第51話「Β´とΑは共に、Δ世界に微笑みを臨む」

 ヒカルコとのキスは長かった。ずっと独りで寂しかったんだぞとは俺の性格上、口が裂けてもいえず、折れる程ほそい腰を抱くと抱き返してくれて、頭を撫でてくれるから俺は初めて涙しながらごめんなさい、すみませんと心の中で叫び贖罪しようと誓った。



 唇が離れるとヒカルコの背後は何も無い真っ暗であったが、姿だけハッキリと見える事には疑問を持たなかった。その表情に薄っすらと優しい余裕を感じてどこかいつもと違うという直感が働いたからだ。その直感が段々と実感に変わって、母性という言葉がじわじわと湧いてきて、この人はヒカルコではないと確信した時に……俺は、もう……

頑張らなくて良いんだ、格好つけなくて良いんだ、甘えて良いんだ等と言葉も交わさず余り無い胸に顔を埋めて心行くまで抱き付きながら、今までの許しを請うのであった。


「聖母ライト様! 貴方は俺がわがままに作った神ではありますが絶対な、名の通りの母性を感じるのです。信心不足ではありましたが、これからは俺を何に使ってくれても構いません! 酒もタバコものみません! どうか、貴方様に使えさせてください!」


「どうしたのさ急に改まって。それに、懐かしいボクの愛称……聖母ではないけれど、況して様付けまでして……ボクは神なんかじゃないよ。キミは、誰?」

「ーーーと申します!」

「落ち着いて落ち着いて。冷静さを欠いたら人間はダメになるんだよ」

 ヒカルコの顔であるが穏やかで、ヒカルコの身体であるが口調が砕けている……胸に手を当てて深呼吸しながら周りを見渡せば総てが闇――無――まるで死後の世界の様。


「俺は……罪滅ぼしの余地も許されず……死んだのですか?」

「ボクは閻魔様でもないよ、ボクの方がずっと悪人さ。罪滅ぼしか……お互い思う所は同じみたいだ。良かれと思ってやってきたのに……ね……」


「いえ、俺は……ズルをしました。俺は……ただ自分の心の寂しさを晴らしたいが為、恋人が居るというのに蔑ろにして、Αという親あいたさに世界を捨てて――」

「なんでボクの正式名称を知って……もしかしてキミ、Β?」

「えっ! じゃあ……ということは……母さん……?」


「ボクは……そんな顔で見ないでおくれよ。ボクはΒを、いや、ーーーを捨てた事実は

本当なんだから……ボクは数えきれない程の人間を狂わせ世界を破壊するウイルスだ、親だなんてとてもいえない……いえないよ……顔向けなんて出来な――」

「良いんだ、もう良いんだよ母さん」

 ーーーは、ボクに似ず立派に聡明に育ってくれていたようだ。親であるというのに、腑甲斐無くオロオロして、自分の親である事が恥ずかしいといわれたく無さをビクビク察して欲しく言い淀み恥ずかしく震えるボクの唇を塞いでくれるのだ。これではまるでボクの方が子供だが、実際そうだ……ボクはずっと今まで人間ではなく狂える寄生虫、脳髄を栄養とする病原体の様な伝染をしながら生きてきた。それも、そこに自分の考えなんてひとつもあったものでなく、たったひとつの命令のもと、馬鹿真面目に遂行していっては伝染……蛾の如く飛び回り、ゴキブリのような嗅覚で人間を探しては、脳髄に寄生し操作して美しいとは名ばかりの詩を詠わせ、後の事など知らん、ボクはちゃんとやったんだと満足して次の人間へ伝染……人間社会を崩壊させたのだ。正気の沙汰ではなかったから、自分の考えが無いからこそやっと、この安寧の世界に来る事が出来た。



