第11話  会社設立サポート会社

 翌日は四月一日だった。世の中エイプリルフールの話題で持ちきりである。

 例年、海外ではエイプリルフールということで、大企業のウィットに富んだ嘘やいたずらでニュースになっているが、この年は日本の企業でもいろいろと趣向を凝らしていた。

 そんなニュースを見ていたのかトムは『これはエイプリルフールではないぞ』と、念を押した上で指令をだした。

「昨日の二社の内、一社に決めたので、早速、会社設立を具体的に進めてくれたまえ」

 この指令を受けて二人は、その会社にまず電話してアポイントメントを取ることにする。

「もしもし、初めまして。こちらオフィスドッグスと申します。新しく会社を設立したいと考え、貴社のホームページを拝見いたしました。もう少し詳しいお話をお伺いしたくて、今日の午後訪問させていただきたいのですが、御都合いかがでしょうか?」

 キャサリンは、前の会社で営業事務兼営業アシスタントをしていたので、電話そのものは苦にならない。只、今までのような誰かの代わりにというものではなく、自分自身が主体となっての電話なので、それなりに緊張はしていた。

 結局、午後三時にアポイントメントが取れたので、ナンシーと二人で訪問することにする。

「キャサリンさん。私達って今、何かすごい仕事をしていますね。今までの会社での仕事だったら社内で指示されたことだけをしていたのに、今は何か自分達で考えたことを自分達で実行しているっていうか、仕事の主役になったような気分ですね」

 ナンシーは、いつになくとても興奮していた。重大な仕事をしているという思いもあるのだろうが、秘密結社の活動をしているという、子供じみたワクワク感もあるのかも知れない。

「そうね。私もそれを感じるのだけど、やっぱりトムさんが私達を信頼して、任せてくれるからなのよね」

 ナンシーだけでなくキャサリンも、今までにないやりがいのある大きな仕事に取り組むことができて、気分が高揚していた。そしてそれを任せてくれるトムに、大いに感謝していたのである。

 しかし、トム自身は単に自分にできそうもないことを、キャサリンやナンシーなら何とかしてくれるんじゃないかと思って任せただけなのだろう。

 二人は少し遅めの昼食を取った後、大阪へと向かった。大阪へ行くには、JR、阪急、阪神、どれでもほとんど大差は無い。私鉄の方が少し安いのだが、JRの方は新快速がある分だけ若干早いので、今回はJRを利用することにする。

 新快速に乗って大阪駅に着くと二人は、方向音痴になってしまった。知らないうちに一階の中央改札を出てしまっていたのである。近年大阪駅の変貌は著しく、迷ってしまったのだ。しかし中央改札だったのは、まだ不幸中の幸いだった。

 取り敢えず東方向ということで、大丸を右手に通り過ぎてから地下へと潜る。そして表示看板を頼りに、地下鉄御堂筋線の駅へと向かった。

 JRは駅名が大阪駅だったが、何故か地下鉄では梅田駅となっていた。因みに、私鉄も梅田駅。

 関西人なら、理由は分らなくとも違和感なく受け入れられるのだが、キャサリンは地方出身なので未だに違和感があり、疑問に思ってしまうのである。

「ねえ、ナンシー。どうして同じ場所の駅なのに、JRと地下鉄や私鉄で駅名が変わるのかしら?」

「キャサリンさん。そんなこと一々疑問に思っていたら、関西では暮らせませんよ。だって三宮だって、JRは駅名が『三ノ宮』だけど、それ以外は阪急も阪神も地下鉄もその他諸々の名称もほとんどが『三宮』で、間の『ノ』がないんですよ。関西の人はそんな細かいことに、一々理由なんて考えませんよ」

「えっ、そうなんだ。私、神戸に住んで五年になるけど、そんなこと全然知らなかったわ」

 キャサリンは、まだ関西人になりきれていない自分に気付くのだった。そして同時に、関西人の細かなことには拘らない大らかな気風も、改めて知るのである。

 しかし、その時キャサリンは、あることを思い出した。

「ところでナンシー。あなたこの間、ガラケー(ガラケイ)のケイの意味を考えると眠れなくなっちゃうとか言ってなかったっけ?」

「もうー、いやだキャサリンさんたら。そんな細かなことをいちいち思い出さないで下さいよ」

 キャサリンは、何かすっきりとしない気分になっている。まさか、ナンシーの『関西人は細かいことを気にしない』という説明自体が、エイプリルフールだったということでは、ないとは思うのだが。

