狐日記

黒猫

第一話 天華

 それはある冬の日だった。

 たまたまその日は酷く冷え込み、この辺りでは珍しい天華が僕の世界を飾っていた。

 僕はあと少しに迫るクリスマスを頭に思い浮かべ、また今年も一人で過ごすのだろう、ならば如何に楽しく過ごして見せようか、などと下らない事を熟考しつつ、目的地へと向かう。

 いつも通り、それなりの家、リーマンが汗水垂らしながら一生をかけて金を払って行くそれらが立ち並ぶ住宅街を抜ける。

 抜けるのだが。

 嗚呼、何故だろう。目の前を歩くカップルにやけに目が付く。……決してぼっちクリスマスを気にしてる訳じゃない。うん。気にしてる訳じゃないんだ。

 とまあ少しばかり恨みの視線を浴びせていると、奴らの学校へと着く。まあ僕の目的地はここじゃない、この先だ。高校生(笑)共に軽く手を振り、更にその奥へと進む。

 直ぐに見えてくる森の丁度真ん中に在る階段を駆け足で登る……とはいっても滑らないように。そして数十段ほど登った先の砂利道を僕は駆ける。二本の脚を十二分に使って前へ、前へと駆けるのだ!!!

……そして僕は着く。いつもより少し白くなったそれはいつもより少し美しく見えた。


「さて、今日も掃除しようか。」


 僕は狐の像を洗い始めた。



 中学を卒業して早二年。

 地元から遠く離れたこの街で、僕は引きこもり生活を続けてきた。幸い、親が遺してくれた土地だの不動産だののお陰で普通に生きてはいける。と言ってもずっと引きこもるのも性に合わず、時折外を散歩する内にこれを見つけた。


