山頂

「それはそうとして、まずある人に会いに行こうか」

「何で会わないといけないの?」

「今の君の混乱を抑えるためだよ」

「混乱を抑える?その人は魔法使いか何かなの?」

 相変わらず彼女の唐突な発想は面白い。普通の人なら話すことを拒むような、時谷には悪いが幼稚染みた発想を、彼女は恥じらいもなくさらけ出せる。それは一種の力であり、彼女の長所だ。

「そういうわけではないんだけど。ここに初めて来た学生、特に君のような子がやってくると、その人が面倒を見る規則になっているらしいんだ。僕もここに来た時にはよく話したものだよ。何だかんだ面倒見は良いから、信頼して大丈夫だよ。とりあえず前に見えている山道を登ろうか。その先に目的地があるから」

 納得した目で深く頷き、長く多少急な山道を歩き始める。斜面が厳しくさほど長くなければよかったのだが、この道は真逆なので僕も毎日登るのには苦労する。

 そこら中に生えている杉はまるで原生林のように高くそびえ、日の光を遮り薄暗い影で万物を覆っていた。まだお昼時とはいえ海辺付近なので風は冷たく、その湿気は肌に優しく吹いていた。

「東雲くん…だっけ?」

「優樹でいいよ。どうしたの?」

 しばらく山なりに進み、会話をあまり交わさず進んできたので、山中の沈黙に耐えることが出来なかったのだろう。まだ確かに名前を憶えていないことに申し訳なさを覚えながら僕を呼ぶ声は、可愛らしいか弱い声だった。その声色に恐怖を感じ思わずお道化て答えた。

 彼女は額の汗をハンカチで拭いながら言葉を繋ぐ。

「今は九月中旬なのに、どうしてこんなに暑いの?海辺に立っていた時も、海風を寒く思えなかった。そろそろ暑さも抜け始めていいはずなのに。ここは温暖化が進み過ぎているの?」

 その質問をするのは無理がなかった。

「今日は七月一日だよ」

「どういうこと?」

「ここの時間軸はあそことはかけ離れているんだ。ここで春が訪れれば向こうでは冬が訪れる。季節が真逆に巡っているんだ。クリスマスは春のあとに、夏休みは秋が終わってからやってくるんだよ」

「大社に仕える神様は、変わった趣味をしているのね」

 確かに、と微笑み返す。

 一応この世界の構造自体は把握してくれていたようだ。探求心が時に過ぎるだけで、周りに比べれば聞き分けは良い。なかなか複雑な内容が入り混じっても、ちゃんと分別が出来る。それもあってか学校の教師からは優秀だと話をされていたと聞いたことがある。

 そうして道なりに足を進め、世界中が杉林で埋め尽くされてしまったのではないかという気分になりそうな時谷を見つめながら歩いていると、ようやく林が終わり僕らは開放的な盆地のような場所へ出てきた。

 ここまでくると景観の邪魔をするものはなく、綺麗な夕焼けを眺めることが出来る。個人的には心の安らぐ場所の一つだ。住人からは神様が与えてくれたパワースポットだと言われている。やはり何かに縋らないと人は不安になるようだ。幼い子供が家の部屋の中に一人置いて行かれて、親がどこにも見当たらない時に不安になってしまい、大声で泣き叫ぶように。そういった癖は成人になった人でも残っている一面が必ずどこかにある。親族が亡くなり一人になった時に、悲しい気持ちを持つと同時に不安に煽られるのと同じである。突然自分を支えてきてくれたものを失うという恐怖は、実際に想像出来ないほどの恐怖だ。

「さあ、着いたよ」

 そう言いながら僕はポツンと建てられた学校を指差した。

 何もない盆地に大きな校舎が二つ、左右対称になるように建てられている。左が中等部、右が高等部の校舎だ。

「今から向かうのは二号館一階にある職員室だよ。一応本館は中等部の入る一号館なんだけど、職員室は二号館に作られたらしいんだ」

「わざわざ移動が面倒くさそうだね」

「まあ、実際のところ高等部に生徒はいないから、使われているのは一号館だけなんだ」

「誰もいないってこと?じゃあ二号館は何に使われてるの?」

「主に移動教室だよ。音楽室や美術室などの教室は全て二号館に設置されているんだ。でもあまり移動授業はないしこの学校に部活動はないから、使われているのは職員室だけかな」

 まだ彼女は不死身の狐と出会ってないし、身の危険を考えてあえて屋上には二号館からしか入れないということを教えなかった。

「なら一号館に職員室を移して、二号館を壊してもいいんじゃないの?」

「その話は昔でたんだけど、先生が今の職員室を気に入っているらしくて、潰さないでくれって意地を張って聞かないんだ」

「なるほどね」

 納得した表情で頷くと、ゆっくりと右に見える二号館へと向かった。


 今日は休校日なので一号館は空いていない。もちろん、休みの日にまで険しい山道を登り学校にやってくる物好きはいない。下足で来客用のスリッパに履き替え、リノリウムの廊下を進む。