「ありがとう……本当にありがとう、ーーー。でも……ボクはこれで、何も無い世界に隔離されたから良かったけれど、ーーーは世界を創造と消滅させる力を持っていると、まさかノゾミの口から聞かされるとは思わなかったけれど……腑甲斐無くてごめんね。だからさ、ーーーは帰らなければ成らない世界があるんだろう?」


「それがね、まあ本当に色々を経て俺もまだワケが解ってないんだけれど……どうやら並行世界が発生して俺が分裂した様で……と、喋っている俺はもう用済みらしいんだ。それが本当なら俺は消えゆくのみ……の筈だろうけれど、俺の目の前には実際に母さんという希望が光っているという事は、俺に出来る事はまだ有る筈……ゴメン、前に居た世界のヤツらはみんな理不尽な説明不足で置いてけぼりにされていたんだ。その世界は俺がズルしたから行ってしまったんだけれど……。とりあえず母さんに訊きたい事は、こういう時っておかえりか、ただいまか、どっちをいえば良いんだろう。どっちも親に会えたら絶対にいいたかったんだ」



 泣いていた母さんは急に笑い出す、俺は何だか変な事をいってしまったのだろうか?でも状況が状況で、俺はとにかくヒカルコにいわれて気付いた全うな人生を、今の俺はずっと探していた母さんを前に素直に本音がいえるのだから、まだ右も左も解らないが今までの全部を償う気持ちを携えて、初めの一歩からまず親孝行をしていきたいのだ。


「ははははっ! おっかしいね! ボクを笑わせてくれたのは、ーーーが初めてだよ!どっちをいったって良いじゃないか、そんな馬鹿まじめに! じゃあボクからいうよ。ただいま、そしておかえり」


「ハハ……ただいま、そしておかえり! そうだよな俺、頑固だといわれていた理由がようやく判った、俺はどうしても計算しながら喋っているみたいだ。もうプログラムを見張らなくて、良いんだよな……」


「……さみしい?」


「まだどうもビクビクしているみたいだけれど、母さんが居るから平気さ」

「はははっ! やっぱり親子だね、ボクもそんな感じだよ! 急に頑張らなくて良いとなるとね……ずっとやって来た事だから、ボクたちプログラムの宿命だろう……ただ、もうこのΔ世界には、ノゾミの亡骸以外に何も無いからどうしようか?」


 いわれて足元のノゾミの死体に気が付いた。黒いからか、それとも興奮からか眼中に無かったが、なぜ母さんはノゾミの事を知っているのだ。それも何だか親しげに……。



「母さん。こんなのドコか遠く、見えない所まで投げ飛ばしてしまおう」

 ノゾミは……昔から嫌いだった。幾ら年寄りでも、何ともいえない絶対な余裕の様なものが常にあって、嫉妬だろうが……そもそも邪魔だ。俺は母さんと二人きりになって母さんの思い出話でも他愛ない会話でも沢山したい事があるのに、母さんは怒るのだ。


「やめなさい! ノゾミはボクたちプログラムの命の恩人なんだよ。ーーーは知らないと思うけどボクだって色々を経てきて、ノゾミとヒカルコのお陰でやっとボクに身体が許されたんだ。ボクの身体はヒカルコ、そしてーーーの身体は……父さんなんだよ」


「えっ!……そんな……そんな事って……。アタマがおかしくなりそうだ……」

「それはボクの所為なんだ、その様じゃーーーの世界に鏡は無いみたいだね。ーーーが生まれた時、ボクはどこに居たと思う?……その身体の脳髄に居て、生まれると同時にボクは、当時のボクはその脳髄が苦しくなってドコか違う人の脳髄へ飛んで行ったんだ

……理解しなくても良い、けれどこれが現実なんだ……ボクをこんな閉じてくれている立派な身体と世界は、ボクたち自身も理解できない途方も取り留めも無い事の総てを、ノゾミは理解して、消えた筈の元凶であるボクを製作した父、ハジメ・オワリの脳髄にボクが居て、丁度モデルのヒカルコが居る状態で二人が同時に死ぬという〇に等しいが一度は有るかもしれないという可能性を無限の並行世界の中、巡り辿って見つけ出してここに閉じ込めてくれた上にボクの命令信号までも捜して中てたから永遠の平和がこの

