第二章
第二章
製鉄所。和風旅館のような日本家屋。武家屋敷にある門のような正門に「青柳」と書かれた表札と、「たたらせいてつ」と平仮名で書かれた貼り紙。
その正門の前で、タクシーが止まる。
応接室では、水穂がお茶を出したりしている。
水穂「来ましたよ、教授。新しい寮生さん。」
懍「そうですか、遂に来ましたか。」
タクシーのドアが閉まる音。
インターフォンが鳴る。
懍「どうぞ、開いてますよ。」
ガチャンとドアが開いて、母親と娘が入ってくる。通常であれば、ふてぶてしい顔の娘と、疲労こんばいしている母親とがやってくるのであるが、今回の母子はそうではなかった。
女性「こんにちは。」
と、軽く礼をする。その言い方も不良っぽいいい方ではなく、いかにも普通の女性である。
懍「お名前をどうぞ。」
女性「はい、園田節子と申します。」
その発音も、今時の若者が使う、中国語のような口声ではなかった。では、なぜそのような少女が、ここへ来たのか。理由は必ずある。
懍「青柳と申します。こちらは、手伝い人の磯野水穂です。まず、簡単にどうして登校拒否に陥ったのか、説明できますか?」
母親「ええ、大学受験に失敗してから、何もしなくなってしまったのです。」
懍「引きこもりですか?」
母親「いえ、まあ、出かけたりはしますけど、学校にも行かないし、仕事にも出かけようとしないので、」
懍「なるほど。では、なぜ、このようなところへ連れてきたのでしょう?」
母親「ええ、少し家族以外の人と接してほしいと思いまして。一人っ子なので、友達らしい友達もおらず、話をするのは架空の人とばかりですもの。スマートフォンを通してではなくて、ちゃんと生身の人間としゃべってほしいんです。いくら、スマートフォンがあったとしても、外へ出てちゃんとコミュニケーションが取れなければ、何も意味がないと思いますので。」
懍「なるほど。娘さんの主訴は?自殺願望や、逆に非行などに走ったりしますか?」
母親「それは全くありません。でも、ただだらだらと、時間を過ごしているようでは、この子も時計が止まったままですので、、、。」
節子「私は、大学へ行きたいんです。本当は。でも、勉強はしたくありません。」
母親「それではだめだと何回も言い聞かせたのですが、それでも何も行動も起こさない者ですから。」
懍「本当に、大学へ行きたいと思っていますか?」
節子「ええ、確かに、、、。」
と、目に涙をこぼす。
母親「こうして泣くのですが、なぜ勉強したくないかを全く話してはくれないのです。本人は、話すのもつらいのだと言いますが、私には正直、言い訳にしか見えなくて、、、。」
水穂「それは否定してはいけません。言い訳をしなければいけないから、そうしているのです。」
母親「ええ、それはそうなんです。カウンセリングの先生にも同じことを言われました。私も少しお休みをいただきたい気持ちがないわけではないのですが、それよりもここで、他の人と話す機会を持ってくれれば、少し気持ちも変わってくるのではないかと思いまして。それで今日連れてきたわけです。決して人身売買のようなことをしたいわけではないし、子捨てでもありません。ただ、この子がきちんと大人になってもらうために、家から離れることも少し必要かなと考えたので、ここへ連れてきました。」
懍「なるほど。本来僕たちもそういう考え方で、こちらに連れてきてもらいたいものです。
幸い、空き部屋はありますので、お預かりできます。ご本人はどう思っていらっしゃるのですか?」
節子「私も、ここへ来たほうがいいなと思いました。ここでやっている、たたら製鉄って、どんなものかなあって興味ありましたし。」
懍「女性には、かかわるのは難しいかと。」
節子「でも、あの映画では、女性が製鉄に関わっていましたよね?」
懍「ああ、あれですか。あれのせいで、僕たちはひどい迷惑を被ったものです。そもそも、たたら製鉄は女人禁止制であり、女性が操業することはまずありませんでした。それに、鉄を炉に入れる作業にしろ、天秤鞴を動かす作業にしろ、相当体力が必要ですから、女性が操作するのは難しいでしょう。」
節子「でも、私はやってみたいんです。幸い私は、高校時代柔道をやっていましたので、体力ならあります。それに、どこにも行かなくなって、やることなすことすべてのものに自信を無くしてしまって、ここへきて、何か自信をつけたいんですよ。」
懍「なるほど。それでは、製鉄に関わってもかまいませんよ。ただ、女性ですから、男性並みに操業することは無理だということは忘れないでくださいね。」
