第7話  会社設立ミッション

 翌朝、キャサリンとナンシーが出勤すると、すでにトムがいてスポーツ新聞を見ていた。

「トムさん、お早うございます。相変わらずスポーツ新聞なんですね。たまには経済新聞でも読んでみたら」

 早速キャサリンが、トムに絡んで噛みついた。

「バカ野郎。経済新聞なんか建前と体裁ばっかりで、一般庶民の役になんか立つものか。 庶民の役に立つ情報は、スポーツ新聞にこそあるんだぞ」

 トムも屁理屈で応戦する。ある意味では、全く良いコンビである。ノリツッコミの見事なコンビネーション。花月出演も夢ではない。

 そんなやりとりを他所に、ナンシーがトムに昨日の結果を報告する。

「トムさん、トムさん。私達昨日、初ミッションをクリアすることができました」

「ああ、二人とも御苦労だった。俺も、依頼主から聞いて満足しているよ。これから、もっともっと大きなミッションがあると思うが、頑張ってくれたまえ」

 キャサリンは、自分が『初ミッションクリア』の報告をしてトムに誉めてもらうつもりだったのに、変にトムに絡んでしまったため、ナンシーに先を越されてしまったのである。

「トムさん……私も結構頑張ったんだけど……」

 自分も参加していたことを何とかアピールしたくて、でもナンシーに先を越されてしまったことから、キャサリンはあまり大きな声では言えずにボソボソとそう呟く。

「キャサリンもよくやってくれた。俺は犬には好かれるのだが、生憎と猫にはあまり好かれないみたいなので敢えて参加せず、キャサリンなら何とかしてくれるんじゃないかと思って任せたんだよ」

 それを聞いて、何故かキャサリンは胸キュンとなってしまった。

 ナンシーから、『トムさんのことを、意識しているんじゃないですか?』と言われたことで、本当にそんな気になってしまったのだろうか? 

 小学生でもオジン臭い男にでも胸キュンになってしまう、本当に守備範囲の広いキャサリンである。野球選手なら、ゴールデングラブ賞ものだ。

「ところで、昨日言っていたトムズキャットの会議って、何だったのですか?」

 ナンシーが、思い出したように訊ねる。キャサリンの甘酸っぱい感傷は、この発言でぶち切られてしまった。

「そのことだが、『トムズキャット』に関して統一見解を保有するために、趣旨の説明と今後の方針について、事前に話し合っておこうとういう会議だよ」

「えっ、なんか私の時にはそんな高尚なタイトルじゃなく、『どうやって活動資金を稼ぐか』っていう、即物的な議題じゃなかったですか?」

 キャサリンは、『なんでナンシーの前でそんなに格好をつけるのよ』という思いだった。さっきまでの感傷は何処へやら、憮然とした表情になる。

「どちらも同じ意味だよ。とにかく、トムズキャットとしての会議の仕切直しをしようじゃないか」

 トムは、キャサリンの複雑な気持ちに全く頓着することもなく、そう言って二人を促した。このいい加減さは、トムらしいと言えばトムらしいのだが。

 キャサリンはまだ不服そうな顔をしているが、ナンシーともどもトムが会議室などと称している席へと着いた。

「では、諸君。諸君でいいよな? キャサリン」

 前に、キャサリンから指摘されたことを意識しているようだ。

「まあ、二人で諸君もないとは思いますけど。一人よりはましですよね」

「それでは、早速会議を始めよう。ナンシーは初めてなので、まず、趣旨説明から始めるが、いいかな」

 まだ憮然とした表情を崩すことなく、キャサリンは黙って頷いた。トムへの不満が、そのまま表情に表れている。

「キャサリンには重複するが、順番に簡潔に説明すると、『トムズキャット』は私トムが創設した秘密結社であること。秘密結社なので本名は使用せず、コードネーム、コードナンバーを使用すること。『トムズキャット』の活動目的を、『世界平和のPR』とすること。『世界平和』をPRすることに関連するならば、企業、団体、個人からのあらゆるオファーを受けて活動していくことなどがある」

「どんなオファーがあるのですか?」

 ナンシーが思わず質問する。

「それは、企業、団体、個人からの宣伝・広告と『世界平和』のPRを兼ねたようなオファーのことで、例えばテレビやラジオ、雑誌や新聞、各種イベント等で、CMやレポーターやアシスタントといった活動などが考えられる」

「本当にそんなオファーがあるのですか?」

 ナンシーは黙って聞いていたが、キャサリンはトムの胡散臭い説明に、うんざりとしながらそう問い返す。

「確かに。その活動自体はこれから始めようとしていることで、一般的に認知されているものではなく、それ故そのオファーがいつどれだけあり、又どれくらいの収益があるのか、いや現時点で考えればこれからの営業活動次第ということで、無いに等しいといえる」

「ほとんどこれからっていう事ですよね」

 キャサリンが鋭く、そして厳しい指摘をする。

「そのとおり。その事から『トムズキャット』としての活動とは別に、安定的に資金を稼ぎ、又、秘密結社をカモフラージュする、表の顔をもつ新会社を設立しようというのが、前回の会議の議題だったよね。キャサリン」

