3 初夜、のち逮捕。

 ギシギシと、木製の床が不気味に音を立てる、半壊した廃墟の屋内。屋根こそ無事だが、壁に空いた穴から、薄暗い外の景色が見えている。雨でも降ったら、こいつは大変なことになりそうだ。


 「おにーたん、メル、怖い」


 「大丈夫だ、おにーたんがついてる。一夜明けたら、また探しに行こう」


 俺は、俺の懐に顔を埋め、不安そうに俯く少女を、強く抱きしめてやった。


 「そうだね、おにーたんがいれば、怖くない」


 こんな頼りない男の懐に、そんなことを言ってくれるのか。複雑な思いに、胸の奥がヅキヅキと疼く。その痛みを抑えるためか、はたまた別の理由があってか、俺はさらに強い力を込めて、少女の華奢な身体を、精一杯包み込んだ。


 日中、ひたすら街を歩き、この女の子の母親を探しています、と叫び続けていたのだが、結局、見つかることはなかった。異世界人は、現代の日本人よりも、好意的で、親切なものだと考えていたのだが、どうも彼らも人間の底の部分は、俺の知っている実の人間のそれと変わっていないらしく、残念なことに、どこか他人行儀に振る舞う人が多かった。

 仮に彼らの中に親身になってくれる人が何人かいたとして、見つかったかどうかと言われると、それも中々怪しいけど。

 そしてとうとう日が暮れて、街が段々と静寂に包まれ出したものだから、俺達は、休息を余儀なくされたってわけだ。

 交番かどこかに突き出すというのが、こういう場合適切な対処法なのだろうが、ただでさえこのデリケートな少女を、また知らない大人に突き出すというのは、本人の気持ちを考えると、どうにもいたたまれなかった。見つけてやるって約束したんだから、最後まで、やりきってみせようじゃないか。


 それで、野宿ってわけにもいかないから、どこか落ち着いて寝られそうな場所を探して歩き続けているうちに、街のはずれに、一件の廃墟を見つけたと。そして、今に至る。

 金があったら、宿屋にでも泊まらせてもらうのだが、俺の制服の腰ポケットに入っていた財布に埋もれていた硬貨は、やはりこの世界では、使えないみたいだった。ここを見つける前、試しに近くの八百屋らしき店で、ミカの実、とかいう黄色い果実を買おうと、店主のおじさんと交渉してみたのだが、一文無しは願い下げだと、突き返されてしまった。


 「なあ、腹減ってないか?」


 俺もこの娘も、昼間あたりから、何も口にしていない。先程、近くにあった川の水を飲んだ。この期に及んで些細な衛生観念は考慮していられないからという理由での、なりふり構わない措置だったとはいえ、なんとか水分補給は済ませられた。しかしながら、食料はそうもいかない。道端に落ちている生ゴミを拾って食うなど、衛生観念度外視もいい所だ。それ以前に、人間の尊厳としての問題もある。できるなら、少しくらいまともなものを口にしたい。あの八百屋のおじさん、せめてなんか恵んでくれないものかな……。


 「ううん、大丈夫。メル、偉い子だから、我慢できる」


 このくらいの年齢なら、腹が減った腹が減ったと喚き散らすのが普通だ。それなのにこの娘ときたら。育ちがいいのか、何なのか。ああ、健気過ぎて、涙が出そう。


 「すまない、こんなひもじい思いをさせちまって」


 「おにーたん、暗い顔しないで。メル、大丈夫だから、ね? 笑って、メルみたいに」


 そう言って、あどけない微笑みを俺に向けてくる。それが、外から差し込んできた、星らしきものの光に照らされて、余計に輝かしく、天使みたいに見えた。ダメだ、こわな幼子相手に天使とかいって癒されて、慰められて、なんだって俺は……まるでロリコンじゃねえか。

