第17話  グランドオープンと重要会議

 秋晴れの良い天気である。まだ少し暑さは残っているものの、一時のことを思えば、多少過ごしやすくなったように思える九月の半ば過ぎ、ドッグスはいよいよグランドオープンの日を迎えた。

 ジェニファーもアリスもスタンバイしている。美由紀も応援に駆け付けてくれた。トムもドッグス焼きを担当するために、朝から準備をしている。キャサリンとナンシーはこれ以上ないくらいの布陣に、今までにない自信を持つことができた

 午前九時。十時の開店までには、まだ一時間近く間がある。既に十人程度の行列もできていた。

 今から思えば、プチオープンの時は『行列』という単語が、辞書から削除されていたような気もする。もしかすると『客』という単語自体も、初めから無かったのかも知れない。同じお店なのに、いったいこの違いはなんなのか?

『グランドオープンって、こういうことなんだ……』

 キャサリンは、いつもの独り言を呟きながら、改めて告知・広告・宣伝・PRということのすごさを感じていた。

 今回のグランドオープンは、初日から予想以上の反響と言える。しかし、予め人員や研修も含めてしっかりとした準備をしていたので、キャサリンやナンシーが心配していたような、大きなミスや不祥事にいたるような失敗は起こらなかった。

 トムも一日三時間程度ではあるが、『気まぐれドッグス焼き』をひたすら焼き続けてくれる。

 特に、この『ドッグス焼き』は、形のユニークさもあり、またトムの工夫による食感の違う二重の皮が好評で、お土産としての需要も多かった。そして、トムが焼く前から予約が始まり、焼き始めると一時間もしないうちに、予約で予定数量を完売してしまうほどの人気である。

「トムさん。これだけ好評なら、毎日もっと長い時間で販売することって、できないのですか?」

 キャサリンは折角の人気商品なのに、もったいないと思ったのだ。

「キャサリン、無理をいうなよ。俺も忙しい身なんだから。今度出張で二日ほど留守にするので、その間ドッグス焼きは休業だ」

「えっ、トムさん。二日もいなくなっちゃうのですか?」

「ああ、スポンサーと、今後の打ち合わせをしなくちゃならないのでね」

 結局、三日間は真面目に一日三時間近く焼き続けてくれたトムだが、四日目と五日目は出張ということで、『ドッグス焼き』は休業することになった。

 六日目、昼になってもトムが現れないので、キャサリンは心配になってきた。三時から『ドッグス焼き』を販売することになっており、トム不在中の問い合わせには、『今日の三時から販売します』と返答していたのである。

「ナンシー。トムさんは、どうしているのかしら? 折角人気のドッグス焼きなのに、販売時間に間に合わなくなっちゃう」

 キャサリンがナンシーにそんな愚痴をこぼしているところに、ノーテンキなトムが相変わらずのワンフレーズで登場した。

「やあ、諸君、元気かね。元気があればなんでもできる」

 全く進歩も成長も感じられない、マンネリした登場の仕方である。

「トムさん、遅い~。早くしないと三時の販売に、間に合わないですよ」

「分っているよ。すぐ準備するから。ところで、今日は、大変重要な指令を出さなければならなくなった。閉店後、それについてトムズキャットの会議をするので、全員そのつもりで残っているように。会議室については、俺の方で予約しておいたから」

「えっ、トムズキャットって何ですか?」

 ジェニファーが、何のことかわからずに質問をした。

「何だ。ジェニファーとアリスに、説明をしていなかったのか?」

「だって。トムさんがまだ、トムズキャットのメンバーじゃないって言っていたから、必要ないかと思って」

 キャサリンは不満そうに唇を尖らせながら、頬を膨らませて言い訳をしている。その時々で表情の変わる、なかなか器用な顔である。本人は全く意識していないのだろうが、とても可愛い顔だった。

「仕方が無い。会議が始まるまでには、二人に説明をしておいてもらえるかな。キャサリン」

「分りました。ところで、スポンサーと何かトラブルでもあったのですか?」

 キャサリンは何なのかは分からないものの、スポンサーの嫌っている不祥事か何かがあったのだろうかと推測して不安になったのだ。

「それについては、会議の時に詳しく話をするから。今はお客様対応を優先して、それぞれの仕事に集中するように」

 そう言いながらトムが焼くドッグス焼きは、すぐに予約で完売してしまった。

「グランドオープンしてから一週間足らずだが、今のところは順調なようだな」

 ドッグス焼きが一段落して、トムがそう呟いた。

「でも、何か悪いことがあるんでしょ? この後、会議するとかいっていたけど」

 会議の内容についてトムが一言も話そうとしないので、キャサリンは悪い方の憶測をしてしまい心配でならなかった。

 閉店までの僅かな間にキャサリンは、ジェニファーとアリスに対してトムズキャットについての概要を、簡潔に説明をする。しかし合間合間では、あまりうまく説明することもできなかった。

 二人は、さして興味を示さず、逆に、『今の仕事以外に、何が来るか分からない指令を出されて対応しなければならないなんて、大変ですね』と、キャサリンとナンシーに対して同情するのである。

 そうこうしているうちに時は過ぎ、閉店の時間を迎えた。

「みんな、揃っているか? それでは会議室に行くぞ。はぐれないよう、俺についてこいよ」

 トムがまるでカルガモの親子のように全員をゾロゾロと引き連れて、三宮の街へと繰り出していく。

 夜の街は残暑の熱気と相まって道行く人々の熱気でもあふれていた。明るい街燈にネオンに電飾、立て看板に呼び込みと、賑やかな通りである。

 親カルガモのすぐ後ろをついて行きながら、キャサリンは違和感を覚えた。会議をするのなら繁華街ではなく、ビジネス街のはずなのに。

 親カルガモは子カルガモのそんな不審に、頓着することもなく引率している。念のために断わっておくが、これは早口言葉ではない。まあ、『孫カルガモ』を追加すれば、そう言えなくもないが――親カルガモ・子カルガモ・孫カルガモ――アナウンサー泣かせになりそうだ。

