5 実食、のち宣告。

 つやつやの白い土器。コンコンと叩いたってびくともしない、そこそこ頑丈そうな茶碗の中には、炊きたてほやほやの白米が、少なすぎず、多すぎず、限りなく理想に近い量だけ盛られている。ああ、おまみえできて光栄です。コメ、コメ最高!

 俺は、純白の宝石を見て条件反射的に疼き出す腹をなんとか制御しつつ、茶碗の右隣に置かれた、これまた白い楕円球状の物体に手を伸ばした。机の角に軽く叩きつけてやると、加減のいいヒビが入った。


 「ねえ、ホントに生卵をコメの上にかけるだけなの?」


 未だに理解ができないらしいアンジュは、眉を細めて器に顔を近づけてきた。


 「逆にさ、なんでこんな原始的な手段を誰もとろうとしないんだ? 難しい作業じゃないだろ」


 基本、料理というのは、簡単なものから徐々に難しいものへと発展していくものだ。主食として名高いコメに、タンパク質の栄養源として一大勢力を誇る卵。それらをただ組み合わせるだけの料理を編み出していないというは、いささか不自然に思える。


 「そもそも、コメは何もかけずにそのまま食べるのが定石でしょうよ」


 「コメだけで食わないのにか?」


 「オードブルとコメは別々に食べるものでしょう、普通。本当にあなたどこの国の人よ」


 カラスは黒くて当然だろ、みたいな口ぶりだった。ダメだ、本当にこの世界の常識、全然わからない。

 多分俺が街中でこいつと、コメ、何かかける・かけない論争を展開していたら、傍観者達は俺を変人として見なすのだろう。ハハッ、変人上等だ。俺の世界じゃ白米の上に何か乗せるのは、最高にクレバーな食べ方なんだよ。


 さて、ヒビの入った卵を茶碗の真上に持ってきた俺は、熟れた手付きで、パカッとそれを開けた。事前に中央に作っておいた丸い窪みの中に、濃厚そうな卵黄が踊るように吸い込まれていった。


 「おお……」


 さっきまでアンチ卵かけご飯だったやつの口から、歓声が漏れ出す始末。うまいものって、その色艶にしても何にしても、他とは段違いにいいビジュアルをしているもんなんだよな。視界に入っただけで、唾液腺が崩壊するかと思えるほどに。


 さあ、卵のセッティングが済んだところで、もうひと手間。手間ってほどでもないが、便宜上ということで。

 俺は茶碗の左隣に置かれた、ガラス製の器を手に取った。注ぎ口が細くなっていて、中には焦げ茶色の液体が半分くらい入っている。言わずもがな、これが醤油だろう。

 異世界で君に出会えたことに、今一度感謝の念を表す。ありがとう、醤油。ありがとう、異世界。


 「しょうゆ見てニヤニヤしてないで、早くしなさいよ。多分、それをかけるつもりなんだろうけどさ」


 今人が感謝の念に浸ってるの! とは流石に叫ばなかった。まあ、時間にだって限りはあるはずだし、口を挟まれるのも仕方ない。

 俺はへいへーいと生返事をしつつ、卵黄へと、醤油を注ぎ込んだ。

 純白のコメ。煌びやかな卵黄。そこにまたがる、濃い茶色の線。それを、茶碗の手前に置かれたスプーンを使って、グルグルとかき混ぜる。箸があれば良かったのだが、そこまで具合いよくはいかないみたいだ。

 混ぜているうちに、コメ一粒一粒に茶色気がかった黄色いとろみが絡み付いて、理想形態と呼ぶに相応しい姿の卵かけご飯が完成していた。

 俺は、溢れ出そうな唾液を、ゴクリと飲み込んだ。

 側では、アンジュが、その初見たる黄色いコメが、今まさに俺の口へ運ばれようという瞬間の到来を、固唾を呑んで見守っていた。


 「よし、食うぞ」


 「う、うん」


 さあ、異世界へ来て初の、しかも長い時を経て巡り会えた食事。存分に堪能させてもらおう。


 「いただき……ます」


 俺はそう言って手を合わせた後、スプーンを手に取り、茶碗に盛られた黄金のコメをすくい上げ、そして口の中にスプーンごと放り込んだ。


 うめぇ……。


 目尻が熱くなるうまさだ。空き腹にまずい物なしとはよく言ったものだが、そんな条件以前に、この卵かけご飯の味は、さっぱりしていてかつ濃厚。醤油の味も効いている。素材がいいのか、量が適度だったのか、とにかく理想的なうまさだった。

