第105話 ダメ姉は、説明を受ける

『―――私……姉さまとヒメさま以外の人の顔が……判別出来なくなっている……みたいなんです……』


 愛しく恋しいコマから告げられた、衝撃の一言。


 倒れた事実も相まって当然私は即コマや私の担任の先生に報告し、学校に来たばかりではあるけれど先生方に今日はもう早退する事を頼み込んだ。そしてタクシーを呼んで貰った後はコマの精密検査してもらうべく、コマを連れて昔コマが運ばれ入院した大学病院へと向かう事となったのである。


「―――マコすまん、シュウに……いや、編集にかなり車飛ばして貰ったが大分遅れちまったみたいだな」

「ああ、叔母さん……」


 コマが病院で精密検査を受けている間にめい子叔母さんに連絡しておいた私。30分後には編集さんに付き添われ、険しい表情を浮かべた叔母さんが到着する。


「いや大丈夫。全然遅れてなんか無いよ。こっちこそ仕事中にいきなり電話してゴメンよ叔母さん。今かなり忙しい時期なはずなのに……」

「なーに、構うもんかい。仕事とコマどっちを取るかと言われたら、そら可愛い姪っ子を選ぶに決まってるだろが。寧ろありがたい話さね。合法的にサボれる「……ぁ?」わけだしよー」

「……ん。ありがとね。それから……編集さんもすみません。叔母との大事な打ち合わせの途中でしたでしょうに。それと叔母を車でここまで送ってくださり本当にありがとうございます」

「何を仰いますかマコさん。頭を上げてください。これくらいお安い御用ですよ。大体こんな一大事に打ち合わせなんてしている暇などないですからね。それから、今日の遅れは次のめい子先生の休日を返上して埋め合わせるので「えっ……!?」何も心配ありません。今マコさんが心配しなければならないのは……コマさんの事だけです。良いですね?」

「はい……!」

「いや待て編集。さらっと流しかけたがアタシの休日返上って話は聞いて「何も問題ありませんよ」ないぞ……!?」


 にこやかに私に『気にするな』と暗に伝えてくれる大人たち。……本当にありがたい。頼りになる大人たちの出現で、結構緊張していた私も少しだけその緊張が解れた気がするや。


「ま、まあいい。んで?電話越しじゃイマイチ状況がわからなんだが……コマに一体何があったんだいマコ?」

「……そう、だね……実言うと私も友達の又聞きだから、正直コマに何があったのかこっちが知りたいくらいなんだけど……」



 ~マコ説明中~



「―――と言うわけなんだよ。今のコマ、どうやら私と……それから友達の一人だけしかその顔が認識できないっぽくて……」

「……なるほど。一部の人間しか識別出来てないって事か。思ってた以上に深刻な話っぽいな」


 早速説明を求めてくる叔母さんに掻い摘み分かる範囲で答えた私。


「……マコ姉さま。それに……めい子叔母さまに編集さま……」

「こ、コマッ!」


 その説明を終えたタイミングで、検査室からドクターに連れられて我が愛しきコマが現れた。慌ててコマに駆け寄ってコマを思い切り抱きしめる私。


「コマ……コマ!だ、だだだ大丈夫だった!?検査結果はどうだったの!?へーき!?どっか痛くない!?」

「わわわ……お、落ち着いてくださいませマコ姉さま。私は大丈夫ですから…………一応」

「一応!?いや一応ってなにさ!?一応じゃダメでしょコマ!?ど、ドクタぁああああああ!?説明を!説明を要求します!私のかわゆい天使系愛妹のコマは!コマは大丈夫なんですか!?」

「は、はい。ええっと……そうですね。と、とりあえずここで立ち話というのもなんですし。本人にも、それからご家族の方にも詳しい説明を行いたいのでひとまず診察室まで向かいましょうか……」


 コマを抱きしめたまま、噛みつく勢いでドクターに説明を要求する私。そんな私の要求に対し(若干引いた表情で)ドクターはそのように告げ私や叔母さんを診察室へと案内してくれる。


「えー、まず最初に立花コマさんの精密検査の結果から説明させて貰います。学校で倒れたという事でしたので至急MRI検査等を実施しましたが、どこにも異常は見られませんでした」


 診察室へ私と叔母さん(ちなみに編集さんは『部外者である私が聞いて良い話では無いですよね』と席を外してくれた)を案内したドクターは、私に諭すように最初にそう切り出してくれる。


「血液検査やバイタルチェックなども念のため行いましたが、そちらも問題なし。今すぐコマさんの命に係わるような事にはならないでしょう。その点に関してはご安心ください」

「そ、そうですか……!」


 目下のところ、最も心配だった事―――コマの生命の安全が保証され、心底私は安堵する。良かった……本当によかった……!


