一章 入島、のち仲間。
6 入島、のち地獄。
ギラギラと鬱陶しい日光の照りつける快晴の下、俺は周辺を草木の覆う、砂地の上でボケっと棒立ちしていた。
暑ぃ……。何で俺、こんなとこで佇んでるんだっけ。
俺は
異世界生活3日目にして既に、俺の知っている異世界転移物語とは程遠く惨めな展開。誰だよ、こんな筋書き書いたやつ、俺は許さねぇぞ絶対。
ついさっきまで、ゆりかごみたいに揺れる小船の中でウトウトしてたもんだから、頭が妙にクラクラする。そこに日光が加勢すると、さらにキツい。いやさ、ここ2日間、俺まともな寝床にありつけてないよ? ボロボロの廃墟とか、時々水しぶきが飛んでくる屋根なしのちっこい船体とか。不遇にも程がある。
そのくせ、このダサい服装ときたら……。青と白のストライプが入った、おきまりの囚人服を着せられたこの屈辱は、なんともし難い。学生服は、剥ぎ取られてそのままどこへやら。帰ってくる見込みは、まあまずない。
「もしもーし」
「ウォッヘーイッ!?」
報われぬこの身にどうか温かい恩寵を、と心願する俺の顔面を、不快さに耳の馴染まぬ女の声が襲った。
「何よその気持ち悪い反応」
黙っていれば可愛げのある童顔を持ちし女の口から、相変わらず鋭利な言葉が飛んできた。
青みがかった白いカッターシャツ。その襟から下っ腹近辺まで下がる紺色の長いネクタイ。下半身には、紺色のタイトスカートを身につけ、その下には、鼠色のスパッツが顔を出す。取調室の暗がりの中で、アンジュと対面した時はよく見えなかったが、こうして改めて確認すると、いわゆる婦警のような装いだなと思えた。
売り言葉に買い言葉ってわけでもないが、何か気の利いた返答でも、と、亀みたいにのろのろ回る頭を無理やりこねくり回して考える。
「お、俺は今な、その……山奥の茂みの中で、座して心頭を滅却してる気分に浸ってたんだよ!」
勿論真っ赤な嘘であるが、咄嗟のでまかせにしちゃ上出来だと思……思う……?
「何訳のわかんないこと言ってるのよ。頭起きてる?」
嘘だとバレてるのか、そもそも通じてないのか、いずれにせよ、呆れられてるのはわかった。
変質者を見るような目で俺をジロジロ睨んできたアンジュはそれでも、さてと、と馬鹿話に折り目をつけて、新しい話題を切り出してきた。
「改めて、アサナギ・コゲツ。ようこそ監獄島へ。これからあなたには、途方もない数の罰……まああえて言い換えるなら、試練が待ち受けているのだけれど、やはりそれらを耐え抜くためには、基礎的な能力が必要不可欠なわけよ」
「ほうほう、要は基礎体力とかか」
「そう。それで、今日あなたには、その基礎体力等の基礎能力を測るための、入門試験みたいなものを受けてもらうわ。ちなみに、当たり前だけど、拒否権はなしね」
「……へーい」
嫌だとは絶対に言わせないスタイル。まあ、これまでの流れからして、既知の事ではあるけども。誠に遺憾だが、逆らえばもっと酷いことになりそうだから、ここは大人しく命令に従うのが賢明だ。
「で、具体的に何をするんだ?」
「まずは体力とか筋力の試験ね。ほら、そこに大きな穴があるでしょ?」
言われるがままに、俺はアンジュの指さす方向を見遣る。なるほど、確かに砂が吸いこまれるようにしずむ、大きな窪みが存在しているようだ。
でも、それが一体何と関係するのか、なんていうふうに問おうとしたのも束の間。
「えいっ!」
「うぉあっ!」
物凄い腕力で、アンジュが俺の身体を押し飛ばしてきた。え、小柄な女に押し飛ばされる俺って何なの? 俺が弱いの? それともあいつが異常なの?
そして、哀れにも俺の身体は砂に足を取られ、そのまま滑り込むようにある方向へ。
例の、穴の方へ。
「な、おい、ちょっ、まっ、落ちるぅううううう!!」
その言葉通り、俺は足から、砂ごと穴の中へ豪快にダイブしたのだった。
とはいえ、穴は完全に垂直というわけではなく、砂が坂を作って、だんだん狭くなる奥底の方へと流れ込んでいるようだった。
俺はその上を、なんとか地を掴む足を器用に動かして、ひたすら駆け続けていた。
だがしかし、いくら前進しようとも、それは実質的な前進にはならない。どういうことなのか。簡単な理屈だ。
地がずれれば、前には進まない。
走れば走る分だけ、砂がなだれ込んでくるものだから、結果的に俺は、斜面版天然ランニングマシンを延々と走らされていることになるのだ。それにしても、手荒が過ぎる。
「うぉいアンジュー!! ふざけんなよてめぇえええ!!」
俺の渾身の叫びが聞こえているのかいないのか、平然とした顔で見下ろしてくるアンジュ。この鬼教官め。いきなり突き落としやがって。
ところで、さっきから後方に不穏な気配を感じるのだが、気のせいだろうか。気配だけではない、ガチッ、ガチッっと、堅硬な刃と刃を衝突させているような不快な音が、さっきからずっと耳に突き刺さってくるのだ。
どうするこれ、振り向く? 振り向いちゃう?
