7 猛牛、のち初陣。

 場所は変わって、比較的地盤の硬く、青々しさの欠片も見受けられない更地の真っ只中へ。遠目にうっすらと雑木林が見えるのだが、ここ一帯に関していえば、突起物一つない、清々しいまでの平地のようだ。


 「ねえ、マジで言ってんの?」


 ブグルゥ、ブグルゥ。


 「大マジよ、そりゃあ」


 ブグルゥ、ブグルゥ。


 アンジュは、変わりなく含意のない正直な物言いで、俺の問いに答えた。

 はぁ、まあ予想の範疇ではあるんだけどさ……。


 ブグルゥ、ブグルゥ。


 「ああもううるせえよ!」


 「ブグルゥアアアアッ!!」


 「うぉあっ!!」


 「そんなふうに刺激するからよ……はいドードー」


 とりあえず、なるだけ手短に、状況を説明しておこうか。

 はい、まずナンセンスなことその一。俺の目の前に、俺の身体の2~3倍はあろうかというデカい図体をした、全身茶色い牛がいること。本当に牛かどうかはわからないが、姿形そっくりそのまま牛なんだから、そう呼んでも差し支えないだろう。ただ俺の知ってる牛というのは、大抵「モォウ~」と鳴くのだが、「ブグルゥ」とは一体全体、どういう風の吹き回しだろう。まあ、異世界だし、そこら辺はあまり気にしない方がいいか。

 さて、さらに一つ、さっきからこの牛が、俺を敵視するように眼を飛ばしてくること。何、俺に何の恨みがあんの?

 そして最後にもう一つ、アンジュさんが、鬼畜を通り越して、もうなんだか計り知れないこと。つまりは、ほんの一瞬にして、性格という概念から凶暴の成分だけを抽出して固めたみたいな生物をなだめすかしたことだ。その証拠に、さっきまでおっかない鳴き声を散らしてた牛が、いつも間にやら、鳴き声すら出さずに大人しく佇んでいるのだ。まあ、飼い主だからってこともあるのだろう。飼い主というより、調教師って言葉が合いそうな気もするけど。

 しかしながら、表面上落ち着いてきてなお、俺を見る時のその目は、直視できないほどに鋭かった。


 「てかおい、こいつは何もんだ」


 「あたしが仕事で放し飼いにしてる魔物の一種、トウスジギュウよ」


 「トウスジギュウだぁ!?」


トウスジギュウ。漢字を宛てがうなら多分、頭筋牛。やっぱ牛じゃん。しかも、名の通りこいつ、額に青筋みたいなものが立ってる。うへぇ、やっぱおっかねぇわ。

 ああ、もう一つだけ、大事なことを言い忘れてた。

 それはつまり、俺はたった今、この猛牛との武力行使による戦いを強制させられた、ということだ。


 「さて、第二にして最後の試練。こんなところでへばらずに頑張りなさいよ」


 このおっかねぇのと、戦えと。

 冷や汗こそ流れども、大した驚きは伴わなかった。悲しいかな、宣告される前から既に、なんとなく察しがついたんだよ。


 日もそろそろ天頂へ差し掛かってくるといった時間。ますます日当たりが強みを増してきたにもかかわらず、この場で海藻みたいに萎えているのは俺だけだった。鬼畜女教官たるアンジュは、相変わらずあどけない童顔をすまして笑っている。その器量は感心せざるを得ないが、それ以上に、特段、牛の方から圧倒的なまでの熱気を感じる。闘志に燃えた、傷を抉る傷みを伴うような、ジリジリと熱い熱気が。


 「さて、最後の試練なわけだし、さっさとやりますか。さあトウスジギュウ、そこで構えて」


 ブグルゥウウウッ! と猛烈な雄叫びをあげて、俺達から少し離れた場所まで駆けていく牛。あの重量感で、割に合わず颯爽とした足運び。マウンテンバイクのレースに参加したら、優に上位へランクインしてきそうな速さだ。あんなのに突進されて、頭の角で一突きくらったりしたら、一溜りもないだろうな。いやぁ、牛なんて生き物だから、異世界という括りの中では、かなり低級な魔物であるのも理解できるのだが、それでもいざ一戦交えるってなると、ちょっと勘弁だな。不甲斐ないが。そんなふうに思って、怖じ気立つ俺だったが


