議論
昼休みになっても、彼女はまだその話題を引きずっていた。
僕達は学生食堂の片隅に向かい合って座っていて、目の前にはこんがりと揚がった俵形のコロッケ定食がある。ちょうどジャガイモの収穫時期だ。
「やっぱり、優樹はクジラでもラクダでもないよ」
と、誰が聞いてもわかる当たり前のことを時谷は呟いていた。
僕が適当に頷くと、時谷は続ける。
「やっぱり人は人だし、私にはそんな考え出来そうにないや」
時谷の性格からすれば、考えもつかないことだろうから、理解出来ないのにも納得がいってしまう。
時谷は疑問点を見つけると、とても素直に質問をするから、そのせいで気が付けば話題がそれてしまっている。僕の知る限りでは、学校の成績はいいはずなのだが、実はバカなんじゃないかと疑っている。
僕が次の言葉選びに気をつけていると、後ろから声が聞こえた。
「感性は人それぞれですからね」
振り返るとクラスの姉と慕われている白石由紀が立っていた。
「初めまして、時谷さん」
彼女は周りに対する気配りが上手な子で、話しかけやすく明るい。身長は低く、大抵、前髪をピンで留めているので、どこか魅力的なおでこが目につく。クラスの中心は彼女だ、と言っても過言ではない。
「隣、いいですか?」
と彼女は言った。
「もちろん、どうぞ」
と時谷は答えた。
白石さんは僕の隣に腰を下ろす。
「東雲くんが学食にいるのって、なんだか珍しいです。レイさんのところじゃないんだ」
レイさん、とは不死身の狐のことだ。彼は人によって名前が違うから、白石さんの前ではレイと呼ばれている。
ここの学食が混むことは決してないのだが、僕は適当にサンドウィッチかなにかを買って、不死身の狐のところで昼食をとっている。ここに通う生徒には屋上は彼のテリトリーだと認識されているようで、普段からあそこに近寄る人はいない。だからこそいつも人がいないのだ。彼にとっては、とても落ち着くことの出来る場所なのだろう。
「流石に時谷の転校初日だからね。昼食くらいつき合うよ」
箸でコロッケの片隅を切りとり、口に運ぶ。なかなかおいしい。
「お前ら知り合いなの?」
そう言いながら上田が時谷の隣に腰を下ろし、水廣さんも彼の向かいに腰をかけた。すると上田は時谷を見て軽く頭を下げる。
「さっきは悪かったな」
と上田が言う。
「いえ、私こそ取り乱してしまい、申し訳ないです」
と時谷は落ち着いて答えた。思わず僕は胸を撫で下ろす。
上田は一見すると騒がしい少年のように見えるクラスメイトだ。まあ、実際に騒がしいことには変わりないのだが、スポーツよりも読書が好きだという。見た目に反して、彼は意外と文学少年なのだ
水廣さんは背の高い女の子だ。どこか目つきが悪く、左目の下に泣きぼくろがある。割とコミュニケーションが苦手なようで、普段から教室で俯いているし、彼女の声を聞いたことは数えるほどしかない。その代わり、毎週末には決まって水廣さんからの長い手紙が届く。ちなみにここでは携帯電話など存在しないため、現代でも手紙は主流である。
上田も水廣さんも、僕や時谷と同じように転校生だ。知らない間にここにやってきて、転校というのには抵抗があったが、まあいいだろう。同じ転校生だということもあり、時間を共にすることが多く、上田とは寮が同じだということもあり、親しくさせてもらっている。白石さんはクラス代表、いわば委員長ということもあり、僕らの面倒を見てくれる。そんなわけで、こんな風になんとなく集まることが多かった。
上田は好物のうどんを箸で掴みながら言った。
「お前ら妙に仲いいじゃん。東雲が反論するところなんて初めて見たぜ」
僕は視線を逸らしたあとに、いい具合に会話を繋げた。
「別にだよ。時谷が世界にやってきたところに、たまたま出くわしただけさ」
そう言うと、僕は簡単に三人を紹介した。
時谷と三人は、それぞれに「よろしく」と頭を下げる。
へらへら笑いながら、上田が言った。
「今朝のことだけどさ。ここから出るってやつ。面白いし、俺は良いと思うぜ」
「へえ、それは気づかなかったな」
今まで、そんな素振りを見たことがなかったから、少し意外だった。
「だってさ、好きな文庫本の新刊を発売日に購入できないんだぜ?」
「どの作者の本が好きなんだい?」
「天野克さんだ」
「一週間くらい待ってもいいんじゃないか?」
「お?さては東雲。お前発売日の重要さを知らねえな?」
「知らないな」
ゲームとかなら話は別だが、書籍は別に構わないだろうと、僕は考えている。
「いいか?新刊ってのはそれだけで価値があるんだよ。例えば何が入っているのかわからない宝箱があるとするじゃん?ワクワクするじゃん?でもその中身を顔も知らない何十万人が知っているかと思うと、やっぱどこか残念じゃん?しかも感想とか考察とかって、すぐにネット上に書き込まれるし、ネタバレもいいところさ」
「ネットを見なければいいんじゃないか?」
「それは女子に嫌われたくなかったら、チラッといろいろ見えたとしても、見なければいいし、覗かなければいいっていってんのと同じだぜ?」
「どういうこと?」
と時谷が呟いた。
上田は少し焦りながら、いや俺はあくまで一般論としてだな…と言い訳をしていたが、彼の言葉を時谷は一つも聞いてはいなかった。
「そもそも、新刊とかって買えるの?」
白石さんが頷いた。
「ここでは自由に物を買えない代わりに、通販が使えるんですよ。週に一度だけ、荷物を積んだ船が来るんです」
「住所先に?」
「いえ、住所は星界です。なので郵便番号もなにも、ここには存在しないのです」
「でも地図にはここは書かれていないのでしょう?」
「おそらくね。地図にすらなければグーグルマップで検索をかけても見つからないと思うよ。でも通販サイトを運営している側の持っている地図には書かれているのかもしれない」
「ならどうして外に出ることが出来ないの?普通に考えたら、船に乗れば外に出られるはずだよね?」
「船は人を運ぶことはないんだ。密航しようとした人もいたらしいけど、みんな失敗したって噂だよ」
「でも、ネットが使えるのなら助けを求めることだって出来るよね?」
僕は思わず彼女の言葉を反復させる。「助け」。何故かその言葉に違和感を覚えた。
時谷は大きく頷く。
「だって、これって誘拐でしょ?電子メールとかが使えるのなら、警察に連絡しようよ」
それはとても新鮮だった。確かに僕らは望まず星界に連れて来られた。ならばそれを誘拐と受け取ることも出来るかもしれない。
少し関心していると、白石さんが口を開いた。
「メールを送ることは出来ないうえに、掲示板へのアクセスも不可能です。星界に関係を持ったページにしかネットワーク網が繋がっていないの。この島には警察なんて存在していないし、ましてや裁判官や弁護士だっていない。そういう人たちのページには飛ぶことは出来ないから、助けを呼ぶのはまず無理です」
「でも検索だって出来るし、通販だって使える。なのに何で送れないの?」
「そう言われても…。実際メールは送れないし」
時谷は不機嫌な様子でこちらを見つめる。
だがさっきからみんなが言ってることは紛れもない真実だ。誰も嘘なんかついていないし、嘘をつく必要だってない。
「納得がいかない」
僕は付け合わせのキャベツをつつきながら、尋ねた。
「何が納得いかないの?もうこれだけ話を聞いたら……」
「そうじゃなくて。なんていうか、ここには壁がない」
「壁?」
「閉じ込められているのなら、定石は壁がある。もしそれなら壊してしまえばいいけど、ここにはそれがない」
「その代わりに広い海があるよ」
「でも船で外には出られないんでしょ?」
「ある程度までなら。向こうに薄っすら見える島には辿り着くことは出来ない」
「その不自由さというか、曖昧すぎるところが気に入らない」
時谷は残っていたコロッケを口いっぱいに頬張る。大きな欠片もあったから、口をモゴモゴさせている様子は、可愛らしい小動物を想像させた。
頑張って飲み込んだ後、時谷は頬杖をついて言った。
「ネットで自由に買い物は出来る、街並みは綺麗、学生寮の生活はちゃんと保障されている。おまけにコロッケはおいしい」
「いいことだね」
「でもこれは誘拐だよ」
「それはこちらの捉え方次第だよ」
「それでもたくさんのものを、踏みにじられていることに変わりはない」
確かに納得できる。星界での生活は一種の実験施設のように感じられる。頑丈な、逃げ場のないケースが星界。実験台となるモルモットが僕らだとすれば、僕らは唐突に与えられたケースの中で自由に行動している。でも思い返せば、囚われていることに変わりなどない。
「捕まっているのなら、捕まえた相手と戦えばいい。それで勝って、ここから出して欲しいと頼めばいい。でもどこかの事件みたいに、犯人がどういう意図で私たちを集めたのか、犯人は一体誰を指しているのかが全くわかりやしない。せめて監視する人がいるならまだわかる。何が正義で、何が悪かわからない。なら私たちは何と戦えばいいの?」
「戦う?私たち??」
僕は無意識に微笑を零した。そんな考え、誰も、もう思いつきやしない。
「何かおかしなこと言った?」
「戦うのは私たちじゃない、それは君だ」
「優樹はここに不満がないとでも言うの?」
ないわけがない。
確かに時谷の言う通り、僕らは踏みにじられ続けている。なのに誰にそうされているのかがわからない。そのようなものに敵意を持つのは理解できるが、あまりに敵が漠然とし過ぎている。だがそれはここに来る前からずっと感じていたことだ。
小学校、中学校、高校の入学後だって。ずっとそれは僕らに付きまとっていた。
誰だって不満があるのは当然で、敵が誰かわからないのも当然だ。
別にこの世界が特別すぎるわけじゃない。
ただここは狭いから、些細なことがすぐ目についてしまうだけだ。
だが僕は時谷と議論なんてしたくなかった。するつもりがなかった。誰とだって議論したくなんかない。
だからこそ僕は微笑み続ける。
「元の世界に戻りたいなら、手助けするよ」
時谷はまだ不機嫌だった。
「違うよ。出る時はみんなで一緒に出るんだよ」
その言葉に、その場にいた全員が目を合わせた。
すると上田が呟いた。
「お前らの関係は、やっぱりよくわからないな」
僕だってそうだ。もし友達じゃない答えがあるとするなら、是非教えてもらいたいくらいだ。それでもやっぱり、僕らには曖昧で具体的な関係が似合う。
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