再会
真っ直ぐ突き進んでいくと、先に一縷の光が差し込んでいた。
そこに向かってひたすら歩く。近づく度に、意識が少しずつ薄れていくような感覚に襲われる。それでも進み、光に向かって手を伸ばした。
辿り着いたそこは、昼なのか夜なのかわからないような景色だった。空は紫色に染められていて、日が昇ってきているのか、沈んでいってるのかさえ判断がつかない。どうも時間が判別できない、曖昧な世界だった。
ぐるっと辺りを見回す。すると右手にまた鳥居があった。だがそれは先程よりも小さなものだった。
その先では左右に紅葉とイチョウがそれぞれの木々に張り付いていた。その光景はまるで秋を連想させた。もう少し先に進むと狛犬が姿を現した。神社に奉納された空想上の生物の像は、向こう側とは違わず、同じように存在していた。
どこか景観に関心しているとどこからか声が聞こえてきた。
「お名前は?」
僕はその声が神様のものだとすぐにわかった。
一つ一つ丁寧に返事をする。
「初めまして神様、東雲と申します」
神様は少し微笑んだようだった。微かに笑い声が聞こえてくる。実に不気味だ。
そしてその声は女性の声だ。機械で声を変えているわけではなかった。だが妙に年齢のわかりづらい声だ。年老いているようにも聞こえるし、ずっと若いようにも聞こえた。
「東雲と話すのは、初めてではありませんよ」
とその声は言った。確かにそうかもしれない。僕の仮説でもそうなる。
「でも僕は、あなたと出会った時のことを忘れています」
「ええ」
「貴方のその力で忘れさせたんでしょう?」
「そうね」
神様の声はどこか楽しそうだった。幼い子供に向かって語りかけるような、無邪気な声だった。
「あなたなりの答えは見つかったの?」
違う。見つけたんじゃない。そんなものだって、とっくにわかっている。
「単刀直入に聞きます。あの錨を設置したのはあなたですか?」
神様はまた微笑んだ。
「そうよ。私の力にかかれば、あの程度大したことないわ」
「あなたは誰にそれを依頼されたのですか?あの配置にするように指示したのはその人ですか?」
僕は質問を止めずに、尋ね続けた。
神様は丁寧に答えていく。
「星界で一番物知りな人ね。でも配置は自分で考えたわ。依頼された内容に沿って、意図が通るようにしたの」
「随分、面白い配置を考えましたよね」
「わかるの?」
もちろん、と僕は答える。
「一枚の地図のように考えて、海岸を下、街の端を上に向ける。そこから順番にマークをしていく。まずは一番初めに出現した街中の錨。次に街の端で発見された二つの錨。さらにスクラップ置き場の錨」
神様は何も言わずに僕の話を聞いていた。
「その時点で線対称に錨が発見されることがバレた。そして僕に次は森だ、と気づかれ、それを聞いていたあなたは場所を海岸に移した。そこで僕の友人が冤罪になってしまった。あなたからしたら滑稽な話だったでしょう。あれは僕らの推測から逸らすためだった。元から海岸にも置くつもりだったが、予定を変更させて、あとから森にバレないように錨を設置した」
僕は黙っている神様を置いて、構わずに喋り続ける。
「すべてをマークして、まず線対称に置かれた錨のポイントを一筆書きでつなぐ。次に残った街中のと海岸の錨のポイントに線を引く」
神様はまだ話さない。最後まで話を聞いてくれるのだろか。それとも完全に僕の記憶を消し去るためのタイミングを窺っているのだろうか。
そしてまた僕は口を開いた。
「まさにそれは澪標、ですよね?」
少し挑発気味に神様に問いかける。
「そうよ。よくわかったわね」
神様は僕の事を褒めてくれていた。別に褒められたからって嬉しいなんてことは思わない。
僕はまた話を続ける。
