第100話 ダメ姉は、ボートに乗る
私、立花コマはちょっと(?)特殊な味覚障害を患っています。
これは先天的なものでなく、後天的に発症した味覚障害でして。6年前のあの日より以前―――私が熱を出し倒れ瀕死の状態だったところを姉さまに救われたあの日より以前―――は味覚障害など患ってはいませんでした。
味覚の異常に気付いたのは姉さまや病院のお医者さまたちのお陰で何とか一命を取り留め、一か月後に意識が戻った直後。
……その時にはもう、何を食べても何を飲んでも何も感じなくなっていました。生死の境を彷徨って無事に生還できた代償として、味覚を失っていたのです。
……まあ、正直に告白すると。味覚を感じなくなってしまう事自体は……その当時の私としましては(本気で心配されていた姉さまには悪いのですが)別に何とも感じませんでしたけどね。
大好物の食べ物の味が分からなかった時も、ちゆり先生に味覚障害だと診断されこれから先もずっと味覚が戻らない可能性があると説明された時も……これっぽっちも悲しくもなく辛くもなかったのです。
だって……だってあの時の私は、姉さまに命を救われてそして生きてまた姉さまと出会えたことが何よりも嬉しくて。味覚が失われた事など些細な問題、取るに足らないことだと本気で思っていましたし
ですが。聖母のようにお優しい、マコ姉さまは私とは違う反応を示していました。
『ごはんの味がわからないと、こまが……こまがえいようしっちょう(?)になる!えいようしっちょうになるとこましんじゃう!?それはたいへん!』
私と同じくちゆり先生に味覚障害の説明を受けた姉さまは、私が患った味覚障害を当の本人である私よりも深刻に考えてくれました。
『…………ぜったい、こまはしなせないからね』
そして姉として、私の為に何かしなければならないとすぐさま行動に移されたのです。私が入院している病室へと突如として現れた姉さまは、そう一言だけ私に宣言すると……リンゴを一つ取り一口齧られたかと思うと―――
『あの、おねえちゃ―――んんっ!?』
そのまま間髪入れず、私の唇にご自身の唇を重ね合わせてきたのです。
……その時の私の気持ち、察して頂けるでしょうか?命を救われ、恋を自覚した直後……その恋い焦がれる相手に唇を奪われたのですよ?ファーストキスを貰ってもらったのですよ?
…………冗談抜きで、死ぬかと思いました。死ぬほど驚きましたし死ぬほど嬉しかったですし……お陰で死ぬほど鼓動が高鳴りました。心臓止まるかと思いました。どうして姉さまにキスされているのか意味が分からなくて、でも嬉しすぎて泣きたくなっちゃって……お陰で頭の中ぐちゃぐちゃで、ただただ姉さまとのキスの感触しかわからなくなっていました。
『ぁ……う…お、おね…ちゃ……』
『こま、もーいっかい。口あけて』
『ぅ、うん……』
そんな私の気持ちなど露知らず、姉さまは淡々と咀嚼したリンゴを私の喉奥へと流し込みます。何度も何度もリンゴを齧って。齧っては一生懸命咀嚼して。そして咀嚼したら唇を隙間なく重ね合わせて、私の喉奥にそれを流し込んで……
一体何回それを繰り返したのでしょう。私のお腹は……色んな意味でいっぱいになっていました。お陰で少し冷静になれた私は……ふと、とある事実に気付きます。
『あま……ずっぱい…』
『……え?こま、今なんていったの?』
『りんごの……りんごの味がする……!』
ショック療法という奴でしょうか。理屈はよくわかりません。ですが確かにその時……私の口の中には、リンゴの甘酸っぱさが存在していました。
……私の味覚が蘇っていたのです。
……私、立花コマはちょっと(?)特殊な味覚障害を患っています。
普段はまったく味覚を感じないのですが……双子の姉であるマコ姉さまとキスをするとしばらくの間味覚が戻るという、特殊な味覚障害を。
~SIDE:マコ~
「―――とても素敵な映画でしたね姉さま」
「う、うん。ソダネー……ステキだったネー……」
「映画のあの姉妹……中盤はすれ違いの連続でこれからどうなる事かと本当に心配でしたが、ちゃんと最後はハッピーエンドに終わって良かったです。本当に最高の映画でしたよ」
「ソダネー……」
この私、立花マコが企画立案した本日のコマとのデート。その初っ端のイベントは、コマと一緒に映画鑑賞するというものだった。デートに映画とか無難すぎかなって心配だったけど、このコマのとても幸せそうな表情から察するに……映画鑑賞はコマのお気に召して貰えたようで何よりだ。待ち合わせがちょっとドタバタし過ぎてたし、何とかデートの雰囲気を持ち直すことが出来て良かったよ……
……え?肝心の映画の内容はどうだったのかって?ハハハ……上映中はずうっとコマとおてて繋いでて、コマのぷにぷにですべすべな手の感触に夢中で映画の内容なんざこれっぽっちも覚えていませんがそれが何か?