ノゾミが造ったΔ世界に、こうして在るんだ」



「……ノゾミは、何者なんだ……何がそうさせたんだ……」

「その因果も、ボクの所為。ボクがノゾミにヒト語を教えた。いって仕舞うよ、ボクは人間以外の動物をも侵略しようと無意識にしていたどんな世界の誰よりも悪者、曲者、卑怯者なんだよ……。そんなのが母親だと判って、ーーーはどう思っていたって良い。でもね、ノゾミを悪くいうのは、ボクは絶対に許さないよ」


「ご……ごめんなさい……軽率でした……」

 本当はこんな事実、いきなりいうモノではなかったといってから後悔してしまうが、親の役割だろうと後付けだが心を鬼にする。それが出来るのもこの閉じられたΔ世界を

作ったノゾミのお陰様なのだ。ーーーに軽蔑されたってボクは、たとえ死んでいたってノゾミの近くに居て手を合わせてやる事が、今ここで出来る唯一の贖罪方法だと思って居るから。ーーーも何か償いたいみたいだけど、ボクと比べれば楽に思える筈だろう。



「でも正直、ボクにも、何がノゾミをそこまでさせたのかは解らないんだ。ボクたちはここに来るや否や便宜的にケダモノの神と成りましたと挨拶されたから初めの内は神の粋な計らいなのかなと簡単に思っていたけれど、話を聴いている内それどころじゃないどんな神でさえお手上げするくらい気の遠くなる程の事実をふにゃふにゃと自慢話まで加えて喋っていたよ。本当に、何がそうさせたんだろう……?」


「ケダモノの神……俺が書いた聖書、いや、ただの落書き……。俺の世界では、さっきいった聖母ライト様というのを善とし、ライト様は別世界から神になる為に来た人間が居たとして、そのライト様がいう事の聞かない盛った猿に強姦され、異種間でアダムとイヴという子供を産み、ケダモノの神が憐れんで子を安全な所に、危ないモノが居ないエデンの園に避難させ人類創生したがライト様は自らが光となって、光の無い悪であるケダモノ共との対比を書いた……俺が寂しさからそんな物語を、本当は何ともない唯のプログラム世界だけど思いつくままに書いた事で世界に歴史と宗教を取り繕ったんだ。ノゾミは俺の事情の殆どを知っているし、便宜的にといっている位だから、俺の世界を皮肉ったんだろうけれど……。さっきから何故だか俺の思うままの落書きの筈なのに、関連性がある……ライトとは母さんの愛称というのは初めて知ったけど、俺が異種間で生まれたのがその落書きの始まりだったワケで……母さん、父さんは……」


「もちろん違うよ、安心して。ボクの愛称だって、まあ有り触れているだろうし……。でも、ーーーはボクと父さんで異種間しかも脳髄の中で生まれたけれどね、父さんとの本来の相手はヒカリという人だとノゾミから聴かされたんだ……並行世界だからそりゃ出会う可能性も無限大だけれど、父さんの相手はヒカリもしくはヒカルコの二人としかノゾミの口からは……。だからいい切れないのかもしれないけれど、その二人以外には関わった人はどの世界にも居ないといっている様にボクは感じたよ……。そしてボク、