「澪標は、川の河口などに港が開かれている場合に、土砂の堆積などによって、浅くて船の航行が不可能な場所が多く、浅瀬に船が乗り上げ、動けなくなる座礁の危険性をとりあげ、比較的推進が深く航行可能な場所の澪との境界に並べられて設置されたもの。ここは安全だと表現するための手段とした。あなたは澪を星界と例えて、その外を危険だと示したことになる。つまりこの外には出るな、という危険信号でもあった。違いますか?」
「博識ね」
「それほどでも」
「にしても本質を理解しすぎていないかしら?」
「どういうことですか?」
「普通に星界に住んでる住人なら、ここまでしっかり物事を客観的に捉えられる人はいないはず。でもあなたにはそれは出来た。私はそんな人を連れて来た覚えはない」
遠まわしに、この世界の住人は神様が選んで連れてきていることがハッキリした。
僕は肩をすくめた。
「僕がここまで理解することが出来たのは、あなたのおかげですよ」
「何を言ってるの?」
「ヒントの出し過ぎだ、と言っているんです。もう少し難しくするように要求したはずなのですが」
神様は見えなかったが、どこかで驚いているのが伝わって来た。突然空間に風が吹いたのだ。どうやかここは神様の感情によって、たちまち姿を変えられるようだ。
「東雲は、私の事を知っていますか?」
「どうでしょうか。確証がないですし、僕が神様と知り合いだったなんて、ありえない話ですよ」
「あら?あなたがおっしゃったんじゃないですか。ありえないなんてことはありえない、と」
僕はイタズラに微笑んだ。
「やはり君が神様だったのか」
「そうね。戻ったら私の正体をみんなに明かすのかしら?鳥居の中がどのような場所なのか、ということも」
まさか、と僕は見えない神様を見つめた。
「そんなことは決してしないよ」
「優しいのね」
僕が優しい?残念だがそれは検討違いだ。僕は彼女に同情しただけだ。
「もう一つ質問してもいいかな?」
「どうぞ」
「神様は大社の指示に従って動いていると聞いたことがある。じゃあ肝心の大社は一体どこにいるんだろうね」
そう言うと神様は小さな声で「お引き取りください」と声をかけた。
あまり追及しすぎるのも面白くない。だが少なくとも神様は大社の話を拒んだ。どうしてもそれが引っ掛かるが言いたい言葉を飲み込んで、また今度話し合えばいいと、僕はその場をあとにした。
星界に帰って来た僕は、しばらく鳥居の前から動けずにいた。神様との対話で、僕は深く疲労していた。全身の神経がぷちぷちと途切れてしまったようだった。なのに期待したものは何も得られなかった。結局、僕は失敗した。
一人ぽつりと音のない夜道を歩く。
鳥居に背を向けて、ずっと向こうに見える寮を目指す。その付近では街灯が道を照らしていた。神様がいるはずだったあの奇妙な空間は、もうどこにも見当たらない。鳥居も見えず、そこには夜空よりもなお暗い、巨大な黒い影が横たわっているだけだった。
夏が終わり、星界に初めての春が訪れようとしている。
僕は気づけば、学校の屋上にいた。
硬いコンクリートの上で寝転がっている。どうやら眠っていたようだ。いつ眠ってしまったのか、よく思い出せなかった。だけど今は、そんなことにいちいち驚く気にもなれない。
僕は屋上でどれほど過ごしたのだろうか。空を見上げると、いつの間にか晴れ渡っていた。大きな月の浮かんだ、無数の星が輝く夜空。星界ではありふれた、それでも劇的な夜だった。この世界には欠落した人間が住んでいる。
街に設置されていた錨はきれいさっぱり、消えていた。もうそこに存在する意味を失ったからだ。時谷夕花はもういない。それでも夜になると、圧倒的な星々が輝く。
僕は遠くに見える海岸を見つめた。
ー僕が時谷夕花を失ったことが、失敗だって?