「え、映画はさておき!ちょ、丁度良い時間だしそろそろ次のデート場所へ行こっかコマ!」
「あ、はいです姉さま。どこまでもお供いたしますよ」
こんなに楽しそうにしているコマの手前、全然見てなかったなんてとても言えない。映画の内容に触れられる前にさっさと次のデート場所へ行くとしますかね。
「ところで姉さま。この次はどちらへ向かわれるのでしょう?勿論私なら、姉さまと一緒ならばどこだって……そう地球の裏側までついてゆくつもりですが」
「んー?どこ行くかって?……ふっふっふー♪次のデートの場所はねぇコマ。お姉ちゃんと二人っきりになれて、そんでもっていつものご飯前のコマの味覚を戻すキスが出来る……そんなとっておきの場所だよー」
「そ、そのような素敵な場所が……!?その場所とは一体……」
「行けばわかるよ。んじゃコマ、早速しゅっぱーつ!」
「は、はい!出発ですっ!」
腕組みしたままコマを連れて次なる目的地へ。さてさて。今度のデート先もコマに気に入ってもらえると良いんだけど……
◇ ◇ ◇
「よーし、着いたよコマー」
「ここは……以前お花見をした自然公園、ですか……?」
辿り着いたその場所は、4月にコマ(あとついでにめい子叔母さん)と一緒にお花見をしたいつぞやの公園。あ、ちなみに当然と言えば当然だけど、桜の花びらはとうの昔に散ってしまっている。何せ今11月だものね。
「ありゃ?なんだか意外そうだねコマ」
「え、ええ……まさか公園に連れて来られるとは予想できませんでしたので……」
ポツリとそう呟くコマ。む、むぅ……この言い方にこの反応、コマを落胆させちゃったのだろうか?コマも今時の
「あー……ごめんねコマ。やっぱこういう場所より賑やかなテーマパーク系の方がいいよね。もしコマが気に入らないなら今すぐにでも場所を変えようか?」
「あっ……い、いえ誤解です!違いますよ姉さま!?下手なテーマパークなんかよりも素敵な場所だと思っています!……た、ただそのですね……」
「んむ?ただ?」
オウム返しに問いかけると、コマは周りをキョロキョロと見回してから私の耳元に唇を近づけて、
「…………(ごにょごにょ)ま、まさかここでキスをするおつもりですか……?わ、私は大変興奮する―――もとい、私は構わないのですが……こういう公園という様々な人々の目がある場所で、私たちが口づけシているところを誰かに見られでもしたら……姉さまが困る事になるのではと思いまして……」
「ああ、なんだそっちの心配か」
心配そうに私にそう耳打ちするコマ。うーん、ヤバい。耳元でコマにごにょごにょ呟かれると何だか興奮するね―――じゃなくてだ。
人目を気にするコマの気持ち、私にはよくわかる。以前ここでコマとコマの味覚を戻すキスを交わした時に私も同じように心配したからねぇ。
「大丈夫だよ、心配せずともちゃーんと考えがあるから。とにかく今日はお姉ちゃんに全部お任せあれ☆ささっ、アレに乗るよーコマ」
「あれとは…………え?も、もしかしてあの乗り物の事ですか姉さま?」
「うむす、そのとーり!」
私が指差す先にあったのは、白鳥を模した二人乗りの足漕ぎボート……いわゆるスワンボートだ。
大きな湖にぷかぷかと佇んでいるそれは、遊園地の観覧車と並び恋人たちが一度は二人一緒に乗ってみたいものと候補に挙げられるデートの定番のやつらしい。
「念のために聞いておくけどさ。コマはこういうの苦手だったりしないよね?乗ったら酔っちゃったりしない?へーき?」
「い、いえ……問題はありません。問題はありませんが……」
「OK。んじゃコマ。チケット買って乗り込んでみましょうかねー」
「は、はぁ……わかりました……」
私の指示に素直に従ってボート乗り場でチケットを購入しスワンボートに乗り込んでくれるコマ。私も同じようにスワンボートに乗り込んで、コマの隣に座りペダルに脚をかける。そのまま脚に力を入れてキコキコキコとペダルを踏み回していく。
「んー、良い気持ち!もう冬秒読みな時期だけど、今日はぽかぽか暖かくて絶好のスワンボート日和だねコマ」
「そ、そうですね……」
「実は私、初めてスワンボートに乗るけど……結構良いよね。何が良いって……二人の力を使って動かすってところが良い!なんというか愛の共同作業って感じでさ、まさにデートにぴったり―――」