 ここまでトムは、一方的な論理を展開していた。キャサリンは別としても、初めて聞くナンシーがどこまで理解できたのかは疑問である。

「その新会社設立を、トムさんが私一人に指令したのだけど、私一人じゃ無理ということで、二人目の『トムズキャット』を募集するということになって、貴女がメンバーになったのよ、ナンシー」

「そこでメンバーも二人となったので、この新会社設立のミッションをキャサリン、ナンシー、君たち二人に指令する。いいね」

 キャサリンは前回のトムとのやり取りから、自信がなく不安一杯でも反論することができずにいた。メンバーが二人になってしまっては、拒絶する理由がないのである。

「私達で新しい会社を作るのですか? すご~い」

何を思ったのか、ナンシーはすっかり喜んでしまった。

 トムの話がたとえ理解できていなくても、先輩のキャサリンがいるという安心感があるからなのだろう。キャサリンが内心では、完全に拒否をしているということに気付かず、実にノーテンキなものである。どうやら、ナンシーの天然は本物らしい。

「ところでトムさん。その新会社は、いったい何をする会社なのですか?」

 不安一杯でも受けざるを得ない状況に諦めたキャサリンは、その会社の具体的なことを訪ねた。

「うむ、そのことだけど、会社そのものは何でもできるようにしておかなければならないが、当面の仕事としては『オフィス ドッグス』だけに、ホットドッグ販売の飲食店というのはどうだ?」

「トムさん、そんな駄洒落みたいなことで、決めてしまってもいいのですか?」

 早速、キャサリンが反論する。

「いや、こういう名前と仕事内容との関連というのは、大事なことだよ。名前だけで何の会社か連想できるというのがいいのだよ」

 トムの説明は全く説得力が無い。駄洒落では当然である。

「でも、トムさん。私もナンシーも、飲食店の経験はないですよ」

 これでキャサリンは勝ったと思った。いくらトムでも、経験そのものを無視するとは思わなかったのだ。しかしその観測は甘かった。

「キャサリン、分かってないなあ。飲食店というのは、他と同じことをしていては成り立たないものさ。例え未熟でも他にないものを創造すれば、固定客が付くものなんだよ。だから、経験の有無よりも、他にないものを創造する豊かな想像力が重要なのさ」

「他にないものってすごく難しいと思うのですが、どういうことですか?」

「それを考えるのが、君達のミッションになるんじゃないか」

 トムは、肝心な所をメンバーに任せてしまう。

「まあ、何をするかは後から検討するとして、まず、何でもできる会社を設立することを、メインテーマとしようじゃないか」

 キャサリンの反発を抑えるように、トムが提案した。

「会社設立といっても、会社名から決めないと、いけないんじゃないですか?」

 トムが、話の論点を逸らしてしまったことに、少なからず不満を募らせながらも、キャサリンは敢えてそのことは追求せずに、そう指摘する。

「そうだなあ……何にする?」

「やっぱり、『オフィスドッグス』というのは捨てがたいんですけど」

 キャサリンには思い入れがあった。『私はいったいどこに入社したの?』という想いを払拭したいのだ。

「私も、この会社名以外には考えられないです……」

 ナンシーもすぐに同調する。

「えっ、いいのかよ。いいのだったら、それにするか? 入口の表札も変えなくていいしな」

 トムも深く考えることなく、安易に妥協した。

「会社名は『オフィスドッグス』として、『株式会社』は前につけるのですか? それとも後ろにつけるのですか? 『株式会社 オフィスドッグス』と『オフィスドッグス 株式会社』では、受けるイメージが変わると思うのですけど」

 キャサリンの生真面目な性格の表れである。

「どっちでもいいよ」

 トムがいい加減な返答をした。キャサリンは、あまりにも無責任だと思った。それを指摘しようと身構える。

「あのう……前株の方が、言いやすいと思うのですが」

 キャサリンが言葉を発する前にナンシーが、二人の間を取り持つように発言した。反発しあう二人の間に立って、何とか取りなそうとしているのである。ナンシーの意見に対して二人共、特に異論はなかった。

「じゃあ、正式会社名は『株式会社 オフィスドッグス』ということでいいかな?」

 トムは、結論を急いで二人に確認する。何か時間を気にしているようだった。

 結局、反対意見がないということで、その会社名で決定する。

「それでは、キャサリンとナンシーの二人で、新会社設立のミッションを達成してくれたまえ」

 そう言い残すと、トムは慌ただしく外出してしまった。

 何か、時間を気にしなければならないような、約束でもあったのだろうか?