そんなわけがない。彼女はあの後、自分の意思で神様に直接鳥居を潜って会って、帰り道を示してもらったのだ。彼女にとっても、僕にとってもそれは都合のいいことだった。
これが僕らの望んだもので、精一杯の幸福な結末だ。だってこんなにも空が綺麗だ。だが僕にはまだ生々しい痛みが残っていて、それで何もわからなくなる。
星界の夜は静かだ。
春になりそれは更に勢いを増した。夏のやかましい蝉の声も聞こえなくなり、更に星界は静まり返った。ここにだってそれなりの日常があり、それなりの恋愛や友情があり、それなりの幸せがある。時谷夕花がいなくても、生きていく上で必要なものは、ひと通り揃っている。だから僕は幸せだと言い張ることだってできる。
春の匂いを帯びつつある空気が僕の身体を起こさせた。ゆっくりと校舎の階段を下がり、校門へ出る。あの時、時谷と一緒にこの道を帰った時のことを思い出したていた。そんな感傷に浸りながら、僕は海岸へと足を進めた。
懐かしいと、砂をすくおうとしたその瞬間だった。
彼女の声が聞こえた。
「優樹」
思わず口元が綻んで、納得する。
やっぱり、僕は勝負に負けたようだった。
「びっくりしたんだ。向こうに帰ろうとしたら、目の前にもう一人の私が立ってた」
と時谷夕花は言う。
彼女はまるで星空のような、大げさな笑みを浮かべていた。
「彼女に会って、どうして私がここに来たのか。なんとなくだけどわかったような気がするよ」
更に彼女は、僕の探し求めていた答えに一歩近づいたようだった。
そして僕には何が起こっているのか、上手く飲み込めなかった。どうして時谷が目の前にいて、僕に語りかけているのか。丁寧に順を追って説明して欲しかった。
「私は優樹に置いて行かれていたんだ」
彼女は突然そんなことを言った。
僕には理解できず、ただ反論することしかできなかった。
「そうでもない。さっきまで君は一人で帰ろうとしてたじゃないか」
「それは…」
もう君に会えなくなると思ったから。
僕はため息をついた。
「一体どうして、君がここにいるんだい?」
「約束したじゃない、また会おうって」
「そんな約束を交わした覚えはないよ」
「そうだね。私が勝手に決めたんだもの。私が決めた約束を、私が守ったんだから、何も問題ないでしょ?」
そうだね、と僕は返事をする。
「優樹は、私が帰ってこなかった方がよかった?」
まったく、なんて質問だ。
彼女がいると僕にはいつも、不幸と幸福が、手を伸ばせば届きそうな場所まで迫ってくる。
仕方なく僕は首を振る。
「そんなことはない。また会えて嬉しいよ」
どうしようもなく、嬉しい。彼女が欠けてしまうことへの恐怖でさえも、忘れてしまうくらいに。
時谷はまた笑うと思ったが、生真面目な瞳で、真っ直ぐにこちらを見ていた。
「私にはどうしても許せないことがあった。だからここに戻ってくるしかなかった」
「何が、許せないの?」
「私たちの関係だよ」
時谷が一歩、僕に近づく。
影の位置が変わり、空の下で、彼女の頬が紅潮しているのに気づき、僕は寒気と違和感を覚えた。
「私たちがこのままじゃ上手くやっていけないなんて信じたくないの。だから向こうの私が間違っていて、私が正しいと証明するの」
彼女はずっと僕を見つめていた。ゆっくりと開いた口から漏れた声は、小さく、か細く、不安定に震えていた。
「だから、迷惑じゃなければ、手伝ってくれない?」
それはずっと前に一度だけ彼女から聞いた、泣き声によく似ていた。
でも、全くの別物だ。
だからこそ僕は確信した。
やはり、この世界は歪みきっている。
時谷夕花は手を差し出して、僕はその手を掴む。
それが僕らの三度目の出会いであり
二度目の再会だった。
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