。

節子「水穂さん、どうしたんですか、その格好。」

水穂「僕と一緒に御殿場に行ってみませんか?」

節子「御殿場で何をしようというのですか?」

水穂「ええ、あなたを慰めてあげられるかなと思いましてね。」

節子「お心づかいはうれしいのですが、わたし今は行く気になれないのです。」

水穂「今でないと、いけないところなんですよ。」

節子「今でないと?」

水穂「ええ。今日しかそのイベントが開催されていないのです。」

節子「そうなんですか?」

水穂「ええ。だから行ってみませんか?」

節子「わかりました、水穂さんがいこうというなら、行ってみます。」

水穂「じゃあ、着替えをして、玄関に来てください。僕はタクシー呼んできます。」

節子「わかりました。」

一旦、部屋を出ていく水穂。

節子はしぶしぶ立ち上がって服を着替え、カバンをもって、玄関まで移動する。玄関に行くとすでにタクシーが来ていて、水穂が待機していた。

節子「お願いします。」

水穂「はいどうぞ。じゃあ、行きましょう。」

二人、タクシーに乗り込む。タクシーはエンジンを立てて走り出す。富士駅から電車に乗り込んで沼津駅へ。沼津駅から御殿場線に乗り換えて御殿場駅へ。御殿場線は、一時間に二本しか走っていない、ローカルな単線だった。御殿場駅に着くと、二人はまたタクシーを呼んで、水穂が渡した地図の通りに走ってもらった。

目的地は、御殿場のかなりはずれのほうであり、タクシーでも30分はかかった。しばらく住宅地の中を走り、次第に森になっていった。すると、その中の一角に、小さな4、5階だけのビルが一軒だけ立っていた。森の中にこんなハイテクなものがあると、ずいぶんミスマッチな光景になってしまうが、その中からは、ピアノを弾いていたり、歌を歌ったりと、いろいろな音楽が聞こえてきた。

その建物の真ん前でタクシーは止まった。水穂がタクシーにお金を支払って、二人はタクシーを降りた。

節子「ここ、なんですか?」

水穂「入ればわかりますよ。」

水穂は、その建物の正面玄関から中にはいった。節子もついていった。すると、そこには高齢の男性が、にこやかな表情で立っていた。

水穂「こんにちは、理事長。今日は、お宅を見学させてもらいに来ました。」

男性「誰だと思ったら、二年前にここに演奏に来てくださった、右城さんだったのですね。どうぞ、大歓迎ですよ。ご案内しますから、好きなだけ拝見してください。」

水穂「いえ、もう右城ではございません。磯野です。」

男性「あれ、右城ではありませんでしたっけ?」

水穂「ええ。もう結婚してしまったので、右城から磯野になりました。連絡しておらず、すみません。あ、あと、彼女は僕の勤め先で預かってもらっている、園田節子さんです。」

男性「矢島大学理事長の矢島です。どうぞよろしく。」

と、節子に向かって右腕を出す。水穂に促されて節子はこわごわ理事長の手を握り返す。

理事長「では、こちらにいらしてください。応接室でお話を伺いましょう。」

節子「よろしくお願いします。」

理事長「おあがりください。」

二人分のスリッパを出してくる。二人は履物を脱いで、それに履き替え、理事長のあとをついて応接室に行く。

応接室

理事長「こちらへ座ってください。今、お茶を持ってきます。」

二人の前に湯呑が置かれる。

水穂「ありがとうございます。」

理事長「で、彼女は入学を希望されているのですかな?」

水穂「いえ、それは、いまはわかりません。でも、何かの参考にしてほしかったので、今日やってきました。」

理事校「参考程度でも大いに結構ですよ。百聞は一見に如かず。どうぞ本学を見て行ってください。何か質問があれば、どうぞしてください。」

節子「あ、あ、あの、、、。ここは大学なのでしょうか?」

理事長「はい、そうです。通信制の大学なので、もともとここまで通ってくる学生は多くはなく、それでこのくらいの規模の建物で十分なのです。」

節子「何学部なんですか?」

理事長「はい、生涯学習学部といいます。まあ、カルチャースクールを大学化させただけという批判もありますが、私たちはそれでいいと思ってるんです。音楽でも美術でも書道でも、何でも好きなものでないと、外へは出られませんからね。もともと、好きなものをやるということは、素晴らしい権利ではありますが、今の高校教育はその楽しみを奪ってしまうようですね。それで、好きなことを始めるのを悪事にしてしまう。これでは、若い人が勉強しようと思わなくなって当り前です。ですから、それを取り戻すことから始めないといけないんです。」

節子「どうやって、勉強するのですか?」

理事長「パソコンはお持ちですか?その中にある、テレビ電話機能を使って、教師と会話しながら授業を進めていくのです。もちろん、希望すれば、こちらに来ていただいてもかまいません。富士からですと、遠いでしょうから、無理にこちらに毎日通うことはないですよ。」

