8 洗脳、のち巨漢。

 こんもりと生い茂る雑木林の中を、わき目もふらずに行歩する、二人の人影。

 一人は、凛々しい教官服に身を包んだ、小柄な女性。その脇を行くもう一人は、青と白の野暮ったい半袖のTシャツと長ズボンを着ていて、それだけでも見苦しいというのに、そのやや小柄な身体と、服の柄に見合わぬ大きな白銀の剣を、背中に携えているというのだから、なんと酷評したものかという、非常に滑稽で不体裁な出で立ちである。

 自分を客観的に観察してみるのは、社会で良い人間関係を築くために重要な事だ、という、高校の老けた男性教師がいつか言ってた言葉を、まるっきり信用して実行してみた俺は、そのあまりの低すぎる評価に、思わず発狂してしまいそうになった。

 待て、俺は元々、良くも悪くも、普通の男子高校生だったはずだ。それが何をどう間違えたら、この体たらくに陥るんだ? いや、わからない。わからないよ。俺はただこの異世界で、少しでも物事がいい方へ進むようにと、努力に勤しんでいただけなのに、それがどうして、ねえ!? 誰か教えてよ!!


 「なーにこの世の終わりみたいな顔してるのよ?」


 気づくと、隣の女教官が、そのあどけない童顔を不審そうに歪めて、俯きがちな俺の顔に近づけていた。


 「なーんか、俺の人生何か間違えたのかなーってさ、過去を省みてたんだよ」


 隠すことでもないと思い、ダラダラした口調で答えてやる。

 するとアンジュは、別に思い悩むというふうでもなく、率直に言葉を返してきた。


 「そりゃ、犯罪で捕まってるんだから間違ってるでしょうよ」


 その言葉は、俺の胸の髄まで、ひしひしと響いた。そうだ、俺、犯罪者だった。罪状は鮮明に覚えちゃいないけど、とにかく犯罪者だったはずだ。でなきゃこんなダサい服着てないし、そもそもこんな場所にはいない。今頃華やかな異世界の街で、目新しく楽しい生活を満喫しているに違いないのだ。


 「なあ、俺どんな罪で捕まったんだ?」


 「とぼけるのも大概になさい。幼女誘拐犯、ロリコンのコゲツ」


 ……ああ。うんうん、そうだったね。俺、ロリコンだったわ。いや、元々ロリコンだったのかどうかは知らないよ? でもこの異世界へ来てからというものの、俺には何故か、ロリコン発症の兆候がたて続けに表れたのだ。小さな女の子を誘拐して、物騒な廃墟に閉じ込めて、あんなことやこんなこと……ん?

 俺は別に、幼女を誘拐したわけじゃない。でも確かに、真っ暗なボロ家の中で小さな女の子を抱えていた記憶があるのだが……何でだっけ?

 まあ、細かいことはいいか。そう、俺こそがロリコンのコゲツ!! 妙に湧き上がってくる悲しみの情念は、この際切り捨ててやろう。俺は、ロリコンだったせいで、人生を踏み出したんだ。その事実は、どう頑張っても覆せはしない。


 「ハハ、ロリコンのコゲツ、いいな……ハハハ」


 「何よあなた、つい先刻まで嫌がってたクセに、気持ち悪いわね……なんか悪いもの食べた?」


 いや、俺は元からこういう人間だ。潜在的に、ロリコン性癖のド変態思考を持ち合わせていたんだ。……いや、この際だからはっきり言おう。鬼畜で悲痛な現実に嫌気が差した俺は、もういっそ自分を洗脳してやることにしたのさ。その方が、生きやすいよ、きっと……あれ、おかしいな、目尻が痛い。


 「ちょっと、何で泣き出すのよ!? 思考が読めないわねまったく」


 さようなら、今までの俺。これからの俺は、この島に順応して生きていくことにするよ。うん、別に大それた人格改造をしたってんじゃない。ただ、俺はロリコンであるという、普通に入れ込んだらアナフィラキシーショックを起こしそうな異物の感情を、できる限り馴染ませながら俺の心に埋め込んだってだけだ。


 さて、そんな回想にふけっていたものだから、長いと思われた雑木林にも、終点の光が前方から注がれていた。

 正直、この監獄島がどんな形で、どれくらいの面積を持つのか、からきし見当がつかないのだが、雑木林だけで異常なほど場所をとっているのだから、仮に小島なら大層な開拓不足というやつだろう。それとも、自然保護でも叫ばれているのか。この鬱陶しい木の群れ相手に。


