第4話  002誕生

 次の日からキャサリンは、事務所の掃除と電話番をすることとなった。掃除といっても狭い事務所の中、一度してしまえばそうそう散らかるものでもない――トムの机の上を除いては。必然的に電話番が中心となる。

『早く、002候補から電話がこないかな』

 そんな独り言を呟きながら待っているのだが、期待に反してなかなか電話がかかってこない。

 三日経っても応募が全くないので少しイライラしてきたキャサリンは、自分の時との条件の違いについて思い出し、隠れたS性に火がついた。

「そう言えばトムさん。先日、トムさんから預かった求人票って、私の時と条件が違っていましたよね。あれってどういうことですか? 『001』より『002』の方が大事ってことですか?」

 キャサリンは両肘を机についたまま手のひらを頬に宛てがい、いくら待っても電話のかかってこない無聊をかこちながら、若干の皮肉を交えトムにそう言って詰め寄る。

 不意打ちを食らったトムに、まともな返答のできる訳がない。

「えっ、そうだっけ。う~ん、いや、そうだ。確かハローワークから『少し変更してみては?』とアドバイスされたような……うん、たぶんそうだ」

 トムがキャサリンの鋭い指摘と追及に、シドロモドロになって言い訳をしているところへ、タイミング良く――いや悪くか――電話が鳴った。

 キャサリンは、これから発揮しようとしていたS性を出すことができずに飲み込みながら、仕方なく電話にでる。

「はい。オフィス ドッグスです」

 結局、キャサリンも前の探偵事務所の名称を、そのまま使用していた。会社が設立されておらず登記もされていないので、名無しの会社というわけにはいかないからである。

 その電話は、待ちに待ったハローワークからであった。一名応募したい人がいるとのこと。早速、翌日に面接を設定する。

 面接の当日、キャサリンは自分一人で面接するのが急に不安になってきた。そこで、改めてトムに訊ねてみる。

「本当にトムさんは、面接をしないのですか? 私一人で面接をして、決めちゃっても良いのですか?」

「キャサリンの相棒だから、キャサリンが決めればいいよ。でもあまり反抗的なメンバーはやめてね。それはキャサリンだけで十分だから」

 トムは頷きながらも、そう補足した。

「えっ、トムさん。いつ私が反抗的になったのですか。失礼しちゃう」

 キャサリンが瞬時に、目を三角に吊り上げながら頬を膨らませて反応する。

 いくら鈍感なトムでも、キャサリンが怒っているのはすぐにわかった。どうやらトムは、触れてはならない琴線に触れてしまったらしい。

「まあ、まあ、そうむくれるなよ。でもキャサリンも最初の頃のイメージからは、大分変わってきているんだよ。だから、そんなに変わらない人がいいかなと思っただけなんだけど……」

 自分の蒔いた種とはいえ、キャサリンの思わぬ攻撃を受け、トムはタジタジとなって言い訳をしている。

「私は最初から変わってなんかいません。そんなに気になるのだったら、トムさんも立ち会えばいいのに。私だけに責任を押し付けないでくださいよ」

「分かった、分かった、俺も立ち会うから、そうカリカリしないで」

 キャサリンの迫力に押されて、結局トムも一緒に面接することになってしまった。

 二人がそんな不毛なやり取りをしていると、表の扉がノックされ『失礼します』との声がかかった。どうやら、面接の応募者のようだ。その場に一瞬、緊張が走った。

「どうぞ。開いていますから」

 キャサリンは咄嗟に、自分の面接時のトムと同じような応答をする。

 ドアが開き二十代前半と思しき小柄でキュートな感じの女性が、恐る恐る入室してきた。

 セミロングの髪の毛は軽くウェーブがかかっていて、リクルートスーツ姿にも関わらずフェミニンな雰囲気を醸し出している。髪型だけではなく整った顔立ちや、か細いスタイル、その儚げな様子からもそう窺われた。

 そんな妖精が、何か場違いなところに舞い降りてしまったような、戸惑いの表情を浮かべている。

「あのう……ハローワークの紹介で来ました、佐々木恵と申します……」

 初めて面接する側となったキャサリンは何をどうしてよいのか分からず、結局前にトムがしたのと同じように応接セットの方を右手で指し示しながら言った。

「どうぞ。そちらにお掛け下さい」

 その女性がソファーに座るのを待ってから、キャサリンもその向かい側へと移動する。

「では、履歴書と紹介状をお願いします」

 それを受け取ると一部をコピーしてトムに渡しながら、トムにもソファーに座るようにと目配せで促した。

 トムは重い腰をあげ、仕方なさそうに移動してソファーには座ったものの、履歴書に目を落としたまま何も話そうとはしない。 面接を受けに来た当人は、当然のことながら緊張してガチガチになって固まっている。キャサリンもどうして良いのか分らずに戸惑っていた。

