第14話 不動産屋さん
週が明けて、二人は次の指令に取り掛かる。
トムは相変わらず外出しがちだった。スポンサーが決まってからは尚更だ。営業活動さえちゃんとやってくれているのであれば、自分の思うようにナンシーと二人で楽しくお仕事ができるので、その方がキャサリンとしてはやり易くはあるのだけれど。
「キャサリンさん、店舗物件って、どうやって探すのですか?」
次の指令は店舗物件の候補地を探すことなのだが、ナンシーは、初めてのことなので戸惑っているようだ。
「そりゃあ……不動産屋さんでしょ……やっぱり」
キャサリンも、自信無さそうに答えた。それを聞くとナンシーは一気に暗い表情になる。
「私、不動産屋さんって行ったことがないのですが、何か怖くって」
「ナンシー。あなた変なドラマの、見過ぎじゃないの?」
「ドラマっていうか、何かそんなイメージがこびりついちゃっているんです」
「私も今住んでいるアパートは、親が来て契約してくれたので、良く分からないんだけど。でも、まずネットで調べれば、何か分かるんじゃない?」
「そうですね」
ナンシーがようやく気を取り直して、ネット検索を始める。
「あっ、本当だ、キャサリンさん。貸店舗について、広さや賃料や最寄駅などの条件を入力して、検索するサイトがいくつもあるみたいです」
「案ずるより産むが易しね」
「すご~い。キャサリンさんは、難しい言葉を知っているのですね」
ナンシーは、さっきまで落ち込んでいたのが嘘のようにテンションを上げていた。
「私も、意味は良く分からないのだけれど、何かこんな風な時に使っていたような気がしたの。で、検索結果は?」
キャサリンは、返答しながらも珍しく照れている。
「それが、沢山あり過ぎて……それに、どういう条件で絞り込めば良いのか? 賃料にしても、広さや場所によっては、数万円位から数百万円まであるし」
「いくらスポンサーがいるとはいえ、ホットドッグ店でそんなに高い賃料は払えないものね。ひとまず、許容できる範囲を想定して、条件を決めていきましょうか?」
二人は、それぞれの条件を仮に設定して、検索することにした。
最寄駅、三ノ宮。駅からの距離、徒歩五分以内。階数、一階。広さ、十坪以内。賃料、十万円以内。
「キャサリンさん。一件しかヒットしませんでした……それも広さが半坪位で……え~と……それに飲食店は駄目なようです」
「えっ、半坪っていったら、畳一枚位の広さよ。それでいったい何ができるっていうの? 」
「キャサリンさん、アクセサリーの販売くらいならできるんじゃないですか」
「そうか……でも少し条件が厳しすぎたのかしら」
キャサリンに言われてナンシーが、条件を少し緩和した上で再度検索をしてみる。
「最寄駅が、三ノ宮以外だったら、いくつかあるみたいですけど」
その検索結果を二人で検討してみるが、最寄駅が辺鄙なところではあまり意味がないように思った。
「やっぱりネットだけじゃなくて、街の不動産屋さんに行かなきゃ駄目なのかな?」
「どうしても行かなきゃ駄目なんですか? 私、なんだか怖くって」
そう言いながら、いつものおどおどとした態度のネガティブバージョンに変身してしまう。どうもナンシーは、不動産屋について、偏ったイメージを持っているようだ。
「しっかりしなさい、ナンシー。ドラマに出てくるような悪徳不動産屋なんて、実際にはそんなに居ないんだから」
何とかナンシーを立ち直らせたいという一心で励ましているのだが、そうは言いながらも実はキャサリン自身、少し怖がっていたのである。
「ナンシー、今から不動産屋さんに行くわよ」
そう言うとキャサリンは、引きこもりになりそうなナンシーを強引に引きずり出して、三ノ宮駅前の繁華な通りへと、当てもなくくりだした。
さすがに繁華街というだけあって、大勢の人達が、それぞれ思い思いに行きかっている。桜の季節も終わり、本来の暖かな春の陽気が人々を誘っているようだ。
