第18話  CM撮影

 翌週、ドッグスの店頭には、三日間の臨時休業が張り出されていた。それを見たお客様が、遅れた夏休みと思ってくれれば上々なのだが、倒産の前兆と思われないかとひやひやものだ。しかし、そのことにはトムもメンバー達も、まるで気付いていないかのように、全くお構いなしである。

 そんな事情を抱えながらも、トムはワンボックスタイプのレンタカーを借りて、名神高速道路上を走っていた。

「もうすぐ、多賀サービスエリアだけど、トイレ休憩をするか?」

 後ろの席には、四人の女子が座っている。

『全く。一人くらい助手席に来て、『ナビゲーターします』っていう、殊勝なのが居ないかね?』

 そんな愚痴が出てしまうのも、無理のないことだった。

トムの後ろの席には、ジェニファーとアリス、その後ろの席には、キャサリンとナンシー――それも、向かい合わせに座っているのである。

 トムは一人運転しながら、妙に疎外感を味わっていた。

 東京でのCM撮影に、当初は三人で新幹線を使って行くつもりだった。しかし、ジェニファーとアリスがどうしてもついていきたいというので、費用節約のため、急遽レンタカーで行くことにしたのである。それが間違いのもとだった。

「トムさん。私、お腹すいちゃった。何か買ってちょうだい」

 四人の女子は、初めからずっとワイワイガヤガヤと盛り上がっていたが、トムのトイレ休憩云々に気が付いて、キャサリンが遠慮なく要求する。

『全く……俺は、単なる運転手か? マネージャーか?』

 小声で愚痴をこぼしながらも、トムはサービスエリアへと車を入れていった。

 車から降りると、全員トイレを済ませて、それぞれ何を食べようかと物色しだす。

 トムは長い車中での禁煙から解放され、一人で指定された喫煙場所に向かった。女子ばかりの狭い空間でストレスを発散することができずに、貯め込んでいたのである。

 トムが、ようやく煙草を喫することのできる幸せを噛みしめていたところへ、ジェニファーとアリスが連れだって走ってきた。

「トムさ~ん。あっちでナンシーさんが、美味しそうなクレープ屋さんを見つけたので、キャサリンさんが、トムさんを早く呼んできてって言ってま~す」

 トムには落ち着いて一服することも許されない。

 ピチピチという表現がピッタリのジェニファーとアリスが、二人で楽しそうにじゃれ合いながら、キャサリン達の待つクレープ屋へとトムを先導する。

『何も、高速道路のサービスエリアまできて、クレープなんか食べなくても、東京に行けばいくらでもクレープ屋さんがありそうなものなのに』

そんな愚痴を心の中で呟きながら、トムは二人の後ろを憂鬱そうについて行く。

 大蔵大臣のトムが着くと、四人の女子は思い思いにクレープを選び注文した。

「あれ、トムさんは?」

 キャサリンが、何も注文しようとはしないトムに、問いただす。

「バカ野郎。大の男が、クレープなんて甘ったるい物を、注文できるか」

「あれ、でもトムさん、前に鯛焼き大好き宣言をしていませんでしたか?」

 ナンシーが、思い出さなくても良いことを、思い出して言った。よく鳴く雉だ。

「トムさんは、シブオぶってるだけなのよ」

 トムが雉を撃つ前に、キャサリンが妙なことを言い出した。

「何だ? そのシブ……何とかって?」

「『シブクもないのに、シブイ男ぶる』っていう意味ですよ」 

 ここまでくると、四対一では到底敵わないということを、いくら鈍いトムでも悟るのである。

 一行は、途中休憩を何度か挟んだ後、夕方遅くになってから何とか東京のホテルに着くことができた。

 駐車場に車を入れたあとフロントへ行き、チェックインを済ませてから、トムがそれぞれの部屋割りをする。

「トムズキャットの交流を深めるため、キャサリンとジェニファーが同室で、ナンシーとアリスが同室だ。俺は一人でゆっくりとさせてもらうよ」

 トムはこの賑やかな四人を連れての長時間運転で、心身共に疲れきっていた。しかし、まだ休憩は許されない。

「トムさん、夕食はどうするのですか?」

 キャサリンが容赦なく尋ねる。

「それぞれ一旦部屋で落ち着いてから、一時間後にホテルのレストランに集合だ。明日の予定についても、その時説明するから」

 そういい残してトムは、一人自分の部屋へと向かった。

 部屋に入ると荷物を放り投げ、そのままベッドに仰向けに倒れこむ。そして、おもむろにポケットを探り、タバコとライターを取り出した。火を点け大きく吸い込んだ後、ハードボイルドふうにゆったりと紫の煙を吐き出す。もちろん、輪っかをつくることを忘れてはいない。