 ああそうだ、俺はロリコンなのかもしれない。いやむしろ、人間なんて結局、元をたどれば、皆ロリコンみたいなものだ。

 俺はいつの間にか、そんな真理に至っていた。星明かりに照らされた、天使のように美しい幼女の笑顔を前にして、ときめかないやつなんて、きっといない。


 「メルちゃんよ。お前はほんと、偉い子だ。最高に、偉い子だ」


 そう言って、頭をサワサワと撫でてやると、さも嬉しそうに、へへっと声を漏らす少女。至福。まさに至福の一時だと、俺は思った。


 星明かりが眩しすぎると感じるくらいに、外の闇はその深さを増していった。

 俺は懐に小さな女の子を抱えている感覚にどっぷり浸かりながら、ゆっくりと目を閉じた。

 異世界転移初夜の過ごし方にしては、食道や胃の方が物寂しいという感覚は否めない。幻想的な景色の下で過ごすのも一興だが、その代償というべきか、何分、寝床が貧相だ。だがそれでも、半日中歩き回って疲れ切っていた俺の心身は、目前の天使によって、十分に満たされてしまったわけで。


 まあ、悪くはない……のかな。


 少女は、既に寝息をスピスピとたてていた。可愛らしく、儚い寝息。時折、ママ、などといった寝言も聞こえてくる。どんなに気を張っていても、夢の中までは隠しきれない子供らしさというのが、やはり存在しているわけだ。


 ほんと、可愛いな、こいつ。


 朦朧とした意識の中、寝息と、風音と、たまに寝言とが呼応した、心地いいハーモニーが、俺の耳元へと、滑らかに入り込む。


 こいつは最高の寝落ち音楽だと、俺は心中で微笑をこぼした。実際に顔が綻んでいたかどうかは、知らない。




 そんなこんなで、長いようで短い夜は過ぎ去り、新しい朝の光が、俺の半開きの瞼を強く刺激した。急かすように迫る光は心地が悪くて嫌いだ。人はそんな簡単に行動を矯正できる生き物じゃない。朝だ朝だと言われたって、こちとら眠くて仕方ないのだ。

 とはいえ、惰眠を貪っているわけにもいかない。嫌々ながらも、俺は若干ダルい身体を強引に叩き起こすと、懐の重量感へと意識を遣った。


 「くぅ~……くぅ~……」


 相変わらず可愛らしい寝息をたてて寝ているのは、昨日俺が、途方に暮れている所に声をかけ、ひとまずこのボロい廃墟で共に一夜を過ごした、身元不明の少女。名前がメルってこと以外は、何もわからない。

 気持ち良さそうに眠っているところに茶々を入れるのは忍びないが、もたもたして留まっているわけにもいかない。きっとこの娘の親は、心配のあまり胸を痛めているだろう。なるべく早く再会を果たさせてやるためにも、ここはグッと堪えて、起こしてやることにする。


 「おい、メルちゃんよ、朝だぞ~」


 そう言って頭をわしゃわしゃと弄ってやると、う~んっ とだらしない唸り声をあげながら、瞼をやや持ち上げる少女。しばらく俺の顔をジロっと眺めたかと思えば、頭が正常運転し始めたようで、まだ眠そうな顔のまま、おはよ、おにーたん、と呟く。そしてその後、ふぁ~っ と、大きなあくびをした。


 「なあ、昨日のこと、覚えてるか?」


 「きのー? え~っと、ママとはぐれて、おにーたんに会って、一緒にママを探して、それから~……なんだっけ?」


 「そのママが見当たらなくて、仕方なく二人で、ここで寝たんだよ」


 「そっか、ごめんなさい。全部覚えてなくて」


 いや、いいんだよ、と頭を撫でてやる。見るに、現世でいう小学校中学年くらいを連想される彼女は、年齢相応に、少しばかり記憶がふわふわしていることも有り得る。だから、念の為確認させてもらったまでだが、まあこのくらい覚えていれば上出来なもんだ。特に、本人にとって非常時的な状況なら、尚更ね。

