第106話 ダメ姉は、感激する

 ~SIDE:マコ~



 一通りの検査を終えて。編集さんの車に乗せて貰い病院を後にした私とコマ、そしてめい子叔母さん。


「―――さま……ねえさま…………マコ姉さま!」

「……え?」


 半ば放心していた私の目の前に、可愛いお顔を覗かせて心配そうに私に声を掛けてくる妹のコマ。……あれ?ここ……どこ……?


「な、なに?もしかして私呼んだ?なにか用かなコマ……?」

「ああ良かった……マコ姉さまったら家に着いても……私や叔母さまが何度呼んでも全然お返事されないんですもの。流石に心配しましたよ」

「……え?家に着いても……?何度呼んでもって…………え、えっ!?あれここ我が家!?」


 (いつもとはまた違った意味で)コマの事で頭がいっぱいになっていた私。それはもういつの間にやら我が家のリビングのソファに座っていた事も分からない程に。

 そして妹であり最愛の想い人でもある立花コマの声(とついでに叔母さんの声)も届かない程に頭がいっぱいになっていたようだ。


「ご、ゴメンねコマ!?違うの!叔母さんはともかくコマの事を無視してたわけじゃないのよ!?……お、お姉ちゃんちょっとボーっとしてただけであってだね……っ!?」

「ええ、分かっていますよ。ただ考え事に夢中になっていただけですよね」

「おう待てやマコ。叔母さんはともかくってどういう事だコラ。まさかお前さん、アタシの呼びかけは故意に無視してたって事かオイ」


 ……コマに謝りつつ(そして叔母さんを華麗に無視しつつ)ちょっぴり焦る私。マズいな……病院の診察室でドクターの話を聞いてから家に到着するまでの間の記憶が全然ないぞ。

 コマに何度も呼ばれていた事も覚えてないし……ドクターの話も途中から全然聞こえてなかったし……私たち三人を家まで送ってくださったのであろう編集さんもいつの間にかお帰りになってるし…………あ。やべ……編集さんに車に乗せて貰ったお礼言えてないじゃん私……ダメダメじゃん……


「それより……あの、大丈夫ですか姉さま?」

「へ?だ、大丈夫って……何が?」


 もしや私の頭の中が大丈夫なのかって意味か?それは……ダメ過ぎて残念ながらもう手遅れだろうけど……


「お医者さまのお話を聞いてからずっと心ここに在らずといったお顔ですよ。私や叔母さまが何を話しかけても上の空でしたし……もしや姉さま……体調が悪いのではありませんか?」

「……へ?」

「体調が悪いのであれば少しお休みになられた方が良いと思います。今日は特に冷えますし、あまり無理をなさると本格的に風邪を引いてしまいますから」

「…………は?」


 予想に反し、私を気遣うコマの一言に固まり唖然としてしまう。


「我慢できない程に体調が優れないのであれば、今からでも遅くありません病院に戻りましょう。姉さまも検査して貰った方が良いですよ」

「……」

「熱はありますか?吐き気やどこか痛いところはありませんか?お辛くないですか?」


 この子は……この子は何を言ってるの……?なんで原因不明な症状が発生したその日のうちに……こんなにも自分の姉に対して優しい事が言えるの……?


「…………コマこそ」

「え?」

「……コマこそ、辛くないの……?」

「わ、わわわ……!?ね、姉さま……?」


 私の額に自分の額を当てて熱を測ろうと私に近づいてきたコマを思わず強く抱きしめて、私はそう問いかける。

 わからない……なんでコマは……こんなに……


「ねぇなんで?なんでコマはそんなに平気そうな顔できるの……?」

「は、い……?」

「わからないんでしょ?人の顔が……」

「え、ええ。そうですが……」

「私ね、ドクターの話聞いて正直ショックだったよ。……今コマが見えている風景を想像したら……ゾッとした。ある日突然周りの人の顔がわからなくなる……それも元々抱えてる味覚障害と同じく、一体いつどうやって治るのか医者でさえわからない……普通だったら、絶望すると思う」