節子「わかりました。こちらに滞在させていただきます。よろしくお願いします。」
と、立ち上がって敬礼する。
懍「水穂さん、どこの部屋が空いていましたっけ。」
水穂「桃の間です。」
懍「連れて行ってあげて。」
水穂「わかりました。」
と言って椅子から立ち上がり、彼女を桃の間に連れていく。
廊下を歩く、水穂に、節子はついていく。
水穂「心配しないでくださいね。みんな、何かで傷ついた人たちですから、変にいじめたりけなしたりすることはしませんよ。」
節子「ありがとうございます。お体は大丈夫ですか?」
水穂「へ?」
節子「その顔でわかりましたから。健康じゃないなって。」
水穂「まあ、その通りですが、可能な限りこうして手伝い人をしたいなあと思っていますよ。」
節子「そうですか。私も、やっぱり何かしていないと、気が済まないたちでして。本当は、もっと勉強したいのですけど、受験勉強はもう、正直こりごりで、、、。」
水穂「それらも、寮生たちに話せば、きっとわかってくれますよ。はい、桃の間はここです。」
と、一つの部屋の前で止まり、カギを渡す。
節子「ありがとうございます。すぐに製鉄の現場に行きたいのですけど。」
水穂「ああ、製鉄は一度始めてしまうと、作業を止めることはできないのです。ですから、あなたが加わってもらうのは、今回の製鉄ではなく、次の製鉄で加わってもらうことになります。幸い、もうすぐ今回の鉄づくりは終了しますから、次のグループを決めるときに、立候補してみてはいかがですか。」
節子「そうなんですね。本当はすぐにやりたかったのですけれども、ルールは守らなければなりませんから、水穂さんの言うとおりにします。」
水穂「まあ、ゆっくり休養して、それから、製鉄に加わってみればいいですよ。じゃあ、僕は戻りますね。」
と、彼女の肩をたたいて、応接室に戻っていく。
夕食時。鉄づくりのリーダーである村下や、男性の寮生たちが食堂にやってくる。
村下「さて、今回のたたら製鉄は無事に終了した。明日から、第二回目を始めたいと思うが、誰か新たに製鉄をしてみたいものはいるかな?」
節子「はい!私を仲間に入れてください!」
寮生A「お、女?」
寮生B「正気か?」
節子「もちろんです。こう見えても体力はありますから、仲間に入れてください。」
村下「燃料拾いでどうかな?」
節子「いや、そうじゃなくて、製鉄の作業に加わってみたいんです。」
村下「しかし、女性には無理すぎるのではないかな。この作業は、一度始めたら脱落者が出ると、非常に困るんだ。」
節子「私は絶対に脱落なんかしません。女性ではありますが、何か達成したことに生きがいを持つタイプなので。きっと脱落しないでやれると思います。」
村下「わかった。では、比較的動作の少ない、天秤鞴を動かすことをやってもらおう。」
寮生A「大丈夫なのか?」
節子「ええ、私、必ずやり遂げて見せますから!」
村下「そうか。それでは、期待しているから、明日の朝食後に作業場に集まってくれ。」
節子「わかりました!」
富士田高校。職員室。熱心に教材を作っている秀。ほかの教師はそんなかれを馬鹿にするように見ている。
教師A「そんなことやったって無駄に決まってます。国公立大学にいかせるのはあきらめましょう。」
教師B「進学校に異動になったらやればいいんじゃないですか。それに、秀先生は、クラス担任でもないでしょう。」
それでも教材を作り続ける秀。授業開始のチャイムが鳴る。
教師A「ああ、また授業時間か。またのどつぶすわ。」
教師B「全く、スマートフォンをしまわせるのに30分!」
秀も教材をもって職員室から立ち上がる。
教室。中に入ると、髪をとかしている生徒、ゲームをしている生徒、寝ている生徒などがいて、全く勉強をしようとしている姿勢は見受けられない。
秀「静かに!授業の時間だぞ!」
しかし誰も振り向かない。
秀「静かに!机のものをしまえ!」
誰も従わない。
秀「では、お前たちのことを親に伝えるぞ!」
こういうとやっと教科書を出し始めるのである。
秀「スマートフォンを回収する。この紙袋の中に入れろ!」
生徒A「先生、生徒の持ち物をこうして回収するのは、プライバシーの侵害になるんじゃありませんか?」
生徒B「そんなことして、先生が立件されたらどうなるんです?」
秀「うるさい!学校はゲームをするところではないんだぞ!それに、お前たちは教育を受ける権利があるのだ。それをいま、放棄しているなんて、何たるそんなことだろうか!」
