第12話 市場調査
翌日トムが、朝からスポンサー探しと言って外出してしまったので、キャサリンとナンシーは、いつ開業できるか分からないホットドッグ店について下調べをすることにする。
「ナンシーは神戸にあるホットドッグ店の情報をネットで検索してちょうだい。ハンバーガー店なら多いと思うけど、ホットドッグ店だとあまり無いんじゃないかな?」
キャサリンはナンシーにテキパキと指示をした。やはり『001』としての自覚は大変大きいようだ。只、キャサリンの場合は、IT関係が苦手なので自分に振りかからないようにと、先にナンシーに指示を出しているだけなのかも知れないが。
「ちょっと待って下さい……神戸のホットドッグ店で検索してすぐに出てくるのは、二店舗ですね。他にもあるのかも知れませんが、今のところ、目立つのはその二店舗だけです。後、最近は、ハンバーガーチェーン店やカフェやレストランなんかでも、バリエーションとしてのホットドッグを扱っているところがあるようですが」
「取敢えず、その二箇所に絞って下調べしてみましょう。場所はどのあたりになるの?」
「場所ですか? え~と……駅でいうと須磨と六甲道みたいですね」
「六甲道っていったら、心音ちゃん家(ち)の近くよね?」
「そうですね。心音ちゃんに聞けば、知っているかもしれませんね」
「じゃあ、そっちは後から聞いてみることにして、まずは須磨の方から調べてみましょうか」
「須磨の方は、何か、オーナーが外国の人みたいですね。メニューもホットドッグだけでも十以上あって、それ以外のサイドメニューも十以上あるようです」
「そうなんだ。私、ホットドッグって三種類くらいかと思っていたけど、意外と種類があるものなのね」
「それから、テイクインとテイクアウト、両方OKみたいですよ」
「そりゃあ、そうよね。ホットドッグはハンバーガーと同じでファースト(ファスト)フードなんだから、両方できないとね」
「場所も、須磨駅のすぐ目の前という、すごく良い立地にあるようです」
「そうか……立地というのも大事なのね」
結局二人は、ホームページに記載されている内容を、確認しただけに終わってしまった。無理もない。あまりにもトムが無茶振り過ぎるのだ。しかし二人共、真剣にその任務を果たそうとしている。
「何か、ホットドッグなんてって簡単に考えていたけど、結構奥が深い物なのね」
キャサリンはインターネットでの下調べをして、今更ながらそう思うのである。
「キャサリンさん。私達って飲食店の経験も無いし、まして、ホットドッグについて何の知識もないのだから、仕方がないじゃないですか。まず下調べしてから食べ歩きなんかどうですか? やっぱり、食べてみないと分からないと思うんですけど」
ナンシーが、キャサリンに提案した。どうやら、ナンシーは下調べよりも、食べ歩きの方をしてみたいようだ。
「そうよね。やっぱり、実際の現場での市場調査って大切よね。『事件は現場で起きているんだ』って言うしね」
キャサリンも珍しくジョークを交えながら、食べ歩きに対する理由付けをしている。
二人は翌日、トムが居るのを見計らって切り出した。
「トムさん。昨日、インターネットでホットドッグ店を下調べしていたのですが、やっぱり、ネットの情報だけでは実感が湧かず理解できないんです。当面はホットドッグ店に実際に行ってみて、実際に食べてみて市場調査をすることにしました。だから時々ナンシーと二人で、市場調査に出かけますのでよろしく」
「えっ、市場調査か? 市場調査なら仕方ないなあ。ただその時には、単に食べて『美味しいね』という感想だけでなく、いろんな方面から観察して、調査するようにしてね」
トムは、キャサリン達ならしかねないと思ったのか、そう言って釘を刺した。
「えっ、例えばどんなことですか?」
単に食べ歩きをするだけのつもりだった二人は、トムが補足して刺した釘に意表をつかれてしまった。トムの感はあたっていたようだ。
「そうだなあ。考えればいろいろあるのだろうけど、取り敢えず思いつくところでは、お店の外装や内装やその立地について。それからメニューや価格やその材料や仕入れやオペレーションやその味や特徴に関する観察。スタッフの対応の仕方に関する観察。それらを総合して、これから自分達が取り入れたい部分と取りいれたくない部分。そして、それらをたたき台としてどう発展させていくかという、創造性を発揮するように心がけた市場調査ってところかな?」