「次にコマさんの身に何が起こっているのかについての説明に移りたいのですが……その前にコマさん」

「は、はい……」

「『他人の顔・表情を認識する事が出来ない』―――そのようにお姉さんから話は聞きました。あまり話したくない事ではあるとは思いますが……今コマさんがどのようにその目で見えているのか、逆に何がコマさんは見えていないのか―――それを出来れば詳しく教えていただけませんか?」

「…………はい」


 お医者さんのそんな問いかけに対して少し躊躇う様子のコマだったけれど。ぽつりぽつりと話を始める。


「目や鼻、口や耳など……顔のパーツは普通に見えているのです。ですが……その顔全体を見ようとすると……途端に視界にノイズが罹るように……目の前にいる人の顔がぼやけてしまんです。どうしてもぼやけてしまって……その人がどんな顔をしているのか……一切わからなくなってしまって……」

「誰が誰だか分からない……って事?」

「そうです……少なくとも学校に居る時は、マコ姉さまとヒメさま以外は全員判別できませんでした……クラスメイトの皆さん、担任の先生、保健の先生……普段から会っている皆さまなのに、わからないんです……」

「……なるほど。ちなみに、今現在私やここにいる看護師の顔は認識出来ていますか?」

「…………申し訳ございません。ダメみたいです……」


 コマの淡々とした説明を聞き、叔母さんと共に顔を見合わせる私。改めて本人から話を聞くと……ゾッとする。慣れ親しんだクラスメイトや先生の顔が突然分からなくなる。たった今目の前で話をしているお医者さんやその隣にいる看護師さんの顔も分からない。

 ……今これだけ冷静にお医者さんの話を聞けているコマは凄いと思う。想像してみよう。もしも自分がそんな目に遭ったらどんな反応を示すだろうか?コマのように冷静でいられるだろうか?……無理だな。頭真っ白になってめっちゃ動揺する自信があるぞ私……


「辛い話をさせてしまい申し訳ございません。ありがとうございましたコマさん」

「せ、先生……何か分かったんですか?コマは……コマの身に、一体何が起きているのでしょうか……?何かの病気ですか?それとも……」


 コマの話を真摯に聞いていたお医者さんに、当人であるコマ以上に取り乱している私は縋るように質問する。ドクターは何故か難しそうな表情を見せながらも続きを話してくれる。


「そうですね……本人の口から症状を聞いた限りですと、これは典型的なだと考えられます」

「ソウボウ……シツニン……?」


 聞き慣れない難しそうな単語に。私は思わずオウム返しで呟く。


「あまり馴染みの無い言葉でしょうか?これは失認の一種でして、失顔症とも呼ばれています。こちらの方がお聞きになったことがあるかもしれませんね」

「あー、はいはい。なるほど失顔症ね、それならアタシにも分かるわ」


 私とコマの後ろに立っていた叔母さんが納得した風に呟く。私はそっちの呼ばれ方も全然知らないけれど……ひょっとして結構有名な症状なんだろうか?


「相貌失認―――失顔症は今コマさんがお話してくれた通りの症状が現れます。失顔症は顔の形、目や鼻などの一つ一つのパーツは認識出来ているにもかかわらず、その集合である顔を認識する事が出来なくなってしまうのです」

「認識できなく……」

「顔が分からない故に目の前に立っている者の表情も読み取り難くなったり、男女の区別が付きにくくなることもあるそうです」

「表情も……!?」


 ……いや待て。それって相当に大変なことなんじゃないのか?コミュニケーションがものを言う現代社会において、他者の顔や表情が読み取れないなんて致命的。今現在も患っている味覚障害だけでも大変なのにこれはちょっとシャレにならんぞ……?


「……あの、お医者さま?一つだけ聞いても宜しいでしょうか?」

「あ、はいどうぞ。何でも聞いてくださいコマさん」

「ありがとうございます。では早速質問します。先ほども言いましたが……幸運な事にですね。姉さまや叔母さま。それから編集さまや友人の一人の顔は私も何も問題なく認識出来ているのです。私としては嬉しい限りなのですが、この見える見えないの違いは……一体何なのでしょうか……?」


 コマのその質問にハッとする。そういや変だ……私としてもありがたい話だけれど、なんでコマは他の連中は認識できていないのに私や叔母さんの顔はちゃんと認識出来ているんだろうか?