と、生徒の間を通って紙袋にスマートフォンを入れさせる。しかし、生徒の一人は、まだゲームを続けている。
秀「秀島、早くスマートフォンを出せ。」
秀島と呼ばれた生徒は、他の生徒よりもさらに服装が乱れていた。
秀「秀島!早く出せ!」
それでも無視を続ける秀島。
秀「早く!」
秀島「うるせえな!」
秀「卑しい生徒のくせに、俺たちに逆らうのか!」
生徒C「ちょっと、卑しいなんて言葉を使うなんて、先生ひどいよ!」
秀「お前たちも、卑しい生徒なのだぞ!」
生徒D「へえ、先生はそうやって生徒を馬鹿にするんですか。偉い人が生徒のおかげで先生となれると忘れるなと言っていたのをお忘れですか。この教師、馬鹿だよな。」
生徒全員がどっと笑いだす。
秀「静かにしろ!」
止まらない。
秀「静かにしろ!」
止まらない。
秀「静かにしろ!授業を始めるぞ!」
秀は、秀島という生徒を殴りつけてやりたいほど怒りを覚えたが、それは法律で禁止されているから、いけないことであった。
秀「静かにしろ!」
これまでにない大声で怒鳴りつけた。と、同時に咳が出てしまう。
生徒A「ほら先生、そうやって無理をすると、自分が体を壊しますよ!」
秀「うるさい!」
そのうち、女子生徒などは、教科書を片付け始めた。時計を見ると、もう授業終了五分前。
秀「授業が何もできなかったじゃないか!」
生徒B「それは先生のやり方が悪いんじゃないですか?」
秀「そうか、お前たちは、この学校を卒業したら、何もできない馬鹿としかほめ言葉はなくなるだろうな!」
生徒C「どうせ馬鹿だもん!」
秀島「うるせえんだよ。そもそも、スマホ取り上げるなんてことしなければよかっただろ。」
秀「何!」
秀島「毎回毎回大きな声でどなって、俺はうるさくて仕方ないんだ。」
生徒D「秀島、いいこと言う。」
秀「そうか、特に秀島に言いたい。勉強は今には面倒なことかもしれないが、将来必ず役に立つものだからな。それを、頭に入れておくように!」
と、授業終了のチャイムが鳴る。
秀「今日は何もできなかったから、次回よく予習しておくように。秀島、職員室に来なさい。」
秀島「なんでだ?」
秀「お前が、今回のトラブルの原因を作ったんだ。責任は取ってもらう!」
秀島「わかりましたよ。」
生徒A「無事に帰って来いよ!」
秀「お前たちも手を出すな。それよりも、予習と復習をしなさい!」
と、秀島の手をひっぱって、職員室に連れていく。
職員室。
秀は自分の机の前に秀島を座らせる。
秀「どうしてお前はいつもやる気がないんだ。勉強は、必要だからやるんだぞ!」
秀島「だって俺には必要ないもの。」
秀「そんなことはない。社会人になって立派な活動をできるように勉強しているんだ。」
教師たちも、この説教をそれとなく観察しているようだ。
教師A「全く、彼を叱っても意味ないわ。」
教師B「彼を叱るのなら、私たちのほうが負けるってことに気が付いてないのよね。」
秀「社会に出てみろ。誰も自分のことなんて管理してくれるひとはいないんだぞ。それに、親だっていずれは死ぬんだ。それに備えて勉強をするわけで、苦労するかもしれないが、
必ず役に立つことはあるから、」
秀島「うるせえんだよ。そうやってきれいごというから学校ってところは嫌なんだ。」
秀「きれいごとではない。本当の事だ。事実世界は誰にも変えることはできないんだからね。」
秀島「通用するところとできないところがあると思う。」
秀「具体的に言ってみろ。」
秀島「先生は、狭い世界でしかものを見ていないから、言っても無駄だろ。」
秀「何!教師の質問に答えないのか。それでは、社会に出て上司の言葉に従わいのと同じではないか。そうなったら、お前は生きて行かれなくなる。働いて金をもらって、やっと食べ物にありつけるのが人間の社会だからね。」
秀島「例外ってものもあるだろ。」
秀「いや、すべての社会でそのようにできている。福祉大国スウェーデンだって、そのようにできている。だからそれが正しい生き方なんだぞ!」
秀島「だったら、生きていなくてもいいやつがいてもよくない?」
秀「何を言っているんだ。命っていうものは、生きるためにあるんだ。それを自ら断ってしまうのは、一番いけないんだぞ!」
秀島「事実、そういう人いるんだよね。俺、長生きなんかしたくないし、する必要もない。」
秀「何を言っているんだ!お母さんからもらった命をそうやぅてないがしろにするのか。それを聞いて、お前のお父様もお母様もさぞかし悲しむだろう。」