「トムさん、今何か、無茶苦茶難しい要求をしませんでしたか? そんなの、おバカな私達では無理ですよ」
「誰も君達のことをおバカなんて思っていないよ。まあ、多少理屈っぽくなってしまったが、何も考えずに市場調査をするんじゃなく、そういうことを心のどこかに留めながらしてねってことだよ」
トムは、これ以上二人に難しい要求をしても無駄と思ったのだろう。結局ハードルを下げてしまった。それが仇とならなければ良いのだが。
そんな不毛なやり取りが一段落した頃、思い出したようにトムが切り出した。
「ところで、先ほど税理士事務所から『会社設立の手続きが完了した』との連絡があったよ」
「本当ですか、トムさん。私たち、やっと社員になれたのですね」
「社員なんてケチなことを言うなよ。君たちは、立派な経営側の人間だからな」
「えっ、私たちが経営側ですか?」
「そうとも。君たちは、それぞれ持株比率一〇パーセントの大株主だからな」
キャサリンもナンシーも、自分たちが株主であることを、そして会社設立の責任の一端を担うと言っていたことを、すっかりと忘れていた。
持ち株比率一〇パーセントと言えば聞こえは良いが、千円株主では実感が湧かなかったのだろう。
「ついては、この前約束した、キャバ嬢も真っ青になるような名刺を作ろうじゃないか」
「トムさん。キャバ嬢はいらないから。真面目な名刺にしてください」
トムのジョークにはパブロフの犬の如く、いちいち突っ込みを入れずには居られないキャサリンだった。
「まあ、ジョークはさておいて、見栄えの良いようにいろいろな肩書きを入れたいね」
「肩書き……ですか?」
「例えばだけど、キャサリンは企画部長で、ナンシーは管理部長なんかどうだ」
「えっ、私たちが部長ですか?」
「でも、企画部長とか、管理部長って、何をする役職なんですか?」
ナンシーは、役職名だけでは何をするのか分からず、戸惑っている。まあ、社会人の経験が少ないので仕方がないことではあるのだが。
「部長はとても偉い役職で……そうだな、しいて言うならば企画部長は企画全般、管理部長は管理全般の責任者ってところかな?」
「そんなの、全然説明になっていないじゃないですか」
トムのいい加減な答えには、キャサリンが速攻で突っ込む。
「そんな細かいことは気にしなくても、今まで通りトムズキャットのメンバーとして、頑張ってくれればいいよ」
説明に窮したトムは、そう言って有耶無耶にしてしまった。トムの常套手段である。
「後、トムズキャットのメンバーであることも名刺に入れたいし、トムズキャットの目的である『世界平和の精神をPR』することに関しても、何らかの形で入れたいんだけどどうだい?」
「例えば、どんなふうにですか?」
「そうだなあ…………『世界平和PR大使』っていうのはどうだ?」
「えっ、そんなの、勝手に名乗ってもいいのですか?」
「たぶん、大丈夫。『トムズキャット公認』って、ことにしておけばいいんじゃないか?」
「でも、何か、どんな名刺になるのか不安ですね」
ナンシーはすでに、トムの突飛な発想に、付いて行けなくなっていた。
「キャサリンので整理すると、こんな感じかな?」
そう言ってトムが自信満々で、コピー紙に大きく下書きを始めた。
株式会社 オフィスドッグス Office Dogs
企画部長
トムズキャットメンバー コードNO.001
トムズキャット公認 世界平和PR大使
キャサリン Catherine
〒650―○○○○
兵庫県神戸市××××××××××××××××
TEL:078―○○○―○○○○
Mobile:○○○―○○○○―○○○○
「トムさん、すご~い。あんまり肩書きが立派すぎて、怖いくらいですね」
二人とも、トムの下書きを見て大満足だった。まさかこんなに立派な名刺になるとは思っていなかったので尚更である。
「それでは、二人に指令する」
二人の満足そうな顔を確認して、トムが突然言い出した。いつもながら、トムの指令は唐突だった。
「えっ、何をですか?」
「この名刺を作成できる業者を探して、キャバ嬢も真っ青になるような特上の名刺を依頼してくれたまえ」
「もう~、トムさん。キャバ嬢はいりませんから」
最後まで、トムのジョークとキャサリンの突っ込みは、尽きないのである。
週明けの月曜日、キャサリンとナンシーは、トムが朝からスポンサー探しと称して不在ということもあって、念願の『市場調査』の名を借りた『食べ歩き』を敢行することにした。キャサリンは、トムの行動に疑いの目を向けながらも、自分達の『食べ歩き』のために目を瞑る事にする。
