エピローグ=有限会社ミズーリ(1)

 天野・優妃巡査部長、二十八歳、独身。

 彼女は浮かれていた。


 悪質極まりない詐欺事件を、解決に導く糸口を引いたことで、功績が認められ警視庁に戻れるだろうと、自負していたからだ。


 ようやく、暴風で倒壊しかねないオンボロビルへの配置という、屈辱から抜け出せる。

 この分室を管理する奇人変人ともおさらば。

 

 ここまで事件解決へ共に手を取り合った戦友と、ようやく信頼関係を気付けたこともあり、彼らを置いて"自分だけ"異動するのは名残惜しい。

 彼らの分まで、本庁で多くの犯罪を解決し活躍することが、自分への責務だと言い聞かせた。


 翌日、最後の出社となる有限会社ミズーリに優妃は到着。

 日当たりが悪く、どことなくジメジメした空気が、建物から伝わってくる。

 階段を上り三階まで着くと、会社の扉を開けた。

 相変わらず狭っ苦しい社内には加賀美・じん巡査部長が出社しており、ノートパソコンへ黙々と作業をしていた。


 彼女が「おはようございます」と声をかけると、今気付いたように加賀美も挨拶を返した。


 優妃は壁際のタイムカードに出社の記録を残し、彼の向かいに置かれた、自分のデスクに着席する。


 彼女はノートパソコンを開き電源を入れ、起動するまでの間、会社の同僚と二言三言会話をして時間をやり過ごす。


「加賀美さん、今日は早い出社ですね?」


「詐欺グループの事件で会社の業務がおろそかになり、やる事が山積してましたので」


 これも相変わらずのこと、ボソボソと呟くように会話するインテリ眼鏡の男。

 

 「あぁ、そうだ」と加賀美は言葉を漏らしすと、軽快なキータッチの音が途切れる。


「詐欺グループのリーダー、口野を襲った人間は、【清原組】の構成員でした。告げ口されることを恐れ、口封じの為に襲撃したようです」


 優妃はその話題に興味があった。 

 捕まった男はその後、黙秘し襲撃について、口を閉ざしてしまったからだ。


「どうやって警視庁の建物へ?」


「清原組と癒着していた配送業者が、従業員の情報を貸して、なりすましていたようです」


「暴力団と民間企業は、どこで繋がっているか解りませんね? 危ないわ……」


「口野の最大のミスは、自分の存在を隠そうと画策していたにも関わらず、ないがしろにされた社会に、自分の優秀さを見せつけたいという、虚栄が災いしたことです。存在を隠すのであれば、自身の心の内も隠すべきでした」


 妙な教訓を聞かされると、パソコンが起動したので優妃は作業に取り掛かろうと、会話を締めくくる。


「存在を隠すことで言うなら、ウチの部署は優秀ですね。誰も警察が呑気に水を売ってるなんて、思いもよらないでしょうし」


 彼女は仕切り直しす。


「でも、今回の一件で私は本庁に戻れるかもしれません。詐欺の解決で刑事部も喜んでいましたし、有終の美を持って警視庁に返り咲けるはずです」


「それはどうでしょう」


「は?」


 インテリ眼鏡の水を刺す物言いは、折角の高揚感を冷ます。

 加賀美が付け足す。


「我々は本来、殉じするはずの任務を放棄し、別件の捜査に当たりました。現に定期報告がないことで、警視庁公安部にせっつかれています」


「本部が? で、ですが監視任務よりも、詐欺事件の方が重要性は高いですし」


「おまけに偶然とはいえ、捜査二課ソウニが予定していた家宅捜索を、結果的に妨害したのは我々です。公安部での評価は下がり、ペナルティも大きいと思われます」


「待って下さい。じゃぁ、まさか……」


 彼は不吉な将来を語った。


「当面、この有限会社ミズーリに拘束。というより、隔離されるでしょう」


 女刑事は思わず立ち上がる。


「そんなぁ! あれだけ苦労して、警視庁に戻れないんですかぁ?」


「まさしく、骨折り損のくたびれ儲け」

 

 心無い格言が余計に神経を逆撫でしてくる。

 優妃は焦燥しながら腰を降ろす。


 この、やりきれない思いをどこで発散すればいいのか。

 彼女は、八つ当たりに売って付けの人物に気が付き、名刺しした。


「そいえば……出社時間を過ぎているのに、タキ社長は来てないですね? また遅刻ですか? 本当にしょうがないんだから。来たら、たっぷり絞ってやらないと」


「先ほど連絡がありました。得意先へ挨拶回りに行ってから、出社するそうです」

 

「得意先? 昨日、アポ取れてましたっけ?」


「いいえ、一件も取れてません」


 優妃は遅刻を誤魔化す口実だと眉をひそめたが、ふと、ここ最近の”得意先”を頭の中でリストアップし、思い当たる節と合致した。


「あぁ、得意先かぁ……」


 なんのフォローなのか、加賀美が言葉を添える。

 

「今日ぐらいは、多めに見てもいいのではないでしょうか?」

 

 その言葉を聞いて、事務OLは気にする余力も無くなり、ノートパソコンに目を移し業務を始める。

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