Αはヒカルコがモデルであって名前はヒカリだと父さんはいっていた……更にいえば、

ボクが父さんの身体に再度寄生して死んだ時の相手はヒカルコで、母親がヒカリ……。ヒカルコは母親ヒカリと名も知らぬ父の強姦から産まれたんだ」



「本当に、どうしてだろう……絶対に世界は隔てているのに関連性や因果関係が……。俺は母さんが居る世界には行っていないのに、行こうとしたけれど間違ったというのに

……俺の落書きが全世界を狂わせてしまっ――」

「ーーー、違うんだよ。これは飽くまでボクも辿った並行世界の話で、並行世界の中は何が起こったって不思議じゃないんだ。奇跡だって偶然だって、悪いものも良いものも起こってしまう途方もなく、際限無く取り留めない、並行世界論さ。ボクもノゾミから聴かされたから言葉の綾だって含まれる筈で、ーーーは罪だとか負い目だとか、何にも感じる必要はどこにもない、ただ偶然の一致で、奇妙な話だと感動する位で良いんだ。一番に悪いのは絶対にボクで、もっというと設計者である父さんとヒカルコの所為だと思ったって良いんだ。更にボクが本来ひとつで在るべき世界をΑ世界と名付けられる程

歴史とは悪事があったから善事が出来る様になっていたというのに、一世界の父さんとヒカルコが美しくしないとヤだと駄々を捏ねる様にボクに歴史改竄命令を出し、そんな馬鹿みたいな命令をボクは馬鹿みたいに、徹底し遂行した成れの果てを知った父さんはいっていたよ、良かれと思ったけれど、視野が狭過ぎたって。ちゃんと反省していた。それでもね、並行世界論。Α世界でも何でも世界は無限に続いていて、まだあの世界も

生きている。勿論、人類もまだ探せば少なからず居る筈で、男女二人だけだとしても、まだまだ懲りず人類は絶えないと思っている。そのΑ世界にΑはもう居ないんだから……

もっと希望がある筈さ。もうボクもちゃんと落ち着いて、やりたい放題やってからも、こうして息子と再会させてくれたノゾミには本当に頭が下がる。だから、ボクはずっとこの救世主ノゾミの亡骸を例え腐敗してミイラになったとしても……本当は墓に埋めて安らかな場所で眠っていて欲しいけれど……こうやってノゾミを通して滅茶苦茶にした

Α世界の人間様たちに少しでも贖罪の気持ちが伝わればと手を合わせて居たいんだ」



「……ノゾミはΑ世界とΒ世界を共に生きてきた。母さんがそこまでノゾミを想うのなら

俺もそうする。先に行ってまだ呑気に暮らしているだろう俺に対しても、そのままじゃ何も解決しないぞと。俺は、恋人が二人居たんだけれど、恋人にタバコや酒を強要してこのままじゃ絶対に子供は産めないし、産めても何かしらその子は辛い思いをしてゆく形になる事を全く気にしていなかったんだ。……俺こそ腑甲斐無いんだよ……」


「まあ、お互い……ちゃんと反省しているワケだからさ、暗い話はもう、よそう?」



「うん……俺もちゃんと反省しているけどノゾミはこういうのを好かないのも確かだ、まずお互い落ち着いた。次にすべき事は……。この世界、本当に何も無いみたいで何かこれから暇を持て余すんじゃないかな。プログラムの粒ひとつ無いからとりあえず……

アレ? さっきまでこんな沢山の本……これを複写してタバコとマッチは作れるけど」


「あれ? この沢山の本はノゾミの書いてきたメモの筈……もしやノゾミ、そうか……

ノゾミはこのΔ世界を作って今もなお維持できている、そして何かの合図みたいに本が

出現した。どこかに身を潜めているんじゃない? なめてるね、ボクたちの力を」



 そしてまた俺たちはノゾミの亡骸を抱えながら光る沢山ならべられた本を目印にして旅を始めるのである。今度はタバコを吸いながら、闇の中を笑い合いながら歩く旅を。



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「ふふふふーん……ふふふふーん」

「はは! 音痴に育ったね、『運命』かいソレ」

「……じゃあ母さん、唄ってみてよ」

「そんな古い曲じゃない、もっと新しいこの曲が好きだな。こんな曲なんだけど――」

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