 電車の中で、そんな他愛もない話をしている間に、本町駅に着いてしまった。

 本町駅は、御堂筋線と中央線と四つ橋線で相互に乗り換えが可能な、大阪の地下鉄の中でも五本の指に入る大きな駅である。

 繊維問屋や商社、証券会社や銀行などが集中する、大阪でも屈指のビジネス街だ。

 昔の名残りかも知れないが、本町とはいいながら、何故か広い範囲で船場と呼ばれていた。現在でも一部に船場という町名が残っていたり、建物や施設にその名が残っている。

 本町の南には心斎橋やなんばといった、いわゆる『ミナミ』と称される大阪最大の繁華街が広がっている。その通称は、大阪市の中心として栄えた船場の南に位置することに由来するらしい。ショッピングに飲食、アミューズメントに演芸、風俗に観光など遊ぶことに事欠かない。よしもとの劇場などもあり、若者に人気の街である。

 二人は『ミナミ』に至る一駅手前の本町駅に降り立った。出口に迷いながらも何とか地上に出ると、目的の会社の地図を取り出して場所を確認する。ナンシーが予めインターネットで調べてプリントアウトしていたのだ。キャサリンの大ざっぱな性格を、さりげなくフォローしている。

 その会社は、駅からほど近いところにある六階建てビルの二階にあった。

「キャサリンさん、うちの会社のビルに比べて、すごく立派なビルですね。エレベーターもあるし、やっぱり大阪は違いますよね……」

 ナンシーは八百屋の娘が大奥へ招かれ、始めて江戸城を眼前に見た時の、お玉のように溜息をつく。玉の輿の逸話のあるお玉が、実際にどうだったのかは別として。

「ナンシー、それは違うわ。神戸にも立派なビルは沢山あるけど、うちの会社が入居しているビルがボロイだけよ」

 キャサリンが、訂正した。確かに、今どきエレベーターもないようなビルが、存在していること自体奇跡だった。

「キャサリンさん、どうします? 二階だけど、折角だからエレベーターに乗ります?」

「そうね。こういう時でないと乗れないかもしれないから、乗って行きましょう」

 普段、自分の会社では乗ることができないので、二人は敢えてエレベーターで行くことにした。階段はもう、うんざりなのである。

 エレベーターで二階に上がると、目の前に目的の会社の入口があった。

 入口の脇に『御用の方はこちらを押して下さい』と表記されたインターフォンを見つける。よく見るとカメラ付きだった。

 キャサリンは、今一度身だしなみのチェックをしてから、おもむろにボタンを押した。

「失礼します。三時にお約束していました『オフィスドッグス』のキャサリンとナンシーです」

 トムズキャットの『本名を使用せずコードネーム、コードナンバーを使用する』という一応の規則に則り、電話でアポイントメントを取るときから、コードネームで押し通してきたのである。

「今、施錠を解除しますので、中にお入りください」

 インターフォンのスピーカーから、女性の声で応答があり、同時に、『ガチャ』という解錠音がした。

「キャサリンさん、やっぱりうちの会社とは大違いですね」

 ナンシーはいつのまにか、二週間ほど前の『オフィスドッグス』に面接に来た時のように、自信の無いオドオドとした雰囲気になっている。

「ナンシー、しっかりしなさい。どんなに立派な会社でも、私達がお客様よ」

 キャサリンは自分自身に言い聞かせるように、ナンシーを励ました。実は、キャサリン自身も少し気後れしていたのだが、『001』としての自覚は伊達ではないのである。

 中に入ると、そこはエントランスになっていて、先程の声の主と思われる女性が出迎えてくれた。キャサリン達に比べると年齢は少し上に見え、黒のビジネススーツを上品に着こなしている。