 ああ、ひもじかった腹が、一気に満たされていく。もう、スプーンを動かす手が止まらなかった。


 「ちょっと、あたしにもそれ食べさせなさいよ」


 「いいよ、と言いたいところだが、ダメだ。あんたがミカの実を出し惜しんだように、俺もこの卵かけご飯を自分のために食い尽くしてやるのさ」


 俺は相変わらず顔を近付けてくるアンジュを見て、ニィと笑ってやった。ざまぁ。独り占めはお互い様ってやつよ。


 「そん……な……」


 返す言葉に困り果て、唇を噛んで悶えるアンジュ。心なしか、瞳の方が潤んできている気がする。

 目には目を歯には歯を、て言葉も、少し考えものだな、なんていう、お人好しじみた感情が、不覚にも芽生えてしまった俺は、嘆息混じりに、卵かけご飯をまた一部スプーンですくい上げ、涙目で悶える童顔女に差し出した。


 「ほら、食えよ。俺が口つけたスプーンだけど気にするか?」


 「ありがとう、遠慮なくいただくわ。でも、あたしが自分のスプーン用意するから結構よ」


 そう言って、懐から手品のようにスプーンを取り出した彼女は、本当に遠慮なしにひょいと俺の手から茶碗を奪い取り、スプーンで中身をすくうと、パクリと口に入れた。


 「何これおいしいっ!」


 「そいつはよかったよ……」


 なんというか、掌の返し方が尋常じゃないと思う。卵かけご飯、何それおいしいの? が、卵かけご飯、何これおいしいよ! になり変わったのだ。

 幸せそうに頬を膨らませて咀嚼するアンジュをよそ目に、俺はさっさと食い終えてしまうことにした。もしかすると、全部食われてしまう可能性がある。それじゃあ、俺の腹が浮かばれない。7、8分目くらいの量は摂取しておかねば。


 「ねえ、もっとちょうだいよこれ!」


 悲しいかな、目論見は見事的中してしまったようだ。だが、問題は皆目ない。


 「遅かったな。この通り、茶碗は空だ」


 「あなたわざと早食いしたわね!?」


 その通りだと言わんばかりに、俺は勝者の笑みを見せつけてやった。もっと味わって食いたかったな。少しもったいないことをしたかもしれない。まあ、少なくともこれで腹は満たされたから、不平なし、と言っておこう。




