第107話 ダメ姉は、約束をする

 ~SIDE:マコ~



 人の顔や表情が認識出来なくなるという相貌失認―――いわゆる失顔症。そんな症状が突如として現れた我が愛しき妹立花コマ。そのコマとコマに恋するダメ姉こと私……立花マコの前に救いの女神二人が降臨した。


「―――いやぁ、ホント。ちゆり先生と沙百合さんに来て貰ってホッとしたよねー」


 コマのお見舞い兼出張診察としてコマの様子を見に来てくれたのは、長年コマを診てくれたお医者さんのちゆり先生と看護師の沙百合さん。コマの一大事という叔母さんの電話を受け、お休みの所をわざわざ駆けつけてくださったのである。

 ありがたいったらありやしない。これはもう、コマの相貌失認も治ったも同然だわ。


「まさか事前に先生たちにヘルプ寄こしておいたなんてね。普段はお茶らけでトラブルメーカーで家事ダメダメでコミュ力皆無な干物女の叔母さんにしてはとてもナイスな判断だと感心せざるを得ないわ。いやはやグッジョブだよ叔母さん!」

「おうマコ。キサマまさかそれで褒めているつもりか?それとも喧嘩売ってんのか?なら遠慮なく買ってやろうか?あ?」


 私的には褒めたハズなのに額に青筋寄せてキレる叔母さん。まあまあそう怒らないで。小皺がますます増えるゾ☆


「ま、それはともかくとして。お前さんの言う通り、先生に任せりゃコマの失顔症も何とかなるだろう。これで来月の心配もせずに済むな」

「ん?来月?来月って……何の事さ叔母さん?」


 ちゆり先生たちに飲んでもらう為のお茶を淹れる私の隣で叔母さんは(先生たちの為に用意したお茶菓子をちゃっかり摘まみつつ)そんな変な事を呟く。来月?ハテ?何の話だろうか?


「はぁ?いや何の事って……お前何言ってんだマコ。ついさっき病院で編集と一緒にお前には話をしただろうが―――って、ああそっか……お前さん、コマの事で頭いっぱいになっててアタシの話を全く聞いてなかったんだっけ。やれやれ……ただでさえ脳の容量が小さい上に妹の事しか頭にないシスコンダメ人間はこれだから困るな」

「お?何?もしや叔母さんこそ喧嘩売ってるのかな?だったら今すぐ表出よっか?」

「おー上等だ小生意気な小娘が。返り討ちにしてやんよ」


 胸倉を掴み合いそしてガンを飛ばし合う私と叔母さん。可愛い姪っ子に対して脳の容量が足りないなどという暴言を発するとは、この人なんて酷いBBAなんだ。


「……って、いかんいかん。今はそれどころじゃないんだったわ……」

「……だな。イロイロと大変な時期なのに、マコなんぞとやり合って無駄に体力消耗しても何の得にもなりゃしねーわな……」


 殴り合い一歩前といったところで、現在診察中のコマや先生方の事をハッと思い出し拳を収める私たち。叔母さんと遊んでる暇なんざ無いんだったわ。早く美味しいお茶を淹れなきゃね。


「で?叔母さん、さっきの暴言は聞かなかった事にしてあげるからさっさと話の続きをしてよ。来月何かあんの?」

「あー……まあ、別に大した話ってわけでも無いんだけどよ。実は来月からしばらくの間―――」


 お茶菓子の準備を再開しつつ叔母さんに話の続きを促す私。促された叔母さんは、大した話では無いと前置きしておきながらも……私にとってはとてつもなく重要な話を始めた。



 ~SIDE:コマ~



「―――相貌失認と診断されて、マコちゃんにまた構って貰えるとわかって……安心したんじゃないの?」


 ……突然我が家へ押しかけて来たちゆり先生(と沙百合さま)。その先生から発せられた一言に、一瞬息が止まりました。

 嫌な汗がドッと流れ出て、手足が指先が、全身が。小刻みに震え出します。それほどまでに……先生の一言は私にとって痛烈なものでした。


「…………な、んの……事でしょうか?」


 カラカラになった喉で、辛うじて言葉を発する私。そんな私をまるで責め立てるように……ちゆり先生は話を続けます。


「……図星のようね。多分だけどさ、あのコマちゃん大好きなマコちゃんの事だし……コマちゃんにこういう事を言ってあげたんじゃないの?『私がコマの傍に居る。コマの目になってあげる』―――こんな感じの事を。違う?」

「…………」


 思わず言葉に詰まる私。ちゆり先生に対して軽い恐怖を覚えてしまいます。……この人、前々から思っていましたが……エスパーか何かですか……? ええ、ええそうですよ……確かについ先ほどマコ姉さまはこの私に……


『パッと思いつく対策としては……私が常にコマの傍に寄り添って、コマの目の代わりになってあげるくらいかな?この人は誰々であの人は誰々だよってコマの隣でこっそり教えて上げられれば多少は日常生活も楽になるんじゃないかと思うんだ』


こんな感じで、先生が推察した通りの事を言ってくださいましたよ……それがどうしてわかるのですか……?


