第39話「私がここに居るワケ」

と安堵も束の間……ゴクリと唾を飲んだ瞬間、点滴袋の中に血が逆流している事に驚きエクトプラズムを飲み込んだ様に全身に力が入った。体内に溜まっていたモノが上から下から漏れてもう訳が判らなくなり、ヒステリーな脊髄反射で頭上に有る蛇を呼び出すボタンを押す事しか考えられなかった……エデンの園に進入を許すボタンなのに……。



「リネン交換……」


 弱々しく立ち上がりながらソレだけ伝え、ハイリスクハイリターンの恐ろしさを身に沁み込ませ、上から下からベッドの上に、もうこの際……と思って全部を吐き捨てた。はじめ君にごめんなさいと遅れ馳せながらいうと、はじめ君は深々と土下座までする。私はもうヘトヘトになって逆流していく血の管を辿り点滴台の把手に体重を置きつつ、白蛇のブツブツを聴こえないフリをするのもやっとこさ、また聖域であるココに侵入を許してしまった事を深々と反省しながら自分の身体を久しく見て、もう長くはないかと薄ら薄ら感じた。はじめ君に頭を上げさせ……栄養ドリンク位は……と口に出す寸前、

「い、イヤっ……何でもない…………」

点滴を変えて貰って、捨て台詞みたいに置かれた栄養ドリンクをボーッと見てしまって世界に甘えそうになった。ダメだダメだ……はじめ君が許してもそれは私が許さない。



 点滴が有るのだから死ぬ事は無いのだ、点滴だけで良いのだ。あの雌犬神の言う通り従うなどという事は絶対にしたくない。絶対に……ヤなんだ……とアノ顔を思い出し、良い事ではないが私のイライラが再燃して私らしさを取り戻した。それと同時に、頭が真っ白になってから今の今まで全くイライラを感じていなかった自分に気が付く……。



 私は知りたがりも度を超す程の知りたがりだ。はじめ君に訊いてみると其れは完全にいったんだなというのだ。私は逝った?……一瞬あの世に行った?……その「いった」

という意味が判らず説明を求めるも、いくはいくで、意味は……昇天の様な……言葉で表すのは難しいと言葉を濁すが、昇天という事なら私は一瞬あの世に逝きかけたという事だろう、私は本当に長くないのかもしれないと不安になる私にはじめ君は考え過ぎだといつもの調子を戻していつも通りそう釘を刺してくれた。そう、私は考え過ぎも度を超す程の考え過ぎでもある、それも引き返せないほど考えに考えた末に今が在る。その事柄の果てまでゆけるものは誰か、創世記の根本を変えられる二代目のアダムとイヴである私とはじめ君ただ二人であり、他に代わりは何処にもひとりも居ないのであった。


「判っているわよ、そんなこと……」

 キレイになったベッドに横になって、はじめ君にも自分にもいう。判っているのだ、

……現実はこの楽園をも支配している事を……。実際に蛇の手を借りないと生きていけない、身体は骨と皮で、脳髄だって自分ですら制御は難しく、はじめ君が褒めてくれた髪の毛だって、今ではもう幽霊みたいに伸びっ放しで酷い枝毛だ。はじめ君も自分から幸せにするといった手前、引き下がるに引き下がれず、私はそれのキッカケとなる血が出てくる気配が微塵も感じられず、そのクセ私は現実を受け入れずにピーピー喚いて、ヒステリーに成るばかりといった有り様くらい、判っているのだ……判っているけど、



「はあ……。いや、ちょっとね……私も思う所あるのよ……」



母が神様だった、そんな事実を誰が受け入れられるか? 確かに私は神様に創造され、私ははじめ君を創造した。オリジナルは死に、裸の幽体が来たので私が身体を作った。その私はあのにっくき女神と男神の強姦から造られ、堕ろさなかったから生きている。


 そんな呪われた愛の無い過程の中で造られた私は愛欲しさに貪り続け、男神は逃げ、女神様は疲れ果てた。どんな神でも完全ではなく人間みたいな仲違いの感情が在る事を知った私は幼いながらも絶望しそうになり、それは違うよといって欲しくてまた貪ればカネの問題が発生した。私は保育園で待つ事が多くなり、周りに居る希望に満ち溢れた同僚達は次々と帰ってゆき、私は独りぼっちになるも、大人の小汚い言葉を聞きながら本を読んで学び続け、小学生に成る頃には学習さえ友達という偽善者さえ馬鹿馬鹿しく全く未来ないものだと理解してしまった。学校に行く意味、義務教育の理由も、只この世界で固められた定義を摺り込ませるだけの事だと。只一つ学校に在る図書室の品揃え目当てで登校し、本を読み漁り、必要だと感じた本は全て読破して理解した。私は特にフィクションを描かれた本が好きだった。この世界の理念が嫌いだった為、その理念を捻じ曲げて書かれたフィクションものの本を見ると、作者は私と同じ事を思ってる。と希望が湧いてくるから。その一方で定義付けされてゆくクラスメイトが嫌いになった。


 すると私はこの世界の裏を知った。この世界では大人が用意した定義を嫌うものや、外れるものは皆、狂人と見做されるという事を。定義で塗り固められ汚染される事実を何も考えず従うものだけが健常者と見做される事を。小学校とは大人が用意した定義を何も知らない子供に、こういう時こうすれば良いんだと植え付ける施設だという事を。