 ……絶望して、こう考えるだろう。なんで自分ばっかり辛い目に遭うんだ……と。そう考えるのが普通だと思うし、そう考えて当然なのだ。

 そしてその理不尽さを、不満を姉である私やめい子叔母さんにぶつけてもそれは仕方のない事だし……一体誰がコマを責めようか。少なくともコマにはその権利がある。


「だというのに……ショックを受けた様子もなく、寧ろこの私を気遣ってくれて……ホントは自分の事で頭いっぱいになってるハズなのに……どうしてコマはそんなに……」

「……姉さま」


 コマを抱いたままその疑問を問いかける。そんな私にコマは優しく抱きしめ返してこう答えてくれた。


「……ありがとうございます。そんなにも私の事を心配してくださって。でも……本当に私は大丈夫ですよ」

「……嘘。大丈夫なわけないじゃない……辛いに決まっているじゃないの……」

「そうですね……確かに私も、今朝教室でヒメさま以外のクラスメイトの顔が認識出来なくなったその時は軽く絶望しかけました。事実、ショックで気を失ってしまいましたし」

「だよね……」

「ですがそれは―――『もしかしたら、マコ姉さまのお顔も認識出来なくなってしまったかもしれない』―――そう思ったからこそ、不覚にも気を失ってしまったのです」

「へ……?」


 私の顔が認識出来なくなると思って気絶した……?それはつまり……どういう事だ?


「マコ姉さまのお顔がちゃんと認識出来た時。それから『親しい人物であれば認識出来る相貌失認もある』とお医者さまのお話を聞いた時。私は心底安心しました」

「……安心?」

「はい、安心です。私は姉さまさえ―――コホン。姉さまや親しい方々さえ認識出来れば……相貌失認などそう恐れるものではない、そう思ったんです」


 嘘偽りなど一切ない表情でコマは私に話をする。ま、マジで……?親しい人たちだけなら認識出来るとはいえ……他人の顔が分からないままって相当辛くないか……?日常生活に支障が出まくりな症状じゃないのコレ……?


「確かに不便ではありますが、多分そのうち慣れるかと。声や服装、背丈などである程度なら他の方を認識する事も可能だとお医者さまも仰っていましたし。6年間闘ってきた味覚障害にこれくらい比べれば易いものです。姉さまのお手を煩わす事もありませんからね」

「コマ……」

「ですから姉さま。私の事は心配しないでください。私の事でそう思いつめないでください。私としては……姉さまに元気がない事の方が辛いです」


 優しく背を撫でながらコマは私を慰めてくれる。辛いのはこれまで抱えてきた味覚障害に加えて相貌失認まで疾患したコマの方だろうに……

 私の方がコマよりダメージ受けて、慰めるつもりが逆に慰められちゃって。全く私ってばコマのお姉ちゃんなのに情けないにも程があるや……


「そっか……コマは強いね。私……コマみたいにはなれないや。ダメなお姉ちゃんだなぁ……

「…………姉さまはダメなんかじゃないですよ。自分の事ではないのに、自分の事以上に思い悩んでくださる……最高の姉さまです」

「……ん。励ましてくれてありがとねコマ」


 コマに励まされ、沈みかけていた気持ちが浮上する。……そうだ。凹んでる暇なんかない。辛いはずのコマがこんなにも気丈に振舞っているんだ。私は今まで以上に姉として出来る事をコマの為にやらなきゃ……!


「…………(ボソッ)ふぅむ……『』……か。今の話を聞いてたアタシとしては……ちょっとそうは思えないけどねぇ……」

「……?叔母さん、今何か言った?」

「……あー、いや。なんでも無いさね」


 そうやって自分を奮い立たせていた私の隣で。さっきから黙っていた叔母さんが少しだけ険しい表情で何か小さく呟いた気がしたけど……気のせいだろうか?


「とりあえずだ。オメーらもいつまでも抱き合ってないで今後の方針についてとっとと話し合うぞー」

「あ、うん。そだねー」

「は、はいです叔母さま」


 叔母さんに指摘され後ろ髪をひかれつつもコマとの抱擁を解く。いかんいかん。イチャつくのはコマのこれからについて話し合ってからにしようそうしよう。


「まあ、対策って言ってもアタシらにやれる事は限られているけどねぇ。なにせ専門家の医者も匙を投げたくれーだしな。とりま原因や治療法がわからない以上、日常生活の中でどう相貌失認と向きあうべきかを考えるくらいしか出来んわな」

「そうですね……」

「パッと思いつく対策としては……、コマの目の代わりになってあげるくらいかな?この人は誰々であの人は誰々だよってコマの隣でこっそり教えて上げられれば多少は日常生活も楽になるんじゃないかと思うんだ」

「…………姉さまが、常に私に…………寄り添う……傍に、居てくれる……」


 コマの場合、人の顔が認識出来なくて一番困る場面は多分学校に居る時だろう。休み時間中ならば私もコマの隣でコマをフォロー出来る。

 ……流石に私とコマのクラスは別々だし、授業中がネックだけど……そこは私たちの親友の一人であるヒメっちにそれとなく事情を説明して助けて貰えるように頼み込んで―――



 ピンポーン♪



「「「……ん?」」」


 こんな感じで家族三人頭を寄せて対策を考え合っていた矢先。リビングに呼び鈴の音が響き渡る。おや誰だろう、平日のこの時間にお客さんとは珍しいな……?


