4 空腹、のち強請。
申し訳程度の灯り火が中央に置かれた机。灯台もと暗しというやつで、机の色を判別するのはやや困難だったが、少なくとも触り心地から、木製であることはわかった。その手前に設置された丸椅子に、俺は座らされていた。そこは、畳2条あるかどうかという、非常に狭い部屋。そのあまりの暗さに、これから何が行われるものかと怖じ気立って仕方がないのだが、状況を説明してくれる者は、今のところ誰もいない。
実は、街から連れられている最中、俺は衛兵共にアイマスクらしきものを付けさせられていた。真っ暗闇のまま訳も分からず歩かされ続け、外されたと思ったらこの有様。自分が今どこにいるのか、まるで把握できていないのだ。暗くて狭い部屋ってことしかわからない。
キキィッ! という不快な摩擦音が、突如鳴り響いた。すると向かいの壁が切れ目をつくり、ゆっくりと手前にズレて来た。壁だと思っていたら、扉だったみたいだ。
開かれた出入口から、人影が一つ現れた。
うんしょ、なんていう声を漏らしながら向かいの席に座ったのだが、その高めの声質から察するに、女性のようだった。
して、灯火に照らされて、その顔があらわになる。
「あ、どもども、はじめまして」
子供かよ……。
「えっと、これからあなたに軽く取調をすることになった、アンジュよ。よく誤解されるけど、れっきとした30歳だから。以後よろしく」
「お……おう……よろしくっす」
大人……しかも、結構微妙な歳だった……。
というか、取調ってことはここは所謂取調室に近い場所ってことなんだろうが、そんな場所でプライバシーに関わる自己紹介をするのは一体どういうことだろうか。いや、普通しないよね。刑事が容疑者に、俺40だから、とか言う? 例えその刑事が某有名漫画の主人公みたいに、見た目は子供、頭脳は大人、ついでに年齢も大人! とでも言いたげな図体だったとしても。
アンジュと名乗った女は、後頭部からまさに尻尾のように生える茶色いポニーテールを揺らしながら、何やらゴソゴソと、机上に置いた鞄をまさぐっていた。
それで、何を見つけて取り出したのかと思えば、黄色くてまん丸い果実……ミカの実じゃん。
そのミカの実の皮をおもむろに剥き出したアンジュは、やっとのことで、再び口を開いた。
「それで、あなた、名前はなんて」
「たんま。ちょっとたんま」
「……へ?」
自分なんか変なことしました? とでも言いたげな表情で、剥き終えたミカの実の、オレンジがかった瑞々しい果実をパクつくアンジュ。いや、それだよ。そこなんだよ。
「なあ、それはなんだ?」
「何だって、ミカの実だけど」
「いやそれはわかってる。何で今ミカの実を取り出して、食ってるんだってことを聞いてる」
目上の人相手にタメ口になってしまっているのは、恐らくあまりの童顔っぷりに敬いの心を忘れてしまったのが原因だろう。
さて、若干額の血管が収縮し始めるのを感じている俺に対して、至って呑気な声で、ポニテ童顔女はこう呟いたのだ。
「何でって……小腹が減ってるからでしょ?」
「ああ……そうかい……」
わかった。重々わかった。その道理は認めてやろう。腹が減ってるから、間食にミカの実を食うと。うん、実に理にかなっている。刑務所だか何だか知らないが、とにかくどこぞの役人であるはずの彼女が、取調なんていう厳かな場で、当然のようにおやつにむしゃぶりつくのも、憤りこそ感じるが、まあ異世界間のカルチャーショックだと思って、百歩譲って黙認しよう。
でも、それでもなお、俺には主張しなければならないことがある。
灯火が震えて消えかけるくらいに、ドンと、俺は机を両拳でぶち叩いた。
「……せろ」
「は?」
「俺にもそれ食わせろおおおおお!!」
呆気にとられたようにこちらを見つめるアンジュ。いいさ、構うもんか。人は腹が減ってくると、