「あ、あのっ!」
そんな他愛のない会話を続けながら姉妹二人で息合わせ湖を悠々と渡る。と、湖の周りをだいたい半周したところで、コマは淡々とボートを漕いでいた脚を止めて私に声をかけてくる。
「……?どったのコマ?もしや疲れちゃった?それとも漕ぐの飽きた?まだボート返却時間まで20分以上あるけど、もうこの辺で止めちゃう?」
「いえ、姉さまと一緒にやる事でこの私が疲れたり、まして飽きるなど絶対にあり得ません。……ですがその、一つ気になる事がありまして……姉さま、再度確認しても宜しいでしょうか?」
「ほいほい、何かなコマさんや。遠慮せず何でも確認していいよー」
「ありがとうございます。では確認しますが……」
「うんうん」
「……何故、私たちは今スワンボートに乗っているのでしょうか……?」
「へ?」
心底わけがわからないという感情を抑えずに、コマはつぶらな瞳で私に疑問を投げかけてくる。
「誤解がないように言っておきますが、決して姉さまとスワンボートに乗るのが嫌だとか……そういうニュアンスで聞いているのではないのです。……ただその、先ほど姉さまは確か『二人っきりで味覚を戻すキスが出来る……そんなとっておきの場所へ案内する』と仰いましたよね?」
「うむ。確かに言ったね私」
「では改めてお聞きしますが……何故私たちはスワンボートに乗っているのでしょうか……?」
ご尤もな質問をありがとうコマ。まあ、コマの疑問は尤もだろう。なにせこの私は碌な説明もしないまま、ただコマにスワンボートに乗るぞとしか言っていない。
味覚戻すためにこの公園に来たはずなのに、何故かスワンボートに乗っている―――うむ、これを客観的にみたら意味不明すぎるわな。
「ごめんごめん、大分説明不足だったね。スワンボートに乗る意味が分からないって事でいい?」
「え、ええそうです」
「これに乗ってる理由は二つ。一つ目は……私ね、前々からこれにコマと乗ってみたかったから。コマと一緒に乗ると、絶対楽しいだろうなーって思ってたんだよ私。今日夢が一つ叶っちゃったー♪」
「そ、そうですか……それは…………光栄です姉さま。私も姉さまと一緒にボート漕ぐの、とても楽しいですよ」
実際コマと一緒にボート漕ぐのめっちゃ楽しいし。楽しすぎてコマとならこのスワンボートで太平洋も横断出来ちゃいそう。
…………ハイそこ。お前の場合、コマと一緒にやることなら何でも楽しいだろうがってツッコまないように。……事実ではあるけど。
「んで、理由の二つ目だけど……多分こっちがコマの疑問の答えになるかな。なじぇに味覚戻す目的があって公園に、それもスワンボートに乗る羽目になったのか。その理由はねコマ―――」
「…………えっ?」
コマの疑問に答えるべく、そしてボートに乗った本当の目的を果たすべく。私の真意を理解して抵抗される前にコマの頬に手を添えて、
「―――こうするためよ。…………ン」
「ふ、むぐ……ッ!?」
コマの唇に、自分の唇を重ね合わせた。
「は……ぁん……っちゅ……」
「んぐ、んんん!?……ん、んー……!!!?」
完全に虚を突かれたコマは目を白黒させたまま
これを幸いと考えた私はそのまま舌をコマの口腔内へねじり込み、コマの舌を捕えて絡めさせ、そしてぴちゃぴちゃと水音をたたせて何度も何度もこすり合わせる。
「…………ハッ!?ちょ、ちょっとまって……くださ……ぅんん!?」
「んー……ん、ちゅ……はぁ……こま……」
「まっひぇ……待って、待ってくださ……姉さま……っ!ストップ、ストップです……!?」
数分固まったままのコマだったけど、私がコマの舌を甘噛みし始めたところでようやく再起動。無理やり迫る私を押しとどめ、制止させてきた。
「ん?ストップ?ありゃりゃ……ひょっとしてコマはもう味覚戻ったのかな?」
「いえ、もう少しかかりますけど―――って、違います!?そうじゃなくて……そうじゃなくてぇ!?」
「?どしたのコマ?ここ、湖の上だし……そんなに暴れたらボートから落っこちちゃうよ」
「ぅ……ご、ごめんなさ―――って、ですからそうじゃなくてですね姉さま!?」
初めてそれをやった時みたいに私とのキスにめちゃくちゃ慌てふためくコマと、なんだかいつもと立場が逆転しているみたいだなーって他人事みたいに感じちゃう私。
