第2章 白い洋館(1)

鬱蒼とした繁みの前まで来ると、牧は一瞬たじろいだ。雑草は自分の胸の高さぐらいまであり、絡まる蔓や笹もあれば、ハスの葉のような大きな手の形をした葉っぱもあり、何もかもが不揃いのように見えたが、緑の壁は確実にそこにあって、牧の行く手を阻んでいた。草という草が絡まりあい、道らしきものは見当たらず、どうみても行き止まりのようにしか見えない。それでも行かないといけないというのなら、することはただ一つ。自分で道を作るしかない。牧は深呼吸をしながら目を閉じると、思い切って、その草の壁の中へと飛び込んだ。


牧の耳元に自分が押し分けている草たちの重なり合う音が、ざざっ、ざざっと鳴り響いてくる。首や腕には容赦なく草の先端がちくちくと当たり、払いのけたくなるのだが、そんな流暢なことをしている場合ではない。なぜなら彼女の足下では、名も知らない虫があちこち跳び回り、隙があれば、彼女の足やら服にまとわりついてくるに違いないからだ。それを想像するだけで、牧は一刻も早くこの場から逃げ出したかった。


けれども伸びるだけ伸びた草たちはなかなか道を開けてくれず、牧はひたすら草をかき分け、いまいましく足で踏みつけながら、一歩ずつ進むほかなかった。そんな悪戦苦闘の末、ようやく草の一群は終わりを告げ、前には少し開けた地面とずっと空まで続くような背の高い杉林が立ち並んでいた。林の間からはほんの少しだけ日の光が迷い込むことがあるぐらいで、辺りは薄ぼんやりとした暗がりが立ち込めていた。そのせいか足下の地面は常に湿っているようだった。


牧はじっと辺りを窺ったが、マリの姿はどこにもなかった。並んでいる木々の中に、辺りかまわず走って行ってしまったのだろうか。いよいよ、迷い犬のチラシでも作らなくてはならないのだろうかと、違った意味での恐怖が、牧の心に詰め寄ってきたその時、ふと見ると、林の中に細い細い小道があることに気がついた。どこに続いているのだろうか。そっとのぞき込みながら、暗闇に包まれているその道に牧は目をこらした。思ったよりも長い道のようで、その先に何があるかは、行ってみなければ分かりそうもなかった。それにマリの姿が見つからない今、この先に進むしかない。


小道に足を踏み入れると、牧はすっと伸びた杉の木々が自分を見下ろしているような気がした。日の光の中で見る木々と違って、ここに棲む木たちは妙に黒ずみ、まるで年老いた老人のように見えた。折れ曲がった枝は、奇妙に折れた手のようにも見えたし、木のこぶはふしくれだった手のたこをを想像させた。歳月を思わせるひび割れた樹皮は、あたかも人の一生を思わせた。辺りには重い空気が漂い、森閑としていた。


牧はその沈黙を破らないように静かに歩きながら、徐々に歩を早めた。周りが暗かったせいか、牧にとってその道のりはとても長く感じられた。行けども、行けども、似たような暗闇と道が続き、どこまで行っても出口のない迷路のようだった。しかしそんな道のりの先にも終わりはあり、そのうち牧の視界は突然日の光にさらされた。彼女は眩しさから思わず目をつぶり、それからゆっくりと、再び目を開けた。彼女の目に飛び込んできたのは、またしても緑の壁だった。


今度の壁は雑草ではなく、きれいに刈り込まれた生け垣の緑の壁だった。高さは牧の背丈よりも頭ひとつ分大きかった。牧はその向こうがどうなっているのか、つま先立ちして観ようとしたが、背が少し足りなかった。彼女はあきらめると、どこまでも続いている生け垣に目をやった。ずっと続いているようにも見えたが、途中に木戸があって、その木戸はしっかりと閉まっていないのか、たまに風に揺れて、きしむ音が聞こえてきた。

「キィー」

木戸の音がまた鳴り響いた時、林の奥から見慣れた茶色の獣が、まるで毬のように弾みながら、開いた木戸に向かって転がり込んでいくのを牧は目の当たりにした。

「ちょっと、マリッ。待って」

牧は慌てて叫ぶと、マリの後を追い、自分もその木戸の中へと入り込んだ。


木戸の中に入ると、牧はすぐさま、立ち止まった。彼女の前に姿を現したのは、一羽の白鳥を思わせるような真っ白な洋館だった。

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