 ようやく彼女たちの若いエネルギーの圧迫から、解放された思いだった。しかし戦士の休息はまだまだお預けである。

 一時間後、レストランに全員が揃った。夕食にはディナーコースが用意されている。

「トムさん、すご~い。張り込んじゃったのですね」

 ナンシーが嬉しそうに叫んだ。

「いや、これは……実は、スポンサーが用意してくれたんだ」

「スポンサーって? イオンヨーカドーのことですか?」

 キャサリンが鋭く確認する。

「イオンヨーカドーではなく、ステルススポンサーの方だよ」

「ステルススポンサーって、まだステルスのままなんですか?」

「まだOKはでていないが、今回のCMの反響次第では、近直OKがでるんじゃないかな」

「ところで明日の予定は、どうなっているのですか?」

「明日は、撮影のために借りている南北テレビのスタジオに、朝九時入りだ」

「えー、南北テレビですって? すごいところで撮影するのですね」

「そうだろう。だから、八時にはホテルを出発するから、遅れないよう準備するように」

「トムさんも寝坊しないでね」

 すかさず、キャサリンが突っ込む。

 トムは今回、それをスルーして次に進めた。

「テレビ局では、担当のディレクターがいろいろとお世話をしてくれるので、みんなその指示に従ってくれ」

「その間、私たちはどうするのですか?」

 ジェニファーが、心配そうに尋ねる。

「安心しろ。ジェニファーとアリスと俺は、邪魔にならないようにスタジオの隅から見学するということで、許可を取ってあるから」

「本当ですか?」

 ジェニファーもアリスも始めてのテレビ局で見学できると聞いて、とても喜んだ。特に、ジェニファーは在阪放送局ではあるが、一応アナウンサーとして内定しているので、人一倍興味津津である。

「撮影って、どのくらいの時間かかるのですか?」

 キャサリンが、具体的なことについて訊ねる。

「それは、君たち次第だな。NGがなければ、午前中には終了するだろうし、NGを連発すれば、場合によっては、明日まで持ち越すかもね」

 トムは意地悪な気持ちになり、キャサリンに少し脅しをかけようとした。

「えー、私、NGを出しちゃったらどうしよう」

 キャサリンではなく、ナンシーの方にプレッシャーが掛かったようだ。

 意地悪な気持ちで、不用意に脅しをかけてしまったため、結局トムは、雛鳥ナンシーのプレッシャーを解かねばならなくなった。

「まあ、そんなに心配する必要はないよ。今はデジタル撮影なので、何回NGを出しても、昔みたいにフィルムが無駄になるようなことはないし。それにNGがなくても、より良いものができないかということで、何回も取り直すのが普通だから」

 それを聞いて、ナンシーも少しは安心したようだ。

 ディナーを終えると女子四人は明日への英気を養うべく、それぞれの部屋へと散っていった。

 翌朝、トムを除く四人は珍しく揃って早起きだった。憧れのテレビ局にいくのに寝起きの顔を晒したくないとの思いから、入念な化粧をするためだ。

 朝食時には四人とも、すでにバッチリと極めてきていた。そこに、まだ疲れが残っているのだろうか、トムが眠そうな顔で現われた。

「トムさん。お早うございます。せっかくの晴の日に、そんなくたびれた顔をしていたら駄目ですよ」

 キャサリンは朝から容赦がない。

「いいんだよ。どうせ、俺たちは見学だけなんだから」

 トムは自分自身について、どこか投げやりだった。

 無事朝食を終えた五人は、予定通り九時に南北テレビに到着する。

 入口の受付で、入門手続きをしてIDカードをもらい説明を受けているところに、担当ディレクターが台本らしきものを片手に現われた。背が低く細身である。ちょっと見た目では、三十過ぎ位に思われた。

 年が若いせいなのか、ディレクターなのにTシャツにジーンズという、AD(アシスタントディレクター)とあまり変わらないようなラフな服装をしている。その体型と服装のために、とても貧相に見えてしまう。

「今回の撮影を担当します、ディレクターの渡辺です。よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします。私がトムで、こちらがキャサリンとナンシーです。それと、こちらは私と一緒に見学させていただく、ジェニファーとアリスです」

