第3話  求人募集

 翌日そのいい加減な求人票を持って、キャサリンはハローワーク神戸へと歩いて向かった。

 ハローワーク神戸は電車で行けばJRでも阪神(神戸高速線)でも阪急(神戸高速線)でも駅から近い便利なところにあるのだが、お天気が良いこともあって散歩がてら三ノ宮から神戸まで歩いていくことにしたのである。

 この年の三月は目まぐるしく天候が変化して、寒い日や風の強い日が多く、こんなに恵まれた天候は珍しかった。キャサリンにはそんな珍しく恵まれたという天候への意識も感謝もなく、たまたま良い天気ということで街へと繰り出したのである。

 フラワーロードを南下していたキャサリンは、何となく賑やかな雰囲気に誘われて三宮センター街へと入って行った。

 広々としたアーケード通りは、平日の昼間なのに大勢の人が行きかっている。

 これだけ大勢の人が集まるこの三宮センター街には、いったいどれほどのお店があるのだろうか? 地方のアーケード街がほとんどシャッター通りと化している現在では、信じられないほどの賑わいをみせている。

『世の中暇な人が多いんだ……』

 キャサリンは、自分もその中の一人だと気付かずに呟いていた。

 宝飾店やカフェを横目に、つづいてサンプラザのドラッグストアや有名な靴店を眺めながら、まるでウィンドーショッピングを楽しむかのように歩いている。

 表面が銀色に輝くアルミ製シェードで覆われたブルーオーシャンステーション、通称BOSの巨大画面も見えてきた。画面サイズ二二〇インチ、約五メートル半という、マンモス級の大きさである。

 投影距離一〇メートルのリア・プロジェクションなので、映像源から投影面までの間を完全に遮光しなければならない。スクリーンの大型化と、この遮光技術が大変なものらしい。

 BOSがこれらの技術に支えられ、阪神大震災の復興シンボルとなっていることをキャサリンは知らずに通り過ぎていた。

 センター街を抜けて元町まで行くと、大丸方向へと南下する。久しぶりに南京町の中を歩いてみたくなったのだ。

 東に位置する長安門をくぐると、その景色は一変し、もう中国へ行った気分になってしまう。

 南京町の中も人で賑わっていた。本格中華のお店や餃子店、中華食材や雑貨店、中華ならではのテイクアウトなどなど、たくさんのお店が軒をつらねている。その中をキャサリンは南京町広場の方へと、何の目的もなくぶらぶらと歩いていった。

 広場近くにある豚まん――神戸では肉まんのことをこう呼ぶ――で有名なお店の前には、まだお昼前というのにすでに行列ができている。

『帰りに買ってこっと』

 またしても独り言。キャサリンには、仕事中という意識はないのかも知れない。

 行列を右手に見ながら南京町の中を南下する。そして海榮門から外界へ抜けるとそこは雪国――もとい、日本のビル街でした。

 南京町を出て西に少し行くと、地下鉄海岸線『みなと元町駅』の入り口に出くわした。

『帰りは地下鉄で帰ろうかしら』

 どうやらキャサリンは、一人でいると独り言をいう癖があるようだ。

 そうこうしている内に、左手に中央郵便局が見えてきた。ここまでくれば、もうすぐそこである。

 キャサリンにとっては四・五日ぶりのハローワーク神戸だったが、相変わらず大勢の失業者であふれていた。景気が少し良くなってきていても、雇用にまではなかなか反映しないのである。

 何とか再就職できて本当に良かったと思いながら、キャサリンは中へと入っていった。

 先日までは応募する側でハローワークに毎日通っていた。それが今日は、募集する側となって来ているのだ。たった数日の違いなのに、この立場の違いは何なのか。何か不思議な感じがして、ウキウキとした気分になっている。

『トムさんには文句ばっかり言っちゃったけど、このお仕事って、結構いいかも』

 キャサリンは独り言を言いながらも、そんなふうに思い始めていた。

 トムが何を言い出すのか、どんな突飛な指令を出すのか分からないけれど、逆に前の会社のような同じことの繰り返しじゃない、毎日がとても新鮮でドキドキ、ワクワクとするお仕事のような気がしている。

 ハローワークでは、求人募集の担当官が親切に教えてくれて、あのいい加減な求人票でも、若干の手直しで受け入れてもらえた。但し、条件が微妙に自分の時より良くなっているような気がして、何となく納得のいかない気持ちにもなっている。

『帰ったらトムさんを追及して、とっちめてやるんだから』

 そんな過激なことを考えながらも、何故かウキウキとしていた。 

 昨日『私ってちょっとMかな』と思っていたのが、今日は『私ってちょっとSかな』状態になっている。しかし困ったことに、こちらについては全く自覚症状がないのである。

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