情報

 木曜日は割と楽しい時間と過ごしていた。

 まず朝には、水廣さんからの分厚い手紙が届いた。彼女から手紙を送られてきたのは久しぶりで、どんな用件なのか、少し楽しみだった。

 雨はまだ降り続いていて、封筒が少し濡れている。僕はベットに寝転がって、手紙に目を通す。


 ー東雲くんへ

 唐突に手紙を送ってしまってごめんなさい。話したいことが三つほどあったので書かせてもらいました。

 一つ目は例の事件。東雲くんや時谷さんたちが忙しそうにしているのを見て、私も何か力になれればと思って色々調べてみました。

 由紀ちゃんから話は聞きましたが、次は森に錨が出現すると予測していたらしいですね。その推測は合っていましたよ。昨日の夜に学校に忘れ物をしていたことに気づいて、取りに行こうと思って、タクシーを呼んで学校まで行きました。

 無事忘れ物を取って、またタクシーで下に降りている最中に、ライトが森の中にある錨を捉えたんです。その後はそのまま下ったのでしっかりとは確認できていないのですが、確かにそこに錨はありました。-


 やはりあの推測はあっていた。だが僕の中でまだ一つ引っかかる点があった。僕はあの時、由紀に残りの錨は二つだと答えた。そのうち一つは予測通りの場所だった。けれどもう一つの場所がずっとわからないでいた。だからこそ海岸に錨が出たと聞いた時は本当に驚いた。まさかそんな場所を想定していなかったのだ。単純に左右対称で終わるのならば、錨はあの時点で一つで充分だったが、僕は二つと答えた。

 別に勘で答えたわけじゃない。そんな単純な配置で終わるわけがないと、保険をかける意味合いを兼ねての答えだった。僕が推測するよりも早く、それは現れた。おまけに不死身の狐が犯人と疑われる事態にまでなっていた。

 始めから彼は犯人じゃないとわかっていた。何か確証があったわけではない。ちょっとした信頼というものの類に分類されるのだろう。

 そもそも彼がそんなどうしようもないことをするわけがない。彼は時谷と同じように回りくどいやり方を好まない。そういう点においては対話させてみても面白いものが見れるだろう。


 ー

 二つ目は、犯人の手がかりです。私は犯人と直接会って話をしました。ですが周りに言いふらそうとは考えていませんし、これからするつもりもありません。ただ、東雲くんが犯人を捜していると聞いたので、あくまでヒントという形をとります。

 その人は私と話している中で、こんなことを言っていました。

「この世界はある意味、理不尽で成り立っているのかもしれない。だって普段なら起こりえないことが、ここでは起こってしまっている。ありえないなんてことはありえない。それがこの世界の存在する理由であり、理念である」

 聞いた当初は全く理解できませんでした。一応書きはしましたが、一言一句あっているという保証はありません。ですが頭の回転の速い東雲くんなら、この文章が示す内容がわかるんじゃないでしょうか?

 未だに私は理解できていません。


 僕は一人、部屋で小さく唸りながら腕を組んだ。理不尽が存在意義で、理念。この言葉が指す内容が全く分からなかったのだ。確かに星界は理不尽で出来ている。まだ存在意義がそうであるということには納得がいく。だが理念となると、それは見たことのない形に変化してしまう。

 自分が犯人だ、と水廣さんには公言出来る。そして水廣さんは広めようとする意志を持ち合わせていない。コミュニケーションが苦手で、口下手な彼女だからこそ、会話することができたのかもしれない。

 しかしまた引っかかる点があった。そもそもどうして水廣さんは神様と連絡がとれたのか。今までに神様とまともに連絡をとれた人は、誰一人としていなかった。郵便局にある電話でかけたら、たまたま出た可能性も考えられなくはない。けれどもそれに信憑性はない。この案は違うと見込むのが妥当だろう。

