2 決意、のち幼女。

 困った時は、行動を起こせ。


 これは俺の父親が、よく言っていた言葉だ。なんでも、それは彼が若い頃、職場で会得した信条だそうだ。

 新しい職場に就いて間もない頃。仕事に不慣れで、方法のよくわからない作業があったため、近くにいた上司に、どうやるのかと質問をしたら、今忙しいから、自分で考えろ、社会人なんだから、などと言われ、相手にもされなかったそうだ。仕方なく父は、わからないなりに、手と脳を動かし、作業に取りかかろうと試みた。すると、その様子をたまたま見かけた別の上司が、おお、君何やってるんだ、などと言い、至極丁寧で、事細かに、それでいてわかりやすく、教えてくれたらしい。

 父いわく、行動を起こせば、その刺激が他人に伝わる。刺激を受けた他人は、刺激の源を探る。そうして探り当てたものが、おかしな様子であれば、人は必ず、何かしら手を貸してくれる、ということらしい。

 簡単に言えば、現状を変えるには自分から動けってことだ。


 実に単純明快な信条だと笑いこそすれど、俺は馬鹿にしたりはしない。右も左もわからない異世界に飛ばされた今こそ、その信条の元に、行動を起こす時だ。

 元の世界への思い。そりゃあもう考え出したらキリがない。よく気の回り、困った時に、それとなく助けてくれる学校の友人。たまに言い合いもするが。何だかんだで優しい親。趣味の話題などでよく喧嘩になるが、何かと察しがよく、器用で頼りになる姉。俺は、世間一般から見て、割と恵まれた環境の中で育ったと思う。自分が居なくなったことで、彼らがどう思うかという悲しみや、彼らとそれを取り巻く世界に対するノスタルジーに浸ってしまうのは、どうしても避け難い事実だ。

 でも、少なくとも今は、懐郷の念に思い暮れてうずくまっている場合ではないわけで。

 俺は地面に尻が付くほど折り曲がった膝を、勢いよく、ピンと伸ばした。

 後頭部に両腕を回し、固まった背中の筋肉をグッと伸ばしてやると、身体が浮くように軽くなった。


 どこか懐かしい小鳥のさえずりが、小風に木の葉の舞う街路に、軽快に響き渡った。そして、穏やかに差す日と思しきものの光が、昼間、忙しなく行き交う人々の姿を、見守るように照らしていた。その群衆の中には、無論俺も含まれている。


 さあ行け、男、湖月こげつよ。この宛のない世界で、自らの成すべきことをいち早く見つけ、きっと大功を立ててみせよ。思う念力、岩をも徹すってな!!


 「ふぇ~んっ、ふぇ~んっ」


 今人が男らしく決意を固めてるとこだってのに、子供というのは空気が読めなくて非常に厄介だ。仕方ないっちゃ仕方ないのだが、邪魔をされて不快じゃない人なんていないだろう。


 「るせぇな、どこのどいつだよ俺の邪魔してんのはよお!!」


 「ふぇっ?」


 腹に据えかね、泣き声のする方に顔を向けて、感情のままに怒鳴り散らした先に、一人の女の子がいた。

 俺のすぐ左隣。正式には、さらに斜め下。俺の腰ほどの丈をした少女は、俺がよっぽど鋭い目をしていたのか、鳴き頻ることすらやめ、鬼を見るように怯えた表情で、こちらを見上げていた。目尻に残る液体は、嵐の後の小さな水溜りを彷彿とさせる。こりゃ酷い泣きっぷりだ。


 しかしまあ、俺がこの娘を見て思った第一印象は、決して泣きわめく子供うざいです感に類するものではない。

 単純に、可愛らしいの一言だった。

 首元まで伸びた群青色の髪はサラサラとしていて、垢抜けた童顔は、助けてくれと懇願されたら喜んで手を貸しちゃうというレベルに愛おしげ。ああ神よ、こんな娘に暴言吐いた俺を許してくれ。


 「ごめんな、怖がらせるつもりはなかったんだ」


 できる限り柔らかい表情、柔らかい声を作って、どうにか弁解を試みる。こういうの不慣れだから、上手くいくかどうか、定かではない。


 「ふぇっ、おにーたん、怖くない?」


 「ああ、怖くないよ」


 「ほんとーに?」


 「ああ、本当に」


 「わかった、メル、もう怖がらない、泣かない」


 「おう、ありがとな。それに、君は偉い子だ」


 うん、偉い子、偉いから泣かない! と繰り返し呟きながら、メルと名乗った少女はニコニコと笑った。

 案外素直でいい子だな、と感心しつつも、俺は本題へ入ることにした。


 「で、メルちゃんよ。君はこんな所で、一人で何を嘆いてたんだい?」


 「それがね、メル、ママとはぐれちゃったの」


 少女は、少しばかり表情を曇らせた。

 なるほど、迷子か。ラノベとかで、異世界転生をした主人公が、迷子の親を探して何らかのイベントに巻き込まれる例を、見かけたことがある。現実はラノベとは違うが、少なくとも、行動を起こしてイベントを発生させることに関しては、俺がこの世界で生きるために定めた信条に重なるものがある。

 それに、イベントの有無はどうあれ、こんな場所で親を見失い、途方に暮れる女の子を、おめおめと見捨てることが、俺にできるかという問題もある。できるわけなかろう。そんなことした日には、首吊って死んだって構わない。

 よって、俺は行動を起こすことにした。


 「わかった。俺が君のママ、一緒に探してあげるよ」


 「ほんとにぃっ!?」


 「ああ、きっと見つけてみせるよ」


 「おにーたん、ありがとう! 一緒に、探そっ!」


 曇りは一変、雲ひとつない、快晴となった。幼い子供の感情というのは、山の天気みたいに不安定だな。これは気をつけて見てやらねば、なんていうちょっとした責任感をよそ目に、俺は少女の小さな手を掴んだ。


 「さ、行くぞ。日暮れまでには見つけ出したいからな!」


 うん、行こ! という、朗らかな甲高い声が、ゆっくりした足取りで先を往く俺の後を、元気よくついてきた。


 小風が心地いい。一枚の葉が、風に乗って、ゆらゆらと遠くへ飛んでいく。あれはどこに向かっているのだろう。もしかしたら、ついていけば、この娘の母親に会えるかもね。なんてくだらないことを考えてしまうくらいに、その葉は、生き生きと宙を飛翔していた。

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