消えた足跡

 その日は丁度七月初日だった。正直四季が逆さまのこの世界に夏至が存在するとは思っていなく、以前の感覚に慣れたせいか、妙に涼しい夏至を迎えていることに違和感を感じる。

 だが暑いことに変わりはなく、しばらくの間順応することに悩ませていた脳をリフレッシュさせようと、僕は海岸沿いを歩いていた。綺麗に透き通った海の中に蟹などの生き物はおろか、魚一匹も見えやしない。

 今までこのエリアには来たことがなかったため、変な蟠りを覚える。もちろんのことだが、この世界に漁師は存在していない。更には船も見当たらず、ポツンと造られた船着き場だけが残されている。

 日差しが一人の僕を嘲るように見つめ、その視線に耐えながら道なりに進んでいく。妙に熱くなった砂が足元に襲い掛かる。

 一度この辺で休もうか、と更に海に寄りかかると冷たい水が僕の元へ寄ってきた。とても綺麗なさざ波だ。水の音は僕の心を刺激する。何故かこのような神秘的に思えるものに惹かれるようだ。それは時に夜を見守る大きな照明であったり、世界の変わり目を知らせるような動き。昔からこのようなものに興味を持っていた。

 懐かしい、と湿った砂を手に取ると、間から先程の液体がスルリと抜けてゆく。儚いものだ。いつかは元気で輝いていたものですら、必要な何かがなくなった途端に枯れ、記憶さながら消えてしまう。

 そんなことに思い耽っていると、ふいに少女の声が聞こえきた。

「あなたは誰?」

 その聞き覚えのある声に思わず感嘆の声を漏らした。

 黒く真っすぐ、肩より少し伸びた髪。見慣れた学校の制服であったセーラー服。きめ細やかな肌が明るい陽射しに照らされ、その髪は海風に吹かれ鮮やかに舞っている。

「僕は東雲しののめ優樹まさき。君は?」

 固まりかけの表情になるまい、と笑顔を維持する。少女は両手を軽く握りしめ、僕の方を向く。

時谷夕花ときたにゆうかよ」

 そう言うとふいに海を見つめた。

「綺麗ね」

 僕は疑惑の念を押し殺して、話を紡ぐ。

「そうだね。ここの海はとても綺麗だ。僕は来たばかりだからこの海を知らなかったんだよ」

「引っ越して来たの?」

「まあ、そんなところかな」

 つまらない、とでも言いたげな表情で時谷は辺りを見渡した。すると不思議そうな表情を僕に見せ、周りの景色に圧巻されていく。

「ここ、私の知ってる街じゃない。もっと明るくて、こんな質素な雰囲気じゃないはず」

 どうやらここが別空間で、違う場所であることに薄々察しがついてきたようだ。そして不審な眼差しを僕に向け睨みつけてくる。

「ここはどこなの?まさか誘拐してきたとか…」

 冗談じゃない。僕は思わず立ち上がった。

「物騒なことを言うなよ。僕はただ散歩していただけで、そこに君が現れただけだ」

 そう言うと僕は景色一帯を見渡し、言葉を続ける。

「少し信じられないと思うけど、僕の知っていることを全て話すね。それがここの掟なんだ。だから今だけでもいいから信用して聞いて欲しい」

「わかった」

 時谷は小さく頷くと僕をじっと見つめていた。

「ここは星界と呼ばれる世界。大社にお仕えしている神様が創った世界なんだ。目的は何なのかはまだはっきりわかっていない。ここの世界の住人はみんなある日を境に連れて来られた。僕もその一人なんだ。そしてその際、住人は例外なく何かしらの記憶を失ってやってくる」

「話がややこしいね」

 同感の意しかない。僕だってこの話を聞いた時に飲み込むのにどれほど時間を費やしたものか。

「その失くした記憶は取り戻したの?」

「奇妙なことに、まだそれを取り戻した住人は誰もいないんだ。それを取り戻そうと思う人はいないそうなんだ」

 少女は疑惑を思い浮かべる。

「自分の記憶なのに取り戻そうと思わない。普通なら誰もが思い出したがるものなのに」

「二択かな。一つ君に質問しよう。何か物を失くしたとしよう。家の鍵でも、思い入れのある写真でも構わない。それらが何か思い出せない状況なら君はどうする?」

 時谷は簡単だよ。と呟き答えを返す。

「何か失くしていることに気づいてるなら、それが何かがわかるまで探し続ける」

 彼女らしい答えだ。正直聞く前から返答は見えていたが、期待通りで少し落ち着いた。

「じゃあ、失くしたということすら気づいていないなら、君はそれを探そうと思うかい?」

 少し視線を下げ、考え込む。

「私は失くして困るようなものは失くさない」

 その目に偽りはなかった。時谷夕花とはそういう人間だ。いつだってしっかりしていて、時には常識外れなことをしでかすこともあるが、後悔している姿を見たことがない。それは自分の中で筋が通ったことをやり切っていたからなのかもしれない。そんな彼女を僕は羨ましいと思っていた。

「そうか。これはあくまでも僕の考えなんだけど、失くしていると気づいていないものは、探しようがないと思うんだ。ここの住人はみんな失くしていることに気が付いていない。探しようがないから探さないんだよ」