「そんなマコちゃんを見て、貴女はこう考えたハズ。『ああ、これでまた姉さまは私の傍に居てくれる。姉さまを縛り付ける事が出来る』って。だから安心した。そうでしょ?」

「…………なにを、根拠に……」

「分かるわよ。私が何年貴女を診てきたと思っているの?相貌失認の話をしているコマちゃんからはね、これっぽっちも悲観的な感情が見えてこなかった。いいえ、寧ろ相貌失認になった経緯を話している貴女からは―――


『相貌失認になって良かった』


―――そんな心の声が聞こえてくるようだったわ」


 容赦のない先生の指摘に軽くめまいを覚えます。キーンキーンと耳鳴りも聞こえてきて……まるでこれ以上先生の話を聞きたくないと身体が拒絶しているかのよう。

 動揺が隠し切れなくなっているのが自分でも分かります……


「ねぇコマちゃん。宮野さんの話だと……貴女何故人の顔が認識できなくなったのか理由がわからないそうだけど……本当にそうなの?」

「……は、い。わかりません……」

「嘘ね。本当はさ、自分がどうして突然相貌失認になったのか……その理由に心当たりがあるんでしょコマちゃん」

「…………」


 追及するような先生の言葉を受け、私はサッと目を逸らしてしまいました。ああ、ダメですね私……これじゃあ先肯定している事と同義じゃないですか……


「その心当たりが何なのかは無理には聞かない。コマちゃんも話したくない、触れて欲しくないって顔しているもんね」

「……別に、そういうわけでは決して……」

「まあ、聞かないけど大よその検討は付いているわ。突如として相貌失認になるくらいコマちゃんにとって衝撃的な出来事がここ最近あったって事だろうし…………大方マコちゃんが誰かに告白された系のイベントがあったとか……もしくは家庭の事情でこれからマコちゃんと会えなくなってしまうとか。大体そんな感じじゃないかしら?」

「…………」


 …………凄い。ここまで見事に私の心中を当てられると、怖いを通り越して感心しちゃいますよ先生……


「何度も言うけど別にその辺の事情を詳しく詮索する気は無いから安心して。私がそんな事情を聞いたところで、コマちゃんの味覚障害や相貌失認が治療できるわけでもないだろうし」

「……はぁ」

「そう、重要なのはソコじゃない。重要なのは……貴女が本当に向き合うべき事は、そういう事じゃない。……私はね、コマちゃん。今回のコマちゃんの相貌失認は、コマちゃんの件の味覚障害と同種のモノだと考えている。考えているというか確信しているわ」

「わた、しの……味覚障害と……同種……?」

「そうよ。……ねぇコマちゃん。コマちゃんはとても賢い子だし……貴女も薄々気づいていたんじゃないかしら」

「……なにを……ですか?」


 震える声で尋ねる私に、ちゆり先生はハッキリと私にこう告げました。


「貴女の相貌失認は、貴女とマコちゃんが6年もの間ずっと闘ってきた味覚障害と根っこのところは同じという事を。心因的な原因による身体の不調、それに伴う症状でありそしてどちらも………………それ故の症状だという事を」

「……ッ」


 私の苦手な、私の嫌いな。まるで心の奥底を覗き見られているような瞳を向けたまま、またも私の急所を的確に突く先生。


「コマちゃんの場合、何らかの身体の不調が現れる時は……大抵、マコちゃんと離れ離れになりたくない時。そんな時貴女は―――『姉さまを引き留めたい……誰かに渡したくない……ずっと傍に居て欲しい』―――その一心で、マコちゃんに振り向いてもらえるように身体に異変が起こる。……そうよね?」

「……」

「若干ニュアンスが違うけど、コマちゃんのその体質は……一種の防衛機制だと私は分析している。コマちゃんも聞いた事無いかな?学校に行こうとすると頭が痛くなったり、テスト前にお腹が痛くなったりするアレよアレ」

「……」

「その行為自体を非難する気はないわ。誰であろうと日常生活の中で防衛機制は働くものだし、自分を守るための大事な身体や心の働きだものね。……でもね、コマちゃんの場合、それが顕著過ぎる」