「ああ、私出るよ。二人は対策会議の続きやっといて」

「あ……わかりました。宜しくお願い致します姉さま」

「勧誘系だったら速攻で断ってこいよマコ」


 誰だか知らないがお客さんを待たせるわけにもいかない。とりあえず話し合いを一時中断して急ぎ玄関へと向かう。


「はいはーい、今開けますねー」


 声を掛けつつ鍵とチェーンロックを外しそして扉を開く。11月の冷たい風が外から家の中に入り込み少し身震いした私の目の前には二人の綺麗な女性が立っていた。


「……あ、れ?」


 その二人の女性を見た私は一瞬呆けて二度見してしまう。何故かって?だってその二人は……とても見知った方々で、しかし普通はこんな場所に来るハズの無い方々だったのだから。


「こんにちはマコちゃん」

「突然押しかけてしまい申し訳ございませんマコさん」

「え、あ……ち、ちゆり先生……?それに、沙百合さん……?」


 そこにいたのは長年コマの味覚障害を診てくださってきたコマの担当医のちゆり先生。そしてちゆり先生の頼れる助手である看護師さんである沙百合さんだった。な、なんでこのお二人が我が家に……?


「あらあら。随分と驚いているみたいね。ゴメンねマコちゃん。実はさっき貴女たちの叔母さまである宮野さんから電話を貰ったのよ。『管轄外の話でしょうが、ある意味でコマの身体を一番理解しているのは他ならぬちゆり先生だ。姪のコマをちょいと診て貰えませんかね』ってね」

「叔母さんが、ですか……?」


 面食らった私に対して先生が笑いながら説明してくれる。な、なるほど……叔母さんにしてはかなり良い判断だ。

 ちゆり先生は耳鼻咽喉科のお医者さんだし、相貌失認は専門外の話だろう。だけどコマと共に6年間ずっと味覚障害と闘ってきたちゆり先生ならば、コマの心身について誰よりも詳しいし何かしらの良いアドバイスをくださるかも……


「で、ですが良いのですか……?ちゆり先生も沙百合さんもお忙しいはずなのに……それなのにわざわざ家まで来てくださって……私、申し訳が……」

「良いのよ。今日は定休日だから暇だったし。それに……私の大事な患者さんであり大事なお友達の一大事ですものね。役に立てるかはわからないけれど、私たちに出来る事はやらせて頂戴」

「そういうわけです。私もちゆり先生も好きでここに来ましたし、どうかお気になさらずにマコさん」

「ち、ちゆり先生……沙百合さん……!」


 本来ならば先生たちは関係ない事のハズなのに。わざわざ休日の時間を取りご足労頂いた上にこんなに嬉しい事を言ってくれる先生と沙百合さんに思わず涙ぐみ感激する私。前々から思ってたけど……ホントにええ人たちや……


「あ、ありがとうございます!と、とりあえずお二人とも中に入ってください!」

「こちらこそありがとマコちゃん。お邪魔するわ」

「失礼しますね」


 善は急げ。折角来て貰ったわけだし早速コマを診て貰うとしよう。お二人に来客用のスリッパを急いで準備して家の中に上がっていただく事に。


「え……?ち、ちゆり先生に、沙百合さま……?ど、どうして……!?」

「おー、もう来てくれたか先生方。悪いねぇ、いきなり呼び出しちまって」

「はーい♡こんにちはコマちゃん、宮野さん」

「コマさん、お邪魔します。出張診察に参りましたよ。それと……つまらないものですがこちらをどうぞ。お見舞いの品です」

「は、はぁ……あ、ありがとうございます沙百合さま……頂きます。…………って、出張診察……?」


 先生たちをリビングまで案内すると、さっきの私と同じような反応を見せるコマと呼び出した張本人の叔母さんが出迎える。

 このコマの反応……叔母さんったら私には勿論コマにも内緒で先生を呼びだしていたようだ。全く叔母さんも人が悪いなぁ。来てくれるって分かっていたらちゃんともてなす準備をしてたってのに。