 そして部屋には沈黙が流れた。人の呼吸音でさえも気になるような、完全な静寂である。まるで時間が止まってしまったかのようなどこまでも続く無声状態に、キャサリンはとても耐えることができなくなった。

 何か話さなければと思いを巡らせ、過去に他社で自分が面接された時によく訊かれた質問を思い出す。

「あのう……え~と……当社への志望動機は何ですか?」

 ドギマギとしながら、それでも何とか面接らしい質問をすることができてほっとする。

 しかしキャサリンは、『オフィスドッグス』が前の探偵事務所の名称であり、まだ正式に会社としては存在していないため『当社』という表現が不適切であることに気付いてはいなかった。

「あのう……仕事のこととか、良くわからなかったのですが……何か面白そうかな……と思いまして」

 非常に歯切れの悪い返答である。それでもキャサリンは自分と全く同じ感想なので、逆に好感を持ってしまった。

「ですよね」

 ついうっかりと口走ってしまったのである。

 キャサリンはあらためて履歴書に目を落とす。そして最終学歴を見て『これだ』と思わずひとり頷いた。そこには、神戸で有名なコンピューター関係の専門学校名が記載されていた。

 インターネットやPCやITなどというのが得意でないキャサリンは、これだけですでに『002』はこの人しかいないと思ったのだ。何より、三日間で応募者が彼女ひとりという現実が、絶対にこの人を逃してはならないとの思いを強くする。

「私はOKですが、トムさんは何か質問ありませんか?」

 先程から黙ったまま一言も発しようとしないトムに、多少苛つきながらも、そう言って発言を促す。

「いや、私もナンシーでOKだよ。キャサリン」

「えっ、ナンシー?」

 思わず訊き返してしまったが、感の良いキャサリンは『002』のコードネームをナンシーにしたのだとすぐに悟った。

 当の女性恵は二人の会話を理解することができずに、キョトンとした表情でトムとキャサリンの顔を交互に目で追っている。

『トム』だとか『キャサリン』だとか『ナンシー』だとか、意味不明な怪しげな呼び名に何やらカルト的な雰囲気を感じ取ったのかも知れない。

「す、すみません……私、来るところを間違えたのかも……」

 急に恵はそう言って立ち上がりかけた。得体の知れない恐怖を覚えたようである。

「ちょっ、ちょっと待って下さい。ちゃんと説明しますから……落ち着いて……」

 応募者の反応に慌てたキャサリンは、一番落ち着いていないのが自分だとは気づかずにそう叫んでいた。たった一人の応募者を逃がしてはならないと思ったのだ。

 何をどう説明すれば恵(ナンシー)を引き留めることができるのか、頭をフル回転させた。当然、普通に説明したのでは納得してもらえず逃げられてしまう。

「あのう……実は新しい会社を作ることになったんだけど……トムさんが、ちょっとした遊び心を入れたいということで、社員はニックネームっていうか、コードネームっていうか、とにかく本名を使わないようにしようということになったの……折角だからバーチャルでトムズキャットという組織にして、夢や希望を大きく持つという意味も込めて、その活動目的を『世界平和のPRをすること』としたの……あくまでもこれは遊び心のバーチャルなことで、新しい会社を作るのに私ひとりだと不安なので、手伝っていただける人を募集したって訳なの」

「そうなんですか。それで、ナンシーっていうのは?」

「そうなの。トムさんが貴女のことを認めて、早速、貴女のニックネームっていうか、コードネームをナンシーって付けてくれたの」

 キャサリンは、何とか辻褄合わせの説明ができてほっとした。

 トムはキャサリンのフォローさえしようとせず、相変わらず黙ったままである。

 当の恵(ナンシー)は、キャサリンの説明を半信半疑ながら素直に聞いているように見えた。

 キャサリンはここが決め所と思い、一気にたたみ掛ける。

「私もトムさんも貴女のことが気に入ったので、新しい会社の創業メンバーとして会社作りを手伝っていただけないかしら」

 恵(ナンシー)は先ほどまで逃げ出そうとしていたにもかかわらず、今では腰を落ち着かせ目を輝かせていた。

 どうやらキャサリンの言った『新しい会社』や『創業メンバー』という、求職者にとっておいしいキーワードに心を動かされたようだ。

「あのう……私でいいのですか?」

『002、ナンシー』の誕生である。

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