出口
荷物をまとめて校門に出ると、僕には見慣れたタクシーが停まっていた。
緑色のラインが入った白色のタクシーで、いつだって車体はピカピカに磨かれている。大抵このタクシーは学校から学生寮までの距離で運転している。
近づくと運転手が自動ドアを開いて、待機してくれる。僕はタクシーに乗り込むと運転手に一声かけた。
「突然呼び出してしまいすみません。女の子と一緒だったので、暗い道を歩くのはどうかと思いまして」
「構いませんよ。丁度休憩していて、特に何もすることがなかったので」
ありがとうございますと言うと、時谷も続けてタクシーに乗り込んだ。彼女を見て、運転手は驚いた様子だった。
「また転校してきたのですか」
やはり見知らぬ顔が増えていることに気づいていなかったようだ。ということは彼女と運転手はここで初対面になる。僕はシートベルトに手をかけながら言う。
「はい。ついこの前ここにやってきたんです」
「初めまして、お嬢さん。随分東雲くんと仲がよろしいようで」
「よろしければ、何か不都合でも」
どうしても初対面の人にですら、このように当たってしまう。だから第一印象を悪く捉える人も、今までにたくさんいた。
運転手は引くどころか、笑って話を続けた。
「いえ。優樹さんと仲が良いのはアレスさんだけだとばかり」
この「アレス」というのも不死身の狐のことだ。
相変わらず名前が多くて忙しい人だ、と思った。僕はわざとらしく咳払いをする。
「僕にだって、他にちゃんと友達くらいいますよ」
「それは失礼しました」
と運転手はからかうように笑った。僕の隣で時谷が不思議そうな表情でこちらを見ていた。
「アレスって誰?」
「運転手の友達だよ」
「外国人なの?」
「あだ名がアレスなだけで、外国人ではないよ」
時谷は納得したように縦に頭を振った。
運転手は間を少し開けてから僕に声をかけた。
「ではどこに行きましょうか」
「彼女が調べものをしていて、その件について話をしたいので、出来る限り遠回りで学生寮へお願いします」
ドアが閉まり、タクシーが短い距離をバックする。そして方向転換をして走り出した。運転手はメガネをかけた。色の白い女性だ。身体は細く、雰囲気は不死身の狐に似ている。助手席の前にあるダッシュボードにはネームプレートはない。名前を知られたくないから、らしく本人の意思で公開はしていないようだ。
急な坂道を下りながら運転手は言った。
「それで、調べものというのは一体?」
それに時谷が答える。
「神様、についてです」
「神様ですか?」
反復された言葉は疑問を含んでいた。来たばかりの人でも、神様のことを知ろうとする人は今までにもあまり見ていない。反対に星界を抜け出したいという人は山ほどいた。
時谷は続ける。
「はい。神様にあってどうればここから出られるのか教えてもらうんです」
想像もしていなかった言葉に運転手は笑った。
「なるほど。そういう手段もありますね」
「何か知っていることがあれば、お話を聞きたいのですが」
そう言われると運転手は黙りこんだ。僕も今の状況では話さないほうが利口だと思っていた。いつかは知る話でも、来たばかりで、世界に反感を持った人に話せば、どのような行動を起こすのか知れたものじゃない。実際、行動に移したところで不可能なことに変わりはないわけだが。
タイヤが土を踏みしめる音が、沈黙を長引かせた。
もう外は真っ暗で、見えるのは街に建てられた街灯のみ。
それを破るように運転手は言った。
「学校から今通っている道を真っ直ぐに進むと、それは大きな鳥居が見えてきます。それをくぐり更に真っ直ぐ進むと神様のいる場所へいけるらしいです」
「思っていたより、会うのは簡単そうですね」
「しかし会えたという話は聞いたことがありません。何しろ歩いていると気づけば、また鳥居の前へ戻されてしまうんです。何か不思議なパワーでもあるのかもしれません」
僕はその話に頷く。それは偽りのない話だ。
「ですが私は神様とお話したことがあります」
「会えたのですか?」
「いえ、そうではないんです。神様に手紙を出したんです」
時谷は眉間にしわを寄せる。
「手紙?」
「ええ。神様宛てに」
