第7話 ★名を捨てた男(前編)

 窓から漏れる淡い光が優しく男の頬を照らしている。


「ぅ……ん……」


 その刺激でゆっくりと目蓋が開いた。夢うつつの中、しばらく見知らぬ天井を眺める。

 違和感。ベッドから飛び起きる。


「うわ!?」


 驚いて自分の体を触る。


 ――僕の身体じゃない!? それにここは!?


 部屋を見回す。

 異色、いや異質な部屋だった。

 全てが直線と曲線で構成されたような白を基調とした空間。

 急いでステータスを確認する。


【名前】スズキ・ヒカル

【称号】

【種族】ダークエルフ

【クラス】


【パッシブスキル】


【アクティブスキル】


【魔法】


レベル:1

HP:15

MP:5


力:18

体力:9

敏捷:30

魔力:14

精神:27

運:14



「……ありえない」


 自分の名はシャイン・インダーク。

 これは別人と変わってしまっている。


 ちょうど全身が写るくらいの大きな鏡が置いてあった。近づいてみる。


「これが、僕なのか?」

 

 光の加減で白くも見える、薄いクリーム色の髪に若干日焼けしたような肌の青年が立っている。目つきがやや悪く、可もなく不可もなくという顔立ち。

 手を振ったり口を開けると鏡の前の人物が同じ動きをする。それで自分だと確信した。


 目眩がして、ふらふらと後ずさりながら窓際に行く。

 外を見ると塔から見る景色のように高い場所。一面、緑の雲海――広大な森が広がっていた。


「はは、冗談だろ」


 乾いた笑いが漏れた。


 ――これは神の悪戯なのか。


 だとしたら天啓かもしれない。あの地獄のような場所から救い出してくれたのだから。



 まずは部屋を調べようとして分かった。大半が用途も材質も不明なことが、分かった。なんとなく調度品らしき物、食べる物と当たりを付けることができる程度だ。


 木製のベッド下部に引き出しを見つけた。引っ張り出してみる。やっと分かる物が出てきた。


「これは分かる」


 引き出しの中には女性の裸体が描かれた書物がぎっしりと詰まっていた。

 見たままを取り込んだような精巧なものから、人が描いたようなものまで色々あった。どれも紙は上質でこっちの世界のものとは違う、高度な技術を持った文明だというのが分かる。


 使い道はまず間違いなくあれだろう。しかしこれだけの女を妄想の中で犯しながらまだ足りないという意志をこの量から感じる。獣のような男だと思った。戦慄を禁じえない。


 パラパラめくっている間に、いつの間にか食い入るように見入っていた。下腹部に疼きを感じた時、


 突然扉の方からガチャガチャという金属音が聞こえた。

 心臓が跳ね上がる。慌てて本を戻し、引き出しを押し戻す。


 おろおろしていると、ガシャンという音がした。男は固唾を飲んで見守る。

 ゆっくりと扉が開くと、一人の黒髪の少女が立っていた。綺麗なスカート衣装、ウェーブがかったポニーテール、小顔で首が細く16才くらいの可憐な少女だ。

 

 ――名前が見えない。


「お兄ちゃん!? 皆いなくなっちゃったよ。私だけかと思ったよ」


 少女は悲壮な顔で、部屋に入ってきた。


「ていうかお兄ちゃんだよね?」


 ――まずい。


「ごめん、なんだか記憶が曖昧みたいで」

「ええっ!? 大丈夫なの?」


 転生の影響かな、と言いながら少女は慌てて男に近寄ずき、おでこに手を置いた。


 ――柔らかい。


 思わず赤面する男。


「熱はなさそうね。可愛い従妹のノエルも忘れた?」


 ノエルが潤んだ瞳で見る。


「ごめん」

「……今のはツッコむとこなんだけど。これは重症ね」


 ノエルは腕を組んだまま唸る。


「う~ん、お兄ちゃんに戦わせて楽しよう作戦は無理かあ」

「ごめん」


 男はなんだから分からないけどもう一度謝った。

 

「しかし結構変わったね。ダークエルフというより、なんかホストっぽい〜」


 屈託なく笑う。

 そしてぽんと手の平を打つ。


「まぁ考えてもしょうがない。まずはご飯にしましょ。腹が減っては戦は出来ぬよ」

「う、うん分かった」

「一緒に食料調達にいきましょ」


 ノエルはこれみよがしに胸を張って鍵を取り出した。


「じゃーん、管理人室に忍び込んで手に入れたマスターキーよ。家宅捜索よ、ついてきなさい明智くん!」

「ぉ、おーっ!」


 もうよく分からないけど合わせておくことにした。



「すごい砦だね」


 男から見てここは等間隔にいくつも同じ部屋があり、幾層にもなっている砦に思えた。


「うん? まぁ確かに砦にはなりそうね。当面はここを根城にして動きしましょ」

「う、うん」


 各部屋を探して手に入れた物品を部屋に集めてくる。

 テーブルの上に大量の食材が並んだ。


「取り急ぎはこんなもんね。腐りやすいものから食べていこうね」

「うん分かった」

「米なんてもう当分食べれないかもしれないから私はおにぎりから食べよっと」


 男が初めて見る珍妙な食べ物を手に取り不思議そうに見る。

 ノエルがコンビニおにぎりのビニールを剥がして頬張った。


 ――しまった!? 今どうやって取り出した?

