第5話  子猫救出大作戦

 週明けの朝、キャサリンはいつもより早く出勤した。

 ナンシーの初出勤を迎えるためだが、それよりもトムの『過去001候補に何度も逃げられた』という話から、本当に出勤してくるかどうか心配になったこともあり、又もし本当に出勤してきたとしても、トムと二人きりにするのは良くないと思ったからである。

 すでに事務所の鍵は開いていたが、トムの姿はなく、ソファーも空だった。

「トムさん……トムさん……いますか?」

 声をかけても返事がない。

 相変わらずトムの机の上は、スポーツ新聞や雑誌、カップ麺の空容器、タバコの吸い殻が山となった灰皿等で一杯だった。いやそれどころか先日片づけたばかりだというのにキャサリンの使用している机や、もう一つの空いている机にまで、再び進出してきている。

『もう~、トムさんたら……しょうがないないんだから……』

 キャサリンが片づけようとしていると、早くもナンシーが出勤してきた。

「お早うございます」

 明るく元気の良い声である。面接の時のおどおどした雰囲気とは打って変わって、キャピキャピとしている。

「あっ、ナンシー。良かった、来てくれたのね。でもすごく早い出勤ね」

「やっとお仕事が決まって嬉しくって。それに、キャサリンさんと新しい会社を作るっていうので楽しみで。あれっ、トムさんは?」

「それが……私も今来たところなんだけど、居ないのよ。それで、取り敢えず机の上だけでも片付けようかと、思っていたところなの。ナンシーは、そちらの空いている机を使ってね」

 ナンシーが、その机にバッグを置こうとすると、机の上に何やら『指令』と書かれた紙が置いてあった。

「キャサリンさん。これ何ですか?」

 ナンシーはその紙を取って、キャサリンに手渡す。


    《 指令 》

       会議室の用意をしておいてくれたまえ

       午前中には戻る予定

                              トム


「また会議室なんて言っている……」

 キャサリンは、うんざりとしながらナンシーにも指令を見せた。

「キャサリンさん。会議室って、ここ以外に別の部屋があるのですか?」

「ちっ、ちっ、ちっ、分かってないなあ。会議をする時は、そこの三つの机が会議室になるのよ。それで、来客がある時は、そっちの応接セットが応接室で、昼休みには、この部屋全体が休憩室になるの。どう、便利な事務所でしょ」

