第8話 ★名を捨てた男(後編)

 棍棒を振り上げていたゴブリンがびくっと驚いて振り向く。

 

「うおぁぁあああ!」

 

 怖くないわけではない。ただノエルを失うことの方がもっと怖いだけ。

 威嚇というよりも、やぶれかぶれに叫びながらゴブリンに突進する。

 

――グボッ。生まれて初めて全力で殴った拳は、鈍い音をたてながらゴブリンの眼窩に刺さった。


『ギエエッ!』


 ゴブリンが絶叫し棍棒を振り回す。


――ゴッ。棍棒を受けた左腕から鈍い音が響く。激痛が走る、おそらく折れた。しかし、


 ――痛くない!


 ゴブリンに体当たりし、倒したところに馬乗りになった。


「ぁあああっ!」


 右拳で殴る。殴る。無我夢中で殴る。

 気がつけばゴブリンの頭が潰れていた。


「はあっ、はあっ、はあっ」


 肩で息をしながら立ち上がる。


 ――勝った! あのゴブリンを素手で倒した。この身体、疾風のように速い!


 ゴブリンはミール大陸に広く分布する種族。好戦的で高い繁殖力を持ち、組織的な行動もできる。一個体ではヒューマンより弱いが、逆に言うと他種族から駆逐されないだけの力を持っている強い種族なのだ。


 その時、二つの影が場に躍り出た。


『グゲッ』

『ギッ!?』


 咆哮を聞きつけ、近くにいた二匹のゴブリンがやってきたのだ。

 ゴブリンたちは場の状況を見て小躍りするように怒る。


 男は仕留めたゴブリンの棍棒を持って立ち上がる。ノエルを後ろに、守るようにゴブリンと対峙する。


「何匹でもこい!!」


 飛びかかってくる先頭のゴブリンの頭に棍棒を叩きこむ。カウンター気味の会心の一撃。ゴブリンの頭が鈍い音をたてて陥没した。

 しかし、その隙をもう一匹が見逃さない。両手の棍棒を振り上げジャンプ攻撃。


 ――あ。


 避けられない。死ぬ。男がそう直感した時、


《マジックアロー》


『ゲブッ!?』


 ゴブリンに太い光の矢が命中し、空中で錐揉み回転しながら吹き飛んだ。

 すかさずノエルがゴブリンに向かって走り込む――


――バヂッ!


 スタンガンを食らったゴブリンが揉んどり打つ。


《マジックアロー》


 光の矢が胸に刺さる、さらにスタンガンを何度も浴びせる。


《マジックアロー》


 魔法の矢が頭部を貫いた。ゴブリンの目から光が消える。


「よしっ、ウィン!」

「へ?」


 ブイ、ブイとVサインを男に見せるノエル。

 男は目が点になる。


<夜、部屋にて>


 二人で酒を酌み交わす。

 夜になっていたが暗視特性を持つ二人には昼間のように見えていた。

 チューハイを片手に、頬を赤らめたノエルが言う。


「いやーお兄ちゃんも頑張ってくれたけど、私ってすごすぎ!」

「僕がいなかったら死んでたけどね」


 顔を赤らめた男が包帯を巻いた左腕をさすりながら言う。

 今日の主役は自分だ。こればっかりは譲れないという自負がある。


「いやゴブリンを素手で倒したのはすごかったけど、やっぱり私の立ち回りよ。ゴブ男、何もできず」


 ん、と二人が睨み合う。次の瞬間、


「「あはははははっ」」二人の間で爆笑が起こった。


「いやーほんとノエルが無事でよかったよ」

「ありがとうね。お兄ちゃんも格好よかったよ」

「あの魔法すごいね。どうやって覚えたの?」

「初めからよ、敏捷と魔力がMAXの特典。たぶんエルフ限定」

「ほ〜、ノエルも強いんだね」 


 男は、ノエルにしろ自分にしろまるで狙ったかのようなステータスを取得した転生に不思議に思ったが、あえて突っ込まなかった。おそらくそういうものなんだろう。



 夜。男は部屋の隅で上半身だけ裸になり、遠慮がちにタオルで身体を拭いていた。


「うわ、凄い身体」


 すらりとした体躯、均整のとれた筋肉に薄っすらと脂肪が乗った上半身。覗き見ながらノエルがお目々をパチクリさせた。


「ん、触る?」

「触らせるからお前のも触らせろとか言わない?」

「言わないよ」


 男が呆れ気味に言う。

 ノエルがのそのそとやってきて、つんつんと触り始めた。鎖骨すごーい、と感動している。ノエルの指が胸のところにきた、


「乳首ツン」

「ぶっ――」


 男が吹き出して笑った。


「え~~なにがおかしいのよ」

「……くく、いやなんかおかしくて、あははは」

「変なの~」


 一人ツボにハマる男を引き気味に見やる。

 落ち着きを取り戻した頃、


「さてそろそろ寝よっかな。私もこの部屋で寝るね」

「え!?」

「だって怖いもん大体、今他の部屋で一人で寝たら危ないでしょ」

「う、うん、まあそうだね」


 男は胸が高鳴った。

 男女が同じ部屋で寝る、つまりそういうことだろう。


 ――これは始まったな。


 あの城では恐ろしく思えた行為もこの子となら嬉しく思う。


「じゃ、お休みね」

「う、うん」


 ノエルはベットから少し離れたところに布団を敷いて、潜り込んだ。


 ――ん? 一緒のベットで寝ないのかな?


 男も自分のベッドに入る。

 しかし興奮で目がぎんぎんに冴えてしまって眠れない。


 ――あれ? 


 思ってたのと何か違うことに男は気がついた。

 言葉では言い表せない違和感。


 ――こっちからいくのかな。


 男からいく、誰かに聞いたことがある。


 ――よし。


 静寂に包まれた部屋、男は意を決し自分の布団をそっとのけた――


「ヒカル“お兄ちゃん”、私に指一本でも触れたら“ウォー”だからね」


 ――ワッツ!?


 背を向けて寝ているノエルが、何かを察知したかのように言った。


 今日、命懸けでノエルを助けた。二人の心が繋がった。お酒を酌み交わし、僕の部屋で寝るという。

 男の頭の中に?が浮かんでは沈む。


 ――なんだよそれ。


 男はふてくされて寝た。


<翌朝>


「……ぅ」


 かすかな寝息が聞こえて、男が目を開けると眼前ににノエルがいた。


 ――ノ、ノエル!?

 寝惚けてベットに潜り込んできたのか。


 ベットに広がる綺麗な黒髪、ふわふわして柔らかそうな唇に目が釘付けになる。

 ほのかに甘い吐息が顔にかかる。無意識に顔が接近する。


「……お母さん」


 唇が触れそうなところでピタリと止まる。

 ノエルの閉じた目から涙が溢れていた。


 ――そうか。


 男には母と子の絆はない。だからと言って分からないわけではない。

 彼女は無理をして元気を装っていたのかもしれないと考える。

 自分のことしか考えていなったようだ。


 男はノエルの涙を拭いながら誓った。


 ――この子は僕が守る。

 これからはスズキ・ヒカルとして生きてゆこう。

 もう二度と元の名前を思い返すことはないだろ

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