 トムが一通り紹介し、それぞれが渡辺に挨拶をした後、五人は渡辺に案内され控室へと入った。

「キャサリンさんとナンシーさんは、こちらでメイクやヘアメイクを受けていただきます。その後、スタイリストさんと衣装合わせをしてください」

「えっ、そうなんですか? せっかく、ホテルでバッチリと極めてきたのに」

「でも、キャサリンさん。メイクさんやスタイリストさんがつくなんて、まるで芸能人になったみたいで、夢のようですね」

 ナンシーは何もかもが初体験で、嬉しくて夢見る乙女のように目を輝かせている。

「ジェニファーさんとアリスさんは、こちらで見学していただいて結構ですが、トムさんは、別室の方へ……今後の打ち合わせもあるようですから」

 渡辺はそう言ってトムを促した。

 約一時間後、平和の象徴のようなスカイブルーの衣装に着替えて、何もかも準備ができたキャサリンとナンシーが、撮影のためにスタジオ入りをする。

 スタジオの隅には、心配そうなトムと好奇心丸出しのジェニファーとアリスが陣取っていて、二人を見守っていた。特に、アナウンサーに内定しているジェニファーには、又とない機会であった。

 スタジオでは渡辺が二人に、撮影の説明をしている。

「今回のCMは、メッセージ性の強いCMなので、ほとんど台詞だけです。だから、何回NGを出しても大丈夫ですから、リラックスしていきましょう」

「でも、私たち、台詞を全部は覚えられませんが。なんせおバカなもので」

「大丈夫ですよ。大きなカンペを、カメラの後ろに用意しますから。テレプロンプターもありますが、今回の撮影には必要ないでしょう」

 キャサリンもそれを聞いて、少し安心したようだ。

「トムさん、テレプロンプターって、何ですか?」

 スタジオの隅で、今の会話を聞いていたアリスが、小声で質問をした。

「カメラの前のハーフミラーに原稿が映し出される仕組みで、カメラには映らないのでカメラ目線のまま読むことができる機械だよ。アメリカのオバマ大統領が、演説で使用して有名になったあれだよ」

「すご~い。トムさんって、何でも知っているんですね」

「まあ~な。って、いいたいところなんだけど、実はこのテレビ局で事前に説明を受けていたんだ」

「な~んだ。せっかく尊敬したのに」

 アリスも、トムとのそんな他愛無い会話を、撮影の迷惑にならないように小声で楽しんでいる。

 中では、いよいよ撮影がスタートした。スタジオ内に緊張が走る。トムは、まるで参観日の親のような気持ちで、どこか落ち着きなく二人を見守っていた。

 キャサリンとナンシーが交互にセリフを言う。

「トムズキャット001のキャサリンです」

「同じく002のナンシーです」

「私たちトムズキャットは、『世界平和PR大使』として、世界平和を願う心を、世界の人々に広く訴える活動を始めました」

「誰もが平和を願っていながら、それ以外の思いの方が強く、平和とは程遠い状況というのが現実ではないでしょうか」

「私達は、誰もが少しだけ持っている『平和への願い』をより大きくして、世界を今より平和に近づけていくのがトムズキャットの使命だと思っています」

「イオンヨーカドーは、そんな私たちの活動に賛同して下さいました」

「私たちトムズキャットも、私たちと共に世界平和を願って下さるイオンヨーカドーを応援したいと思います」

「トムズキャットは世界平和を願い、その大切さを広く訴えていく活動を続けてまいります」

「今後とも、トムズキャットとイオンヨーカドーの世界平和PR活動に対するご理解と応援を、よろしくお願いいたします」

 本当に台詞だけの短いCMだった。それでも小さなミスでNGを出し、十数回撮り直しをした。

 撮影が無事終了して、二人がスタジオから足元も危なげに、ふらふらと出てくる。

「ご苦労さん。二人とも、よくがんばったね」

「トムさ~ん……グスッ……ふえ~ん」

 やっと緊張から開放されたナンシーが、トムの顔を見るなり急に泣きだしてしまった。今回は嘘泣きではなく、本気の涙である。

 キャサリンは、そんなナンシーの背中を抱きかかえるようにして手を回す。

「大丈夫よ……何とか撮影も終わったことだし……ナンシーはがんばったんだから」

 キャサリンは自分も緊張から解放された虚脱感を感じながら、ナンシーをそう言って励ました。

「キャサリンさんもナンシーさんも、とっても素敵でした」

 ジェニファーもアリスもそばに寄ってきて、二人を憧れの目で見ている。

「でもトムさん。このCMで、イオンヨーカドーの宣伝効果はあるのですか? 何か、トムズキャットの宣伝みたいな感じですけど」

 撮影中ずっと疑問に思っていたキャサリンは、思い切ってトムに訊いてみることにした。

「確かにそういう側面はあるかもしれないが、まずトムズキャットの活動について知ってもらわないと、宣伝効果が全くなくなってしまうからな。それに今回は、宣伝らしくないメッセージCMでどのような効果があるのかという、実験的要素も含んでいるんだ。だけど、企業イメージだけは確実に上がると思うよ」

 キャサリンはトムの説明を聞いても、実際に宣伝効果が無かったら……と不安な気持ちを払拭できなかった。CMスポンサーになってくれたイオンヨーカドーにも、何か申し訳ない気持ちになるのである。

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