そして僕は月夜に舞い踊る(下)
半分モンスター化している大蛇を相手にナイフ1本での突撃なんて、無謀だ。僕はその少し考えれば分かる事実を覆そうと抗った。
まず、鎌首をもたげた蛇の目を正面から見据える。僕は別に動物と心を通わせたりするような特技はないけど、それでも相手の動きを読むことに集中するために、まずは目を見る。
……ピクッ
「フッ!」
反射的に左脚が地面を踏む。相手の攻撃を避けた事を自覚した瞬間に、右手のナイフを左側に突き出す。
ガツッ
硬い手応え。ナイフの刃が全く通ってない予感がする。素早く身を引いて後ろに飛び退くと、右手のあった場所で大蛇がガチンッと顎を噛み合わせていた。
もう一度、正面から向き合う。今の攻防で僕は半ば、この蛇を殺すことを諦めていた――時間にしてほんの10秒も経っていないのに――それでも、ナイフの刃が通らない鱗と僕を上回るであろうスピードに対抗出来る術はない事を直感していた。
どうする?僕はどうすればいい?このまま後ろを向いて全力で逃げても、スピードで負けている以上は追いつかれて食われてしまう。かといって、このまま戦っても死ぬのはほぼ確実。鱗の隙間にナイフを刺すのは至難の技だし、しくじれば利き手が持って行かれるだろう。
これが絶対絶命って奴なのかな……。
極限まで張り詰めた意識。その中でふと思い出す。僕は動物を狩って生計を立ててきた狩人だ。だから、先輩である村の狩人たちに色々教わっている。その中でも一番初めに教えられる事は「強い奴からは逃げろ」だ。狩人は自分より強い獲物を狩ろうとはしない。
命がなければ、生きるために行う狩りの意味がなくなるからだ。
(でも、ここで逃げれば無様に死ぬだけ。生きたいなら別の道を考えないと駄目だ)
そうだ。今の僕は単なる狩人じゃない。狩人なら大蛇を見つければ直ぐ逃げていただろう。でも僕は逃げなかった。
英雄譚で語られるような英雄なら、こんな時逃げたりはしない。でも英雄が守るのは自分以外の誰かの為だ。僕のように自分自身の為じゃない。
じゃあ、僕は誰だ?
答えは出ている。
自分を生かし、活かす為に一人で暮らす
「……おおっ!」
大蛇の目を見据えて、今度は相手の動きを読むのではなく、相手を怯ませる目的で目に力を込める。すると、ほんの僅か、たったの数センチメルトルだけ大蛇が仰け反った。ような気がした。
「ハアッ!!」
地面を思い切り蹴って、前へ踏み込む。逆手に握ったナイフで大蛇の喉を突き刺す。鱗の隙間に当たる部分に偶然ねじ込める事に成功したナイフの柄を、渾身の力を込めて、拗じる。むせ返るような匂いとともに、どす黒い血が溢れてきた。
「シャァァァアア!!」
ここに来て初めて慌てたような鳴き声を出した大蛇は、必死に僕の頭を噛み砕こうと下を向いて顎を何度も噛み合せる。
ガチッ ガチッ ガチンッ
(ヤバイ、これ本当に死ぬかも)
僕はその噛み付き攻撃を、首を何度も捻って躱す。長い牙が首元や耳をかする度に死を間近に感じる。幸い、自分の喉元付近を噛み付くという無理な姿勢が祟っているようで、噛み付くスピードが初めの攻防に比べて落ちている。ギリギリで躱せているのはその為で、これを狙って喉にナイフを突き刺していなければ今頃死んでいる。
一瞬のうちに出来るだけ沢山の手を考えながら、ナイフを捻り続ける。
「シャァァァアア!シャァァァ…」
ナイフと傷口の間から漏れでる血が、刻一刻と少なくなるにつれて大蛇の攻撃にも精細が無くなってきた。ギリギリで躱していた攻撃が、だんだん余裕を持って回避出来るようになっていく。
(いける)
これなら何とか、この場から生きて帰れるかもしれない――と、油断をしたのが運の尽き。
「え?」
いつの間にか、僕は胸元からつま先までを大蛇の胴体に巻き付かれていた。
~・~・~・~
蛇は焦っていた。
何故なら、簡単に喰える筈だった獲物が思わぬ抵抗をして来たからである。
人間の狩人は、強い獲物を狩ろうとはしない。それと同じく、蛇も自分より強い獲物を喰おうとはしない。獲物も獲物で自分が喰われる運命であることを、普通であれば素直に受け入れその場で自主的に動かなくなる。
蛇は、自分がだんだんモンスターとなるに連れて理性を失っていった。しかしこの時点では生物界の原則を忘れてしまう程の暴走はしていない。蛇は自分に相応しい獲物を選んだつもりだった。弱そうな、武器が小さな刃だけの、小さな人間。
しかしその獲物が思わぬ抵抗をして、噛みつきにくい自分の喉元に刃を突き刺してきた。しかも運が悪いことに、刃は血管に到達していた。血が溢れるに連れて意識が朦朧として、力が抜けてくる。