 結局トムがメンバーを引き連れて入った先は、何と居酒屋の個室であった。

「トムさん。会議室っていっていたのに……ここ、居酒屋じゃないですか?」

 会議室というからには、どこかのビルの貸会議室を想像していたキャサリンは、何やら怪しく思ってトムに迫る。

「そうとも。ここが、予約しておいた会議室だよ。実は、美由紀さんの応援も今日が最後になるし、一応、グランドオープンも成功したことだから、先に御苦労さん会をしたあとに会議をしようと思って」

「えっ、美由紀さん、今日までなんですか?」

「そうなの。ごめんなさい。私は、もっともっと居たい気持ちなんだけど、応援という立場ではそうもいかないので。キャサリンもナンシーもジェニファーもアリスも、しっかりとオペレーションを身に付けたことだし、もう私の役割は終わってしまったの」

「まあ、これが最後ということじゃなく、今後も必要に応じて、美由紀さんにはドッグスとしてアドバイスや支援を依頼するので、取り敢えずは一旦の区切りというところだ」

 今まで美由紀を頼りにしていた四人は、いっきに暗い表情になってしまった。

「そんなにしんみりするなよ。取り敢えず、グランドオープンの一応の成功を祝って、カンパ~イ」

 トムの乾杯の音頭で、兎にも角にも送別会兼御苦労さん会という飲み会がスタートした。

 乾杯という儀式は便利なものである。どんなにしんみりとしていても、それが済むと一旦グラスにつけてしまった口は、決壊した川のようになってしまう。

 決壊した口からお酒が入ると、そこは年頃の女子達。トムをそっちのけで、ペチャクチャペチャクチャと尽きることのないおしゃべりが始まった。

 お酒も料理もほとんど平らげ尽きかけていても、女子のおしゃべりは尽きない。やむを得ず、トムは強制的におしゃべりを遮った。

「一応、御苦労さん会と美由紀さんの送別会はここまでだ。次に、トムズキャットの会議を始めることにする」

「トムさん。重要な指令とかいっていたけど、何か難しいことですか?」

「う~む。難しいといえば難しいのかもしれないな」

 キャサリンもナンシーも、神妙な面持ちでトムを見つめている。ジェニファーとアリスは、自分たちには関係ない話という顔をして、人ごとのように聞いている。美由紀は、単に好奇心から、トムとキャサリンとナンシーの顔を順番に観察している。

「これは大変重要な指令なのだが、キャサリンとナンシーには来週、東京へいってもらいたい。その間お店は、臨時休業にしようと思う」

「えっ、トムさん。急に東京って? それに、東京で何をするのですか?」

 キャサリンは何のことか訳が分らず、心配で戸惑ってしまった。ナンシーはあまりの驚きから、呆けたように口をポカーンとあけたまま一言も発することができずにいる。それはそれで可愛いのだが。

「驚くかもしれないが、実は二人にはCMの撮影に行ってもらいたいんだ」

「えっ、CM?」

「聞いて驚くなよ。トムズキャットとしてのCM初出演が決まったんだよ」

「それって、どういうことですか? もっと詳しく話して下さい」

 キャサリンには、トムの言っていることが理解できなかった。

「小売業大手の、イオンヨーカドーって知っているよね。そのイオンヨーカドーから、トムズキャットにCM出演のオファーが来たんだよ」

「えっ、私達が、CMに出るのですか?」

 ナンシーは、現実離れした突然の話に驚いている。

「そうだよ。トムズキャットとしての、本格デビューになるのだから頑張ってくれよ」

「うそー。でも、どうしてなんですか?」

 キャサリンは、この状況が信じられなくて質問した。CMとかデビューとか、トムの妄想世界のことと思っていたのだ。

「大きな会社っていうのは、常に、社会貢献というのを意識しているんだよ。社会貢献というのもいろいろあって、例えば社会的弱者救済支援、災害被害者支援、自然環境保全、エコロジー、地球温暖化防止等々。今回は、トムズキャットの『世界平和を願う心を世界に広めるためのPR活動』という趣旨に賛同してくれたんだ。そこで社会貢献の一環として、取り組みたいとの要望で、トムズキャットとタイアップしたCMを出すということになったんだよ」

「本当ですか? まさか、いつものジョークとか言わないですよね」

 キャサリンも、あまりなことに信じられない思いである。今、トムが『ジョークだよ』と言えば、そのまま信じてしまいそうだった。そうは言っても、無茶苦茶腹を立てることは間違いないだろうが。

「えー、トムズキャットって、そんな特典があるのですか? それなら私達も、トムズキャットに入りた~い」

 ジェニファーとアリスが、今まで無関心だった話題に、急に飛びついてきた。キャサリンとナンシーに同情するどころか、逆に羨ましくなったのだ。

「もしかして、ステルススポンサーって、そのイオンヨーカドーなんですか?」

 核心部分についてナンシーが問いただす。

「う――――――ん、残念」

 トムが、昔のクイズ番組の司会者の真似をする。あまり似ていないので本人以外はほとんど気付いていない。

「残念ながら、ステルススポンサーではないんだよ。ステルススポンサーについては、まだ公表のOKは出ていないからな」

 ステルススポンサーではないにしろ、業界最大手のイオンヨーカドーがスポンサーのCMに出演するということは、大変なことである。

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