その場限りの怖いもの見たさというやつが、理性に優先した。したがって俺は、体勢を崩さないよう、身長に首を回す。
回したその先には……。
「なんじゃありゃあああっ!?」
強靭そうな太い牙を幾本も生やした大きな顎。その持ち主たる生物は、分厚い甲羅に包まれた身体の首元より下を、砂の中に
蟻地獄。砂穴に落ちた蟻を、どんどん奥底へ落としていき、捕まえて平らげる恐ろしい虫。その先端は本来クワガタのように対になった鎌状の顎があるのだが、今目前にいるそやつの顔面は、例えるならばアマゾンの川辺に潜む大ワニ。
ワニ地獄とでも呼んでおこうか。 ワニ地獄、ひぇ~。名前だけでも寒気がする。
「やっと気づいたみたいね。そいつはスナアナノヌシっていう、魔物の一種よ。捕まったら即食べられてあの世行きだから、気をつけてね~」
「気を付けてね~じゃねえよ!」
何だあの軽口は。危険に身をさらしてる人相手にかける言葉じゃないよあれは。これが鬼畜の所業というやつか。
ケッ、いいさ、この際だから全力で足掻いてやる。
ここで死んだらそれまでだが、異世界に転移して一度免れた死に、もう一度接触するなんてのは御免だ。
「死んでたまるかぁあああっ!」
というわけで俺は、一層両足をバタバタ暴れさせて、全力で前進を試みた。
後ろの脅威との距離は、目測100メートルくらい。対して地上までは、50メートルほど。頑張れば、なんとかなるのかもしれない。
そんな気を後押しするように、俺はほんのわずかながらも、自分の身体が前へ、上へと動いているのを感じ取った。これは本当に、いけるかもしれない。
しれなかったのだが。
「ちょ、なっ……」
ほんの一瞬の油断が、勢いよく流れる砂に伝わり、その砂はここぞとばかりに、俺の足を連れ去っていった。
「グッへッ」
案の定、盛大にコケる俺。そして。
「ギャアアアッ!! 死ぬ、死ぬって!! ガチで死ぬぅううう!!」
一歩進んで、百歩下がる。俺の身体は砂の上に寝そべった状態で、流されるがままに落ちていった。脅威との距離が、目にも留まらぬ速さで縮まっていく。嬉しそうに顎を開くワニみたいな魔物。こいつはいよいよ、絶体絶命か。
半ば諦め顔で目を閉じる俺の右手に、硬めの感触が生じた。
「おっ?」
気づけば俺の身体は、右手一つで砂の急流の中に滞留していた。どうも、砂の背後に小さな窪みが出来ているらしく、幸運にもそこに手を引っ掛けられたようだ。
「あら運が良かったわね。まあ基本的に運動神経の平凡な人は、それにすがって登ってくしかないわね。あ、ヒント言いすぎたかな」
「口添え有り難く頂戴するぜ!」
頭上から降ってきた助言を俺はしっかりと脳に刻む。なるほど、要はこれ、ロッククライミングみたいにして登っていけばいいのか。他に窪みがあるとして、それがどこなのかは見当もつかないが、そこはもう手探りでやっていくしかないのだろう。
正直こんな急流に圧されながら登っていくとなると、握力なり何なり、手がもつかどうか不安でしかないが、離したら落ちて怪物の餌になるわけだから、泣き言は言っていられない。
俺は今、彼女に試されているのだ。俺自身の、体力だけでなく、その場その場での対応力を。
へへっ、生意気な女だ。俺を誰だと思ってる。学力偏差値は50代中盤。運動神経は中の下。趣味は読書。でも運動神経は中の下。コミュ力はそこそこ。でも運動神経は中の下……なコゲツ様だぞ! ……語ってて悲しくなってきたので、いい加減登ることにしよう。
「俺は、死なねぇ、意地でも、登りきって、やらぁ……」
言葉で気力を保ちつつ、プルプルと小刻みに震える手を、砂影に隠れたとこしれぬ穴へと、俺は一回ずつ、着実に引っ掛けていった。
ホントに、ここで死んだら洒落にならない。異世界転移してまだ3日目だぞ? そんな簡単に死んでたまるかよってんだ。
「頑張るわねぇあなた」
ああ、こちとら命賭けてますんでね、誰かさんのせいで。心にもなさそうな感嘆に対し、心中で軽く罵りを入れてやる俺だったが、どうも彼女の言葉には続きがあるようだった。
「じゃあま、そろそろ最終段階へシフトしますか」
ほんの一瞬、気持ち悪い寒気が俺の身体を通り過ぎた。最終段階? そこはかとなく不吉な雰囲気を醸し出す言葉だ。これはきっと、何かヤバいのがくるに違いない。
予感に違わず、事は起きた。
地上を見上げると、突如両腕を広げ、目を瞑って何かに集中し始めるアンジュ。
その口は、妖精が歌うように、華やかな声を奏でた。
