第12日 言葉
言葉とは人類史上最高の発明であると私は思っている。言葉を各々が理解することにより、意思の疎通が諮れるというメリットに加えて、文面さえ残してしまえば、他者への指示を出すことすら容易い。斯くして言葉というものに人は頼っていく。言葉とは何のためにあるのだろうか。上記の理由は過程でしかない、と私は思っている。一つ確実なことが言えるとすれば、言葉とは感情を表すものが大半である、ということだ。言い表すことができないような悶々とした感情をどうにか伝え、生み出されるものが言葉だ。とするならば、言葉は未来永劫感情を凌駕することは不可能である。しかし人間は感情だけで意思の疎通をしたり、指示を出すということは、テレパシーを使える者を除きほぼ不可能だ。だからこそ、人間は言葉を用いて交わるのであると思う。言葉が感情に劣っている、というわけでは決してない。しかし、コインの裏表のように一対であるというわけでもない。そもそも言葉と感情はまったく別のものなのだ。同列のものに並べること自体がまず誤りである。すなわち、言葉が感情を超えることなど端から存在しえないのである。ならばなぜ人類は同列ではない言葉を、積極的に使っていくのだろうか。言葉とは、その人と成が現れるものであると私は思う。全てを推知することはできないが、漠然としたものであるならば、多少なりとも読み取ることが可能である。言葉とは不変的なものである。「言葉」という言葉の意味はこの先も変わらないでいるのと同じように、この世に生まれた言葉の真の意味は不変だ。永久的で、蒙昧でもあるものに美しさすら感じる。形あり、実態があるもの、手に取れるようで手に取れないものを、手にしたがるのが人間的な欲求であると私は感じるが、言葉もこれに当てはまるのではないだろうか。言葉を使っている、という使用感を得るために言葉を使う。目的なんて単純なものだ。ただ過程が多すぎて多少混乱するだけなのだ。そして、この先恒久的に人類は言葉を支配下に置くことはできないだろう。
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