 撫でられたのが嬉しかったのか、少女の方は、へへっ、メル偉い子、偉い子、と、馬鹿の一つ覚えみたいに、昨日俺が授けてやった褒め言葉を連呼していた。


 その後二人で街はずれを流れる小川へ行き、水を飲んだり、顔を洗ったりした。朝の涼やかな日の光は、それでも少々熱を帯びていて、透き通った綺麗な水を顔いっぱいにぶっかけるのは、とても爽快だった。朝食も出来れば取りたいところだったが、やはり食料は得られなかった。もう少しくらいは、耐え凌ぐべきか。いずれどうにかして、得たいものだが。


 朝の諸事も済んだところで、二人はいよいよ、二日目の母親探しに突入した。

 昼間ほどではないが、街の活気は中々のものだった。傍若無人にフラフラ歩いたって人にぶつかったりはしないと思えるくらいに、人通りはわずかであったが、それでも、笑い声や叫び声、色んな声が合わさって、耳触りのいい喧騒となっているものだから、清々しいことこの上ない。

 俺は少女と、あのお店にこんな面白いものがある、だとか、そこの壁に書かれた落書きがへんてこりんで笑える、だとか、たわいない会話を交わしながらも、本来の目的たる人探しに明け暮れていた。


 日が空の頂点に差し掛かった頃、足が棒になりかけていた二人は、街の一角に設けられた木のベンチに腰掛け、一時休息をとっていた。

 微妙に雲がかかった空を仰ぎ見る。のどかなもんだ。人探しって、もっとこう、席の暖まる暇もないような感じでやるべきなのだが、あいにく腰の方は、若干温かい。俺が座るまでに、日に当たっていたせいだろうけどさ。

 俺は隣でぼうっと物思いにふけっている少女に、気休めがてら声をかけてみる。


 「見つからないな~」


 「うん」


 「どうしたもんかな~」


 「う、ん?」


 「いや~しっかしほんとさ、なりふり構わず探し歩くってのはいかがなものかと……へ?」


 気付くと、少女はある一方を凝視していた。心なしかその瞳の輝きからは、興味と期待の色がうかがえた。

 不審に思い、何の気なしに俺も、その視線の先に目を移してみる。

 勘違いでないならば、彼女の目はどうも、街路の先、さっきまで俺達が歩いていた場所からこちらへ向かってくる、一人の女性を追っているようである。ベージュ色の落ち着いた服に身を包んでいて、清楚な印象だ。両脇に、鉄製らしき鎧を装備した衛兵と思しき男を二名従えているのが少々気になるが、髪の毛の色も落ち着きのある群青色で、どこか見覚えはあるもののある程度年を食っていそうな顔立ちは、衛兵を従えるお嬢様、というよりかは、中流家庭のお母さん、みたいな情調がある。

 何故だろう。本当に誰かに似ている気がする……あ。


 「ママッ!!」


 人が変わったみたいに子供らしい大声をあげて、少女は脱兎の勢いで駆け出した。誰にかって? 説明するまでもないだろう。


 「め……メル、メルなの!?」


 「うん、メルだよ!」


 小さな身体が、その2、3倍ある身体のお腹辺りへと、突っ込んだ。一夜という短いようで長い時間を経て、念願の再会を果たす親子。その光景は、ただ眺めるだけでも素晴らしく美しかったけれど、自分がそれに関わったってことを鑑みると、余計に感慨深いもんだと、そう俺は思った。

 しかしまあ、昨日苦労して探し回った割には、あっさりしたもんだと思う。昨日の調子から考えるに、もう数日くらいかかるんじゃないかと覚悟していたのだが、そんな必要はなかったみたいだ。ただのすれ違い。運命のイタズラだ。

 さあ、せっかく気持ちのいい結末を得たんだ。イベントとかなんか変なこと考えてたけど、もういっそ何も起こらなくても、いいや。なんて、かつての目論見を度外視した考えが頭の端に浮かんだ俺だったが、どうも運命ってのは、起こした出来事に関してはちゃんとその見返りを用意してくれるものらしかった。