「な、なんで……なんでキス、を……!?」
「あれ?わかんない?コマの味覚を戻す為だよー。だってほら、そろそろお昼時でちょうど良い時間でしょ」
「こんな、こんな人目に付く場所で!?な、なん……で!?なんでこんな危険な……!?誰かに見られたらどうするおつもりですか!?妹と……私なんかとキスしているところを、誰かに見られでもしたら……ね、姉さまが不利益を被ることになるかもしれないんですよ!?」
何に対してかはちょっとわからないけれど、本気でコマは私がこの場所でキスした事を怒っているご様子。あぁん……ぷりぷりと怒ってるコマもしゅてき……
「ハハハ、コマは心配性だねぇ。大丈夫、大丈夫だってば」
「何が大丈夫ですか!も、もしも知り合いに、学園やご近所の誰かに見られていたら……姉さまが不幸に……」
「そうならない為に、今スワンボートに乗っているんだよ」
「…………は、い?」
私のそんな一言に、またもや固まるコマさん。今日のコマは百面相で見てて飽きないなぁ……ああ、マジ可愛いわこの子。
「コマは気が付いた?折角の休日だってのに、この湖もボート乗り場にも人が全然いなかったでしょ」
「それは……はい。こんな楽しい場所ですのに賑わっていないのはちょっと不思議だなとは思いましたけど……」
「今ここ穴場なんだよね。普段はもう少しお客さんもいるらしいけど。今の時期……11月は寒さが増してきて、わざわざボートに乗ろうと考えるお客さんは少ないそうなの」
なにせただでさえ11月は寒い。もっと言えば水辺の……湖の上はもっと寒い。そんな時期にわざわざスワンボートに乗ろうとする酔狂なカップルはそうはいないだろう。現にここのボート乗り場も11月後半から春まで休業するそうだし。
「そんなわけで。今この湖の上は私とコマの二人だけ。誰かに見られることはそうないでしょ。それに乗り場から一番遠いところまでボート漕いで来たから乗り場の係りの人にもバレる事はないよ」
「だ、だからスワンボートに乗ろうと……?ね、姉さまが計算高い……」
うへへ。そう褒めないでよコマ。お姉ちゃんちょっと照れるわ。
「で、でもですね!?いくら他にボートに乗られるお客さまがおらずとも、他の理由で公園を利用している方もいらっしゃるはず!そ、その方々に見られる可能性もあるでしょうに!?」
「ああ、それも心配いらないよ。下調べした時に確認しておいたの。この大きな桜の木と岩が丁度いい死角になってるんだ。岸から私たちがボートの中でナニをしていても見られることはないからどうか安心して欲しい」
「そ、そうだったのですか…………い、いやですが……」
コマの懸念はよくわかる。何かの拍子に誰かが私たちの行為を目撃しちゃう恐れがないとは言い切れない。ただコマの味覚を戻すだけならばそういうリスクを背負って、わざわざこのボートの上でキスをする必要性は全くないと言っても良い。
…………けれど。今日に限ってはそのリスクを背負ってでも、この場所でキスをする必要性が、意味がある。
「(だってこれは……デートだもの)」
コマに私という存在を強く意識してもらう為。そして……デートの最後で愛の告白をする為には……これは避けては通れぬイベントだろう。
……正直に言うと、こんな風にコマに迫るのは心臓がバクバクで死にそうなくらい恥ずかしいんだけど……は、恥ずかしがってる暇など無いよね。
「さぁて!論破し終えたところでキスの再開といこうじゃないかマイシスター!確か今コマは『まだ味覚は戻っていない』って言ったでしょ!言ったよね!」
「い、言いました。言いましたけど……でも姉さま、待ってくださいませ。や、やっぱりここでするのはちょっと」
「ふはは!待たぬわコマ!さあ、その唇置いてけぇ!」
「き、きゃぁああああああああ!?」
わざとおどけながら恥ずかしがる自分を奮わせて、コマに迫る私。コマの首に手を回し、コマを抱き寄せて逃がさないようにする。……ま、こんな湖の上の空間に逃げる場所など何処にもないけど。
誰もいない公園……外界から隔絶されたような二人っきりのスワンボート内。そんな現実味を感じられないちょっと不思議な空間で……私はコマの唇を奪い続けた。
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