節子「どんな人たちが、この大学に通っているのですか?」

理事長「下は18歳から、上は90歳までおります。皆さん、多くの方が、何かしらの原因で大学にいきたくてもいけなかった人たちなんですよ。でも、そういう方のほうが、はるかに感性もよくて、勉強したいのだという気持ちがあるのだとわかって、この大学をはじめました。若いときには、一生懸命勉強したいのは当たり前で、心残りができてしまうと、その後の人生に大きな障壁になり、前へ進むことはできないんです。本来はその前の学校で十分にそれを教えていただいて、それから大学に入ってもらうべきですが、高校では学校のメンツのために、マインドコントロールされて、それを教わらないで来てしまう学生が本当に多くて。それでは日本の若者が生き生きしなくなるのは当たり前です。その子たちを救うために、この大学を立てたのです。誰かが変化を起こしてくれるのを待っていたのではいけませんから。立ててみると、思った以上にこの考えに賛同してくれる人がいて驚きました。いやはや、日本ではまだまだ、教育の改善は、進んでいないようですなあ。」

水穂「よろしかったら、授業、見せてもらったらどうです?」

理事長「いいですよ。じゃあ、こちらにいらしてください。」

と、応接室から出て、階段を上っていく。水穂と節子もそれについていく。

理事長「こちらでは、哲学の講義をやっております。」

と、ある教室のドアを開ける。教室は、たくさん入っても10人くらいしか入れない小さな部屋だった。そこに小さなホワイトボードが置かれていて、講師が何か説明している。学生の挙手も活発であり、皆真剣に学びたいのだということが見て取れる。年齢は、10代から50代、90近いおばあさんまで在籍していた。

と、そこへチャイムがなった。

理事長「ちょうど昼休みです。」

学生たちは椅子から立ち上がる。次の授業の教科書を出す者もいるし、教科書をまとめて帰り支度をするものもいて、自由さを感じさせた。ほかの人を敵視する人は誰もいなかった。

理事長「学生食堂でお昼を食べたらどうですか?」

水穂「いいんですか?僕らは部外者なのに?」

理事長「かまいませんよ。見学者さんでも自由につかえるようになってますので。」

水穂「どうする?」

節子「お願いしたいです。」

理事長「じゃあ、こちらに行きましょう。」

と、再び廊下を出て、学生食堂と書かれた看板のある部屋に行く。すでに二人の学生が何か食べている。

学生A「理事長先生、今日はどうしたのですか?」

理事長「はい、今入学希望の方がお見えになっているので、ご案内をしているのですよ。」

学生B「よかったら、一緒に食べませんか?そこで注文して受け取ったらここへ来てください。」

と言って、近くのテーブルを動かしてくっつける。

理事長「じゃあ、そうしましょう。何か食べたいものはありますかな?」

節子「私はうどんでいいです。」

水穂「僕はリゾットを。」

調理員「はい、わかりました。じゃあ、ゆっくり食べてちょうだいね。」

三人、学生が用意してくれたテーブルに座る。

学生A「何も心配しなくていいのよ。私たち、見た目は怖そうに見えるかもしれないけど、何も悪いひとじゃないから。」

学生B「よろしくね。」

節子「よろしくお願いします、、、。」

がちがちに緊張している節子。

学生A「どこから来たの?」

節子「富士から。」

学生A「まあ、ずいぶん遠くね。」

学生B「実は私は東京から来たの。月に一回だけこっちに来てるんだ。こっちは東京に比べるとどっかのんびりしていて、東京が嫌いだけれど住まなきゃいけない私にはいい癒しになるのね。」

節子「どうして東京に住んでいるのですか?」

学生B「私、心の病気で住んでたところに住めなくなったからさ。だから、都会のうるさいところは好きじゃないのよ。でも、車の運転できないから、仕方なく電車の発達している東京にいるんだけど、本当はもうちょっとゆっくりできる場所に住みたい。ここは、そんな私にとって心のオアシスみたい。」

学生A「へえ、大学が心のオアシス?」

学生B「本当よ。事実そうなんだから。」

節子「皆さん、学校で敵同士になるとか言われますか?」

学生A「何を言っているの。そんなの真っ赤な大嘘よ。やっぱ人間は助け合わなきゃだめよ。それはこの理事長先生も何回もおっしゃっているんだけどね。でも、だんだん希薄になってて、私たちは煙たがれるくらい。でも、私は、人間はどうしても、一人では生きていないって信じるわ。だって、スマートフォンでいくらしゃべっても、達成感は感じない。でも声を聞いただけで、その日一日心が和むのはなぜかしら?」

節子「私は、高校の先生にそういわれました。」

学生A「ああ、ああ、そんなのは大きな間違い。そんなことに苦しめられているのだったら、はやくこっちに来て、忘れちゃいなさい。ここでは、いくら忘れられなくても忘れられるようにできているから。ここはそういう場所なのよ。ここで、勉強していったら、きっと過去のことはみんな忘れて、また新たな人生を送れるようになるから。私たちはもうすぐ卒業なの。はじめのころは、もうこんな大学で何をやっても変わらないと思っていたけど、授業をうけて、宿題をやって、試験を受けて、ってやってくうちに、生きてるってこんなに楽しかったんだ!って気にしてくれたの。だから今は人生がとっても楽しいわ。この大学はそういうことをくれるようになっているから、絶対おすすめよ!」