 「ママ、メルずっとね、そこのおにーたんと居たんだよ!」


 「え、そ、そうなの?」


 何故だか、怪しむように俺の顔を舐め回す母親。まあ、服装もここいらじゃ見かけないものだし、仕方ないか。


 「あ、はい、どうも……」


 後頭部に右手を当てて、当たり障りのない挨拶をしておく。どうしてだろう。善行をしたにも関わらず、妙な罪悪感が芽生え始めたぞ。


 「失礼ですけど、あなた、うちの娘に何か変なことしてませんよね?」


 ほんとに失礼だな、と思いながら、俺は首を横に振った。なるほど、やはりこの学生服姿が目新しくて訝しいのか。


 「おにーたんね、メルにやさしくしてくれたの」


 「やさしく、何されたの?」


 不穏な空気を察したのか、俺をフォローするように言葉を紡ぐ少女。


 「一緒におねんねしたの!」


 「なんですって!?」


 ちょっと待て。色々とおかしい。確かに、一緒に寝るという言葉には、一線を超えるという意味が含まれる場合もある。でも、この年齢の少女の一緒に寝るというという言葉に、そんな深い意味が含まれてると思うか?


 「幼い子供を適当な言葉であやして、一体どんな如何わしいことをしてたんですか!?」


 肉食動物から子を守る草食動物の親みたいな鋭い目付きでこちらを睨みつけてくる母親。ねえ待って、なんでそんな解釈するの?


 「い、如何わしいってなんすか!? 俺はただ、この娘がお母さんとはぐれたって言うから、一緒に探していただけですよ。それが、見つからなかったもんだから、仕方なく、街外れの廃墟で」


 「街外れの廃墟ですって!?」


 あ、こいつはまずい。俺は、自分が割と危ない発言に及んでしまったことを察した。廃墟を寝床にするってことは、住む家を持たないってことだ。しかも、いい歳した男性が、住む家もなしに幼子を連れ歩いていたわけだ。


 「青年、あんた、自分の身元を、説明できるか?」


 衛兵の一人が、さも訝しげな表情でそう尋ねてきた。


 「身元って、そりゃ、その……」


 まずい、大事な時に限って、頭がうまく働かない。うまいこと言い逃れしたいのだが、適切な語句が何一つ浮かばない。


 「うむ、身元もまともに説明できんとは、こいつはいよいよ、怪しいな……」


 「不埒な目的で少女を誘拐したって線もあるぞ」


 「近頃、ろくに働きもせず、手篭めを働きながら街をうろつく若者を摘発した事例が増えているからな」


 何だか、とてつもなく嫌な予感がする。摘発とか、なんか異世界まで来てあんまり聞きたくなかった言葉とかが聞こえてきたし。

 あれか? 俺は幼女誘拐罪的な罪でお縄にかかったりするのか? そういえば昨日、自分でロリコンがどうとか考えてたし、もしかしたら、あながちその罪名、間違ってないかも……。


 険悪な疑心暗鬼に自分で自分を追い込むという、愚かな状況に至ってしまった俺の両手首を、いつの間にか、衛兵二人ががっちりとつかんでいた。


 「まあ、色々と不明な点も多いが、とりあえず、連行しておくか」


 「そうだな、極悪犯罪者だったらまずいし」


 「ぜひそうしてください。もしうちの娘に淫らな行為をするような不埒者なら、私……許せません」


 完全に手詰めだった。最初の方こそ、俺はてっきり、自分は幼子を助けた優しいお兄さんだとばかり思ってたんだけど、どうも世間体としては、そうもいかないらしい。これが現実ってやつか。


 異世界のとある街路を、二人の衛兵にだらしなく引きずられていく、学生服姿の若い男。


 「おにーたん、バイバーイ!」


 「こらっ、いけません!」


 親子の複雑なやり取りを前にして、俺は手を振ることすらままならず、仕方なく、頬を緩めて見せるのだが、それが少女に届いているかどうかは、わからなかった。


 両腕を筋肉質な腕で抑えられ、下手なムーンウォークみたいな感じで、ひたすら引きずられていく俺は、心の中で、即応した皮肉を吐いてやった。


 これが、行動を起こしたがゆえの、イベントってやつらしいぜ、ハハッ。


 道すがら、宙を飛ぶ一枚の葉っぱが建物に衝突して、ゆらゆらと、無残に下降していく様子が、チラッと目に入った。

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