 なんかこのへんをこう。


 男の額から汗が吹き出す。

 男がおにぎりの腹をぐいぐいと押す。


「何してんのヒカル――」


 挙動不審な男にノエルは勘づいた。


「まさか食べ方も忘れちゃったの!?」

「う」

「大丈夫なのほんと」

「大丈夫、頭ははっきりしているから」

「仕方ないな〜鮭でいい?」

「う、うん」


 ノエルが代わりにおにぎりを取り出して男に手渡した。それを男がおそるおそるかじる。


「美味しい!」

「うん、美味しいよね」



 二人で食事を楽しむ。

 男からみてノエルはフレンドリーで優しく、心を癒してくれるようだった。

 女性をこんなふうに思ったことは今まで一度もない。


「いやー506号室の人にはびっくりだね。インスタントラーメンとアニメ本しかないって」

「ははっ」


 それにすごく面白いのだ。今も家捜しした部屋の住人で笑わせてくる。分からないなりに笑ってしまう。

 これが女性だというのならあそこにいた連中はなんだったのだろう、男は考える。


「笑ってるけどお兄ちゃんも怪しいのもってるんじゃないの?」

「えっ、そんなことないよ」

「あれここ何か挟まってる? 怪しいな」


 ノエルがもたれ掛かっていたベッドの下部を見た。引き出しに手を伸ばす。

 男の顔色が変わった。

 

「あ、そこはだめ――」


 がっと引っ張り出された中からは例のものが出てきた。

 成人男性ならおかしくはないだろう。しかしこの量は破壊的だとノエルの引きつった顔が物語っている。


「ち、違う。僕は知らない」

「むっつりスケベは想像ついていたから無理しなくていいよ」

「……」


 言い返す言葉が見つからない。前の体の持ち主を恨んだ。

 その様子を見てノエルが話題を変えるように切り出した。


「てか私もエターナルファンタジアと同じ種族のエルフなんだけど、なぜだなんでだろう? 同じようなことが起こったのだけは直感的に分かったんだけどさ」

「さあ?」

「お兄ちゃん他は何も出来ないけどその辺の洞察力だけは、優れてたのに使えないなな~」

「む、だけはってなんだよ。僕ってそういう奴だったの?」

「そうねぇ、ゲームだけが取り柄の人だったわね」


 ノエルが遠い目をして答える。


 ――ゲーム?


「ふ~ん」

「特にエターナルファンタジア、その中でもPKありの何でもありサーバーでやっていて、そこの最高峰と目される廃人ギルドの中核メンバーだったよ」


 男は分からないなりにすごい戦士であると想像した。

 少し興味が湧いてきた。


「ほうほう、それで」

「そこの戦争で死んだことないらしい」

「死なないのは当たり前では?」

「ゲームよ。戦争やってたらどんな上手い人でもたまには死ぬし。最後の方はヒカル絶対殺すマンたちに追い掛け回されていたよ」

「はは、なにそれ」


 ここに来てから何回笑っただろうか。自分がこんな笑う性格だとは夢にも思わなかった。

 あとから思い返せばこの時にはすでに好きになっていたんだろうと思う。



「僥倖よ! これは使える」

「なにそれ」

「スタンガン。持ってる人がいてラッキー」


 ノエルが小さな箱を弄ると先端からバチバチッ、と火花が飛び散った。


「おお」


 男が驚きの声をあげる。


 ――小型のライトニング? すごいアーティファクトだ。

 やはりここの文明レベルは高い。


「まずは日が落ちる前に簡易のピアノ線トラップでも作ってこようかしら」

「あ、それなら僕も分かるよ!」


 線に引っ掛かると音が鳴るという単純な侵入者感知用のトラップを二人で仕掛けに外に出る。


<マンションの外>


 大自然の森の中に突き刺さったように建つ砦。


「うわあー3階まで埋まってる、シュールな光景ね。本当に私たち運が良かったね」

「うん」


 そう言いながらノエルが辺りをキョロキョロと見回した。そして俯き加減で寂しげで暗い表情を見せた。

 初めての顔つきに男が戸惑う。


「ノエル――」

「じゃあ私はあっちでトラップ作るね」

「わ、分かった。僕はこっち」


 男が何か声をかけようとしたら、からっと元気になっていた。

 声をかけそびれた男は少し肩を落とす。


 二人が少し離れた時――ノエル近くの藪からガサガサと影が飛び出してきた。


「え?」


 ノエルが後ろを向くと、鋭い目にワシ鼻の緑の小鬼がいた。

 表情は興奮気味で、持っている棍棒は今しがた血を吸ったのか赤黒くぬめっていた。


「ノエル、ゴブリンだ!」

「ひっ――」

『ギャウ!』


 ノエルが後ずさろうとすると、それに反応してゴブリンが襲いかかる。

 避けようと、つまづいて尻もちをついてしまう。そのせいで運よく一撃目は躱せた。


「あ、あ」


 パニックになったように固まるノエル。

 その光景を見ながら男も硬直する。

 もう一拍の猶予すらないのに恐怖で身体が動かない。このままではノエルが殺されるのに。


 殺される!?


 男の中で何かが弾けた。湧き上がってくる激情が恐怖を塗り潰す。


『……ぅおおぁぁあああっ!』


 空気を震わせる雄叫びがゴブリンの鼓膜を突く。

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