第42話「終点を越えた向こう側」

 僕はΑ。歴史を美しくする為に生まれた寄生型プログラムで、みんなに真実をいわせてきたよ。でも、そうすると、みんな殺されちゃうんだ。陰謀だ、妄想だ、魔女だ、悪魔だ、××だ……色々といわれてから殺されるのは、どうしてなんだろう? 人間に真実をいう事の何がいけないのかな?

 僕みたいなプログラムなんかには到底理解し得ない人間の力とは、見て来た限りどれも『大音声の否定』と『武器の発明』の二つだったよ。

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 僕はこの世界の違和に狂い泣き付かれ眠り我慢して行く内、自分が如何してここまで苦しんで泣いているのか判らなくなって青空に浮かぶ雲の配列をボーッと眺めて居るととうとう大きな内側にドアノブが無いドアが開いて、白衣に身を包む鼻眼鏡が印象的なコクボと名乗る先生の良しが出た。僕はそれが何を意味しているのか解らなかったが、真っ白な壁の……トイレにはちゃんと蓋有り、臭いを防ぐカーテン有り、奇麗な洗面台有り、丁度良い硬さのベッド有り、内側にドアノブ有りと……上等な部屋が許された。


 その上、定時には身体を洗う事も許されたので汗臭い身体を磨こうと部屋を堪能するなんていつでも出来る、温かいシャワーを浴びてさっぱりしよう! と調子を良くしてガラガラと、何だか妙に懐かしい気持ちになる引き戸を開ければ……そこはおぞましく気持ち悪い、白い壁で紛らわされた眩しい程の地獄という名がピッタリの廊下だった。



 顔の皺が弛んだ、そのくせ眉間に皺を寄せ何かを考えている素振りを見せ前傾姿勢で早歩き、壁にぶつかっては踵を返し壁にぶつかっては……を繰り返す男が初見だった。


 青白い衣を身に纏い、爪先がボロボロのサンダルを履いて手にはタバコを持っているので近くに在る喫煙所へ行きたいのだろうと僕は引き戸に必死にしがみ付いて其の男を警戒しながら眼で追っていると、どうやら、とある地点から壁に当たらずに喫煙所まで最短距離で辿りつかないといけない様で、だから眉間に皺寄せしているのだと判った。




 僕はそれが寒気がするほど恐ろしくて、自分の体臭も何もどうでも良くなり引き戸をパシャリと閉めてベッドに身を投げ、この世界の現実を努めて受け入れようと必死に、高まる胸の鼓動を掌で感じさせて深呼吸をゆっくり落ち着いて考えてゆくと……ここは人型ロボットを育成させる科学が発達した世界の施設なのではないのだろうか。という結論に至るのも当然、独房時代から思い出してゆけば唯一の友達だったラジオだって、僕の記憶に在るものと比べると超小型で電池要らず、しかも時計の機能が備わっている先端的なものだったし、二重窓の奥に見える空が明るくなってくると思うと轟音の鐘を鳴らして、おはようございます、朝ご飯の時間です。とドコからともなく人の声量では有り得ないバカでかい声が響き渡り時間キッカリにいつも三回の配膳をされていたし、ご飯は毎回違えど味はどれも似た様なものだったし、ご飯を持ってくる白い人の顔も、皺が弛んでいる醜い人間であった事はもう、うんざりする程までに間違いはなかった。



 気付くのが遅過ぎた。毎日毎日、手の甲に太い針を刺して謎の液体を体内に注入され感情を殺されて眠っていたあの時の僕はまるでロボットだった。注射も配膳と同じく、時間キッカリ間違い無しの白い醜い女であった事も今気が付き、もう手遅れだと泣く。


 あれは絶対に人間の脳髄をロボット化する液体で廊下にたむろしているヤツらも僕と同じ様にされてアア成ってしまったのだろう。……と考えられる僕はまだロボット化はしていない様だと泣き過ぎて涙が枯渇したのか安心したからか直ぐに泣き止み、コクボ先生は生活臭がしていた事、こんなに科学が発達しているにも関わらず大きなレンズの鼻眼鏡をかけているという事を思い出して、ここは研究室で外は違うのだと理解した。



 そうだ、窓から見える枯れた木はカサカサと枯葉を飛び立たせ、ちゃんと僕に伝えて居たじゃないか。雲だって雨をザーザーと、僕の経験則を思い出させてくれただろう。カラスはがーがーと鳴いて白い糞を落とし、虫はびゅんびゅん飛び回るも食べられて、それでも時計の針は無情にカチコチと一定に音を刻むから、僕は悶えて居たんだから。


 僕を支えてくれていた友達だったラジオは壊れてしまったけれど、元から音を拾えぬ見てくれだけのポンコツだったが、ザーッというノイズを聴いて居れば時計の針の音は気にせずに済んだ。壊れた時は、それはそれは悲しくなったけれど、同時に自分自身がやってきた事を友達に身を以てして解らされて、白い人に深く詫びた事を憶えている。