「地の主よ、今ここにこいねがう。とめどなく流れ行く砂の海よ、巻き上がりて宙を塞ぐ猛威と化し、かの者へと押し流れよ。地の魔法、ニアドナス!!」
明らかな魔法詠唱だった。この世界にもあるんだな、魔法。そりゃ魔王も魔物もいるんなら当然か。あと、鬼畜すぎる詠唱内容が聞こえてきた気がするけど、空耳であることを願いたい……。
「ふっざけんなぁああああああっ!!」
願いも虚しく、地上から、惜しげもなく降り注がれる大量の砂雪崩に、俺の四肢すべてが、猛烈な圧力を被っていた。たかが砂。されど砂。雪や岩でなくとも、この物量が一斉に襲ってきたら、生半可な被害では済まされない。
「死ぬぅうううう、ガチで死ぬぅうううう!!」
窪みに置いた手が、滑って剥がれそうになるのを、俺は必死で耐え凌ぐ。
「ニアドナースッ、ニアドナースッ!」
地上から、鼻歌を歌うような、楽しげな口調の詠唱が、絶え間なく聞こえてくる。
「うぉいてめぇっ、いつまで流すつもりだよ!?」
必死も必死の叫び声は、どうにか砂嵐を通り抜け、アンジュの耳に届いたらしかったのだが、返ってきた言葉といえば。
「それはー……あたしが飽きるまで~っ!」
「ざけんなゴラァアアアアッ!!」
砂越しにうっすら見える小柄な影は、楽しそうにくるくる踊り回っていた。さながら、俺は娯楽の対象だ。
ああもう、知ったこっちゃねぇ。
いくら理不尽であろうが、今ここで走るのをやめれば、落ちて食われるのがオチだ。どんなに文句を垂らしたって、その現状は変わらない。
ここは監獄島、別名『鬼畜島』。鬼畜を極めた理不尽共が
「おんどりゃああああっ!!」
俺は元々ない筋肉をウンと力ませて、感情のままに、もがくように腕を動かし続けた。止まれば多分、そこで終わりだ。動け、動き続けろ。それしか道はない。
「オラオラオラオラオラオラオラアァッ!!」
音楽の一つでもかけるならば、某有名ボクシング映画のテーマ曲辺りが望ましい。愛する者の名こそ叫ばなかったが、その想いに限りなく近い強さで、俺は叫ぶのだった。
「アイラブ、ミイイイイイイッ!!」
エゴも程々にと笑うことなかれ。自分の命を救おうとしてるのだから、こればっかりは致し方ない。
そうして必死こいてもがき続けた先には、不自然に角度の変わる地面。
まさに火事場の馬鹿力で、俺の奮闘は無事、報われてくれたらしかった。
「ハァーッ、もうダメ、息が、息がヤバいぃ……」
「はいはーいお疲れー、よく登りきったねー」
肺がはち切れそうになって前屈みに悶える俺に向かって、鬼畜女教官は依然として軽々しい態度。いや、マジで頭イカれてんだろ。
「なあおい、アンジュさんや、これがその、鬼畜な罰ってやつか」
息も途切れ途切れ、そう問う俺に対し、アンジュの方は
「まあ、所詮は入門編だけどね」
と、気を削ぐような言葉を淡々とぶつけてくる。
「入門編で命懸けってそりゃないぞあんた!」
「まあ結果的に生きてたんだからいいじゃない」
「そういう問題じゃねえだろ!」
「はいはいわかったから黙りなさい」
いや、わかってないだろ、と愚痴を吐きたいのも山々だが、恐らく何を言っても無駄だと、俺は感づいて口をつぐんだ。命懸けが当たり前ってやつか。倫理観も何もあったもんじゃない。そこら辺の概念なんざみんな捨てろってことか。まさに鬼畜だ。
息が整ってないうちに叫んだせいで、乱れが酷くなった。やむおえず俺は膝に手を置いて回復を待つ。
「さて、一息ついたところでもういっちょ行こうか!」
「はぁ?」
ねえ、アンジュさん。俺の格好見えてる? 俺今何してるかわかる? 明らかに一息つけてないよねぇ、ねぇ!?
だが無論、そんな俺の事情にはお構いのないのが彼女であるわけで。
「あれ、もしかして疲れてる? いやいや~そんな訳ないよねー。あれだけで体力使い果たすなんて、そりゃいくらなんでも軟弱だよねー、ねぇロリコンのコゲツくん?」
「度々気になってたんだが、ロリコンのコゲツって、何だよ」
「え? あなたの二つ名だけど、それがどうかした?」
ただでさえ狂気の塊みたいな性格してやがるのに、その恐ろしさといったら、どうも俺の予想の斜め上をいくようだった。
それにしても、ロリコンのコゲツは、流石にご遠慮頂きたい。
魔物が巣食う砂の大穴には、まだ砂嵐が微弱ながら舞っている。その一部が俺の目に危うく入りそうになって、ちょっと目尻がショボショボした。
試練は、さらに続くのだ。
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