 「何固まってんのよ。今からあれと戦うのよ? ほら、この武器で」


 アンジュの手から放り出された長身の物体を掴まなきゃならなかったものだから、そこで多少取り乱しつつも我に帰るのだった。

 ずっしりと重い感覚が、期せずして俺の両手を襲う。うわ、何これ。鉄の塊? 何kgあるんだよ。

 それで、視線を下ろしてやると、そこには、ゲームなどで嫌というほど見慣れた《アレ》が存在していた。

 銀色の光沢を放つ細身の鞘。それでいて、少しばかり黒ずんでもいる柄の部分からは、使い古された熟練の器量を感じる。

 俺は導かれるように鞘からそれを引き抜いた。


 「おぅ……」


 顔を出したのは、鞘に勝るとも劣らぬ煌びやかな光沢に身を包む、細長く美しい刃。間違いなく、それは剣というやつだった。細身の剣、とでも呼んでおこうか。

 これはなかなかに値が張りそうな代物だ。


 「それもうあなたにあげるから、好きに使っていいわよ」


 「え、マジで。太っ腹だなあおい」


 「そんなに高価な武器じゃないんだけどね」


 ジャンクフードを食ってたまらなく喜ぶ奴を見るような、何だか頂けない視線が飛んできたが、気にすることはない。実物の剣を見るのは、これが初めてなのだから。

 試しに右手で持って構えてみると、案外持ちやすくて軽かった。放り投げられた時に感じた重量感は、多分投げられたことによる付加重力か何かだったんだろう。

 ところで、さっきまでたかが牛相手に恐おののいていた俺だったが、柄を握った途端、強者の余裕みたいな、謎の安心感と気概がメラメラと湧き上がってきたもんだから、不思議も不思議。剣なんてまともに振るったことないクセに、まるで根拠の無い自信。まあ、それっぽく振りゃあ当たるのかな。

 とにかく、あとは実践あるのみと。


 「よっしゃあ、やったらぁあああ!!」


 「いい気概ね~、じゃあ後押しがてら情報をもう一つ」


 胸をりんと張って牛の元へ近づく俺の背中に、投げかけられた言葉は


 「その牛、あなたのことを、飼い主に危害を加えようとする敵か何かだと勘違いしてるから、多分本気であなたを殺しにかかってくると思うわよ~。だからまあ、そのつもりでよろしく~」


 これまた、随分と鬼畜なものであった。

 ああもう、今更そんな情報が何だってんだよ。戦いなんて、食うか食われるかだろ? なんていうふうに、段々と思考が荒々しくなってきたのは、大方、取り巻く環境が原因だろう。


「ブグルゥ……」


 約50メートルの距離をとって、俺は怒りに唸る猛牛の正面に、相対するのだった。




 それから、約10分後くらい。

 武者震いしつつも、男勝りに戦場に足を踏み入れた俺はというと。


 「ギャアアアッ! 来んな、こっち来んなぁああああっ!」


 「ブグルゥアアアアッ!!」


 ……恥ずかしながら、一貫して、敵に背を向け続ける有様。

 いやね、しょうがないよ。

 ほら、例えばの話。横断歩道を渡る時にさ、50メートルくらい先から割と速度のある自動車が走ってきたら、仮にこちらが青信号だったとしても、何だか渡るのを躊躇ったりするだろう? 暴力喧嘩の経験もない。交通事故は甚だ後免。結局のところ、現代の男子高校生は、何だかんだで臆病なのさ。ゲームの中じゃ虚勢を張れても、現実としては、こんなもんさ。