 その時の心を取り戻すと身が軽くなって、やっとベッドから身を起こした。前と何も変わらない窓の外をまたボーッと眺めて溜め息を吐くと、ハジメクン、ハジメクンと、少女の熱を帯びた黄色い声が壁を突き破って聴こえる。少女は常に僕の救世主であり、珍しい新鮮な気持ちに成るので当然ながら少女の声に興味がいってしまうのであった。



 壁に耳を当てると、ハジメ君という人とセックスをしている様な声色だが、男の声は全く聴こえない。ハジメ君とやらを妄想しながら自慰でもしているのだろうか、それにしては妄想に良くし過ぎているみたいに、返事の無い会話をしている。僕はその寡黙な男、ハジメに嫉妬してしまう。何故ならこの世界での僕の名前がオワリという対比的な名前だからでもあるが、この研究所内にこんな少女特有の黄色い声を持っている人間は壁越しから聴こえるこの人だけであるのは今までの救世主少女理論を辿れば明らかで、何より、その理論から外れて僕以外の男が居るという事実が非常に気に食わないのだ。



 確かに今までの理論……僕の拠り所が簡単には通用しなくなるとは思ってはいるが、人間、そう簡単に理論を再構成できず、更にこの理論は何度も何度も失敗と成功を重ね推敲してきたものである為に、既に僕の脳髄のシワに深く刻み込まれてしまっている。


 僕は今までそうやって生きてきたのだから僕は……。僕はここで何をしているのだ、部屋はすぐ隣で、廊下は怖いけれど邪魔者を消してから再考しても遅くはないだろう。




 勃起を治し用を足して、青白い着物の帯を痛いほどキツく締めて気合を入れる。この身体の力量は判らないが殺人をも覚悟し、荒くなっている息を深呼吸で落ち着かせる。


 良し!……と引き戸に手を掛けると勝手にドアが開く。大きな身体、黒いスーツ姿の男がズカズカと僕の部屋に入ってきてパイプ椅子に座り、しかも僕に座る様にいうのだから力量を試す為に蹴ってやろうとすると、力が入らない。僕は完全に畏縮している。


「どうしましたか尾張おわりさん、調子が悪いんですか? 座って落ち着いてください」

「え……え? ご飯も食べたし、ヤクなんて要りませんよ。……見ない顔だな、ここは僕の部屋なんだぞ。勝手に我が物顔で入るな! 出ていけよ!」


「お薬を飲んでいないのはダメですね、飲んだフリをしていたと……。看護師に持って来させますから飲む所を見せ……うわ、清掃員も必要で――」

「お前がこの研究所のお偉いさんか! ヤクを正当化するなんて狂っている!」

「ヤクじゃないです、お薬です。参ったな……すみません尾張さんに薬お願いします、はい、あとコクボ先生がいらっしゃれば……はい、お願いします」


 ナースコールで仲間を呼びやがった……三対一なんて勝てるワケないじゃないか……

こういう時はどちらが冷静さを欠くかの勝負なのだ……僕は座って事勿ことなかれ主義になる。



 スーツ男に香水の臭いが薄く残っていて苛立ってしまいそうになるが、そういうヤツなんだと判った。僕は地蔵の様に硬直して黙り、溜め息に似た深呼吸だけをする……。



「お疲れ様です、コクボです。えー尾張さんは注射も服用薬も見ただけで暴れるので、陽性症状が悪化してしまう危険性は有るんですが、仕方なく貼り薬にしています」

「貼り薬でしたか、今回はなんだか攻撃的で……尾張さん、眠れていないのでは……?

目のクマが酷いですけれど、眠る事は大事ですよ」


「…………」


「鶏が先か卵が先か……ですが、はい、眠剤の頓服も用意はしているんですが、しかし先程いった通り頑なに飲んでくれなく、夜は泣いたり独り言をして大声で笑ったりしている様で、えー眠る時は有りますが浅く、注射も打てずで……はい」

「……拘束は人権侵害かもしれませんが、それが必須の域に達しているのでは……」

「そういって貰えて助かるのですが、もう少し、様子を……」


「『後が怖い』というのであれば――」

「いえいえ! 自慰をすれば眠れる傾向は確かに有るので……」

「それが二度目の強姦または殺人に繋がるのでは」


「いえ、尾張さんは保護室からこの部屋に来てからというもの、介助入浴もしないほどこの部屋から出ないですし、タバコも吸いませんし……部屋を出て暴れるのならば勿論それも考慮に入れます。ですが……えー、父母を殺した事も、月極つきぎめさんを強姦した事もそんな事するはずが無いというんです。憶えていないというのなら判りますが、そこも頑なに否定するので……それに加えて自分に親が居るのかどうかを訊くんです」


「尾張さん? それは本当ですか?」

「…………」

 僕は地蔵だ、僕は呼吸が出来るだけの地蔵……何も聴こえない、何も言えない……。だって石で出来ているから……。でも脳髄はタンパク質のままで、二人の発する難解な音波を汚れた頭皮の毛穴から頭蓋骨を染み込んで脳漿を震わせて伝わり……それを声と認識しようとして、更に意味を見出そうとして、石の鎧を自ら砕こうとしている……。