 キャサリンは、右手の人差指を一本立て左右に振りながら、結局、トムと同じ説明をしている。

「キャサリンさん、あったまいい」

 意外なことに、ナンシーは素直に受けてしまった。キャサリンも、突っ込んでくれなければボケることもできない。仕方なくその件は打ち切ることにした。

「ナンシー。トムさんの机の上のもの、全部このゴミ袋の中に入れてちょうだい」

 そう言うとキャサリンは、引き出しから取り出した厚手の四十五リットル用ゴミ袋を広げる。

 何でも素直に受け入れてしまうナンシーに対して、自分との感覚の違いを覚え少し驚きはしたものの、一先ず会議室の準備を優先させることにしたのだ。

「えっ、吸い殻やカップ麺の空容器はいいのですが、雑誌や新聞もですか?」

「いいのよ。どうせ、くだらない記事ばっかりなんだから」

「キャサリンさんて、過激ですね」

「そうでもしないと会議室の準備なんて、できないじゃない」

 ナンシーも成程と思ったようで納得顔になる。とにかく、トムの机の上を片付けないことには始まらない。



 二人で片づけをしているところに、トムが戻ってきた。二人が掃除をしているのを見て、自分の席には行かずソファーに腰掛ける。

「トムさん、会議室の準備はもう少しだから、待っていて下さ~い」

 ナンシーは初めて『指令』を実行するという、今までにない新鮮なお仕事で張り切っている。単なるお掃除なのに。

「会議って、この前の続きの新会社設立の件でしょ」

 キャサリンは前回、自身の抵抗で保留になっていた会議の続きだと先読みをしていた。

「その件は一旦棚上げだ。喜べ、トムズキャットとしての初仕事が入ったぞ」

 ポケットから取り出したタバコを指に挟みながら、どこか嬉しそうにそう答える。

「えっ、ラジオ局とかテレビ局から、オファーがあったのですか? それとも、大企業からのCMオファーですか?」

 前からトムの大風呂敷を聞かされていたキャサリンは、まさかと思いながらも、つい訊いてしまった。ついでに、今まで超低空飛行をしていたテンションも急上昇させている。

「それは、その内くるかもしれないけれど、今回はもっと簡単なミッションだ」

「いったい、どんなオファーなんですか?」

 ナンシーが目を輝かせながら訪ねた。トムズキャットの初仕事と聞いて、期待に胸を膨らませているようだ。

「今回は初仕事なので無報酬なのだが、子猫を一匹探し出して救出するだけだ」

「それが、どう世界平和に繋がるのですか」

 あまりにも期待外れな返答に、キャサリンは何か得心がいかずに、そう問い返す。折角上がったテンションも、一気に下がってしまった。

「バカ野郎。一匹の子猫が救えずに、何が世界平和だ。世界平和とは、小さなことの積み重ねでようやく可能となる、とても難しい課題なんだぞ」

「トムさん、すご~い」

 素直なナンシーは、トムの屁理屈に何の疑問も抱かないようで、そのままに受け入れてしまう。

 キャサリンは、うんざりとしながらそのやり取りを聞いていたが、反論もできないでいた。

「とにかく、依頼内容について説明してください」

 ゴミ袋を広げて持ったまま、取敢えず話の続きを促す。ナンシーも、ゴミ袋に入れようとしていたカップ麺の空き容器を持ったままである。

「うむ。俺の古い友人の娘さんからの依頼だが、知人から貰ったばかりの子猫が、公園で逃げてしまったらしい。子猫だからその公園からは出ていかないのだが、まだ人慣れしていないので人が近づくだけで逃げてしまい、一人では捕まえられないとのことだ。そこで、その飼い主と協力して、その公園から子猫を救出するというミッションだ。どうだ、できるかね」

 キャサリンには、何かピンとくるものがあった。女の第六感が働いたようだ。

「トムさん。その娘さんて、きっと美人なんでしょうね」

「もちろん。キャサリンやナンシーに負けず劣らずで、とても美人だぞ」

 トムは、平然とした様子で答える。

「キャアー、美人だなんて、私困っちゃう」

 何を思ったのかナンシーが、頬を両手の平で挟みながら突然照れ出した。自分のことを美人と言われたのだと思ったのかも知れない。

「で、その美人の色香に迷って、無報酬の依頼を受けちゃったのですか」

 キャサリンは、まだ見ぬその美人に敵意を丸出しにして、トムを追及する。

「もうすぐ依頼主がくるから、詳しい話は直接聞いてくれ。俺は別件があって、また出かけるから」

 キャサリンの追及など『どこ吹く風』とばかりに軽くスルーして、トムはそう言うと再び事務所を出ていってしまった。



 トムが外出して暫らくすると、どこかコケティッシュな魅力を感じさせる美少女が尋ねてきた。

「トム小父さん、います?」

 その少女は、ちょっと見た目では中学生なのか高校生なのか判然とせず、可愛らしさの中に少し大人びた雰囲気もある不思議な子だった。

 制服ではなく私服ということも年齢をわかりにくくしている。制服なら中学生か高校生かを、ある程度は推測できるはずなのだが。ツインテールの髪型だけが、やや幼さを感じさせていた。