「じゃあ、東雲は失くしたものを探そうと思わないの?」

 僕はちょっとの間言葉を詰まらせ、間違えないように丁寧に返事をする。

「思わない、と言えば噓になるかな。今はそんな気分じゃないから探さないだけ」

 改めて時谷に視線を流す。

「今の君は自分の失くしたものに気づけていないはずなんだけど、その何かを探そうと思うかい?」

 彼女は大きく首を縦に振る。予想通りの反応だ。

「私は自分のことも知りたいし、東雲の失くしたものも知りたい」

「好奇心かい?」

 少し遊ぶようにお道化て笑う。

「そうだね。そういうことになるかな」

 じゃあ。と僕は少し声色を落とし、冷静に言葉を吐き出す。

「僕の失くしたものを知って、君に何のメリットがあるの?」

 少女はどこか気に食わない顔を見せる。だが僕には興味津々な表情に見えた。きっと今までにもそれを見たことがあるからなのだろう。

 少しして彼女は答えを出した。

「ないよ。メリットなんて何もない。だからこそ知りたいの」

 想定していた範疇を通り越した返事に思わず笑ってしまった。

「おかしなことを言うね」

「あなたに言われたくはない」

 そう言うと彼女は街の方へと足を進め、数歩のところでまた僕に振り返った。

「案内してよ。きっと私にはわからないものばかりだから」

 わかったよ、と一言呟き彼女の元へ向かう。その途中であの時の会話を思い出す。

「・・・受け入りかよ」

 海を眺め、また日が落ちる頃に来ようとだけ思いを残し、街へと姿を消した。


 時谷夕花と知り合ったのは中学二年の夏。いや、厳密に言えば小学校から名前は知っていた。ただただ静かで、今でも想像しづらいほどの無口だった。僕が彼女の存在をより明瞭に捉えたのが丁度その頃だった。

 簡素にまとめると、彼女はクラスメイトからいじめられていた。朝教室に入ると罵言が机の上にびっしりと並んでいたり、靴箱に入れていた靴がなかったり、時には始業のベルが鳴り数分後に教室に来たかと思えば全身が水浸しになっていたことだってあった。

 もちろんこのことは学校中に広まり、校長自ら集会を開いたことだってある。挙句の果ては地域や学校問題としてテレビで全国放送されていた。

 正直僕は助けようとはしなかった。自分が標的となってしまうのではないか。今思うとそんな馬鹿な理由ではあったが、当時の僕にとってはとても重要なことだった。

 度々、時谷の両親が学校に呼び出され、涙を流していたのを見たことがある。その時だっただろうか。僕は時谷夕花という人間をおぞましく感じた。

 彼女の目は腫れることを知らず、ただただ先生を顔色ひとつ変えず見つめていた。さも自分はいじめられていないかのよう、いじられていたということすら気づいていないかのような表情。

 その様子はまるでロボットだった。感情が無く、意思すらなく、ただその場に立ち尽くしているようだったのだ。

 そんなある日、僕は帰り道でその背中を見つけた。少し心配していたので感情の赴くままに、彼女を肩を叩いていた。

「一緒に帰らない?」

 始めは抵抗していたものの、数日で当たり前のように一緒に帰る中になっていた。毎日他愛もない話をしてそれがどこか嬉しくて、僕は恐怖を覚えた。

 それは決して彼女に恐怖心を抱いたからではなく、単純に自身に危機を感じたからだった。読み通り次は僕が標的になった。

 もちろんのごとくクラスメイトに睨まれ、水をかけられたり物を失くされたりなどは当たり前となり、ついには暴力や刃を突き付けられ、鮮血がまるで生きているかのように地面を這いずり回ることさえも日常となっていった。

 その代わり彼女がいじめられるようなことは一切なくなり、集中砲火を受けているような状態だった。周りの大人や、気の許せる友達にさえ相談することはなく、半ば諦めていた。この頃からこの人格が形成されたと言っても過言ではないだろう。

 そうして日々が過ぎるにつれてエスカレートし、僕は一人で帰り道を歩いていた。着ていた制服、カバン、教科書から全てに重りが付いたように重かった。更に天気も悪く、持ってきてたはずの傘などありはしない。天からの理不尽ないじめを受けながらも、ただ下だけを向き歩き続けた。

 すると降り注いでた鋭い無数の針を防ぐ何かが僕を庇った。。

「何でずぶ濡れなの?傘は?」

 聞き覚えのある偽善ぶったような声に反応を示さなかった。解れたテディベアのように、今にも崩れ落ちそうな状態だった。 

 偽善ぶった彼女は続けた。

「何で、東雲くんがいじめられているの?」

 その質問に怒りを覚えた。だがそれは説明するまでもなく、どうしようもなく愚かで醜い。仮にぶつけたところで現状は変わらない。

 だが彼女は空気を読むようなことはなく、同じ言葉を同じ要領で、何度も。少し速足になっても、誰も知らない路地裏の道に入り込んでも、諦めることはなく、無数の針から庇い続け、何度も何度でも繰り返す。

「ねえ、東雲く・・・」

「うるさい!!!!」

 もう飽き飽きだ。

 僕は衝動的に彼女を押し飛ばし、そのまま体勢を崩してその場に倒れ込んだ。また僕は針に全身を刺され、冷たい何かを煽られた。

「お前のせいだろ!!!!」

 そうとだけ言い残し僕は彼女を放置して逃げ出した。その後どうなったかはもう覚えていない。僕が彼女と話したのはこれが最後だった。  

 

 

 

 

 

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