そしてこの蛇は、そこで最後の手段に出た。この蛇にとっては慣れないが、モンスターになる前から巨大な蛇であったなら当たり前の捕食行動。
獲物に巻き付き、全身の骨を細かく折り砕いて絶命させて捕食する。地球で言うところのアナコンダが用いる方法である。
獲物が刃を捻って傷口を広げることに集中しているスキを突いて、胴体で獲物に巻き付く。身動きが取れなくなり、思わず刃の柄から手を離した獲物に大蛇は安心する。
これで、自分が間違っていない事を証明できた。自分は捕食者であり、この獲物は自分に喰われる運命だ。喉元の傷はしばらくすれば癒えるだろうし、この獲物さえ喰ってしまえば何とかなりそうだ。
しかし、油断というものは特に殺し合う時に関して、文字通り致命傷と成りうる。
大蛇が油断した瞬間。獲物が、震えた。
~・~・~・~
(死ぬ)
直感した。僕には知らない事が多いけど、大蛇に巻き付かれた瞬間に自分が死ぬ事を知った。
この後、大量に血を失いながらも力を振り絞って大蛇が絞め殺して来るだろう。全身の骨がぐしゃぐしゃに潰れて、僕は死ぬ。そして勝者となった大蛇は僕の死体を丸呑みに……。
(嫌だ)
死ぬことが嫌だ。
(嫌だ)
ここで終わることが嫌だ。
(嫌だ)
自分のことを全然知らず死ぬことが嫌だ。
(嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!)
生きたい。僕は生きていたい。生きて人生を続けて行きたい。生きて本当の自分を知りたい。
生きたい。
今まで生きてきたどの瞬間よりも、生きる事を強く望んだ瞬間。全身の血が沸騰したかのようにカッと熱くなった。
「……ううっ」
目が眩む。身体中の皮膚が燃えるように熱い。自分の腕を見れば、月明かりを浴びて銀色に輝く毛並みが次々に生えてきていた。
「なんだ…これ…」
ああそうか……僕は……いや、俺は……。
「――俺は、オオカミだ」
忘れていたぜ。いや、忘れられていたと言うべきかな?
「そんなに『生きたい』と思うなら、もっと殺る気出せよ。お陰で俺が出張る始末かよ。いい加減にしろってんだ。全く」
俺は愚痴りつつ両手を蛇の胴体と胴体の隙間にねじ込む。こんな弱い拘束で捕まるようじゃあ、もう一人の俺は近いうちに死んじまいそうだなあ……。
まあ、俺がいる時点でそんな事は有り得んがな。
グシャッ メキッ ゴキリッ
「―――――――――ッッ」
声にならない悲鳴をあげながら、苦悶の表情で締め付けを緩めて離れる大蛇。自分の胴体の一部分が素手で握り潰されて激痛が走ったのだ。強固な鱗ごと身体を抉られた事実に、大蛇は自分が捕食者から獲物になった事を悟った。
必死に方向転換して逃げ出す大蛇。いくら手負いとはいえ、自分の方が相手より速く移動できる。強い奴に挑んでしまった以上は出来るだけ速く逃げる事が先決だ。
大蛇は得体の知れない相手に心の底から恐怖していた。自分がこの辺りに限ればかなりの強者である事を自覚していながら、だ。
もともと普通の動物がモンスター化することは珍しく、また元からモンスターである種族よりもモンスターになった元動物の方が強さは上回っている。
つまりこの大蛇は、一般的な生まれつきのモンスターに比べて遥かに強いのだ。もしこのまま無傷でいたなら、村には結界で入れないだろうがその周辺に甚大な被害を与えていたに違いない。村長から連絡が行き、王都の魔物討伐用兵士らが十数人係りでやっと倒せるくらいの、それ程のモンスターとなっていただろう。
それ程のモンスターが、たった一匹の人間……いや、人間のようなナニカに恐怖している。
ありえない事である。
「まあ、俺を獲物と見たのが運の尽きって奴かね。ご愁傷様」
スピードでは確実に上回っていたはずの蛇を
「あ、これ俺の物だから。返してもらうよ」
そのまま縦に大蛇を切り裂き、切り裂き、切り裂き、抜き取った。
……ドシャリ。
大蛇は信じられない気持ちを抱きながら堪らず絶命し、生臭い血が大きく開いた裂け目から一際激しく溢れ出て。
「あー……疲れた。俺だって頻繁に外へ出たい訳じゃねえんだ。とっとと俺無しで居られるようにしとけや。もう一人の俺さんよ……まあ、どうせ忘れているだろーけど」
大蛇の血と月の光で全身を浸した青年は、苦笑いしながら静かに目を閉じた。
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