 キャサリンは、ひとまずその少女を応接室?に案内する。そして自分達も向かい側のソファーに腰掛けた。まるで今はない探偵事務所の日常のように。

「トムさんは今いないけど、貴女は誰?」

 そう言ってキャサリンは、不審げに訊ねる。まるで探偵にでもなったような気分で。

「あれっ、トム小父さん……一緒に子猫を探してくれるって言っていたのに」

「えっ、それじゃあ、貴女が依頼主なの?」

「トム小父さんが、応援を頼んでくれるって言っていたけど、お姉さん達なの?」

「えっ、まあ、そういうことになるのかな? 私はキャサリン、こちらがナンシーよ。よろしくね」

 するとその少女は不思議そうな顔をして、その一瞬後に、『プッ』と吹きだし笑いをした。

「あれっ、私、何か変なこと言った?」

 キャサリンにはその少女が、何故吹きだしたのか分らなかった。

「キャサリンさん。やっぱり、キャサリンとかナンシーとかのコードネームが可笑しかったんじゃないですか?」

 ナンシーは、まだコードネームにあまり慣れていないので、そう思ったのかも知れない。

「あっ、そうか? そりゃそうよね。すっかりトムさんに洗脳されて、何とも思わなくなってしまっていたけど、普通はそうよね」

「そういうことじゃなかったんだけど……ごめんなさい。私は心音(ここね)。お願い、一緒にミィーちゃんを捜して下さい」

「ミィーちゃんって言うんだ、その子猫ちゃん」

 猫好きなのか、ナンシーが早速反応する。

「子猫ちゃんのことは、お姉さん達が力になりますから安心してね。それより、心音ちゃんだっけ? トムさんとは、どういう関係なの?」

 キャサリンは、『001』としてのリーダーシップを発揮しなければと思って訪ねた。

「え~と……トム小父さんとは……血縁関係も肉体関係もありません」

「えっ、肉体関係?」

 可愛らしい少女からとはとても思えない単語に、二人はオウム返しにそう叫んだままソファーにのけ反り、顔をひきつらせて絶句する。

「えっ、何? だから無いって言っているのに。何でそんなに驚くの? そんな反応されると、こっちが恥ずかしくなっちゃうじゃない」

 心音は、ほんの軽い冗談のつもりだったのだろうが、ここまで反応されるとは思わなかったようだ。ある意味、ジェネレーションギャップといえるのかも知れない。

 三人の間には、気まずい空気が流れる。

「ところで、心音ちゃん。今日、学校は行かなくていいの?」

 暫らくして、気を取り直したキャサリンが、心配して訊ねた。

「昨日卒業式だったので、もう春休みなんです」

「えっ、じゃあ、四月からは高校生なの?」

「いえ違います。まだ小学校を卒業したばかりなので、四月からは中学生です」

「えっ、小学生だったの?」

 二人とも、完全に意表をつかれてしまった。まさかと思っていたことが現実になってしまったのである。にわかには信じられなかったが、改めてそういう目で見てみると確かにそういう部分もあるのかなと、妙に納得してしまった。キャサリンにとっては、おおよそ一回り近い歳の差ということになる。

「何とか今日、ミィーちゃんを捜して連れて帰りたいんです」

 心音にとって、子猫を連れて帰るという最重要課題の前では、小学生だとか中学生だとか高校生だとかは、どうでもよいことだった。

 お姉さん達も、いつまでも驚いてばかりではいられない。

「それじゃあ、みんなで頑張って、このミッションをクリアしましょうね」

 キャサリンのこの発言で、ようやくミッションがスタートする。いよいよ秘密結社の活動らしくなってきた。但し、ママゴトレベルではあるけれど。

 三人はひとまず、子猫救出の作戦を練ることにした。作戦を練るといっても、心音が予め用意していたキャットフードとマタタビを使っておびき寄せ、三人で取り囲んで身柄を確保するという、すこぶる単純なものである。

「名付けて『子猫救出大作戦』よ」

 キャサリンがそう宣言した。秘密結社のミッションらしく、そしてメンバーの士気を鼓舞するために、そんな大仰な作戦名にしたようだ。



 作戦が決まると三人は、早速公園に向かった。作戦通り、餌のキャットフードとマタタビを広場の真ん中に置いて、その周りを遠巻きにしてスタンバイする。

 そこに、心音のクラスメートだという少年が現れた。

「心音ちゃん。大丈夫? 僕も何か手伝うよ」

 この少年も小学生なのに何故か大人びていた。身長は小柄なナンシーをすでに追い越していて、キャサリンと変わらない位ある。美少年でピュアな雰囲気を保ったまま、それでいてどこか成熟した大人の男を感じさせる、落ち着いた雰囲気も漂っていた。小学生特有の半ズボンではなく、濃紺のスラックスを着用していることも影響しているのかも知れない。

『何? この少年少女達は? 小学生なのに何か負けそう』

 最年長のキャサリンだが、その少年を見て何故か胸キュン状態になってしまった。

「キャアー、可愛い。君も小学生なの? じゃなかった……もう中学生になるのね」

 ナンシーは小学生なのか中学生なのか、中途半端な状態に戸惑っているようだ。

「太一君は、私のクラスメートでボーイフレンドよ。お姉さん達、手を出さないでね」

 心音はキャサリンとナンシーに、そう言って釘を刺す。油断ならないお姉さん達と思ったのだろうか?