 歩く度にぺタン、ペタンと足音が誇張された。時谷の足には大きかったようで、少々歩きづらそうにしていた。

 職員室に着くと着崩しがないか確認して、ドアをノックする。

「中等部一年、東雲です」

 中から入りなさいとの声が聞こえ、少し戸惑っている時谷を静かな職員室の中へとつれて入った。

 するとデスクの椅子に姿勢よく座っている先生の姿が見えたので、そこまで足を運んだ。

「僕らのクラスの担任、カナメ先生だよ」

 もちろん本名ではない。

 顔を完全に包んでいる三角印が描かれた、白い伸縮する布。呼吸しづらくないのか多少気になるところだ。やはり学校の職員室にこのような人がいると、その存在感は尋常じゃない。

「いつもあの布をしているの?」

「毎日欠かさずにね。素顔を見たことのある人は、誰一人いないよ」

 カナメ先生はゆったりと立ち上がり、時谷の方へ歩み寄ってきた。

 目の前で立ち尽くし、彼女の目を布越しではあるが真っ直ぐ見つめる。時谷もどこか不思議そうに先生を睨んでいた。

「先生は、どうしてそんなものを身に着けているんですか?」

 いつだって彼女はストレートに物事を話す。カナメ先生は思わず笑い声を零す。

「その話はまた別の機会に」

 そう言うと自分のデスクに戻り、広げられていた資料をまとめる。一体何の資料なのか、彼女は少し興味を向けていた。

 そしてもう一度彼女を真っ直ぐ見つめる。

「時谷夕花さんですね?」

 突然呟かれた声に彼女は驚きを隠せないでいた。

「学力は常にトップクラス。あなたの何でも解決したがる性格のおかげですね。だがスポーツはあまり得意ではない、更にはあまり人と関わってこなかったために、友達を多くは持っていない。そのストレートな物言いが原因かと思われますね」

「…どうして私を知っているのですか?」

 その表情は勃然としていた。

「これですよ」

「何ですかそれ」

「履歴書ですよ」

「何でそんなものが…」

「何故と言われましても、郵送で届けられました。転入手続きにはかかせないものなので」

「履歴書を書くのも学校を選ぶのは私自身です。転校するような覚えはありません」

 時谷は淡々と答える。

 こんな端的に無茶苦茶な状況でも、彼女は感情的ではない。だからこそ理性的で無感情な人だと周りに誤解されてしまう。だがそれは誤りだと僕は知っている。単にスイッチの入るポイントが特殊なだけだ。

「確かにわかりますよ」

 カナメ先生は納得したように頷く。

「受験で良い高校に入るために必死になったでしょう。入学を果たし、ようやく落ち着いてきた時期にこんなことになってしまった。不満に思ってもおかしくはないでしょう」

「そういう問題じゃないです」

「ではどのような問題でしょうか」

「ただ納得出来ないんです。どうしてここに来たのか、理解出来ないんです」

 ふむ、と顎に手を当てる。だが奇妙な巻き物のせいで、その様子はどこか悪巧みしているようにもとれる。

 すると中で微笑を浮かべ、こう言った。

「残念ながら、それはこれから見つけるものです」

「それとは何ですか」

「納得ですよ。あなたがこれから星界で暮らしていく中で、納得を見つけるのです」

「この世界で暮らすなんて決意した覚えはありません。元いた世界に帰るので帰り道を教えてください」

「帰り道なんてないよ」

 その言葉は冷たく、小さな箱には十分過ぎるほどに鳴り響いた。

 僕は先生を見つめ、ただ彼女と話しているのを聞くことしか出来なかった。黙りこみ、状況を見届ける。

「何故ないのですか」

 時谷の表情は次第に険しくなっていく。

「元々存在しない、というのが適切でしょうか。一つ可能性を提示するなら神様に聞いてみることです」

「神様?この世界を創り出した神様のことですか?」

「おや、その話は東雲くんから既に聞いているらしいですね」

 僕は先生の顔色を窺うように頭を縦に振る。

「この学校とは真逆に進んでいくと、更に奥へと続いていると思われる道があります。その先に行くと、そこには神様がいらっしゃるという話です。もし会うことが叶えば帰る方法を教えてもらえるかもしれないです」

 時谷は戸惑ったように顔をしかめる。

「上手く理解出来ません

「全くです。ここに来てから長いですが、正直神様など存在していないと考えています」

「ならーーー」

「それでも仕方ないのです。不思議な力で生まれた支配者に従い、知らない間に作られたルールに従いながら生きるのです。あなたにはその覚悟がありますか?」

 すると時谷は今までに見たこともないような真っ直ぐな瞳で先生を見ていた。

 小さく息を吸い込むと、胸を撫で下ろした。

「もちろんです」

 相変わらず彼女らしい回答だ。自力で解くことの出来なかった問題は、何が何でも見逃さない。それは一種の執念にも思えた。

 その後、先生が彼女と二人で話したいと言い、行き場を失った僕は二号館へと足を進めた。静まり返った廊下を特有の音を発しながら進んでいく。

 二階には理系の実験教室がズラリと並んでいる。学校の七不思議では定番中の定番だが、僕はこれといってそういう類のものを信じたことはなかった。だから奇妙な世界にも存在していた定番スポットに恐怖もない。

 三階には文系の講義室、四階には音楽室やバンド練習に使用しているような部屋がいくつもある。だが実際にブラスバンドなどの部活も存在していないから、誰も使っていないのだろう。

 そうして行き止まりに存在する大きな鉄の扉を、ゆっくりと開けた。眩しい夕日の光と冷えた風が強く肌を刺激した。

 服を少し擦るように屋上へと歩み出ると、やはりそこには一匹の狐がいた。

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