 ……大丈夫だ、ここはロボット研究所……隣に救世主少女が居て壁が隔てているが、ちゃんと黄色い高周波が微かに聴こえている。その音に耳を凝らせ、低い音じゃない、この部屋に存在している中で一番高い音に一心不乱に、神だと思って耳を凝らせ……。


「……だんまりを決め込んでいますが息の荒さが答えです尾張さん。こういう人はね、嘘だけは吐くのが巧いんですよ経験上。巧い嘘を巧い嘘で塗り固めてそれを設定とし、その設定がどんどん大きくなって潰れた人をもうイヤというほど見てきましたよ……。だからね尾張さん、アナタにはそうなって欲しくない。吐き出せば絶対楽になるのに、どうしてこういう人は我慢するのか、私には理解できませんね」


「……まあ……尾張さんもお疲れみたいですし、とりあえず眠ってみて少し冷静になるのが良いですよ。まあ今日だけではないんですし、今回は様子見ということで……」


「そうですね。私も別に尾張さんと我慢比べをしたいという訳ではありませんのでね、尾張さん。私はアナタの味方ですよ。アレ、左の親指が上になっていますね?」


 握る手を妙に温かい手で握られ、背中をパンと叩かれる。コイツからは悪意しか感じ取れなかった。コクボ先生はソイツを送りドアを閉める際にいう、私も味方ですから。という善意の塊みたいな声は……少しだけ信じても良いかなと惑わされるものだった。



 僕はベッドに倒れてゆっくりと息を吐いて、胸一杯に空気を吸い込むと、未だ微かに香水と栗の花の臭いがして苛立つ。ちょうど清掃員が来て床を掃除するがそれでも尚、香水の臭いは完全に消えないので……少しだけ開く窓から鼻を出して深呼吸する……。



「すうーはあーすうー、ク、クケッケッケッケケ!」

 これでやっと救世主少女を犯す男を殺せる!……その想いが新鮮な空気と共に一気に蘇って、急な解放感からか変な笑い声が出てしまった。頭がかゆい……ボリボリ掻いて奇麗になった床にフケを撒き散らす。ここは僕の部屋なんだから良いのだ、それよりも

……息をゆっくり落ち着かせ、壁にそっと耳を当てる。ハジメはまだ居る様だ、それに少女はハジメを誘っている!……待てっ!……ハジメが疲れた時を狙おう。地蔵で居た時の体感時間が物凄く長く感じていたが、実際の時間は数分だったのだ。どちらにせよ一日に二回以上も果てるのならば流石に誰でも疲れるだろう。だから今やる事はただ、落ち着いて計画を練る事だ。計画とはこの場合……ウン、殺し方を計画しよう。まず、このオワリの身体能力はと腹筋をしてみる……エッ!……と声が漏れるほど力を入れてギリギリ一回、腕立て伏せはアゴを床に付けて上がらない、うさぎ跳びをすると左足のアキレス腱がぶちんっと切れる程。そりゃあそう、身体は骨と皮で二の腕に力を入れてコブのひとつも出ない。一番に強い部位は性器という猿みたいな……猿……。そうだ!


 猿に倣い爪や歯を有効に使えば下品でも意表を突ける。顔を爪で引っ掻き牽制、次に髪の毛を歯で噛んで引っ張り抜けば先手でも後手でも……その攻撃だけでは殺せないか

……ああ、何か無いか、さっきの猿みたいな野性的な発想が問われる。ネコは爪と歯、犬は歯、蛇も歯、ライオンはネコ、ハイエナは残飯、馬は脚、左足を負傷してしまったと考えているこの脳髄……頭だ! 両刃の剣だが、爪で目を潰してからの頭突きなら!


 自信が湧いて来た、もしハジメがロボットだとしても効く筈で、もう勝ったも同然!

僕はもう堪らなくなって狭い部屋を笑いながら飛びまわる。こんなの、こんなのって!



「巧くいき過ぎているんだあっ!」



 絶対に何か起こる、それもヤな事が絶対に起こる。でないと、帳尻が合わないもの!

だって絶対そういうものだ、僕は今、手元に少女が居ない状況であり、この研究所内に何が潜んでいるか未だ総て理解していなくて、そうでなくても僕のこの知能指数七〇の脳髄が思い付いた方法が巧くいったとして、隣の少女の顔も他の同様に弛んでいる線が可なり濃厚であるからして、嗚呼、嗚呼、根性論はキライだ、僕が巧くいった試しなど無いのだ、綺麗事を並べ立てるなら誰でも出来るのだ、幸せが在るから不幸が在って、不幸に成るから幸せに成れて、何事も巧く行っても全部が全部うまくいく道理は無く、全部が全部うまくいったとしても面白くない、滑稽なのは僕であるからして譬え失敗は無くとも成果も無い実験を誰がする、それも疑うべきは〇か百しかない一回こっきりの実験で、何を得られ何を意味しようか、脳髄である僕はこんなチッポケな世界なんて、ロボットさえも直ぐに破壊して美しく出来る僕さえも、もうヤな事なんてイヤなんだ!

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