 「さて、着いたわよ」


 「おう、着いたな」


 一瞬、法外な量の光に目を細めるも、慣れていくにつれ、視界がくっきりと形成されていった。


 「おぉ……」


 思わず、感嘆の声が漏れる。並の規模の街一つ分はあろうかという広大な敷地。そこには、横に長く伸びていて、さながらアパートのような佇まいの、灰色の建物。華やかな色彩に塗装された、ドーム型を模した大きな建造物。それに、人々が集まって、和気あいあいと談義をかもしたり、適当な運動をしたりするには丁度よさそうな、ベンチの設けられた大きな広場。一番最初に言った建物に関して言えば、多少古びた錆や汚れが目立っていたりもするが、概して、建立されて間もない村といった風貌であった。


 「ここが、あなたがこれから住むことになる居住区域、第三区画よ。」


 アンジュが振り返り、朗らかな声でそう告げてくる。


 「ああ、そうかい。予想と比べたら大分まともな場所じゃないか」


 「何を予想してたのよあなたは?」


 失礼ね、とでも言いたげに、目を細めてくるアンジュ。いやそれはさ、今までの鬼畜ぶりからいって、もっと荒れ果てた、不気味な廃村みたいなところに住まわされるとか、あるいはいっそ、森の木の陰で眠るような、文明感のない大自然暮らしを強いられるとかさ、色々と考えられる節はあるじゃないか。


 何はともあれ、最低限人間味のある生活をさせてくれるなら、こちとら願ったり叶ったりだ。


 「ちなみに、あたしこの第三区画の総督権を持ってるから、生活で不備やトラブルがあったら、あたしに届け出をするのがオススメよ。仕事で出かけていない時以外は、あのドーム、第三区画管理局に居座ってるから」


 「お、おう」


 俺は未だにこの教官の地位や権力が計れない。島の管理局に務めてるとも、取調の時言っていたが、やはり迂闊に歯向かってはいけない相手なのか。囚人と教官の間柄でもあるわけだが、それ以上の力の差を、俺は感じざるを得ない。権力的にも、武力的にも。


 「おお、アンジュの姉御じゃないすか」


 広場の奥から、住民らしき男が一人。


 ゴツいなぁ……。


 怒鳴られたら怯んでしまいそうな低音の厳つい声。柄こそ俺のと同じだが、俺よりも二回りくらいサイズの大きい囚人服を身につけた、がたいのいい大男。俺がこの世で最も絡みたくない部類の人種だった。


 「あらガボン、いい所に来たわね」


 ブルブル震える俺の脇で、至極平気そうに振る舞うアンジュ。童顔の小柄な女が大柄のおっかねぇ男と平然と喋ってる。え、何この状況。


 「今日から、第三区画に新しい住民が加わることになったから、よろしくしてやってね」


 「グフォッ!!」


 肘で背中を強く押された俺は、情けない声をあげて、大男の正面に身を投げ出された。おい鬼畜教官。また俺を狂気の懐へ放り込む気なのか。

 そんな俺を見下げるようにして、にぃと笑った男は、再び口を開いた。


 「ほう、こいつはまたひ弱そうな小鼠がなだれ込んできたもんだぜ。よう新入り、俺はこの第三区画の囚人統括人。ガボン、圧し首のガボンってんだ。よろしく頼むぜ」


 そう言った後、ハハッと、喉を震わせて笑い声を漏らした、ガボンという大男は、何かを待つように、その鋭利かつ大きな眼球を、俺に見せつけてきた。

 ああ、そうか。


 「お、俺はコゲツってんだ。よろしく、ガボン」


 恐怖心を表に出さぬよう、なるべく平静を装って言葉を発する俺を横目に、クスッと笑う鬼畜女教官。趣味悪いなおい。


 そうか、コゲツか……と、納得したように声を漏らしたガボンは、しかしそれでも、まだ気になることがあるようで


 「なあ、お前二つ名はねえのか?」


 「二つ名?」


 そう問いかけて来たものだから、俺は少しばかり思考の時間を要することとなった。え、二つ名って……あ。


 「ロリコンの……コゲツ」


 「あたりよコゲツ。それがあんたの二つ名」


 「これマジなやつだったの!?」


 突如、アンジュが口を挟んできた。俺の呟きを耳にした大男は、ハハッ、ロリコンとはまたイカした二つ名だなぁ、なんて言って笑ってやがる。こいつ、ロリコンの意味を理解しているのだろうか?