その中を、人とぶつからないように注意しながら暫らく歩いていると、目的の不動産屋を見つけることができた。
「ナンシー、名刺を持ってきた? せっかく作った名刺なんだから、こういう時に使わなくっちゃね。さあ、行くわよ」
キャサリンは自分自身をも奮い立たせるようにして、ナンシーを促した。
お店の表のガラス窓には、びっしりと物件情報が貼り付けられている。アパートやマンションといった賃貸物件が多い中、隅の方に貸店舗のコーナーがあった。
二人がガラス窓に張り付いて見ていると、中から若い男性社員が出てきて声をかけてきた。
「お部屋をお探しで? ルームシェアですか?」
年頃の女子二人が一緒に賃貸情報を見ているのでそう思ったのだろう。
二人に声をかけてきたその男性は今時の若者に似合わずワイシャツにネクタイ姿、そして髪の毛も短めな上、清潔で真面目そうな雰囲気だった。それに人懐っこい笑顔が、二人を安心させた。
守備範囲の広いキャサリンは、またしても胸キュンになりそうなのを、何とか押さえ込む。一時故障していたキャサリンの胸キュンセンサーが、どうやら復活したらしい。
「いえ、私たちは、店舗物件を探しにきたのです」
「店舗物件……ですか?」
その若者は、二人の見た目からは程遠い返答に、怪訝そうな顔をする。
「そうなんです。私たちオーナーの指令……じゃなかった……指示で、新しく開業するお店の、物件調査をしているんです」
そう言いながらキャサリンは、バッグの中から名刺を探し出していた。
「申し送れました。私は訳あって、キャサリンといいます」
例のキャバ嬢も真っ青――にはなっていないが――の名刺を両手で差し出し挨拶をする。そして、ナンシーにも名刺を出すよう目配せをした。
「あのう……私は、ナンシーです」
「ご丁寧にありがとうございます。私は大島です。よろしくお願いします」
その若者は、二人の外国人風の名前に少し怯みながらも、咄嗟に自分の名刺を取り出して交換する。
大島と名乗ったその男性は、二人の名刺を見て、更に驚いた。
「部長様? これは失礼いたしました」
歳若い女性が『部長』という肩書を持っていることに、御見それしたのである。
「あっ、すみません。それはオーナーが私達に、肩書きだけ付けてやるってことで、実際には伴わないんです」
「そうですか……でも、世界平和PR大使っていうのもすごいですね」
「それも実際には、まだ何の活動もできていなくて、これからしていきたいっていう希望なんです」
キャサリンは、あまりにも肩書きが立派すぎるのも、言い訳をするのが大変だと思った。
「実は、先にネットで検索してみたのですが、あまり良い物件がなかったので街の不動産屋さんなら、生の新しい情報やネットにも出ないような好物件の情報を持っているんじゃないかと思って」
「そうですね。好物件ほど出る前に決まってしまうので、ネットにはほとんど出ないですね。条件にもよりますが、当社にもそういう物件情報がたくさん来ますよ」
「本当ですか? やっぱり出てきて良かった。でも……ちょっと厳しい条件なんですけど」
キャサリンはそう言って、仮に決めていた条件を大島に提示する。
その条件を見て大島がどういう反応をするのか、ドキドキしながら見守った。もし反応が悪ければ、やり方を根本的に見直さなければならないのである。
「う~ん……確かに厳しい条件ですね。でも、すぐには無理かもしれませんが期間をいただければ、そんなに遠くない時期に出てくる可能性は十分ありますよ」
厳しい条件に唸りながらも大島は、今すぐでさえなければ可能性のあることを請け合ってくれた。
喜んだ二人は良い物件情報が出てくれば、すぐに連絡してもらうことを依頼して、不動産屋を後にする。
「キャサリンさん。良かったですね」
お店から通りへ出ると、ナンシーはキャサリンの袖を引きながら、そう言って声をかけた。まるで花が一気に咲いたかような笑顔になっている。
