鳥居


 寮を出た僕は、細い路地を抜けてメインストリートに出た。

 夕暮れ空に巨大な雲が気だるげに横たわっている。雲は濃紺で、灰色がかかっている。いかにも重たげだ。落ちて来ないのが不思議だった。

 その雲で、空の色が二分されている。雲の下から覗く空は濡れたような赤色で、雲の上は浮かび上がるような青色だ。その二つは、同じ空には見えなかった。まったく別の、二つの世界の空を同時に見ているようだった。

 メインストリートを歩く。街灯はもう明かりを灯している。でも時々すれ違う人の顔はよく見えない。光が足りていない。景色がぼやけている。

 時谷夕花のことを、僕は歩きながら考えた。いつだって彼女のことばかりを考えている。彼女の理想が、僕のと違っていたとしても、それでも彼女が理想を追いかける姿を護っていたいと僕は思う。他の何もかもを諦めている中で、たった一つだけを諦めないでいる。

 夕闇の向こうに、尖った光が見えた。二つ並んでいる。例のタクシーだ。この世界での自動車のライトはなによりも目につく。

 僕は足を止めて、手を上げた。

 タクシーが、沈み込むように速度を落とし、丁度、後部座席のドアが僕にくる位置で止まった。

 乗り込みながら、僕は続ける。

「鳥居前まで」

 ドアが閉まり、運転手が言った。

「自分自身が無になる。あの時の答えは見つかりましたか?」

 僕は笑いながら、頷く。

「初めから、答えはわかっていました」

 動き始める前に運転手が僕の方を向いた。そして微笑む。

「優樹さんの生き生きした表情、久々に見ましたよ」

 そう言って、タクシーを動かした。


 海辺の近くに建てられている鳥居は、相変わらず大きかった。周りに明かりはなく、遠くで街灯が揺らめいている。目的地に到着すると、頼りになるのはタクシーのライトだけだった。

 僕はタクシーから降りようとして鞄から財布を取り出す。だがそれを運転手が止めた。

「今回は払わなくていいよ」

「でも送ってもらっていますし」

「たまには人のご厚意に甘えるのも良いと思うよ」

 じゃあ、と彼女の誘いに乗る。それを見た彼女は満足げに頷いた。

 ところで、と僕は口を開く。

「今日は副業はいいんですか?今の時間ならたくさん届いてる時間では」

「ああ、確かにそうだね」

「ならいい加減持ち場に戻らなくちゃ。引き留めてしまって申し訳ない」

 そう言って僕はタクシーから降りた。

 すると思い出したかのように、彼女はドアの窓を開けた。

「そういえば優樹さん宛てに荷物が届いてるよ。いつ渡そうか?」

 僕は少し考える。

「明後日のお昼頃に届けてください。無理しないで、ゆっくりで構わないので」

「君こそ無理しちゃダメだよ」

「ありがとう、橘さん」

 そう言うと窓を閉め、橘さんは持ち場へと帰っていった。タクシーの光が遠くなる。

 僕は深呼吸すると、鳥居へと向き直った。

 ここを真っ直ぐ進めば、神様がいる。だが話では普通なら、また元いた場所に返されてしまう。

 僕は一か八かで、鳥居の中へと進んだ。

 歩くたびに、水滴が水たまりに落ちるような音が鳴り響く。まるで水面の上を歩いているみたいだ。そして中は外と違って、どうにも温かい。

 この奇妙さが、僕の足をより急かしていった。

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