二人は早速、電車で移動を開始した。
JR三ノ宮駅から須磨駅までは、普通電車に乗っても十五分程度で行くことができる。
「ナンシー、須磨って意外と近いのね。だいぶん前に海水浴に来たときは、もっと時間がかかったような気がしたんだけど」
須磨駅のホームから改札方向に階段を上りながら、キャサリンは以前の記憶を辿っていた。隙間から覗く砂浜は時期外れのためか、人の気配もなく閑散としている。
「私もよく分からないのですが、JRの運行ダイヤの改善で早くなったんじゃないですか?」
「そうか……世の中、なんでも進歩していくものなのね」
世の中の進歩に比べて、キャサリンの進歩は今一だった。
二人が、改札を出て階段を降りていくと、すぐ目の前に目的のお店が見えた。
赤地に白の十字が特徴のデンマーク国旗が飾られていて、全体的にも赤と白を基調とした、すごく目立つお店である。
二人が、お店の表でメニューと睨めっこをするように佇んでいると、中から赤白チェック柄の制服を着た外国のおじさんが出てきて、気さくに話しかけてきた。
どうやら、このお店のオーナーのようである。
「お嬢さん達、どこから来たの?」
「私たち、三ノ宮から来たのですけど、美味しいホットドッグ店を食べ歩きして、調査をしようと思っているのですが、食べさせてもらってもいいですか?」
礼儀として一応の断りを入れた。相手は歯牙にもかけてくれないだろうが、キャサリンは将来のライバル店だと思っている。
「もちろん。うちのホットドッグは、どれも美味しいよ」
「ほんとう。どれも美味しそうで迷っちゃう」
ナンシーは、すでに本来の目的を忘れていた。まるでお預けをくらった犬のように、どれを注文しようかと夢中な様子でメニューを見比べている。
二人は、迷いに迷った挙句、結局、一番オーソドックスに近い看板メニューの二品を、二人別々に選んだ。やはり調査するなら、メインから始めなければと思ったのである。
デンマーク産のソーセージが、ケチャップとマスタード、それにトッピングのピクルスやフライドオニオンとの相性抜群で、二人ともあっという間に平らげてしまった。
但し、一個でもボリューム満点なため、二個目の市場調査は断念し、次回に持越すことにする。
「おじさん、本当に美味しかったです。でも、もうおなか一杯なので、他のメニューはまた今度調査させてくださいね」
「いつでも歓迎しますよ」
二人は、おじさんにお礼を言いながら、お店を後にする。
結局、トムに指示されていた、いろいろな市場調査はされず仕舞い。単に食べて『美味しかったね』で終わってしまった。一旦下げられたハードルは、再び上がることはなかったのである。
須磨のホットドッグ店の市場調査を済ませると、キャサリンとナンシーは六甲道の方も気になってきた。
「どうします? キャサリンさん。明日にでも心音ちゃんに訊いてみます?」
「そうね。折角だから心音ちゃんも誘って、一緒に市場調査に行きましょうか?」
「そうですね。まだ春休みのはずだから心音ちゃんに電話して、明日にでも案内をお願いしてみますか?」
たしか、六甲道の方は、心音に訊くだけだったはず。いつの間にか最初の方針を変更してしまっていた。
「そうしましょう。やっぱり、事件が現場で起きているのに、現場検証をしない手はないと思うのよね」
キャサリンは何のかんのと言いながら、結局、食べ歩きに味をしめてしまっていたのである。
翌日二人は心音と連絡を取り合って、午前十一時にJR六甲道駅の改札前で待ち合わせをした。案内をお願いする心音を待たせないように、少し早めに来ている。
二人が改札を出たところで待っていると、心音が時間ピッタリに現れた。
春らしい花柄のワンピースに薄手のカーディガンを羽織っていて、オシャレをしてきている。春休みなので心音も気分が解放されているのだろう。
ちょっと見た目では、高校生でも十分に通用しそうである。とても小学校を卒業したばかりには見えなかった。三人が並んでいても、さほど年の離れた関係には見えないのである。(実は心音とキャサリンは、約一回りも違うのだが)
『子猫救出大作戦』を共に闘った戦友は、お互いに軽く挨拶を交わした後、揃って改札から駅の北側に向かった。そこはタクシー乗り場やバス停のある、駅のロータリーになっている。もちろんタクシーやバスを使うつもりはサラサラない。