あれほど不動産屋を怖がっていたのが、嘘のように元気になっていた。現金なものである。
「そうね。でも緊張していたせいか、少しお腹が減ってきちゃった」
「本当ですね。私も、何か甘い物が欲しくなってきました」
心の緊張が緩んだ途端に、お腹の緊張も緩んだようだ。
街の中を暫らく歩いていると、甘い物に目がないナンシーが、目的のお店を目ざとく見つけた。
「キャサリンさん。あそこに、鯛焼屋さんがありますよ。私、鯛焼き大好きなんです」
「じゃあ、私が奢ってあげる。それに、トムさんにもお土産に買って帰りましょう」
そう言ってキャサリンは、鯛焼きを五つ買って箱に入れてもらい、冷めないうちに帰ろうと、事務所への道のりを急いだ。
事務所に戻ると珍しくトムがいて、相変わらずスポーツ新聞を見ている。
「二人とも喜べ。昨日も阪神が勝ったぞ。これで首位巨人まで二・五ゲーム差だ。十分射程距離内だぞ」
「そうですか……」
キャサリンは、冷めた表情で気のない返事をした。キャサリンも阪神の応援はしているが、優勝したわけでもなく、ましてまだ首位にもなっていないのに、試合毎に勝ったの負けたのと一喜一憂しているトムが不思議でならない。
それに、開幕して半月ほどしか経っていない時期の順位やゲーム差なんて、当てにならないと思っている。まあ、熱烈な地元阪神ファンが一年の内で一番楽しめる時期ではあるのだが。
同じ阪神ファンでも、関西人特有の特性を地方出身のキャサリンが理解できないのは、無理もないことだった。
「そんなことよりトムさん。不動産屋さんの帰りに鯛焼きを買ってきたのですが、トムさんも食べませんか?」
「おっ、俺もいいのか? じゃあ一つ頂こうか」
「わ~い、タイヤキだ。まだ温かい。私、猫舌なので出来立てで火傷しそうなものより、少しだけ温度が下がった位が好きなんです」
鯛焼き好きのナンシーは、珍しくテンションが、上がりっぱなしである。猫好きの鯛焼き大好き少女は、猫舌でもあった。
「そうね。温かい鯛焼きの皮と餡子のコラボレーションが、何ともいえないのよね。甘すぎず、それでいて少し香ばしい感じの甘さが。冷めた鯛焼きなんか、食べられないものね」
キャサリンもナンシーに続けてコメントする。それに刺激されたのか、トムが割って入ってきた。二人のテンションに、置いてけぼりにされたくなかったようだ。
「鯛焼きなら、俺にも言わせろ。皮は普通のと薄皮があるけれど、この鯛焼きみたいに薄皮の方が、より香ばしくて俺は好きだ」
「トムさん。何、大好き宣言をしているのですか?」
トムの取って付けたようなテンションに、キャサリンが冷やかな視線を投げかける。
「いや……昔、鯛焼きを焼いていたことがあったので、つい興奮してしまって」
年甲斐もなく興奮して叫んでしまったことをトムは我に返ったかのように、そして照れくさそうに頭を掻きながら小声で言い訳をしていた。
図らずも二人は、ほんの少しだけトムの過去を垣間見ることができたのである。
暫らくは三人共、沈黙して鯛焼きに夢中になっていた。普段は結構賑やかな三人のはずだが、好きなものを夢中で食べているときだけは至って物静かなのである。
この静寂は、最初に鯛焼きを食べ終わったトムによって破られた。急に思い出したかのように二人に指令を発したからだ。
「ところで懸案になっていたコンサルタント会社についてだが、スポンサーから指定が入った。二人とも、その会社の担当者と連絡を取り合って、開業に向けて進めてくれたまえ」
「えっ、決まったのですか? で、何処なんですか?」
「大阪の会社だ。場合によっては、そこに行って研修を受けてもらうことになるから。大阪なら通えるだろう?」
ようやく、コンサルタント会社が決まり、開業へ向けて具体的に進めることができるようになったのである。
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