疑い
例の事件にはもう一つ、何か意味が込められていた。
僕らが見つけた錨のすぐ側で、簡単な文章の書かれたチラシのようなものが添えられていた。
ー神様はこの世界に過去ばかりを閉じ込めている。ならば未来はどこにあるー
誰がどのような意図で錨に紙を添えたのかなど、知る人はいなかった。犯人と、神様の他には、誰も。
始めにそれを発見したのは僕と上田だった。その日は丁度土曜日なこともあり、学校には出向いていない。だから学校に証拠などありはしないのだろう。
だが僕はその件で、月曜日の放課後に職員室に呼び出されることになった。発見されたタイミングを考えれば、第一発見者はどうも僕らだったらしく、疑われたとしても仕方のない立場だった。上田が呼び出された後に、続いて僕も呼ばれ、ゆっくりと職員室に入った。
カナメ先生のデスクの隣の席は空いていた。先生は右手でその席を指差し、座るように促した。
「この世界で突然大量の錨が現れました。大きく、重たい錨です」
「はい」
「金曜日以前に、それはなかったという話が出ています。ご存知ですか?」
「クラスの話題がそれで持ち切りになるほどでしたから」
「ということは金、土曜日のどちらかで設置されたことになります」
「僕らを疑うのは自然なことだと思います」
彼女は顔を覆う布の頬の辺りを、何度か叩いた。
「もちろん、疑っていないとは言えません。ですがまず事実を確認したいんです。貴方は何故、あの日あの街に行きましたか?」
事情の説明には少々時間がかかった。時谷と一緒に神様に関する資料を探していたところから、話さなければならなかった。
「それから」
僕は続ける。
「夜のうちに手紙を書いていました」
本当の事だ。宛先のわからない人に、律儀に手紙を書いていた。
カナメ先生は、頬を叩いている指を止めた。
「手紙ですか」
「はい」
「どうして名前もわからないような、届くかもわからない相手に手紙を書く必要があったのですか」
「返事を要求されたから。ただそれだけです」
「なるほど。ちなみに内容は?」
「答えたくありません」
「それは何故?」
「とてもプライベートなことですから」
カナメ先生は布の奥から、じっとこちらを見つめているようだった。しばらくの間、僕たちは無言で見つめあった。窓から涼しい海風が流れ込んでくる。おかげで職員室は少しだけ寒い。
「つまり錨を見つけたのは三人、ということですか?」
「僕の知っている範囲で言えば、そういうことになります」
「私はもう一人知っています」
誰ですかと、聞くまでもなかった。
「一応彼もここに呼んでいます。もうすぐ来る頃でしょうか」
カナメ先生は何かを確認するように、デスクに視線を向けた。でもそこには何も載っていなかった。
彼女はまた、僕に視線を戻した。
「あの錨を運ぶにはどのような方法があると思いますか?」
「間接的に、何かを経由して運ぶというのは不可能かと」
「ではどのように?」
「可能性があるとすれば、魔法の力とでもいうところでしょうか。今ある錨を地図に書いてみると、綺麗に左右対称に設置されていました。寸分の狂いもなく設置するのはとても難しいことです」
カナメ先生は対話しながら、僕の表情を観察していた。動作の一つ一つを丁寧にチェックする。あまり心地の良い時間ではない。
「もし魔法だったとすれば、音を立てずに設置させるという技術は可能でしょう」
「しかし慎重に設置したとするならば、人間の仕業という可能性もありますよ」
それから、思い当たって、僕は補足する。
「ああ、単純に複数人で行ったと考える方が、現実的かもしれませんね」
カナメ先生は頷く。
「なんとなくですが、もし犯人が貴方だったとしても、魔法を使ったのではと私は疑います」
「さあ、普通なら魔法なんて使えませんが」
「あの錨を創り出したのはあなたですか?」
「いいえ」
「何故犯人は、街に左右対称になるように錨を設置したのだと思いますか」
「わかりません」
カナメ先生は小さくため息をついた。それから「時間を取らせてしまいすみませんでした。気をつけて帰ってください」と言った。
僕は席から立ち上がり、彼女に向かって、軽く頭を下げた。
職員室を出た僕は、廊下の壁にもたれかかって、しばらく窓の外を眺めていた。
グラウンドの真ん中で、鳥が集まって何やら会議を行っているように見えた。少しすると一斉に羽ばたき空へと旅に出掛けた。
あまり鳥ばかり見ているのは、傍からみていて楽しいものではないけれど、何故だか飽きない。自分たちには出来ないこと、重力に逆らっていられるからだろうか。噴水が飛び上がるのでさえ、なかなか見飽きない。
やがて廊下の向こうから不死身の狐が歩いてきた。彼は僕に向かって「やあ」と声をかけた。僕も彼に「やあ」と応えた。不死身の狐は歩みをやめず、職員室の中へと入っていく。
僕は空を駆け巡る鳥を眺めていた。あるいは、と考える。飛んでいる姿を見飽きないのは、そこになにかしらの秩序があるからかもしれない。その姿にも、噴水が吹きあがる姿にも、言葉で表現しにくい秩序を感じる。重力は巨大な秩序だ。巨大な秩序に逆らう、ささやかな秩序を、僕は好むのかもしれない。
五分ほどして綺麗な青空を飛ぶ鳥を眺めていると、また職員室のドアが開いて、不死身の狐が出てきた。
僕は彼に声をかける。
「どうだった?」
「疑われたよ、もちろん。でも思っていたより早く話が終わった」
「よかったね」
「まったくだ」
「君は犯人を見なかったの?」
「どうして?」
「あそこは街全体を一望できるし、君はいつもそこにいる。心当たりがあってもいいだろう」
「先生にも同じことを聞かれたよ。でも見ていない」
僕は正面から不死身の狐を顔を眺める。彼は微笑んでいたが、普段よりかも疲弊しているようだった。彼は複数の相手と同時に顔を合わせるのが苦手だと言っていた。職員室にはもちろん、カナメ先生の他にも教師がいる。
「どうして星界に錨を、あの配置で置いたんだろう?」
と僕は尋ねる。
「さあね。いろんな人に、いろんな事情がある。戦争が上手な王様がいて、犬のいる家ばかり入る泥棒がいる。みんな仕方のないことさ」
と不死身の狐は答える。
彼はそのまま足を踏み出した。また屋上に戻るつもりなのかもしれない。あるいは寮の自室に戻るのかもしれない。彼がどこに住んでいるのか、僕は知らない。
ちょっとした好奇心で、彼の背に問いかける。
「カナメ先生は、君のことを何て呼んでるの?」
不死身の狐は首だけでこちらを振り返り、肩をすくめた。
「オレは不死身の狐だよ。他の名前なんてない」
そう言って、彼はまた歩き出した。
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