第11日 年の瀬と明け

 小さい頃は年の瀬が迫ると何故か高揚し、年の明けには浄化されたような気分が私の心に流れてきた。年末というその年を過ごし切った達成感らしき感情と、年始という新品のノートを手に入れて綺麗に使う決心に似た感情が2日間で私を完全に覆う。

 年末年始は私の中で感情が大幅に変化する時期の一つだ。冬の寒い時期に今年の終わりを感じ、一年を篤と振り返る。昨年の年始は何をしたのか、冬休みの明けた瞬間の感情、雪が降った時、春を感じたとき、新たな学年、新たな環境、露の時期の鬱蒼とした気分や夏の猛暑を生き抜いた堅固な生活。秋の空に心を奪われ、夜には散策をし、冬を感じるようになると途端に季節の薫りが変化する。クリスマスを迎えたと思ったらまた年の瀬。そうして振り返った一年は何ともあっけなく、危機は幾度とあれど、今もこうして安穏と過ごせている充足感。今年はやり残したことはないか、来年は何をしようか、などと焦りと感じふと気が付くと今年の終わりまで残り数分。記憶の回帰が終わっていよいよ年越しを迎えるときにはもうすでにやり残したことはないか、という自問自答は頭から去っていた。目の前のことに心と思考を奪われることには、羨望と呆れが混じる。眼前のことに全力を注ぐことができるのは幼いながらの特権だ。そしてそこに客観的に見た場合の呆れは存在しない。一方である程度年を取った人間が年末年始に気を全てとられるということは、一種の才能だ。そして客観的に見た場合、自分にその才能がないことに呆れる。

 いつからか、年末年始でも高揚感は感じなくなっていった。あの時の純粋さや全力感は消え失せ、坦々と粛々と年を越し、年始を迎える。来年にも年末年始は存在する、という一種の冷めた考えや、全力で祝ったところで何も変わらない、という諦観は人の感情を徐々に殺すのだろう。いつになっても一年の終わりと始まりを満喫できるような人は、除夜の鐘や、初詣にも逐一幸せを感じることができる。

 物事はもっと単純でもいいのではないだろうか。幼き頃の高揚はないにしても、もう少し、穿った考えや、冷めたものを忘却して、短い間でも無邪気さを取り戻すということは、恐らく人を人足らしめるように、生きる補助となってくれる。いつしか悪いところしか見なくなった。その視点も変えられるように、いつの日か、また無邪気に笑いたい。

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