「お前は小腹が減ってるのかもしれないがなあ、俺は昨日の昼から何も食ってなくて、しかも、急にこんなわけわかんねえ場所に連れ込まれて、気力も体力も消耗して、腹が減って仕方がねえんだよ! しのごの言わず、それ食わせろ!」
「わかった、わかったから落ち着きなさい」
前屈みになって怒鳴り散らし、息も切れ切れになった俺を、なだめるように抑え込むアンジュ。ああ、空腹と疲労が積もると、ガチで理性って飛ぶんだなって、十二分に実感できた。いい経験したわ~……。とか考えてる自分が凄く虚しかった。
俺が落ち着きを取り戻したのを見計らい、席に座り直したアンジュは、ミカの実を脇において、また口を開いた。
「とりあえず、名前だけ教えて」
「
自分の声に魂がこもってないことを、これ程実感したのは初めてかもしれない。
「アサナギ、コゲツ? 珍しい名前ね。どっか遠い国の人かしら。まあそれはいいとして、コゲツ、とりあえずその要求は飲んであげる。でもこのミカの実はあたしのおやつだから、他のにしてちょうだい。贅沢品でなければ、ある程度のものは手配してあげるから」
何でもいいのか、太っ腹だな、と少し期待を持ちつつ、俺は思いつくままに、またも叫ぶのだった。
「なら、カツ丼だ。取調っつったら、カツ丼だろ!!」
異世界にカツ丼がある可能性なんて、からっきし考慮せずに。
案の定、ミカの実の最後の1切れを口に放り込んだアンジュは、怪訝そうな顔で、カツドン? 何それ、と声に出すまでもなく、フゥッ、と短い息をついてこちらを睨んできた。時代錯誤というか、世界錯誤というか、とにかく色々間違っている。そもそもカツ以前に、コメがあるかどうかも怪しい。
俺は気を取り直して、次の希望を告げた。
「じゃあ、コメあるか?」
「あるわよ、そりゃ」
あるのか、コメ。意外だな。西洋っぽいイコールパン、東洋っぽいイコールコメ、なんて考えは、元々偏りがあるというわけかな。
「でも、そんなんでいいの? まさかコメだけとか言わないわよね? どんだけ飢えてんのって話よ。道端のゴミすら口に放り込みそうな勢いよ」
「それはねえから」
道端のゴミを口に放り込む根性があったら、今頃腹は減っているというよりかは、無残に荒れ狂っているだろうな。
そんな冗談はどうでもいいとして、コメがあるなら、希望が持てる、と俺は意気込むのだった。
「流石にコメだけとは言わないよ。そうだな……卵あるか?」
「あるわよ」
「じゃあ、醤油は……」
あるか、と言いかけたところで、俺は口をつぐんだ。醤油。俺の知っている範囲で、大概の異世界ってのは、元の世界より文明レベルが劣っている。そんな中で、個人的に注目しているのが、調味料の不足だ。中でも、こと日本においてソウルスパイスとして名をはせる醤油。これが存在するかというのは、極めて怪しかった。
「あるけど? しょうゆ」
愕然も甚だしかった。あるんだ、醤油。へぇ……もう異世界の文化わかんね。
さて、都合良く三つの所在を確認できたので、俺は話を進めることにした。
「じゃあ、今言ったもん全部持ってこい。あ、卵は生で」
「いいけど、何を食べるつもりなの?」
アンジュの反応は、まったく予想がつかないというそれだった。どうにも割り切れないようだ。
なるほど、この分だと、この世界にはないのか。コメも卵も醤油もあるのに、これを生み出さない世界って、正直宝の持ち腐れだと思う。言い過ぎか? いや、うまい料理は立派な宝だ。俺はそう誇示してやりたい。
「いいから持ってこいよ。今にわかるから」
「せめて名前くらい教えてちょうだいよ」
教えてくれなきゃ動いてあげない、といった風で、こちらに身を乗り出してくるアンジュ。まあ、別に渋ることでもないか。
俺は、まだこの世界に存在していないであろうその食べ物の名を、声高らかに告げるのだった。
「卵かけご飯っつう、至高のグルメだよ!」
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