「どうぞ、こちらへ」

 その女性は、そう言って奥の面談室へと案内してくれた。中へ入ると、六人がけの会議用テーブルがあり、その右側に通される。

 二人が、勧められた席に座り暫らく待っていると、歳の頃はトムとあまり変わらないだろうと推測できる中年男性が現れた。

 トムと違って仕立ての良いダークスーツをエレガントに着こなし、落ち着いた雰囲気で、紳士然としている。

「初めまして。この度は、会社設立をご希望とのことで。担当させていただきます島崎と申します。よろしくお願いします」

 島崎はそう言って名刺を差し出した。シトラス系のコロンの香りが、ほのかに漂ってくる。

昔風に言えば『ダンディ』。今風では『メトロセクシャル』とでも言うのだろうか。少しニュアンスが違うのかも知れないが。

 トムと同じ位の年齢で、トムとは比較にならないほどお洒落で立派な紳士なのに、不思議とキャサリンは胸キュンにはならなかった。キャサリンの胸キュンセンサーは、どうやら壊れてしまったらしい。

「これから会社を設立するので、まだ名刺が無くてすみません。私がキャサリンで、こちらがナンシーです。どうか、よろしくお願いします」

 キャサリンは自分自身の名刺が無いため、少し申し訳なさそうに受取りながら挨拶をする。

「いや、あまりにもお若くて、きれいなお嬢さんたちなので驚きました。そのお歳で会社を設立されるとは、大したものですね」

 島崎は二人の若さに驚きながら、そして少しのお世辞を交えてそう言った。

「実は、オーナーが別にいるのですが、会社設立の実務を、今回私達二人に一任されたものですから……まず、会社設立に関する内容と条件について、改めて確認させていただきたいと思います。確か、貴税理士事務所との顧問契約も条件になっていたと思いますが、顧問契約でどこまでしていただけ、費用がどれくらいになるのかが、ランニングコストとして重要なので、詳しく教えていただけますでしょうか?」

 キャサリンは緊張しながらも、『001』としての自覚から、毅然として島崎へ申し入れをする。ナンシーは、そんなキャサリンを頼もしそうに見つめていた。

「いやいや、お若いがなかなかしっかりとしていらっしゃる。ご安心下さい。当事務所は、設立費用だけではなく、顧問料や決算費用、年末調整費用、記帳代行など、最初に必要と思われる費用もすべて纏めて割安料金を設定していますので、これから会社を設立されるお客様には、大変有利な条件になっています」

 島崎はそう言いながら、内容や条件について詳しく説明をする。

 キャサリンもナンシーも、島崎のわかりやすい説明に、ある程度納得できた。

「ありがとうございます。私達は、大体理解できました。オーナーに報告して了解を得ましたら、改めて依頼したいと思いますので、どうかよろしくお願いいたします」

 二人は、大きな仕事を成し遂げたという充実感に浸りながら、税理士事務所を後にする。

 翌日、二人は、トムに報告したくて朝早くから出勤していたが、生憎とトムがなかなか出勤してこない。

「今日はトムさん、遅いわね」

 キャサリンが、拍子抜けしたような感じでナンシーに愚痴をこぼした。早くトムに報告して誉めてもらいたかったのに、それが叶わないのである。

 何か、キャサリンはトムに誉めてもらいたいために、一生懸命仕事をしているようだ。

子犬は投げられたボールを咥えて戻ってきたのに、肝心の飼い主がいなくて誉めてもらうことができずにいた。

「キャサリンさんて、本当にわかりやすいですね。トムさんのことが、気になってしょうが無いって感じですね」

「そっ、そんなこと無いわよ。只、早く報告して、会社設立の次のステップに進みたいだけよ」

 キャサリンはナンシーに図星をさされ、ドギマギしながら言い訳をしていた。

 そこにトムが、いつものワンフレーズで現れる。

「やあ、諸君、お早う。元気かね。元気があれば何でもできる」

「トムさん、お早うございます。ていうか、少し遅くありませんか?」

 早速キャサリンが、いつものごとく噛みついた。トムのことが気になりながらも、キャサリンはトムの顔を見ると、何故か突っ込みを入れずには居られないのである。

「いや~、真夜中にサッカーの試合を見ていたら、ちょっと寝過ごしてしまって」

「社長がそんなことでは、社員の示しがつきませんよ」

「えっ、社長って? もう会社設立できたのか?」

「まだですよ。まあ、もうほとんどできたのも同然ですけど。後は、二・三トムさんに確認して最終的な了解をいただければ、サポート会社に連絡して手続きをスタートしていただくことになっています」

「えっ、そうなのか? 何か、ペースが早いな」

 トムは、自分の想定より数段進んでいることに、少し驚いている。

「で、二・三の確認って何だい?」

「まず印鑑関係ですが、代表者印、角印、銀行印、認印の他、会社名及び住所、電話番号のスタンプが必要ですが、どこか予定はありますか? 無ければ会社設立と同時に、サポート会社にお願いしようと思いますが」