 後に残された二人は、何をどうしようかと途方にくれた。

「大丈夫よ。会社の設立方法なんて、インターネットで検索すれば幾らでも出てくるらしいから」

 キャサリンも自信はないけれど、ナンシーがコンピューター関係の専門学校卒業なのを思い出して、幾らか安堵していたのである。

「そうなんですか。さすがキャサリンさんですね。私安心してついていきます」

「えっ」

 予想外の返答に、キャサリンは思わず絶句した。

「ナンシー。貴女、コンピューターとかインターネットとかITとか得意なんでしょ」

「私、そんなの全然得意じゃないですよ」

 更に追いうちをかけるような返答に、意表を突かれてしまい唖然となる。

「えっ、だってナンシーは、コンピューターの専門学校卒業でしょ?」

「まあ、専門学校は何とか卒業できましたけど、成績とかも悪かったし……得意かどうかって訊かれたら、やっぱり得意じゃないと思います」

 あまりにも思いがけないナンシーの言葉だった。期待が大きかっただけに、ショックを受けて愕然とする。キャサリンの思惑は見事に外れてしまったのだ。

「でも、インターネットを使って、調べ物をしたりなんかは出来るよね」

 それでも諦めきれず、藁にもすがる思いでナンシーに確認する。

「まあ、それぐらいのことは、いくら成績が悪かったとはいえ一応は卒業しているので、できるとは思いますが」

「いいの、いいの、それだけできれば」

 辛うじて安堵のできる回答を得て、ひとまず胸をなでおろす。

 しかし、ここまでキャサリンを惑わすとは……ナンシーもなかなか侮りがたい。

「取り敢えず、ナンシーはインターネットで会社の設立方法を検索してみて。方法が検索できたら、二人で検討することにしましょう」

 IT音痴のキャサリンは、インターネット関連については自分の方にこないように、先にナンシーに振ってしまった。

 ナンシーがパソコンに向かい検索を始める。

「キャサリンさん……何か『手続きを始める前に用意しておくべき十の項目』というのがあるのですが、トムさんに訊かないと分からないですよね?」

「えっ、十もあるの? それって、例えばどんなこと?」

「第一が会社名なのですが、これは『株式会社 オフィスドッグス』でいいですよね。第二の事業目的については、トムさんが『何でもできるように』って言っていましたけど、飲食店の他になんて記載すればいいのでしょうか?」

「それは、後でトムさんに確認しましょう。次は?」

「次は、本店所在地ですが、取り敢えずこの事務所の所在地でいいですよね?」

「それはそうね。それで次の第四は?」

「え~と、資本金ですが、トムさん一千万円くらい出してくれるのでしょうか?」

「それは無理ね。前にトムさんは、一円の株式会社を作るって言っていたもの」

「その次は、え~と……『資本金を出す株主の構成』ですが、やっぱりトムさんですよね?」

「待って、ナンシー。資本金が一円でいいなら、私やナンシーが株主でもいい訳じゃない。ナンシーも一円位は出せるでしょう?」

「そりゃあ、さすがに一円位は出せますけど」

「OK。じゃあ、第六は?」

「え~と……『機関設計』と言って、何か取締役会を設置するかどうかみたいなことなんですが、良く分んないです」

「じゃあ、それはトムさんに後で確認するとして、次は?」

「第七は、『事業年度をどうするか』みたいなことなのですが、決算月を何月にするかってことでしょうか?」

「まあ、それも後で、トムさんに確認しましょう」

「第八は、会社の印鑑を四種類、事前に用意しておくらしいです」

「それもトムさんに言っておけば、何とかなるでしょう」

「次はその印鑑の『印鑑証明』を、事前に取っておいた方がいいみたいです。会社設立の手続きの際に、必要になるみたいです」

「それも、トムさんに言えばすむことね。最後は?」

「最後は、会社の設立で、最低限必要な費用を用意しておくようにってことなのですが、いったいどれ位の費用が必要なんでしょうか?」

「それって、ネットの中に何か情報は無い?」

「ちょっと待って下さい。今調べてみますから」

 そう言って、ナンシーが再び検索をし始める。

「え~と、最低限必要なのは、『定款に貼る収入印紙代、四万円』『定款の認証時に公証人に払う手数料、五万円』『登記手続きに必要な定款の謄本手数料、約二千円』『登記手続きの際の登録免許税、最低十五万円』で、合わせて約二十五万円ってなっていますけど」

「そうなんだ……でもトムさん、前に手続きの費用は何とかなるって言っていたから、それ位は大丈夫でしょう」

 キャサリンはここまで聞いていて、『これなら会社設立なんて、大したことないじゃん』と思い始めていた。しかしその実、殆んどトムに判断を仰ぐことばかりなのだが。

 キャサリンが安易にそんなことを考えていると、ナンシーが突然意表を突くような難しい質問をしてきた。

「キャサリンさん。『定款』って、何ですか?」

「そっ、そんなこと、私に訊かないでよ。ネットで何かでてないの?」

「え~と……『定款』とは会社の憲法みたいなものということらしいですけど」

「けっ、憲法? いったいどういうこと?」

「なんか分んないですけど、これから設立する会社の根本規則という、もっとも重要な決まりごとを策定することで、絶対的記載事項、相対的記載事項、任意的記載事項っていうのがあるらしいです」

「いいわ。そんな訳の分かんないことは、全部トムさんに任せましょう」

「さすがキャサリンさんですね。私じゃとてもそんな過激な事は言えません」

 結局二人は、分かる部分と分からない部分を明確にして、トムに判断を委ねることにする。といっても分からない部分の方が、はるかに多いのだが。

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