 そして神様は何故、水廣さんと出会うことを許可したのか。人前に神様として現れることのなかった存在が、今ではあっさりと出てきてしまっている。それもまた変だ。

 そちら側でルールを変更したというのなら納得がいくのだが、あちらでの法則が変わる度に、星界も連動しているかのように変化していく。今回に関しては何も起きていない。ということはまだ神様として人前に出てはいけないということになっているはずだ。

 どうしても僕は納得がいかなかった。

 少し苛立ちを覚えながらも、続きに目を通した。


 ー

 三つ目は、特に何もないです。


 続きに書かれていた文章はたったこれだけだった。思わず呆気にとられる。三つだと書いてあったから、てっきりまだびっしり書かれているものかと思っていたが、どうやらそうではなかったようだ。もしかしたら始めは三つと書いたが、それを書き出そうとした瞬間に躊躇ったのかもしれない。そこは彼女の意思を尊重しよう。彼女が自分の意思で書かなかったのだとするなら、きっと僕にとって有益な情報ではないと判断したのだろう。

 手紙はここで途切れていた。

 おかしいな、と分厚かった封筒の中身をすべて抜き取ろうとしたのだが、つい手が滑ってしまい、中身が散乱してしまった。少しけだるそうにそれらを拾い集めた。

 見た限り、それはすべて写真だった。錨から鎖、そして街の風景を撮ってくれていたようだ。何かの情報になればという、彼女なりの気遣いだろう。

 是非、活用させてもらうとしよう。

 他には何もなく、僕は手紙を封筒に戻した。とても貴重な資料だ。そして僕も公言するつもりはないが、犯人が特定できた。

 窓を開くと、雲の隙間から太陽が顔を出して、にじんだ世界に挨拶をする。ふいに時谷が話してくれたことを思い出した。暗闇の中で捜し物をしているような感覚。今その気持ちが少し理解できた気がした。

「ありがとう、水廣さん」

 そう言って僕は封筒をどこか目の付かない場所へと隠した。万が一、この手紙を誰かに見られようものなら、水廣さんとの約束を破ってしまうことになる。厳密には彼女と約束などしていないが、読んでいるうちにそんな気になったのだ。

 昼間になると、僕は学校で不死身の狐と他愛もない話を交わしていた。なかなか冤罪が晴れないから不機嫌だろう、と予想していたのだが、意外とそうではなかった。

 屋上に入ると、珍しく枕を置いて、その場に寝転んでいた。手が微かに動く。寝ているというわけではなさそうだ。

 僕は彼に声をかけた。

 それからの記憶はもう残っていない。僕は中身のない話や出来事はすぐに忘れてしまう。

 ただ彼がいつにもまして元気だったことだけを覚えていた。

 日の暮れかかった空には、どこに繋がっているのかわからない電線がよく映えた。五本の線が並んで、どこまでも伸びている。音符のない譜面のように、その様は静かだった。

 隣には水廣さんがいた。

 彼女はどこか困ったような、不機嫌そうな表情でこちらを見上げている。彼女の視線の先で、スズメが電線から飛び立った。

 水廣さんと二人きりになったのは、僕にとっては好都合だった。

「手紙を読んだよ」

 と僕は言う。

 今朝、寮に届いていた手紙だ。そこには伝えたい内容が簡潔に書かれていた。

 水廣さんは視線を、電線からこちらに移す。

 でも何も言わなかった。彼女はいつも無口だ。

「君から久々に貰った手紙が、あんなに面白いなんて思ってなかった」

 水廣さんの手紙はいつだってとてもいい。

 理由の一つには、内容が豊富だから、というのがある。彼女の手紙には基本的に、その週であったことや考えたことが、丁寧に書かれている。

 例えば学生食堂で、由紀や上田や僕が「好きな食べ物は?」と話していても、水廣さんはずっと黙っている。その返事が、手紙に書かれてやってくる。

 ー私は卵焼きが好きです。飲み物は炭酸以外なら大丈夫です。

 ひとつひとつ律儀に、すべての会話に返信をくれるから、どうしても長くなる。

 きっと彼女は繊細で、言葉を丁寧に扱おうとしすぎるのだ。

 あらゆる誤解に怯えていて、できるなら誰も傷つけたくなくて、だから咄嗟には何も話せなくなる。独りきりで抱え込んで、満足がいくほどの解釈を並べ終えてから、ようやく、それを相手に伝えられるのだ。