「心音ちゃん、そのお店って駅から遠いの?」
「歩いて十五分くらいかな? JR六甲道と阪急の六甲と御影のちょうど中間位なの」
「結構距離があるのね」
「それに住宅街の中だから初めての人にはすごく分りにくいところなの……でも大丈夫。心音がちゃんと案内してあげるから」
心音は快く請け合った。キャサリン達に、ホットドッグを奢ってもらえるので上機嫌である。
三人はJR六甲道駅を出るとフォレスタ六甲の横を通って、ひとまず阪急六甲駅方向に北上した。間の入り組んだ狭い道を行くよりは、わかりやすい道を選んだのだ。
しかし、六甲駅までの道は上り坂なので、坂道に慣れていない二人には実際の距離以上に感じられた。
「結構きついわね、この道」
「大丈夫? でも神戸大や松陰女子の学生さんは、ここから先のもっと急な坂道を毎日通っているんですよ。後少しだから頑張って」
泣きごとを言う二人を、心音はそう言って励ます。これでは、どっちが年上なのかわからない。
この季節、道のところどころには薄ピンク色の花を付けた桜が咲いており、道行く人々を和ませてくれている。しかし、今のキャサリン達には、それを愛でる余裕はないようだ。もったいない。猫に小判、犬に論語、豚に真珠……いや失礼。豚までは言いすぎました。
実は、阪急六甲駅周辺には桜の名所が多いのである。
駅の山側、松陰女子大方向に緩い坂を少し登ったところにある、神港教会の一本桜。そこから少し北、六甲登山口の西方向にある、神戸市道山麓線両側の桜並木。更に少し西には護国神社。そして知る人ぞ知る麻耶ケーブル東側の、桜坂とも言われる桜トンネル。花見のはしごができそうだ。
そうこうしているうち、前方に阪急線の線路が見えてきた。
「でも、ここでやっと半分なんでしょ?」
キャサリンが弱音を吐いた。
「もう大丈夫。あとは線路沿いの平坦な道だから」
心音は、弱音を吐いて世話の焼けるお姉様達二人に気をつかいながら、安心させるようにそう説明をする。
「でもこれだけ苦労してでも流行っているお店なんだから、すごく美味しいんですよ、きっと」
ナンシーはこの苦労が報われるものと期待していた。
「そりゃあそうよ。これだけカロリーを消費したのに美味しくなかったら嘘よ」
キャサリンにとって、もはや『美味しい』ことは必然なのである。
心音が世話の焼けるお姉様達を案内して、線路沿いの道から住宅街の中に入って少し行くと、目的のお店が見えた。
「何か入口の狭い、こじんまりとしたお店ね」
キャサリンの素直な感想だった。
「でも、奥行きは結構あって、中はアメリカンテイストの雰囲気のあるお店よ」
心音の説明を聞きながら、三人は店内へと入って行く。
中は心音の言う通りだった。壁に貼られたPOPやディスプレイ、それに小物や置物まで、全てアメリカンテイストを誘うには十分だった。
「見て、見て、キャサリンさん。ホットドッグの他に、ナチョスやタコスもメニューにありますよ」
「ホント、なんかアメリカンよね」
キャサリンもナンシーも、ナチョスやタコスがもともとメキシコ料理とは知らずに、いい加減なことを言いながらはしゃいでいた。
ナチョスもタコスも今やアメリカでは定番となっていることもあるが、それより二人にとってはアメリカもメキシコも同じような感覚で、区別がつかなかったのだろう。
周囲を物珍しそうに眺めながら、何を頼もうかと迷っていた三人だが、取り敢えずメインのホットドッグを注文してみた。そして驚いた。トッピング類は少ないのだが、とにかくソーセージが太いのである。なんでも特注しているそうだ。
食べてみても美味しかった。アメリカンテイストの本格ホットドッグという評判もうなずけた。
「キャサリンさん。須磨のも美味しかったけど、こっちも美味しいですね」
「そうね。どっちも甲乙付けがたいほど美味しくて、何か別物と考えた方が良さそうね」
須磨の時は単に『美味しかったね』で終わってしまったが、さすがに二カ所を食べ歩きすれば比較することができるので、少しはまともな感想になりそうなものである。しかし結局、『美味しい』という以外の感想を生み出すことはできなかった。
二人共グルメレポーターは無理なようだ。世界平和PR大使としての活躍の幅が一つ狭まったような気がする。
結局二人にとって、美味しい物を食べたという満足感以外、得るもののなかった市場調査だった。
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