「それでタクシーを貰ったんですか?」
「まずは電話をいただきました」
「神様から?」
時谷にとってはにわかに信じがたいであろう内容だった。
「はい」
タクシーは道なりに大きく右にカーブをして、学校までの山道をぬけた。その先に既に学生寮は見えているのだが、気づかぬふりをしながら、そのまま真っ直ぐに駆け抜ける。明るく彩られた夕闇のメインストリートを、タクシーがライトで照らしていく。
「あなたの家に?」
「この世界に電話は存在しません。ですが郵便局に一つだけ、公衆電話があります。病院などの大きな施設にはないので、コインを入れてかけるタイプのが一つだけ。たまたま通販の商品がなかなか届かなかったので、問い合わせに行ってた時に、タイミングよくかかってきたんです」
わざわざ郵便局まで。
時谷は尋ねる。
「それで何を話したんですか?」
「タクシーが欲しいと。あとは、特に中身のない、他愛のない話です」
「詳しく聞かせてください」
「それはプライベートなことなので」
「この世界に関係することなのに?」
「それだけは出来ません。神様との約束なので」
時谷はまた眉間にしわを寄せた。信憑性がないと判断したのだろう。
「私はここから抜け出したいんです」
「そうなんですか」
「お願いします。神様について話を聞かせてください」
「貴方のお名前は?」
「時谷夕花です」
タクシーは僅かだが速度を上げた。海辺の道なりに入る。もう時間も遅く、海風はやはり肌寒いので人影は一つも見えない。
「ここから抜け出したいのなら、変革が必要です」
「変革ですか」
「そうです。今の世界の規則を壊してしまえるような、とても大規模な変革です」
「でも神様がこの世界を創っているのだから、向こうの気が変わらない限りは不可能なことです」
「ならば神様をその気にさせてみてはどうでしょうか。神様に会って、話を聞いてもらって、今の規則を創り変えてもらえばいい。それが一番簡単で、難しい方法です」
更に人影のない道へ入り込む。もはや街灯すら見えない。見えるのは、少し先を照らしているライトだけだ。
「それしか方法はありませんか?」
「一つだけあります」
思わず口を挟んだ。
「僕も先程以外の方法は知らないんですよ。是非教えていただきたいです」
運転手は唾を飲み込んだ。話すことに自信がないのか、または、さっきみたいに時谷に質問攻めされることでも想像しているのか。どちらにせよ興味深い話だと思った。
「貴方自身が無になることです」
僕はなるほど、と納得したが、肝心の本人は首を傾げ、理解できているようには見て取れなかった。
「どういう意味ですか?もう少し噛み砕いて説明してください」
「残念ながら、この返事が答えそのものです。これ以上の答え方を、私は知りません」
海辺を抜けて、また街中へと戻って来た。思いのほか早い帰宅になりそうだ。
時谷は不機嫌そうに問う。
「では神様は、あなたにとってどのような存在ですか」
少し考え込んだ後、慎重に口を開いた。
「神様は一番孤独で、可哀想な存在だと思っています」
「可哀想?自分の思うがままに世界を創れるのに、自分にとって不満のない完全世界を創り出せるはずなのにですか」
「理由は簡単。この世界を管理しなければならないからです。もし私が神様だったとしたら、途中で嫌になり投げ出してますよ」
時谷は黙り込む。何か考え事をしているようだった。
代わりに僕が尋ねる。
「どうして、タクシーが欲しかったんですか?」
「それもプライベートなことです
「あなたは、自分がここに来た理由を知ろうと思いますか?」
クスッと笑う。
「とても難しい質問ですね。いきなりは答えられそうにありませんね」
タクシーはそっと、息をひそめるように速度を落とし、停車した。
窓の外には街灯と、学生寮が立ち並んでいた。
「それにもう到着してしまいました。また会えるまでには、答えられるように考えておきますね」
ここは本当に狭い。どれだけゆっくり走ろうと、すぐに目的地に着いてしまう。
運転手は初乗り料金を表示させたまま、メーターを止めた。
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