見えない世界に咲きし一輪の花
霧島 菜月
プロローグ
二度といけない場所がある。
歩きなれた通学路、行きつけのコンビニ、物静かな書店、綺麗な夕焼けの見える隠れスポット。
僕らはその全てを諦めるしかなかった。先に進むようなことはなく、記憶の中で停滞している。どこか淋しく感じる。もしかすると、これを望んでいたのかもしれない。何事にも怯えることはなく、安堵の日々を過ごせるのだから。
起きるとまたいつもの朝が来て、いつも通りに生きる。ゲームのボスを倒したあとに、当たり前のようにスタッフロールが流れ、終わるといつもの情景に包まれている。そんな平凡を望んでいた。
「君は僕と似たようなことを言うね」
横で金網にもたれかかった気だるげな狐が口を開く。
「どこが?」
僕はすかさず返事をする。
不死身の狐は少し苦しそうに答える。
「割と僕も同じようなことを考えるんだ。祝日が終わったあとに平日って必ず来るでしょ?だからこのまま祝日が続けばいいのにな、とか」
「わからなくはない。けど次の日が平日なのに祝日が続くとなると、それは非日常だと思うけど」
「僕にとって平日があること自体が非日常。狐はのんびりとした祝日のような過ごし方を望むものなのさ」
「祝日が日常か。確かに考え方としては一理あるね」
彼はマネキンのような少年だ。スッキリとした体型、片目に前髪のかかった髪型、黒いズボンに白いカッターシャツ、首には季節関係なく、使用感の出ている赤いマフラーを巻いている。
それでいていつも何を考えているのかわからない。だがいつもどこにいるのかは、大体の察しがつく。
学校の屋上、降りれないように張ってある金網のそばに座り、片手に紙パックのりんごジュースを持っている。りんごが好物かどうかは定かではない。何せ毎日のように種類が変わるのだから。ぶどうの日もあれば、みかんの日だってある。
「少し寒くなってきたな」
不死身の狐はストローから口を離して呟いた。山の頂上付近に建てられた学校の屋上で、金網の近くに座っているとなると、もはや風を遮るものなどありやしない。空はゆっくりと身体を橙色に染め上げていく。
「そうかな、最近寒さが抜けてきて、暖かくなってきてると思うよ。でも確かにこの時間はまだ肌寒い」
彼は勢いよくジュースを飲み干すと、一握りに潰し床に叩きつけた。
「これからまた夏が来るのか」
彼は何度か夏を体験したことがあるらしいが、僕はまだ夏を一度も体験したことがない。
「僕は冬と秋しか知らないから、少し興味深いものがあるな」
この世界には当たり前の四季が流れることはない。この世界に来てから数か月過ごして気づいた。一応季節は存在するようだが、逆に巡っている。冬が終わると秋になり、秋が終わると夏になる。どの時間軸に作られた世界なのかは、まだ誰も解けていないという。
「君は人生を何だと思う?」
不死身の狐は唐突に疑問を僕に投じる。
「難しいことを言うね」
そう言うと、面白がるように笑った。
「確かに難しいかもしれないね。少し内容を変えようか。今言ったことはいつか誰もが考えなくてはいけないことだと思うんだ。どうしてだと思う?」
もちろんだが、彼は狐などではない。不死身と呼ばれているが、何度も同じ姿に転生できるわけがない。だが僕と初めて出会った時に『僕は不死身の狐だ』と言った。それならもうそれでいい、と僕は思う。
少しずつ沈んでいる夕陽を眺めため息をつき、それを見て狐は首をかしげる。
「価値を見つけるため、とか」
どこか呆れたような声で狐は返事する。
「もう少し嚙み砕いていいと思うよ」
「そうだな、死を受け入れるためかな」
「やはり僕と君では考え方が違うようだ」
「そうだね。毎回言うけど、同じ考えの人間が安く転がっていたら怖いよ」
そりゃそうか、と狐は首に巻いた織物を優雅に揺らしながら笑う。髪もそれにつられるように、小さく踊っていた。