 俯き押し黙ってしまう私に、容赦なく先生は言葉の矢を放ちます。

 嫌……止めて。もうやめてください……救いを求めるように普段なら私の味方となって先生を戒めてくれる沙百合さまに視線を送りますが、沙百合さまはただ静かに目を閉じてただ先生の隣に寄り添っているだけ。


「今までも言うべきか言わざるべきか悩んでいたけど、この際だからハッキリ言わせて頂戴。コマちゃんはさ、マコちゃんと違って心の奥底では味覚障害を本気で治そうとしていなかったのでしょう?だってもしもその味覚障害が治ってしまったら…………マコちゃんが自分の傍から離れてしまうかもしれないって恐れているから。意識していたのか無意識だったのか私もわからないけれど……貴女は自分の体質をしていたのよ。マコちゃんを自分から縛るために」

「…………ッ!!?」


 ……ちゆり先生の事は嫌いじゃありません。ですが、昔から苦手でした。だって先生は……何かと私や姉さまを弄りますし、私の持っていないものをいっぱい持っていますし……

 それに何よりも。私の心の奥底に隠している、暗く淀んで穢れたモノ。それを容易く先生は見透かして浮き彫りにしてしまうから……


「残念だけどこのままでは、コマちゃんがそんな気持ちを持ったままでは……味覚障害も、それから今回の相貌失認も治らない。治らないどころか……多分悪化する。それに何よりも―――


 そうして一呼吸置いてから。先生は止めと言わんばかりに最後にこう私に付きつけます。


「―――何よりも。そんな幼稚な方法でマコちゃんを引き留めようとしても、マコちゃんの心は永遠に手に入らないわよコマちゃん」

「~~~~~ッッッ!!!」


 その言葉を聞いた私は、頭の中が真っ白になり……大声を上げて先生たちを部屋から追い出してしまいました……



 ~SIDE:マコ~



「いったい何事!?」


 ちゆり先生たちに任せれば大丈夫だろうと、叔母さんとのんきに雑談をしながらお茶菓子を用意していた私。

 そんな中、突如二階の私のお部屋からコマの悲痛な絶叫が木霊したではないか。


「こ、こここ……コマぁ!?どうしたの!?何!?何があったの!?こぉおおまぁああああああああアアアアアア!?」


 コマに声を掛けながら、慌てて階段を駆け上がる私。二階に辿り着くと私の部屋の前にはばつが悪そうな顔のちゆり先生と難しい顔で溜息を吐く沙百合さんが立っていた。


「……沙百合ちゃん、もしかして怒ってる?私、ちょっと言いすぎちゃったかな?」

「いいえ。怒っていませんよ。あれは必要な発言だったと私も思っています。あの場でああ言ってあげないと……コマさんは……」

「せ、せんせー!?沙百合さぁん!?コマは、うちのコマに一体何があったんでせうかぁあああああああああああ!?コマは無事なのでしょうかぁああああああああああああ!?」


 先生たちに詰め寄って、涙目になりながら事情を問う私。い、一体コマの身に何が……!?


「ああ、マコちゃん……うん大丈夫。とりあえずコマちゃんの命の危険がどうこうの話じゃないから安心して」

「で、でも……じゃあ今のは一体……?」

「……実はですね。治療の為に……少し厳しい事をコマさんに言っちゃったんです。結構ショックだったみたいで、私たちコマさんに追い出されちゃいました」

「は、はぁ……治療の為……ですか」


 ……一体何を言われたんだろう?コマがあんなに声を荒げて取り乱すなんて珍しいな……


「コマちゃん、今は多分マコちゃんとも話をしたくないと思う。落ち着くまではしばらくそっとしておいてあげてね」

「わ、わかりました。後で様子を見に行きます」

「……ごめんねマコちゃん。流石に荒療治が過ぎたかもしれないわ」


 珍しく申し訳なさそうに私にそう告げるちゆり先生。『失敗したかな』と落ち込んでいるようにも見える。

 そんな先生を見て少しだけ冷静になれた私は、ちょっと考えをまとめてから返事をする。


「…………いえ、良いんです。先生が何をコマに言ったのかは分かりませんけど……先生の事ですし、何か考えがあったってコマに言ってくれた事はこのダメな私にもわかります。……治療の為に仕方なく、なんですよね?」

「……ん。まあね。コマちゃんにとっては劇薬だったかもしれないけれど。……でも、いずれ誰かが言ってあげないと……コマちゃんの味覚障害も、今回の相貌失認も。治るものも治らないと思うから……」