「う~ん、それは君達に任せるよ。他には?」

「後は資本金ですが、私達も出資者として、株主になりたいのですが、どうですか?」

「君達も株主になりたいって? う~ん、まあ、それは良いことじゃないかなあ。でも株主になるってことは、それなりに責任も付いてくるよ。大丈夫かい?」

「ええ。それはある程度、覚悟はしています。でも、ここまで深く会社の設立にかかわった以上、やっぱり、自分達もその責任の一端を担うことも含めて、かかわっていきたいと思います。」

「そうか。なかなか良い心がけだ。設立する会社について、自分でも責任を持つという覚悟だね。よし、分かった。それなら二人共、千円位今出せるか?」

「まあ、千円位なら、すぐに出せますけど」

「それじゃあ、キャサリン千円、ナンシー千円、トム八千円という資本金の出資でどうだ? 一円株式会社とか思っていたけど、さすがに一円を三つに分ける訳にはいかないからね。これで、最初に考えていた会社の規模の一万倍の会社になるぞ。どうだ、すごいだろ」

 トムは一万倍というフレーズに、一人ご満悦な様子。そんなトムをキャサリンはスルーする。

「それでは、この方針で会社設立の依頼を掛けていいですね」

 キャサリンは、早く次のステップに進みたくて仕方がないのだ。

「それは君達に任せるよ。で、いつ頃正式な設立になりそうだい?」

「依頼すれば、一週間も掛らないと言っていました」

「そうか、じゃぁ、来週には俺も社長なんだな」

 トムが感慨深げに自分の世界に浸って呟いた。

「社長になったら、寝坊して遅刻なんてしないで下さいね」

 早速、キャサリンの突っ込みが入る。キャサリンにとって、トムは突っ込みどころ満載である。

「ところでトムさん。会社設立については、後はサポート会社に任せればいいのですが、肝心の会社そのものは、どうするのですか?」

 キャサリンは早くも、次の段階を心配していた。

「う~ん……まだ、スポンサーが決まらないので、具体的に動くことはできないのだが、取り敢えず先日話したように、ホットドッグ販売の飲食店について、事前に調べておいてくれないか」

「えーっ、それじゃあ、会社が設立できても、まだ具体的なことは何もできないということですか?」

「まあ、俺も、スポンサー探しを頑張ってはいるのだが、まだ正式には決まっていないので、いつでも始められるように市場調査も含めて、下調べをしておいてほしいんだ」

 キャサリンもナンシーも、会社設立の目処が立ったことで上がっていたテンションが、スポンサーが決まらないということで一気に下がってしまった。それが表情にまで無意識のうちに出てしまう。

「おい、おい。そんな顔をするなよ。俺も必死でスポンサー探しをしているのだから……もう少しすれば、朗報があるかも知れないぞ」

 トムはそう言ったが、二人はあまり期待できないことを、ここ二週間余りの経験から察していた。トムの法螺話は未だに一つも実現されていないのである。

「分りました。取り敢えず、いつ開業できるかは別として、ホットドッグ店の下調べを開始することにします」

 キャサリンとしては、そう言うより他にはなかった。

「トムさん。そのホットドッグ店の店名は、どうするのですか? まさか、『オフィス ドッグス』とか『トムズキャット』というわけにはいかないと思うのですが」

 今まで二人のやりとりを黙って聞いていたナンシーだが、これだけは聞いておかなければと思ったのだろう。

「そのことだけど、『オフィス』とつけてしまうと飲食店らしくないので、単純に『ドッグス』だけにしようと思うんだ。そうすれば、ホットドッグとの連想もしやすいだろう」

「でも、『ドッグス』という名のお店を、『トムズキャット』が開業するのって、何か変な気がするのですが」

 ナンシーは前から『ドッグス』と『キャット』、日本語では『犬』と『猫』という、相反する名称の関係を疑問に思っていたのである。

 キャサリンも、『そうだ、そうだ』と頷きながら、ナンシーの尻馬に乗って賛同した。

「いやいや、それがそうでもないんだよ。『ドッグス』という名のお店を、『トムズキャット』という『猫の手』を借りて、営業していますということで、辻褄があうんだよ」

 トムは屁理屈を並べたてるが、相変わらず説得力がない。

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