 結局、このメンバーで作戦を遂行することとなった。餌のキャットフードとマタタビで子猫をおびき寄せ、四人で取り囲んで捕獲するという、いたってシンプルで原始的な作戦である。 

 原始的ではあるが四人になったことで、三人の時よりは少し成功率も上がったように思われる。

 公園の広場の真ん中に置いてある、餌のキャットフードとマタタビの四方を、四人は離れて、隠れて取り囲んだ。

 暫らく息を潜めて待っていると、草藪のなかから真っ白な子猫が恐る恐る出てくるのが見えた。

 確実を期するため四人は、子猫が真ん中の餌にたどり着くまで待ってから一斉に動き出す。

 子猫は驚いたように回りを見まわすが、四方を完全に取り囲まれてしまっているので逃げだすことができずに、一瞬固まってしまった。

 そこに、猫好きのナンシーが、すかさず近づいていく。

「ミィーちゃん、大丈夫よ。お姉さんが抱いてあげる」

 そう言って、素早く抱き上げてしまった。間髪入れない動きが、子猫に逃げる余裕を与えなかったようだ。

「えっ」

 キャサリンは驚きの声を上げながら、あまりにも呆気なくミッションがクリアされてしまったことに、唖然とする。

「ナンシーさん、やったぁ~。ありがとう。ミィーちゃん、よかったね」

 心音は、子猫を救出できたことに大喜びして、ナンシーに駆け寄った。

「すごい、ナンシーさん」

 美少年の太一は、ナンシーの早業に素直に感嘆している。

「それほどでも~。だって私、猫ちゃん大好き人間だし」

 当のナンシーは子猫を抱き締めたまま、照れた様子で謙遜をしていた。

『私の出番はいったいどうなったの?』

 自分が主役になるつもりだったキャサリンは、ひとりだけ蚊帳の外に置かれてしまったような気分で、何か納得できずに憮然としていた。

 残念なことに、キャサリンのリーダーシップはナンシーの活躍で、空回りに終わってしまったのである。



 初ミッションをクリアしたキャサリンとナンシーは、心音と太一と別れて事務所に戻った。ミッションクリアの成果を、早くトムに報告しようと思ったのである。しかしトムは、まだ事務所には帰っていなかった。

「トムさん、どこに行ったのかなあ。せっかく初ミッションをクリアしたのに」

 キャサリンは、早くトムに報告して、初ミッションを早々にクリアしたことを誉めてもらいたかったのだ。まるで投げられたボールを口に咥えて戻ってきた子犬のように。

 でも、ミッションクリアの功績はナンシーの方なのだが、『作戦は私が考えたのよ』と、まるで自分の手柄のように思っていた。

「キャサリンさん。トムさんのこと、そんなに気になるのですか?」

「そっ、そんなんじゃないわよ。只、トムズキャットのメンバーとして、与えられたミッションをクリアしたので、その報告はしなくちゃと思っただけよ」

「本当にそれだけなんですか? 私はトムさんのこと、なんとなく好きになっちゃったんだけど、てっきりキャサリンさんがそれ以上に好きなんだと思って、遠慮していたんですよ」

「えっ、でも……トムさんて、なんか得体が知れない人物よ。歳は正確には分からないけど、結構オジン臭いわよ。ナンシー、好きになんかなっちゃダメ」

「確かにトムさんて、何かよく分んないのよね……でもそこがなんとなくミステリアスで、大人の魅力を感じるんです」

「ナンシー、ダメ、ダメ。トムさんは、計算ずくでミステリアスを装っているだけなのよ。騙されちゃダメ」

「キャサリンさん。トムさんのことになると、何でそんなにムキになるのですか? やっぱり、すごく意識しているんじゃないですか?」

 ナンシーはキャサリンの深層心理をそう指摘する。これも、女の第六感のなせる業といえるかもしれない。

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