 そうだ……一年前の事だ。

 何故か僕はこの像に惹かれたのだ。あの日。雪の中で出会ったあの日。

 そう、今日と同じ様にそれは白く染まっていた。


 それ以来僕は毎日ここに通う事を日課にしている。

 それを、狐を綺麗にする為だけに。……まあ途中に高校があるのが難点だが。



 そんな事を考えている内に狐を洗い終わる。毎日洗っている事もあり苔一つない綺麗な姿だ。よし……帰ろう。

 僕は砂利道を引き返し始め、ふと後ろを振り返る。……何か視線を感じたのだが。まあいい。僕は再び歩み始めた……気のせいと決めつけて。



 暗い部屋の中。

 僕はいつも通り、某掲示板を覗いていた。

 相変わらず下らない書き込みで溢れている。まあ僕自身もそれを更に溢れさせているのだが。

 ふと時計を見る。……もう三時か。寝よう。

 PCの電源を落とし、布団へと潜り込んだとき、インターホンが鳴った。


 ……こんな時間に誰だ。きっと聞き間違いだろう。もう一度布団へと潜り込む。

 ……更に激しくインターホンが鳴る。本当に何なんだ、宅配業者がトチ狂って突撃して来たか?それとも訪問業者か?どちらにしろ文句の一つでも言ってやる。


「こんな時間になんですか!?」


 勢いよくドアを開けた先にいたのは。


「なんで全然出ないのじゃ!」


 やけに古臭い言葉で話す、小さな女の子だった。



「で、君は誰だい?親は?」

「わらわにいる訳ないじゃろ?大体人に名を聞くときは己から名乗れ!」

「人の癒えにこんな深夜に突撃してきてその態度は何なんだ!てか親も心配してるだろうがっ!」

 一度親の顔が見てみたいものだ、本当に。

「そ、そんなに叫ばなくてもよいではないか……近所迷惑だぞ」

「どの口が言う……」

「……まあそれは置いといて、お主には特別に教えてやろう。わらわの名は……」

「名は?」

「葛ノ葉じゃっ!」

 ……うん。なぜそんなに自身満々に立っているのだろうか。

「何故何も言わないっ!」

「いや、何を言うのさ」

「まさかわらわの名を知らないのかっ?」

 ……いやむしろ何故知っていると思った。


「ふーむ、近頃はわらわの名を知らぬ者が多いのか」

「むしろ九割以上知らないと思うぞ、現に僕も聞いたこと無いしね」

「うーぬ、困ったものじゃ。まあ良い、お主。わらわの寝床を用意しろ」

「はぁっ!?……まあこんな夜中に子供を返す訳にはいかないか、ほら入れ」

「では、お邪魔するぞ」


 部屋に灯りを点ける。うーむ、相変わらず散らかっている部屋である。

「お主はわらわにこんな所で寝ろというのか!?」

「嫌なら出てってもいいんだぞ」

「外で寝るのはもっと嫌じゃ!」

 なんだ……まるで野宿でもしてきた口ぶりだな。

「まあいい、そこの布団で寝ろ。僕はソファで寝る。」

「ほう、一緒に寝ないのか?ほら、少しくらいなら触らせてやっても良いぞ?」

「子供には興味が無い。ほら、灯り消すぞ」

「子供の体で悪かったのーーー!」


 と、その日は終わったのだった。



 翌日。いつも通り、午前七時に目が覚める。

 うう……ソファで寝たせいで体が痛い。まだ昨日の子供、葛ノ葉は寝ているようだ。


「ほら、起きろ。朝だぞ」

「……むにゃぁ」

 無言で僕はデコピンをする。

「痛っ!わらわに何をするのじゃっ!?」

「ようやく起きたか。朝だぞ」

「もう少し優しく起こしてくれてもよいじゃろがっ!ところでお主、わらわの朝御飯は?」

 ……まさか朝飯まで集るつもりか、こいつ。まあ、パンくらいいいか。


「ほほう、トーストか。わらわは米派なんだがのう……」

「黙って食え。要らないなら返せ」

「ほいほい、分かっておる分かっておる」

 全く、本当に何なんだ。こいつは。



 朝食を一通り食べた頃、僕は出掛ける用意をする。

「おい、今から散歩に行くが付いてくるか?」

「勿論じゃ。お主には伝えなければならない事もあるからの」

「今じゃ駄目なのか?」

「雰囲気というものがあるじゃろ!」

 雰囲気?いったい何の事だか。まあいい、行くか。

 僕は扉を開け、光に包まれた世界へと歩み出した。



「なんだ……これは」

 僕は思わず呟いた。

 あの狐の像が変わっていた。僕を惹きつけたのであろうナニかは消え、ただの石の塊へと成り下がっていた。


「……何故だ。一体僕が何を……したのだ」


「それはの、お主の一年間のたゆまぬ努力のお陰じゃよ」


 真後ろから葛ノ葉に話しかけられる。


「それは……どういう意味だ?」


 僕はゆっくりと後ろを振り返る。


「そのままの意味じゃよ」


 僕が目にしたのは。


「お主のお陰で、わらわは元の姿へ戻れたのじゃ」


美しい白狐の姿だった。



 ……どういうことだ。頭の回転が追い付かない。

「わらわは白狐なのじゃ、先程は人の姿に化けておったのだよ」

「……何故、僕の家に来た」

「それは、お主がわらわの恩人だからじゃよ、俊之」

 何故こいつは僕の名前が分かる。誰にも言った事の無い名を。

「わらわにとっては人の心を読むくらい、簡単な事じゃ。だからこそお主の家にも行けたのじゃぞ?」

 ふむ、つまりはこれは夢なのだな。そうに違いない。まだ僕は目覚めていないんだ。

「出会って一秒もしない内に現実逃避をするは止めるのじゃ」

「だってしょうがないだろ!いきなりなんなんだよ」

「もういいわい、要するに貴様はわらわに選ばれたのじゃ!感謝するのじゃぞ!」

「一体何にさっ?」

「わらわの宿り主じゃ!」


 こうして、僕の怠惰な日常は終わりを告げた。

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