第6日 雨

 雨の日は嫌いだ。小さいころから雨が降った日には良いことが起こらなかった。朝起きて雨が降っていることを知ると私の心は夜の湖の中に沈んでしまうようだった。物事に分別が細かくつけられない程に小さいころは、雨だというだけでその日全てを嫌いになっていた。一度濡れてしまえばもうどうでもよくなってしまう癖に、濡れるまでは世界て一番の潔癖症であるかの如く、雨のしずくを回避していた。目の前に広がる世界が今まさに水で濡れているというさなか、屋根の下にいるときには、世界で一番ここが安全で平和なのかもしれない、と子供ながらに憂いたこともあった。

 雨は不思議だ。なぜあんなにも大量の水が空から舞い降りてくるのだろうと、足りない頭で必死に考えた。私は雨の正体を結果として鉛色の雲の上にある青い空が宇宙から水を引っ張ってくるからなのだ、考えた。無知とは恐ろしいものだが、あの時ほどに純粋な思考が今ではもうできない。

 基本的に雨の日が今でも嫌いだ。しかし、雨嫌いの私でもその雨に感謝する場合が二つある。一つは、気分がひどく深く沈んだ日に降る雨だ。形容し難い気持ちを抱えた状態で雨の中を傘を差しながら歩くというのは、不思議と全てに良くも悪くも諦めがつくような気持になり、雨音とビニール傘から滴る雫を見ていれば、そのうちにどんよりとした気分を雨がすべて湿らせて流してくれるような気分になる。そんな日に巡り合えた時は沈んだ気分も後に引かない。雨なのに晴れやかしいのだ。

 二つ目は、夜に降る雨だ。世界が眠ったように静かな外と眠ったように見せかけて濡れたアスファルトに世界が反射している時、私はしばしば今自分がいる世界こそが、反射して写された方の世界なのではないかと思う。曖昧で虚構的な世界が映し出される水たまりとアスファルトは夜の高揚も相まってひたすらに美しい。

 光る街と水たまりの水面を揺らめかせる雨、水が物質にあたりはじける音。絶望的に沈んだ気分。全てを逆さに写すアスファルト。全てが非現実的に思えて、雨嫌いだった私もこの二つの雨は生きる喜びを与えてくれているようで深く感謝している。

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