「何故なのか教えようか?」
狐は落ち着きを取り戻すと、転がった紙パックを拾い上げると、もう片方の手で金網をこれでもかと握りしめていた。それほどに力んでいたかはわからないが、少なくとも僕にはそう見えた。
「言わないでくれ。ここで言われちゃどこか腑に落ちない」
「わかったよ」
そう言うと金網から手を放し、狐は出口のドアへと向かっていった。僕はその背中を見る度に、いつも違和感を覚える。じっと見つめていると、何か思い出したかのようにこちらを振り返った。
「さっき君は僕らのことを人間だと言っていたね」
そのイタヅラを考えたかのような目つきは、狐そのものだった。そして言葉を紡いだ。
「ここに君が来てから数か月、何か気づかなかったのかい?」
「残念ながら慣れることに急かされて、そんな時間はなかったよ」
つまらないとでも言いたげな顔で、僕を見つめる。
「なら君の回答が出るまで、のうのうと待っているとしよう」
そう言って狐は屋上から姿を消した。
この肌寒い中、僕を呼び出しておいてこの様だ。まあ、慣れと言ってしまえば慣れてしまったのだろう。
そんなことを思っている間にも日は沈んで、いつの間にか辺りは真っ暗でポツリと構える街灯だけが、この世界を照らしていた。
「やっぱり、あそことは違う」
街灯がなくなっている先には闇しかなく、更に一か所には薄い靄がかかっている。そこには闇などない。どこに繋がっているのかなど、まだこの時の僕らは気づいていなかった。
山を下ると街があり、その中でしか僕らは活動することができない。普通に見れば狭いと考えられるのだろう。だが僕はそう思うことがなかった。むしろここの世界は広すぎる。そう思わせてしまう程に、歪みきっていた。
少し髪を揺らすような風に煽られると、僕は学校を出て、また長く続く坂道を下った。徐々にまばらに配置された街灯に迎えられ、また逃げ場のない街へ戻っていく。
ここは星界と呼ばれる、もう一つの世界。目的は何かは知らないが、大社という場所に仕える神様と呼ばれる者が、命令でこの世界を創り出したらしい。
だがこちら側の住人はそう多くない。まったくすれ違うことすらない。みんな何かしらの理由で連れて来られたらしいが、検討はついていない。僕はこちら側に連れて来られてからまだ半年も過ぎていない。これから迎える夏で、丁度半年を迎える。
これだけで済んだのならいいが、奇妙なことなど山ほどある。
まずこの世界に来た住人は、一つの事において周りよりずば抜けたものを持っていること。特技という問題ではないようだ、と僕より前から住んでいる住人に聞かされたことがある。
そして、神様と呼ばれている者も街で暮らしているらしいが、表立って神様と会うことは出来ないこと。出来ないというよりは、会ったことがないと捉えるべきだろう、と僕は思う。
さらに連れて来られる前の自分に関する記憶が、決まっていくつか消えていること。これは今までに異例がなく、全ての自分を持ったままこの世界に来た住人はまず誰一人としていなかったらしい。
だがこの話をまともに受け止めることなど、誰もしていない。もしこの話が本当に真実ならば、それは受け入れるしかないのだろう。
もう本当のことなど、大社しか知らないのかもしれない。その神様というのも、大社に遊ばれているだけなのかもしれない。しかし僕は一つだけ絶対的な確信のある仮説を持っている。だからといって、それを言いふらそうなどと考えたことはない。きっと話したところで、それに興味を持つ者などいないだろう。
時谷夕花。
彼女と再会するまでは、狐の考えを飲み込もうとすることなどなかった。ただ無難に毎日を過ごせればいいと思っていた。
そして僕のもう一つの日常が、その日を境に終わりを告げ、始まりを告げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます