君と僕
「やあ、東雲」
不死身の狐は銀色の手すりに腰をかけながら呟く。今日は紙パックのマンゴージュースを手に持っていた。潰れ具合を見ると、結構な時間ここにいたようだった。肌寒い冬だろうが彼は上着、コートなどを着ている姿を見かけた試しはなかった。僕は狐だからコートなんてなくても自慢の毛で寒さなんて平気なんだ、といかにも狐らしい言い分を並べる。
そんな彼を見てどこか安心感を抱き、思わず微笑を零す。どうやらいつのまにかここの日常に慣れてしまったようだ。
「転校生がやってきたみたいだね」
「うん、よく知ってるね」
「上から仲良く登ってくるのが見えたから」
「まあ、儀式の一貫みたいなものさ」
「ふうん。今日初めて会ったように見えなかったけど、顔見知りかい?」
「そうだね」
「ここで顔見知りと会うことは極めて稀だから、大切にしなよ」
「神様というやつも、まさか住人の知り合いが来るだなんて想定してなかっただろうね。もし想定済みだったとしたら、他に儀式があっても可笑しくはない。いつものように物事が進んでいるというのが、その証拠さ」
不死身の狐はどこか理解に苦しんでいる様子で首を傾げる。
彼はたまにこういうことがある。いつも複雑な話しかしないくせに、ちょっと複雑な話をするとすぐに首を傾げる。
それが本当に理解に苦しんでいるからなのかは、僕にもわからない。気持ちは読むことが出来ない。言葉なら推測から読むことができるけど、形のないあやふやなものは、どうしても上手く解釈することが出来ない。
するとしばらく黙っていた狐がニヤつきながら口を開いた。
「今日は随分機嫌がいいね」
「そう?」
「そうだよ」
そんなはずはない。僕はそんなこと望んでいない。彼女にだけは会いたくなかった。他の誰かと再会するのなら笑って過ごす事が出来るが、彼女はそうはいかない。
だが僕は頷く。いつものように平然を装った。
「じゃあ、そうかもしれないね。古き友人に再会出来ることは良いことだ」
不死身の狐はマンゴージュースについたストローに口をつけた。
「彼女、名前は?」
「時谷夕花」
「時谷さんは、一体どういう特徴をしているんだろう」
特徴。それは非常にオブラートに包まれた言葉だ。ストレートに表現するなら、欠点というような言葉になるだろう。
この世界にいる人は、誰だって欠点を抱えていて、それを見えないところで補う何かしらを備えている。
例えば、物を通してもその先のものが見れる先生。
例えば、虚言癖を持っている友人。
ここはパンドラの箱の中なのだ。最後に希望が残っているか今の僕ではわからないけれど、これが僕の持つ唯一の確証だ。
「彼女はとても真っ直ぐだよ」
「真っ直ぐ?」
「何かわからないことがあると、一方向に伸びていく。驚くほど真っ直ぐにね」
「よくわからないな」
狐は首を傾げる。
「簡単に表現するのなら、彼女は真面目だ」
「ああ」
狐はまたストローに口をつけた。
「なるほどね。それならこちらに来てもおかしくないね」
彼は僕の表現方法を正しく理解してくれたようだった。
裏表のない、真っ直ぐに伸びる理想主義者は妥協を知らない。いつの世代でも嫌われるものだ。時谷夕花の言葉はいつだって正しくて、質問だって真っ直ぐで、そのような性格をしているからこそ、彼女の周りに味方をしてくれる人はいなくて、いつだって中で浮いている存在だった。
紙パックを徐々に縮める。音も大きくなり始めていた。話をしっかり聞いているようで、イマイチな話題だったらしかった。
「果たして彼女はここで、上手くやっていけるかな?」
「どうだろう。なかなか難しいと思うよ」
僕がそう言うと、不死身の狐は完全に紙パックを握りつぶした。
「一度彼女と話をしてみたいな」
「紹介しようか?」
「いや、俺は相手が一人じゃないと上手く話せないんだ」
「どうして?」
「複数の人と話していると、自分が誰だかわからなくなってしまうんだ」
思わず笑ってしまう。まさかこんな言葉を聞くとは思ってもいなかった。
不死身の狐は、決して不死身の狐じゃない。
初めて出会った時に、彼は僕に「世界のどこかに存在していたら面白いのに、と考える生き物はなんだい」と尋ねた。僕は本心のままの生き物を答えた。
彼が不死身の狐なのは、僕と一緒にいる時だけだ。ある人の前では空を翔るペンギン。ある人の前では人語を話す犬になる。相手に合わせて彼の名前は毎度変化する。
時谷夕花が彼に同じ質問を受けて何と返事するのか、正直興味がある。
いつかは彼女と話をさせてあげたいと、本心から想う。
彼は偽りのない綺麗な瞳を、ちらりとこちらに見せる。
「ところで東雲。君の欠点は何なのかな?」
僕は思わず肩を竦める。
「さあ?たくさんありすぎて、よくわからないな」
自分の欠点など、わざわざ話題に出してはいけない。
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