 「さて、そろそろ本題に入らせてもらうわよ」


 「ああ、そういえばこれ取調だったな」


 食事も一段落ついたところで、いよいよ俺は、本日ここに連れてこられた所以たる例の出来事について、担当の役人であるというアンジュと膝を突き合わせることとなった。


 「さて、色々楽しく喋り散らした後で言うのもなんだけどさ」


 「お、おう……」


 急にシリアスな口調になったアンジュは、複雑そうに顔を歪ませて、こう告げてきた。


 「端的に言って、あなたの死刑はほぼほぼ確定事項ね」


 「ふむふむ、そうですかい……死刑ね……へ?」


 シケイ。しけい? し刑……死刑。


 脳内で、幾度となく言葉を反芻していくうち、初めは理解出来なかった意味というのが、激辛ラーメンをすすった後の刺激のように、じわじわと勢力を増して襲撃してきた。

 死刑。つまりは、そういうこと。


 「ま、待てよ……冗談だよな。笑えねえ冗談だぞ、おい。笑いのセンスおかしいんじゃないかあんた」


 「冗談でもまやかしでも何でもない。正真正銘、あなたは死をもって処されるのよ」


 至極真面目な顔で、俺を睨むアンジュ。額が熱い。手で擦ると、ヌメヌメと気持ちの悪い汗がこびりついてきた。


 「理解に困るね。何で俺が殺されなくちゃいけないんだよ」


 「そうね、理由くらいなら教えてあげようかしら」


 自らの喉仏を、俺はゴクリと震わせた。

 言葉を選ぶように、慎重な語気で、アンジュは事の概論を述べ始めた。


 「アサナギ、コゲツ。あなたは、街路の端で、親を見失い途方に暮れる少女を見つけ、行動を共にするよう言い聞かせた。あなたを救世主だと認識した少女は、喜んであなたについて行った。

 そして、少女の親を見つけられなかったあなたは、何故か街外れの廃屋に少女を連れ込んで、一夜を共にした。その翌日、幸いにも母親を見つけ、事は収束したと。これが、あなたの言い分だと思って差し支えないかしら?」


 「ああ、間違ってはいないな」


 淡々と語られる彼女の言葉に、俺は何の躊躇いもなく頷いた。

 先を促すと、アンジュは再度口を開く。


 「で、この言い分が何故死刑に至ったかというとね、あなた自身の不詳さと、少女に与えた影響とが原因なの」


 「と、いうと?」


 話の内容は、次第に確信へと迫っていく。


 「まずは前者。あなたは、出身地、履歴共に不明。しかも、廃屋で過ごさなくちゃ行けないほどに、財産を持たない。これほど怪しげな人間は、他にいないわ。あなたが過去に大罪を犯したお尋ね者だって説も、一部ではあがっているのよ」


 身分不詳。どこの馬の骨とも知れない輩をあっさりと受け入れてくれるような、どこぞの冒険者の集う始まりの街みたいな空気は、あの街にはかよっていなかったようだ。つくづく、運が悪い。そもそも、始まりの街なんて、最初からないのかもしれない。


 「そして、大事なのは後者ね。あなたさ、一晩少女と一緒に寝た時、自分が何もやましい気を起こさなかったって、自負できる?」


 「それは、その……」


 どうしてだろう、潔く頷けない自分がいる。それもそのはず、あの時俺の頭には、破壊力抜群の四文字が浮かんでいたのだ。


 「「ロ・リ・コ・ン」」


……童顔女が、自前のポニーテールをカサっと微動させて、狂気を覗くような目でこちらを見ていた。

 え、待って。今俺の言葉をそっくりそのまま被せてきたやつって、誰? いや、この場に言葉を発せられる生き物は、俺以外に一人しかいない。


 「やっぱりあなた、ロリコンなの?」


 最盛期とは打って変わって、酷く冷めた口調で、そう呟くアンジュ。


 「え、そ、その、それはだなぁ……てかロリコンって言葉なんで知ってんだよ!」


 ロリコンは、ロリータ・コンプレックスの略のはずだ。この世界にも、ナボコフさんが生きておられたというのか。


 「知ってるわよそりゃ、有名も有名よ! 歪んだ少女愛の塊め、あたしに何をしようっての!?」


 「案ずるな、合法ロリに興味はない! あくまで年齢が伴っている場合に限る」


 「合法ロリ言うな! というか、ロリコンだって認めたわね今。うふふ、あたしは確実に聞き取ったわよぉ?」


 アンジュは、してやったりという目に加え、うししと下賎な笑い声を漏らしてくるのだった。まんまとのせられてしまった。畜生、覚えていやがれよクソアマが。でも、冷静に考えてみると、こんな安直な口車にのせられる俺の脳みそもどうなんだろうね。いやはや、読書習慣が実を結んでないって辛い。


 アンジュの陳述も、そろそろ末尾を迎えていた。


 「と、も、か、く! あなたみたいな人が少女に与えた影響というのは、例えどんな物差しを使おうとも絶対に計り知れない! この先、彼女の人生に問題が生じることがあろうものなら、それはひとえにあなたのせい! 人生には、人生をもって償ってもらうのがこの世の習わし。さらばあなたを処するに相応しい刑は、死! ええ間違いなく死よ! ……というのが、上の見解ね」