不意に咳の音がする。

理事長「ああ、磯野さん、大丈夫ですか!」

振り向くと水穂がまたせき込んでいた。口に当てた手は赤く染まっていた。

調理員「ああ、何か悪いもの入れちゃったかな。」

水穂「ち、チーズが、、、。」

調理員「ごめん、ごめんね!」

理事長「鎮血の薬持ってますか?」

かろうじて懐から薬を取り出す水穂。

学生A「これでいいのですか?」

学生B「私、水持ってきます!」

理事長は、持ってきた水を受け取って、水穂に渡す。水穂は粉薬を口に何とか含んで水で流し込む。数分後に喀血は止まる。

学生A「よ、よかった。大変なんですね。そんなんで、新しい学生候補を連れてきてくれてありがとう。」

水穂「ご迷惑をおかけしてすみません。今度ちゃんとお金を払いますから。今日のところは許してください。」

学生B「いいんですよ!あたしたちだって、病気が悪かったときは、親やほかの人にもっとひどい迷惑をかけたんだから。私は、けがをさせたことだってあるんですよ。それなのに、この大学に来させてもらっているわけだから、全然大丈夫です。気にしないでください。」

調理員「私、床を拭いておきます。」

と、モップをもって掃除し始める。

理事長「大丈夫ですか、水穂さん。」

水穂「ええ、悪い癖のようなものです。ごめんなさい。」

節子は、この様子を、ただ茫然と見ているしかできなかった。

節子「こんなに親切な人が、まだいたんだ、、、。」

理事長「ええ。この人たちは、少なくとも一度や二度は、社会から外れてしまっているなと考えている人たちです。だから気にしないで人助けができるのですよ。それを日本社会はつぶそうとしていますよね。」

節子「わかりました!ありがとうございます!私も、そういう、率先して人助けができるひとになりたいと思います!」

学生たちが、にこにこして彼女を見た。まるで、待っているよ、というように。

水穂「本当に、見苦しい場面を見せてしまってすみません。僕もこれからは気を付けますので。じゃあ、理事長、長居をしてもいけないでしょうから、これで失礼しますけど、ありがとうございました!」

理事長「またいつでも好きな科目を見に来てくださいね。」

節子「ありがとうございます。」

水穂はふらふらと立ち上がる。

理事長「大丈夫ですか?」

水穂「ええ、ご迷惑かけて、申し訳ないです。歩けますよ。」

と、歩き出す。

学生A「心配だから、沼津位まで送ってあげたほうが。」

理事長「わかりました。では、私が送迎いたします。」

学生B「また来てくださいね!」

学生A「一期一会ですね。」

二人に名残惜しそうにそういわれて、水穂は理事長に支えてもらいながら、節子はそのあとをついて、食堂を後にする。

走る理事長の車の中。

節子「正直に言ってしまうと、不思議でした。」

理事長「何がです?」

節子「学生さんがあんなに真剣に勉強してるし、水穂さんがああなっても、何も不満も言わないで手伝ってくれたし。」

理事長「そんなに不思議ですか?」

節子「ええ。私が高校にいた時は、友人も作ってはいけなかったし、常に周りの人より上になるという条件がないと何もさせてもらえませんでした。私、勉強は嫌いじゃないから、大学には行きたかったけど、そういう受験勉強があまりにもつらくて耐えられなくて、結局大学には合格できなかったし。だから、それができなかったってことは、非常にダメな人間だなあと感じておりました。」

水穂「今も、大学にいきたいですか?」

節子「ええ、、、できれば。」

理事長「いま、現役ですか?」

節子「19歳なので、現役ではないのですが、受験勉強はさせてもらっています。」

理事長「それでは、大丈夫ですよ。うちは、入りたいという意思を重視したいので、あまり受験に対してはそんなに厳しくないですから。まあ、先ほどの学生が言いましたように、入ってからは、厳しいという方はよくいますが、それ故に楽しい作業もあるでしょうからね。

だから、今勉強していれば、なんだこれは、人を馬鹿にして、というような問題ばかりだと思います。」

節子「本当ですか?」

水穂「理事長さんがそういってるんですから。」

節子「そ、そうか、、、。」

理事長「まあ、ゆっくり検討してください。私たちは、いつでもお待ちしていますからね。それにしても、右城さん、あ、磯野さんか。は、ずいぶん痩せましたね。」

水穂「そうですか?まあ病気になって、少しはそうなるのかもしれないけれど。」

理事長「でも、その顔はいつまでも変わらないのが、うらやましいですよ。私は髪も薄くなってきましたし、中年太りでして。」

水穂「まあ、よくないこともありますよ。」

理事長「冗談がうまいですな。」

水穂「大したことありません。」

理事長「ははは。さあ、もうすぐ沼津駅につきますよ。」

水穂「ありがとうございます。」

理事長「じゃあ、体に気をつけて。新しい学生さんが来るのを楽しみにしています。」

節子「ありがとうございました。素敵な一日でした。」

理事長の車は、沼津駅の前で止まる。

二人、車を降りて最敬礼し、富士行きの電車に乗って、富士へ戻っていく。











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