「ああ、なるほど。それは当然の疑問ですよね。えー、相貌失認はですね。その症状の度合いによってはごく親しい人間だけなら認識出来る場合もあるのです。例えば家族や恋人、友人や尊敬できる人お世話になっている人―――そういった人間なら識別できるという相貌失認の患者さんの例も報告されていますし」

「…………なるほど、です。そっか……親しい人間なら認識出来るのですか……」


 ……ほほう。つまりその理屈で言うと……コマにとってこの私は親しい人物にカウントされているわけなのか。不謹慎だけどちょっとお姉ちゃん嬉しいわ。


「それでドクター?そのソウボウなんちゃらって奴は治るんですよね?治療法は?あといつくらいで治るのでしょうか?生活に支障をきたしそうですし、私としては妹を一刻も早く治してあげたいと思っているのですが」


 にへらとにやけた頬をパチンと叩いて自分を戒めつつ、ドクターにそう尋ねる私。

 まあ、正式な病名があるわけだし叔母さんも別名を知ってるくらい有名な病気なわけだし。決して治らない病気ってわけじゃないだろう。そう考えて気軽な気持ちで尋ねた私なんだけど……


「…………」

「?あの、ドクター?どうしましたか?」


 何故か私の予想に反し、ドクターは気まずそうな顔で言葉に詰まっている。……え?な、何この反応?


「あ、あはは。ドクター?何でそんな深刻そうな顔をしているんですか?別に治らない病気ってわけでもないでしょ?勿体ぶらないで教えてくださいよ、コマを治す方法を」

「…………その、ですね。大変心苦しい話ではあるのですが」

「へ?」


 微かに嫌な予感がする中。重々しく口を開いたドクターはこう続ける。


「相貌失認の場合、先天性のものと後天性のものがあります。コマさんの場合、昨日まで他人の顔を認識できていたわけですし、まず後天性の相貌失認であることは間違いないかと」

「え、ええ。そうでしょうね」

「そこで少し話は戻りますが。先ほど私はこう言いましたよね?『学校で倒れたという事でしたので至急MRI検査等を実施しましたが、どこにも異常は見られませんでした』と」

「……それが何か問題でも?」


 異常が見られないなら喜ばしい事なんじゃないのか?何でこのドクターはこんなに深刻そうな顔をしているんだ……?

 や、やめてくださいよ……そんな顔されたら私まで不安になるじゃないですか……


「その通りです。今回の場合、後天性の相貌失認ならば寧ろ『』ことの方が少し問題でして」

「ど、どういうことですか!?」

「後天性の相貌失認の場合の多くは脳や頭部、血管に何らかの損傷や障害などが原因となって発症します。その為そういった損傷や障害が回復すれば相貌失認も治療もできるのです。……しかしですね。コマさんを検査したところ……そんな異常は何処にも見られなかった。これが意味する事が何なのかわかりますか?」

「え、え?」


 意味……?え、ええっと……ええっと……?ドクターの謎かけのような言葉に無い頭を回転させてみたけれど……わからん。意味って何?何が言いたいのこのドクター?


「ふむ。それはつまり……コマが失顔症になった原因が不明ってことかい?」

「なるほどです。そして原因が不明だからこそ、相貌失認の治療も出来ないって事でしょうか?」

「……はい。そうなりますね。残念ながら今の私たちでは……コマさんの治療は……出来ません」

「…………え?」


 混乱する私をよそに叔母さんとコマ、そしてドクターは淡々と話を続ける。…………は?いま、なんと?

 治療、出来ない?そういった?…………は?はぁ!?そ、そんな……嘘でしょ……!?


「何故急に相貌失認になったのか。その理由がわからないのです。これでは治療のしようがありません。今私はコマさんに対して出来る事があるとすれば……心療内科へ紹介状を書くことと、後日もう一度どこか異常が無いかコマさんの精密検査を行うことくらいでしょうか。……お役に立てず申し訳ございません」


 苦し気にそう言って、ドクターは頭を下げる。そんな光景を何処か他人事のように眺める私の頭の中では……ただただ『治療出来ない』というドクターの台詞がいつまでも反響していた……

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