 頭から火が吹き出そうなテンションで熱弁していたアンジュだったが、忽然とその熱を下げてきたものだから、反応に困ったものだ。今さっきまで、誰かに憑依されてたんじゃないだろうか。そんな気がしてならない。


 そんな俺の内心など察することもなく、少女は先の自由奔放な雰囲気に戻って、新たに言葉を紡ぎ始めるのだった。


 「でも正直さ、死にたくないわよね? いくらあなたがロリコンのクズだといっても、命まで放り投げさせるのは、どうかと思うのよね、あたし」


 「案外優しいんだな、あんた」


 案外は余計よ案外は、と返しつつも、アンジュは言葉を続ける。


 「それで、いい話があるんだけど。死刑を免除できる、唯一の突破口があるのよ。聞きたい?」


 無言で、俺は首を縦に振る。死なない方法があるなら、ぜひとも聞きたいものだ。


 「監獄島かんごくとうって、聞いたことある?」


 またも無言で、今度は首を横に振る。名前からして、おっかなそうな島だが。


 「別名『鬼畜島きちくとう』。札つきの大罪人達が、生涯罰を受け続けて暮らすことになる、それはもう恐ろしい島よ。一説には、この世の秘境に君臨せし魔王よりも恐ろしいのだとか。でも、いくら恐ろしいとは言っても、命あっての物種、よね」


 「し、死よりも恐ろしいって言葉も、この世には、あるそうだぞ……」


 気が変わってきた。ディストピア臭が半端ではない。あと気のせいか、自分の声が、コミュ障みたいに震えてぎこちなくなってきているを感じる。いや、コミュ障に失礼だけど。


 「あら、死よりも恐ろしいものなんて、この世にあるのかしら、ねえロリコンのコゲツ君? 命を拾って、絶海の孤島で囚人達と一緒に暮らした方が、マシだとは思わない? 思うわよね、きっと」


 いっそ狂気だと表現したい。卵かけご飯を要求してきた時以上の、欲望に満ちた顔が、俺の鼻頭から距離コンマ数ミリの所まで迫ってくる。可愛い顔した女性にグイグイ迫られたら、男性の本能として、心臓がバクバクと鳴り響くもんだが、違う意味で俺の心臓はバクバクいってる。男性本能ではなく、生存本能として。

 そしてなんだろう。その顔。俺の肩にサラッとかかる彼女の茶色い髪。その全てから、悪徳業者のセールスマンみたいな臭いがプンプン漂ってくる。


 「あんた、まさか……」


 刹那、目にも留まらぬ勢いで身体を引き離して立ち上がるアンジュ。丁度ポニーテールのなびき方が、前足を振り上げた馬のそれに近い。


 「そのまさかよ。こんな貧相な役所で取調なんかやってるのは、人手が足りないからっていうんで仕方なく……てのは半分嘘で、島向きの異端児の臭いを嗅ぎつけたから」


 「して……その本性は?」


 消え入りそうな声で、俺は促しの文句を呟く。

 つつけざまに、彼女は歯切れよく告げるのだった。


 「監獄島管理局幹部、特別教官の一人、アンジュ・カロライナ。それがあたしの真の肩書きよ。

 さあ、わかったらさっさと頷きなさい。あなたの身は死に値しない。魔王よりも恐ろしい鬼畜な監獄島、そこがあなたの、新しい故郷よ」


 いつの間にか、俺の額とアンジュの額がごっつんこしている。いや、恥じらいとかないのかなこの人。アラサーが未成年にあげる恥じらいなんて毛頭ないと。アウトオブ眼中だと。

 その上彼女の右手は、俺の胸ぐらをキツく掴んでいた。握力がプロ野球選手並に強い。その小柄な身体のどこからこんな力が出るんだよ? ねえ、可愛い顔してその実凄まじくおっかないよこの人。これはきっと、逆らったら無事では済まされない。教官、恐るべし。

 忙しなく分泌される危険信号が俺の身体の隅から隅まで行き渡った頃、その首は、独りでにコクンと動いていたのであった。

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