 「おーい、逃げてばっかじゃ終わらないでしょー。さっさと戦いなさいよーロリコンのコゲツ」


 「ロリコンのコゲツ言うなぁああああ!!」


 「ブグルゥアアアアッ!!」


 「ヒャアアアアッ!! すんませんすんませんすんません」


 ダメだ、全速力で走り続けてる最中、大声を張り上げたりしたせいで、息が切れかかってる。キツい、身体がもたない。

 そのクセ、下手な叫び声に刺激された牛は、怒りで烈火のごとき雄叫びを撒き散らす始末。

 ああもう、こうなりゃヤケっぱちだ。


 「鬼畜クソくらええええ!!」


 急ブレーキをかけつつ、我ながら意味不明な罵詈雑言を飛ばしながら、迫り来る脅威へと腹を向ける。

 牛はもう目前だ。心臓を掃き溜めに投げ捨てる覚悟で、俺はさほど重くない白銀の剣を、手前に構える。

 剣なんてロクに触ったこともなかったし、戦闘経験なんて以ての外だ。しかしながら、現状、それは言い訳に過ぎない。

 そう、今し方乗り越えた試練と同じく、できなければ、無様に朽ち果てるだけ。


 「来いやクソウシがぁあああ!!」


 鬼畜上等。それがこの島で生き抜くために必要な、少々気の狂った信条だと、俺はこの時を以て、この上なくはっきりと理解した。


 「ブグルゥアアアアッ!!」


 「ウォアアアアアッ!!」


 距離にして、約一メートル。元々頼りのない運動神経をフルに研ぎ澄まして、俺は敵の左脇へと、その軟弱な身体を飛び込ませた。

 瞬時、世界が時空を歪めたかのような、スローモーションの中に、俺は包まれた。太股の付け根に、わずかな痛みを感じる。見れば、どうやら牛の前脚が、クリーンヒットしているようだ。とはいえ、大した痛みではない。それよりも、俺はやらなければならない。

 延々と続いていくかのように思える無音無臭の空間の中で、俺は幾つもの情報を整理した。

 して、今なすべきことは、ただ一つ。


 「もらったぁあああああ!!」


 筋なんかもブレブレ。美しさなど微塵もない。ただ、敵を打ち破りたいという感情のままに、俺は右手の剣を、今まさに通り過ぎようという牛の頭の天辺めがけて、ちゃらんぽらんに振るった。


 ザシュッ と、後味のいい音。そして、手応えのある感触。俺はその時、でたらめに振り回した剣先が、牛の頭頂部を確かに直撃しているのを、ひしひしと目の当たりにした。

 その瞬間、スローモーションは途切れ、俺の身体は勢いに押し流されるまま、前方へ飛ばされていった。


 「うぉっ……」


 柔軟性の皆無な地面へと、背中から擦り付けられるように着地。骨が軋むような痛みを感じたが、折れてはいないようだった。

 未曾有の衝撃に対応しきれていないのか、暫く俺は動けなかった。

 鼻先の大きな砂粒から形容し難い異臭が漂ってくる。天然の臭さだ。

 その匂いにうつつを抜かしていた俺に、茶色い影が近づいてきた。


 よろよろと全身をぐらつかせながら、足を前へ動かす、弱った牛。しかしながら、それは俺の目の前で動きを止めた。


 「ブグルゥ……」


 横倒しになる牛。ズシンッ!! と、地を割くほどの激震が、一帯に響き渡る。


 「お?」


 やっとのことで身を起こした俺は、横たわる巨体に駆け寄って、その顔を拝んだ。頭の方に、くっきりとした太い切り傷が付いていたが、出血はないようだった。

 意識こそないようだが、流石に死んではいないのだろう。

 このまままた剣を振りかぶれば、とどめを刺すことも出来るだろうが、現状、俺にはそんな惨いことをする勇気はなかった。返り血とか浴びたらどうすんだよ。牛の血液とか、絶対エグいし臭いぞ?


 「はいストップ、そこまでー」


 機嫌のいい顔をして、アンジュが駆け寄ってきた。

 流石の鬼畜女教官も、そこまで俺に強いる気はないみたいだった。まあ一応、こいつ飼い主だもんな。その愛着が純真なのか歪曲してるのかは知らないが。


 「とりあえず、なんとか勝てたぜ」


 「まあ、牛1匹失禁させられないようじゃあ、軟弱過ぎて話にならないからね」


 相変わらず達成感を削ぎ落とすような発言に、うるせえ、少しは褒めろよ、と語気を強めて言い返す俺だった。


 「はいはい、試練突破おめでと、ロリコンのコゲツ君」


 「だからぁ、ロリコンのコゲツ言うなぁあああ!!」


 視界を遮るものが何も無い、強いていえば、一頭だけポツンと、茶色い牛が横たわっているだけの、閑静な平地の彼方へと、俺の必死の叫喚が伝播していく。

 喚いてみたところで、誰にも届きゃしないだろうな。せいぜい、薄ら見える雑木林の木の葉が、一枚、落下してくれる程度かな。いいさ、もう。そんなんで。

 とにもかくにも、俺は今この瞬間をもって、入島者の登竜門を無事、くぐり抜けたわけなんだから。

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