 私たちをからかう事は多々あってもちゆり先生は6年間もずっとコマの事を……いいやコマだけでなく私の事までずっと気にかけてくれた良き先生だ。

 その先生がただ悪戯にコマを落ち込ませるような事を言ったりするはずもない。やはりコマの為を思ってやった事のようで安心した。


「だったら……良いんです。……先生の一言がどんなに苦く苦しいものだったとしても。コマにとって必要な事だったのなら、先生が謝る必要なんかありません。寧ろ感謝です。良薬は口に苦しって言いますもんね」

「マコちゃん……うん、ありがとね。そう言って貰えると気が楽だわ。……さてと。じゃあ私は一旦帰ることにするわ。沙百合ちゃん、行くわよ」

「はいです先生」


 私の一言にちゆり先生はホッとした様子を見せる。そしてそのまま階段を沙百合さんを引き連れて階段を降りて帰られようとされる。


「せ、先生。それに沙百合さん。待ってください。お茶菓子を用意してますよ」

「いいの、長居するとコマちゃんに悪いからね。……近いうちに、また様子を見に来るから」

「あ……わ、わかりました。今日はありがとうございました先生!」

「……あっと。そうそう、ゴメン。最後に一つマコちゃんに言っておくべき事があったんだわ」

「へ?私に……ですか?」


 そう言って玄関から出られようとされた先生は、ふと何か思い出したように踵を返して私の耳元に口を近づけてこう耳打ちしてくれる。


「ちょっとしたアドバイスよ。……マコちゃんはさ、コマちゃんが相貌失認になった原因って何なのかわかる?」

「原因……?い、いいえ。それがわかれば苦労は無いって感じです……コマもわからないって言ってましたし」

「うん、まあそうよね。……私もコマちゃんから相貌失認になった原因について直接は聞き出せて無いんだけど……でも実はね、その原因について推測は出来ているの」

「えっ!?」


 原因が推測出来ている……!?マジですか……!?


「私の見立てだとね、多分ここ一、二か月の間にコマちゃんかマコちゃんの周囲で何かしらの状況の変化があって……その状況の変化に耐えられずにコマちゃんは相貌失認になったハズなのよ。それ以外にコマちゃんが相貌失認になるような原因は考えられないわ」

「私やコマの周囲の状況に……変化……?」

「ええ。だからもしもマコちゃんがコマちゃんの相貌失認を治したいって思うなら……この一、二か月で何か自分たちの周囲で起こっていないのか調べてみたら良いかもね。アドバイスはそれだけよ。それじゃマコちゃん、頑張ってね」


 そんな貴重なアドバイスを残してから、ちゆり先生は今度こそ玄関から外へ出られる。そんな先生に続くように看護師さんであり先生のパートナーである沙百合さんも私の耳元で優しく耳打ちをする。


「では。僭越ながら私もマコさんにちょっとしたアドバイスをさせて貰いますね」

「沙百合さんも、ですか?」

「はい。参考程度に聞いておいてください。…………今のコマさんは、昔の私とそっくりです。傍から見たら……とても気丈に振舞えているかもしれませんが、実はとても危うい状態なのです」

「……危うい、ですか?」

「はい。下手をすれば今すぐにでも心が壊れてしまいそうなくらい脆いのです」


 ……そう、なのか。私と話をしていたコマは相貌失認になった事も気にしていないように見えたけど……沙百合さんの話を信じるなら、危ういのか……


「ですから……一つだけ約束してください」

「約束?」

「はい。これからどんな事が待ち受けていようとも。……どうか、マコさんだけはコマさんの味方で居てください。コマさんにとってのマコさんは……私にとってのちゆり先生のようなもの。もしも貴女という心の支えが無くなれば……コマさんはもう二度と立ち直れなくなります」

「…………」

「だから約束してください……何があっても、マコさんだけはコマさんの味方で居続けると。……コマさんの一人のお友達としてのお願いです」


 私の手をぎゅっと握って、沙百合さんは真剣な眼差しを向けながらそんなアドバイスをしてくれる。

 そんな事……わざわざ約束するまでも無い。


「……アドバイスありがとうございます沙百合さん。安心してください、大丈夫ですから。……例え世界が滅んでも、宇宙が滅亡しても。世界中の人間がコマの敵になろうとも。私はコマの味方ですから」

「……はいっ!マコさんならそう言ってくれると思いましたよ。では、後は任せました」


 それだけ言って笑顔を浮かべてペコリと一礼し、先に出た先生を追いかける沙百合さん。

 ……ちゆり先生、沙百合さん。本当にありがとうございました。……後は、私なりに頑張ってみますね。

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