そして僕は月夜に舞い踊る(上)
結局、空腹感やその他諸々の理由で眠ることを放棄した僕は、これからの予定を1度まとめてみることにした。今更ながら僕には何か、目標のような物が欠けているような気がしたからだ。
僕はある日、突然狼の尻尾と耳が生えてオオカミと人間を併せたような姿になって《禁断の森》に横たわっていた。
村に戻ろうにも半分オオカミみたいな姿をした僕を誰かが迎え入れてくれるとは思えないので、止む無く村から離れたこの森で生計を建てることにした。
でも、その先は?僕はこれから何を目標に生きていけばいいんだろう?
ただ生きるだけじゃいけない。何でもいいからとにかく目標を持たないと、自分の芯を持って生き抜くことが出来ない。
これは父さんから教わったことだけど、手帳に書いてあったことではない。
――辛うじて覚えている、父から教わった唯一の教訓だった。
「うおっ!?熱い!?」
ジュッと音がして、思わず僕は両手で持っていた手帳を取り落とす。
そして同時に強烈な違和感がした。この違和感は何度も感じたけど、今回は特に強い。あのオオカミ避けの柵を乗り越えた時や、急に手帳のページ数が増えたことなどから考えると……この違和感は、魔法に拠るもの?
「もしそうだとすれば、僕にも魔法の素質とかあるのかな?」
まさかね。
僕は取り落とした手帳を拾い上げて、まずは目次を確認してみた。でも……何度か見直してみたけど、項目は一つも増えていない。あの違和感と手が感じた熱さは錯覚?そんな馬鹿な。
今度は手帳をペラペラめくって見ると、ページの端が一つだけ折れているのを見つけた。
……何でページが折れているんだろう?僕は基本的に父の形見である手帳は大切に扱っている。こうしてページの端を折れば目印替わりになるだろうけど、僕はそんなこと絶対にしない。要するにこれは、他の事が原因でそうなったのだ。
ドキドキしながらそのページを開く。目次からページ数を参照すると、そこには到底信じられない事が書いてあった。
~・~・~・~
(〇戦いを避けられない時の備え)
(・魔法的攻防の備え)
魔法。それはいつ、どのようにしてこの世に現れたか分からない神秘の術である。
世の中に出回る魔術教本の殆どには、こう記されていることだろう。しかしそれは違う。少なくとも私達にとっては、違う。
魔法というのは即ち現象である。法則である。才能あるものが無から生み出す力ではなく、力の使い方を知るものが見えない世界から引っ張り出す力である。
才能あるものだけが使える技術と誤解されたのは、極わずかに、魔法を直感で使える者が現れたからだろう。人々はその力に恐れおののき、崇め奉り、我先に自分も使おうと研究した。
そして研究を行った機関は、真実を知るとすぐにそれを隠蔽した。何故なら魔法の法則性を知ったからだ。誰でも簡単に魔法が使えるようになる法則が世に広まれば、たちまち世界は混乱に陥り戦乱が巻き起こる。この研究は極秘となり、魔法は結局、直感の優れたもの達の専売特許になったのだ。
しかし、このページを今読んでいる者がいるということは、その者は魔法を使う必要性に迫られているという事だ。自分に魔法の才能がない事に失望し、それでも諦めきれない者が読むべきページだ。
故に、ここに魔法の使い方を記す──。
~・~・~・~
「……ふぇ?」
あまりの驚きに、手帳をそこで閉じてしまった。
……何かとんでもない情報を見てしまった気がするんだけど、僕の気のせい?気のせい……気のせいか(納得)。
じゃなくて。
え?魔法って才能じゃなかったの!?と言うより直感力って何なのさ。動物を見つけるとか、危険を察知するとか、そんな感じの直感なら少しは自信があるけど。これって凄くとんでもない事を書いているよね!?