秀島「いや、うちは悲しまないね。」
秀「いや、どんなにひどい家であっても、自分の子供に長生きしたくないといわれて喜ぶ親はいないぞ!」
秀島「それがうちの家は喜ぶんだよ!先生は本当にきれいごとでしか見ていないよな。だから俺は、教師なんかに従いたくなんかないんだ。」
秀「もう一度言ってみろ!」
教師A「先生、次の授業が始まってしまいますよ!」
秀「何!」
教師A「だから次の授業がです!」
秀「わかった。今日はここまでにするから、もう少し自分が生きている意味をよく考えてくるように。」
秀島「もうそんなものねえよ!」
と、同時に授業開始のチャイムがなる。秀島は、黙って職員室を出て、教室に戻っていく。
秀は、頭を掻きながら、次の授業をする教室に向かっていく。
放課後。
校門の掃除をしている秀。生徒がきちんと掃除をしないので、どうしてもゴミがのこってしまうのである。
声「ここが富士田高校か。」
振り向くと杉三と、蘭である。
秀「なんですか、二人とも。」
蘭「すみません、杉ちゃんがどうしても富士田高校とはどんなところなのか見てみたいって聞かないから、、、。」
秀「そういうのは、学校が休みの時にしてもらいたいですね。」
杉三「あれ、秀さんだ。ここの先生だったんだね。でもさ、蘭。名門校っていう感じはしないよねえ。」
蘭「杉ちゃん、そんなこと言うなよ!」
杉三「だって落書きを消した跡がある。」:
蘭「どこに!?」
杉三「うん。あの正面玄関のドアのあたりに。」
と、人差し指を突き出す。確かに、そこにはペンキを急いで塗りなおしたあとが見える。
蘭「あ、本当だ、、。」
秀「二人とも、変なことを言わないでください。多少の落書きはありますが、しっかりと勉強している生徒もおりますから!」
杉三「へえ、どこの誰なの?」
秀「ああ、先ほどある男子生徒と話していましたよ!」
杉三「へえ。じゃあ、その人と僕が対面することになるかなあ。」
秀「まあ、そういうことになるでしょう。」
杉三「それでは、その人に会える日を楽しみにしているね。ちなみに僕らも順調だよ。青柳教授のもとに、すごく力持ちの女性が来てくれて一緒にたたら製鉄やってるの。まるで、女相撲に出れそうなくらい力持ちだよ。」
秀「たたら製鉄?そんな古い製鉄法をまだ行っているのですか。」
杉三「そう。機械を使わないから、やる気さえあればだれでも参加できるよ。今頃でかいこえで、姉こもさ歌いながら、天秤鞴を動かしているんじゃないかなあ。」
秀「それで若者の更生を狙っているわけですか。」
杉三「そう。意外に単純な作業のほうが、若い人はくっついてくれるんだって。」
秀「鉄を作っても、何も身にはつきませんよ。それより、社会に出て、どうなるかを勉強しないと。」
杉三「点数を追いかけるよりよほど勉強することは多いと、青柳教授は言ってた。」
秀「まあ、せいぜい楽しむといいんじゃないですか?鉄づくりという無駄なものに入り浸っても、何も意味がないと思いますから!」
杉三「それがね。彼女、受験勉強も始めたよ。」
秀「受験勉強?」
思わずぎくりとした。
杉三「そうだよ。彼女は大学には行きたいが勉強はしたくないと、前々から言っていたが、製鉄と併用していくおかげで、勉強に取り組めるようになったんだって。青柳教授は、ボランティアの家庭教師をお願いしているらしい。」
蘭「杉ちゃん、あんまり他人のことをべらべらしゃべるのはやめろよ。」
杉三「でも、本当の事だもん、いいじゃない。隠しておくのは一番悪いよ。だって彼女、本気で受験勉強しているみたいだよ。それをしていないと嘘をつくのは、僕にはできないな。彼女の気持ちを考えたら。」
秀の中に何かが芽生える。
秀「杉三さんわかりました。幸い、ここは確かにモンキー校のような学校になってしまいましたが、そういう真剣な生徒も中にはいます。今度製鉄所を訪問しますから、その時に、お会いしましょう。」
杉三「うん、楽しみにしてる!本当は学校見学させてもらいたかったけど、そうやって教えてくれたから、今日はここで帰ることにするよ。じゃあ、また会おうね。」
秀「わかりました。必ず連れていきますから。」
杉三「はい。じゃあまたね!」
と、手の甲を向けてバイバイし、車いすを動かして去っていく。
蘭「本当にお忙しいところすみませんでした。」
と、そそくさと車いすを動かして去っていく。
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