「さーてと。じゃあマコちゃん。早速だけど診察するからコマちゃんを借りるわね」

「よろしくお願いします!診察室の代わりにはならないかもですが、良かったら私の部屋を自由に使ってください」

「助かりますマコさん。ではしばらくの間お待ちくださいね」

「はーい沙百合さん!大人しく待ってまーす。……まあそういうわけだからねコマ。先生たちにしっかりと診察して貰うんだよー」

「え、え?あの……診察?何故?ど、どういう事です……?」

「さあ行きましょうコマさん。確かマコさんのお部屋は二階でしたっけ?」

「あの……で、ですから何故お二人が……!?」

「ほーら、行くわよコマちゃん」


 困惑するコマをさっさと連れていく先生たち。他でもないちゆり先生がコマを診てくれるなら百人力だ。これはもう勝ったも同然、相貌失認なんざ治ったようなものだわ。

 さぁてと。コマを診て貰う間は私と叔母さんでお茶とかお菓子を用意しておくとしますかねー



 ~SIDE:コマ~



「さて。それじゃあコマちゃん。そこに座って頂戴な」

「今から先生が簡単な質問をしていきます。コマさん、分かる範囲で答えていってくださいね」

「は、はぁ……」


 わけもわからないままちゆり先生と沙百合さまに連行されて。マコ姉さまのお部屋の椅子に座らされた私。な、何故先生と沙百合さまがここに……?


「あのぅ……ちゆり先生?それに沙百合さま?診察ってどういう事でしょうか……?」

「……ふむ。なるほど。宮野さんから『親しい人なら判別できる』と聞いていたけど……コマちゃんは私や沙百合ちゃんの顔はちゃんと判別できているのね」

「え……あ、はい。そうみたいですね……」


 私の疑問には一切答えずに、先生は慣れた様子で問診のような事を始めます。あの……人の話は聞いていただけると嬉しいのですが……


「そっかそっか。判別できるのか。……ちょっと意外だったわね」

「意外……?あの……何がでしょうかちゆり先生?」

「私ね、コマちゃんに嫌われているというか……苦手意識を持たれているって思っていたからさ。ひょっとしたら沙百合ちゃんはともかく私の事は認識できないんじゃないかなーって思ってたのよ。だから親しい人としてコマちゃんに見て貰えているみたいで先生嬉しいわぁ」

「…………えっと……」


 ちゆり先生の一言に少し言葉が詰まります。……先生の事、嫌いじゃないですけど……確かに苦手意識が無いわけではなかった私。

 図星をつかれたようでちょっと気まずいです……


「ちゆり先生。コマさんが答えにくくなるような意地悪な事を言わないでください。話が進まないじゃないですか」

「はぁい。わかったわよ沙百合ちゃん。それじゃ診察を続けさせて貰うわね。宮野さんの話を聞いた限り『相貌失認』のような症状が現れているそうだけど……コマちゃんの口からもう一度症状や状況について詳しく説明して貰えないかしら?」

「……わ、わかりました。ええっと……実は今朝学校で―――」


 よく分かりませんが言われた通りに先生や沙百合さまに説明を行う私。


「―――と言うわけです」

「ふむ……なるほどわかったわ。そういう事ね……」


 一通りの説明を終えるとちゆり先生は腕組みをして何か納得したような素振りを見せます。


「……あの、先生?何かわかったのですか……?」

「…………」

「せ、先生?」

「ねえ、コマちゃん」

「は、はい?」


 しばらく静かに長考されていたちゆり先生。やがて先生は珍しく真剣そうな表情をしたまま、私にこう問いかけます。


「言うべきか、流石の私も迷ったけど……決めた。今からちょっと厳しい事を言わせて貰うわ。心の準備は良いかしら?」

「え……」


 厳しい事?心の準備?何でしょう、何だかちょっと……怖い……


「大丈夫?気をしっかりもっておいてよ」

「は、はい……大丈夫です……多分」

「よし。ならコマちゃんの担当医として一言言わせて貰うけど……」


 そう言って先生は一拍置いてからこう続けます。


「コマちゃんさ……ひょっとしてしたんじゃないの?」

「え?安心……?」

「そうよ。貴女……安心したんでしょ」


 何の脈絡もなく先生は『安心した?』と問いかけました。一体どんな怖い事を言われるのかと不安だっただけにかなり拍子抜けする問いかけですね……?

 ええっと……安心、ですか……


「そうですね……先生の言う通り、確かに私……マコ姉さまや親しい方々のお顔がちゃんと認識出来てとても安心しました。ですがそれが一体何の……」

「…………違うわ、その事じゃない」

「……え?」


 かぶりを入れて、ちゆり先生は……私の心中を理解していると言わんばかりの……すべてを見透かしたような私の苦手な瞳で見据えて……


「その事じゃないの。コマちゃん、貴女もしかしてさ―――







―――相貌失認と診断されて、……安心したんじゃないの?」

「…………ッ」


 そう先生が告げた瞬間、心臓を鷲掴みにされたような衝撃が私の中を駆け抜けていきました……

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