僕はしばらく空を眺めて考えることを辞めていた。
…………でも、この情報は確かなんだよね。お父さんの遺した手帳だし……父さんが嘘を手帳に書くとは思えないし……でも、そもそもこの手帳は本当に父さんが書いたの?今更だけど、実は別の人が書いた手帳なんじゃあ…………。
「まあ、でも父さんの形見なんだから」
僕はこんがらがる思考を真っ直ぐに正すために、会えて思考を口に出す。
「父さんが僕に遺してくれた物なんだ。父さんにとっての大事な手帳だったことに間違いはないんだ。だったら、例えこの手帳を書いた人が父さんじゃなくても関係ないじゃん。父さんが大事にしていた手帳に、嘘が書いてあると思うか?無いだろう!」
気づけば大声を出していた。
僕の母さんがくれた弓。そして僕の父さんが遺した手帳。その両方が僕の宝物で、支えだ。
その一方が父さんの書いた物じゃなかったら。実は嘘だらけの所有者を騙す代物だったら。
僕は、父さんの形見じゃない手帳に頼れるのか?父さんが少し遠くなった気がしないか?
僕は嫌な気持ちになった頭をリセットしたくて、一旦シェルターから外に出た。まだ辺りは暗い。星と月の灯りだけが地面を照らしている。
……ん?まだ光るものがある?
よく目を凝らすと、木々の向こうに赤く輝く一対の点々があった。
少し近づいてみると、強烈な臭いが漂ってきた。この臭いは……獣臭。それもかなり焦げ臭い。
「……モンスターになりかけているのか」
モンスターの肉ばかり捕食した肉食獣は、やがてモンスターとなる。モンスターの特徴は全ての個体から様々な物が焦げた臭いがする事だ。勿論、植物型モンスターなどの例外は存在するが、臭いを隠す知能や生まれ持った特徴のない動物型モンスターは、焦げ臭い。
まだモンスターになっていない獣なら、種類によっては倒せる。しかし。
森の奥からこちらの方に這い出てきたモンスターは、全長が7メートルを上回ろうかという、全身が鱗に覆われた大蛇だった。
「……うそー」
僕がモンスターと戦った経験は、雑食のイノシシ型モンスターとだけだ。しかも相手はまだ大人として成熟していない、比較的弱い奴だった。
それが急に大蛇とか。こんなに大きな蛇は生まれてこの方見たことが無い。
フシューーーッ……
大蛇の吐息が木々の間を縫い、周囲一帯の空気を塗り替えていく。真っ赤な瞳は僕を睨みつけて離さず、僕は瞳の中の僕の姿に囚われて動けなくなる。
これは…死んじゃうかもしれない。僕が常に身につけている弓は、ここまでの近接距離では役に立たない。懐のナイフではこの胴体の太い大蛇相手に効果が薄いだろう。では素手で何とかするか?それこそ馬鹿らしい。
「……でも」
体を動かさずに口だけ動かす。蛇に耳が無いことは既に知っているし、声を出すぶんには問題ない。先ほど大声を出したから気づかれたと思ったけど、恐らくは臭いで気づかれたのだろう。
だから、僕は宣言する。
「……でも、僕はこんな所で死ぬわけにはいかないんだ」
自分の家から追い出されて、突然オオカミの耳と尻尾が生えて、キツいサバイバル生活を強制されて。
「もう我慢の限界なんだよ」
懐のナイフを取り出し、ゆっくりと構える。獲物の無謀な行動を見て、大蛇はゆっくりと目を細める。
絶対的な勝者の余裕が、この蛇にはある。自分がこの獲物に負けるはずはないと確信している。
──そこに付け入るスキがある。
「僕は、訳の分からないまま死にたくなんてないんだよっ!!」
それが、僕の目標。僕は全ての理由を知りたい。自分の行く末を知りたい。このまま何も知らずに終わるわけにはいかないんだ。
覚悟を決めて、足を前に踏み出す。ナイフを正中線に構え直し、鱗の隙間を見定めて小さく、鋭く振りかぶる。
僕の負けられない戦いにしてサバイバル生活開始後初めての戦闘は、こうして月夜の見守る禁忌の森深くで始まった。
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