 だが最後の文だけは曖昧に隠されていた。自分の中で納得の出来る解釈を導き出せなかったのか。あるいは口封じでも受けているのか。

 僕は電線の影を辿る。それは階段のある森を回り込むように続いている。道路はやがて、細く急な上り坂になり、木々ですぐに視界が遮られる。

「正直な話をしようか」

 と僕は言った。

「送ってくれた手紙のことだよ。実に複雑な内容だったけれど、気遣いのようなものを感じた。きっと君は、僕の事を心配してくれていた。だからこそ、噛み砕け切った文字を綴ることが出来た」

 水廣さんは何も答えない。ちらちらと僕に視線をよこし、こちらに歩調を合わせて歩く。

 冷えた空気が首元を撫でた。マフラーがあれば、夏だろうと構わずに、首元に巻きたいくらいだ。

「それに誰が犯人かも特定できたよ」

 ありがとう、と言うと水廣さんは小さく頷いた。

「でも一つ引っかかることがある。何故今まで姿を見せることがなかった神様が、突然君と会って話すことを許可したのかな?」

 沈黙が続く。

 遠まわしに色んな意味を含んだ質問だったから、きっと頭の中で上手く言葉を組み立てているのだろう。正しく歩ければ良し。だが一歩でも間違うと自分が疑われてしまう。

 僕の親友のように。

「どうしても君が神様と関わりを持っているとは思えない。だから君の口から聞かせて欲しいんだ。君は本当に神様と会って話したの?」

 少し意地悪な聞き方をしてしまったが、おそらく彼女の口を動かせるのには、これが最適だと判断したのだ。だが先程よりも沈黙は長くなった。

 言葉を並べているのか、それとも本当に話す気がないのかわからない。やはり彼女はわかりづらいと思った。

「確かに森の中に錨はあった。学校へ向かう時と、帰る時に確認してきた。予想通り、左右対称になっていた。それは君が第一発見者だと思う。よく見つけられたね。僕ならおそらく無理だったと思うよ」

 僕は小さく笑いながら続ける。

「僕はあまりこういった類の事件は嫌いだ」

 水廣さんが僕に疑問の目を向ける。

「答えのわからないような事件が、普通に日常として起きてくれるだけならいい。だけど今は時谷夕花がいる。それだけで、僕の生きている星界は非日常なんだ。何をし始めるのかわからない、だから僕が側にいなければならない。他の誰かじゃなくて、僕じゃなきゃいけないんだ。そういう約束だったからね」

 時谷夕花には理想しか見えない。

 現実的な問題の多くは、努力すれば一〇〇点を取れるテストとは違うのだということを、彼女は理解していない。

「犯人は時谷のような人に、何か大きなメッセージを伝えようとしたのかもしれないね」

 ふいに水廣さんが足を止める。

 僕も立ち止まって、彼女をじっと見つめる。

 彼女の口から、彼女の弱々しい声が聞こえた。

「私は、神様に会いました。何度も」

 その声はか細く、怯える子猫みたいに震えていた。

「久しぶりに聞いたね」

 僕は微笑む。

「君の声、けっこう好きだよ」

 その言葉に嘘はなかった。だからまた一つ謎が生まれる。それは本人から聞き出すことにしよう。

 そして彼女のそばにいるべきだと、僕自身はまったく思っていない。

 けれどこの世界で、彼女を理解しているのはきっと僕だけだから、今は離れるわけにはいかないだけだ。

 僕らは互いにさよならをして、背を向け歩き始めた。

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