 しかしまあ、このロリコンのコゲツ。てっきり、アンジュが冗談半分につけたあだ名かと思ったのだが、もしかしてここの住人って、皆二つ名持ちなのだろうか。


 「ああ、まだ言ってなかったわね。この島の住む囚人は皆、二つ名を持つことが義務付けられているのよ、お互いの罪を意識させるためにね」


 俺の意を察したのか、アンジュはご丁寧に説明を入れてくれた。

 なるほど、理解できなくもない理屈だ。自分が犯罪者であるという事実を、日々噛み締めるために、とね。

 だがその説明に関して、彼女は、さらにこう付け加えてきた。


 「もちろん、あたしみたいな教官に付けられる場合もあるのだけれど、もう一つ、特殊な場合があってね、例えば、そこの大男みたいに」


 そう言ってガボンを指さしたアンジュは、即座に俺の方に向き直り、そのあどけない童顔を俺の顔面に真っ直ぐ向けると、新たにこう問うてきた。


 「あなた、アイルリストって聞いたことある?」


 「いや……まったくの初耳だけど」


 アイルリスト。皆目聞き覚えのない言葉だ。アイルってのは、多分「島」って意味だろうか。リストはまあ、そのままリストでいいだろう。島、リスト……島リスト、島リス、シマリス……縞栗鼠しまりす


 「簡単に言うと、捕まり次第この監獄島への連行を余儀なくされることとなる、悪名高い大罪人の名を記した表のことよ」


 「変なこと考えてさーせんしたあああ!!」


 おい、こいつは何で意味不明な言葉を喚いてやがるんだ? と問うガボンに対し、ああ、こいついつもこんな感じの変質者だから、気にしないでやって、と淡々とした口調で返すアンジュ。ああ、やめておくれ。これは事故だ。思考が変な方向へと飛んでいったが故の、紛うことなき事故だ。

 では改めて、アイルリストを解釈しておこう。聞くところによると、ブラックリストみたいなものらしいな。ということは。


 「悪名高いから、わざわざ付けなくとも、元から二つ名が付いてると、そういうわけか」


 「そういうこと、はぁ、ちゃん理解してたみたいで安心したわ」


 俺の怪奇的な反応に、もしやわかっていないのかと心配していたらしく、深い溜息をこぼすアンジュ。そこまでか、そこまでなのか。……まあいい。


 「で、ガボンもまた、そこに名を連ねる犯罪者の一人ってわけ」


 「なるほどな、えっと、なんて二つ名だっけ……あ、圧し首……圧し首!?」


 俺は目の前の大男をひたぶるに凝視した。うわ、何かとてつもない悪寒がするぞ。

 俺の素振りが挙動不審になってきたのを見計らうように、ニヤと笑ったアンジュは、さらなる言葉をぶつけてくるのだった。


 「その昔、人通りの少ない細道なんかで、行き交う人に片っ端から喧嘩を挑んでは、首を圧し折ってゴミのように捨てていく通り魔がいた。人々は彼を恐れ、こう呼び伝えるのだった。細道では、圧し首のガボンに気をつけろと」


 「おっかねぇえええ!!」


 悪寒的中だよ。真面目におっかないよ。首をへし折って捨てていく通り魔だぁ!? 殺人鬼の間違いじゃないのか!?

 いやぁ、昔はそんなやんちゃもしてたもんだなぁ、と、はにかんで笑う大男。いやいや、やんちゃってレベルじゃないだろどう考えても。

 そして常識外れな殺人鬼の発言に、何故か懐古するように、和んだ表情でアンジュは言葉を紡ぎ始める。


 「あの頃は大変だったわねぇ。四肢を鉄の鎖で繋がれて、もがきながら連行されてきた時は、こいつは手がかかりそうだと落胆したものよ。あなたがあんまりやんちゃだったものだから、仕方なく、あたしがこっ酷く教育してやらなくちゃいけなかったのよね。おかげで、今はすっかり大人しくなったけど」


 ……そいつぁ、ご苦労なこったね。うん、相変わらずこの童顔女、鬼畜でした。教育? 何したんだろうね、教育って。ああ、恐ろしい。


 「そいつぁちょっと違うぜ姉御。俺は今でも、あんたの首を圧し折る機会を伺ってるんだぜ? 何てったってそれが俺の、人生最大の目標だからなあ!」


 「あら前言撤回、教育が足りてなかったかしらね。また赤っ恥をかきたいのなら、いつでも相手してあげるわよ?」


 俺が唖然と立ち尽くしている前で、囚人服姿の大男と、教官服姿の小柄な女が、視線を交えて火花を散らしていた。まるで次元の違う争いだ。俺に介入の余地はない。

 まずい、このままだと、ガチで暴力沙汰になりかねない。かといって、俺にどうしろというのか、仲介なんざ論外だ。無理、この中に割って入るとか、俺には無理だって!


 グルルルルッ。


 「へっ?」


 「あぁ?」


 「……し、失礼」


 張り詰めた空気を破り去ったのは、何を隠そう、朝っぱらから何も食べていない状況にいい加減耐えかねていた、俺の腹の虫だった。

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