 では本とは何の為に有るのか? 学問とは何の為に有るのか? 私はそうこう考えて問うている内に、然るべき場所に入れられた。そこは耳が不自由な人や目が不自由な人頭が不自由な人が居て、何も不自由していない私の居場所とはとても思えないと、母に抗議すれば、もうこの世界に染まり出来上がっている母は私の考えの総てを理由もない誰にでも出来る否定をし、異常者だと認識したのか、産んでごめんねといって泣いた。



 私はそんな不条理な世界を皆に気付かせようと、その旨を紙に拙いながらも書いて、近くの電柱にこれでもかと貼り続けると、警察が来たのだ。なんでそんな事をするのと訊かれたので私はちゃんと一から十まで答えれば、もっと訊きたいなとパトカーに乗せられて、警察署の奥にある小さな個室の中でこの世界の異常さを事細かく説明し理解を求めるも警察も母と全く同じ否定で押し通そうとするで、流石に私も怒りを感じずには居られなくなり、話の通じるものを出せ! とヒステリーな要求をすれば、愚の骨頂をそのままヒトの形にした様なヤツが来てすぐ私はビンタをくらって、キミはね、まだ、子供なんだよ。ボクらは大人なんだよ? 分かるよね? と気味の悪い声でハッキリと語尾を強めながらいわれ、家の住所と電話番号を訊かれた。ソイツは電話番号を聞くとすぐに居なくなり、ひとり個室で長い時間を、次こそ本当に話が通じる人が来るだろうと期待しながら待っていたが来るのはまた同じ顔。親御さんも病院に向かってるからねまたパトカーに乗ってくれるかい? と愚の骨頂が臭い息を交えて優しくいう意味を、当時の私には理解出来ていなく、素直に乗って同じ期待をしながら臭いパトカーの中で臭い警官に挟まれながら病院に着いて案内された場所で母が静かに泣いている姿を見て精神科という文字を見て、私は逆に嬉しくなった、やっと話が通じるかもしれないと。




 母が先に入りドアからすすり泣く音を聴きながら、私は待ち草臥れるほど待ちドアが開くのを心待ちするのも疲れて眠ってしまった。甲高い男の声で驚き眼を開けると私は狭い黄色い壁の部屋に居て、窓の向こうに窓、内側にドアノブが無いドアが二つ、蓋の無いトイレの臭い、硬い煎餅布団を確認した私は隔離されたのだと理解し大声で何故と何度も問うたが返事が無いどころか、私が居ないものとされている様に感じて、大声で叫び続けた疲れの所為か胸が張り裂けそうになって泣いた。泣いても誰も来なかった。




 朝のチャイムで目が覚め、いつも通りに歯を磨こうと思い洗面台を探すも、それすら無い事にも気付き遂にイラッと来た頃、窓側のドアが開いて朝食を床に置かれたので、ちょっと待って! と怒声も聴こえないフリをして看護師はソソクサとドアを閉めた。


 それでも少し希望が持てた。私はこの世界の秘密を喋ってしまったのが罪であって、独房に入れられ食事も無くもがき苦しみながら消されるのだと思っていた。その希望を胸に抱いていればトイレの悪臭も看護師の応対もご飯の不味さも気にせずに居られた。髪や身体を洗えなくても精神安定剤の注射で眠たくなってもうどうでも良くなり、私は日に日に考えなくなってゆき、味の薄いご飯、精神安定剤、睡眠の三つだけでボーッとただ生命活動をしているだけの魂が消えかかる寸前ガチャリっと分厚いドアが開いた。


 私は独房から出る事が何故か許され、しかも立派な白い部屋を与えられたのだった。しかし私の魂は薄眼をぼんやり開けている状態でその飴と鞭的な衝撃に何の感動もなくただ柔らかいベッドに身を包まれながら眠りたいだけであった。精神安定剤は注射から錠剤に変わりシャワーも毎日つかえて衣服も洗えるというのに只、眠るだけであった。



 そんな魂の復活は……夜に喉がひどく渇いて無性に水を欲し、患者が歯を磨いている横で水道水を蛇口に口付けてガブガブと飲んでいる其の時だった。横で歯を磨いている見知らぬ患者が唐突に「少女は美しくあるべきだ、少女以外に何が美しいといえよう」と私に放った矢がちょうど心に音を立てて刺さった時だった。この人は私に似ている、この人なら私の話が通じるかもしれないと、嬉しいという感情が湧いて出たのだった。



 私はこの人に好かれたいという衝動に駆られ母に頼んで着替えや歯ブラシ歯磨き粉、コップに小銭に洗剤を持ってきて貰い、失いかけていた魂と身体を磨けば、忽ち思考も元に戻ってきて今までの自堕落な己を恥じ、人間的感情の全部を取り戻したのだった。


 はじめ君はいつもデイルームのテレビから一番遠いソファに座って自販機のブラックコーヒーをちびちび飲みながら眉間に皺寄せ考え事をしているようだった。邪魔しては悪そうだったが一緒に座るくらいは良いだろうと私も自販機でココアを買い横に座って一緒に考え事をするのが日課になった。私は産まれて初めて恋愛感情をも抱けたのだ。



 はじめ君から話し掛けてくれたのはそう何日も掛からなかった。いつも通りココアを買って隣に座ると、何故か僕は君から殺意を感じない。と手を震わせながらいうので、わざと気を惹かせる為に「それは悪魔の証明よ、私に力が無いとでも?」とはじめ君のブラックコーヒーを奪い飲み間接キスを見せつけて可能性と好意を提示してみたのだ。


『お、おかしいよ……そんなワケ……』

『……これで殺せたかしら? 私は悪魔よ』


 正直、思った以上に苦いコーヒーで逆に狼狽する所だったが耐えて、翻訳モノの本で見た事のある格好良い女を年甲斐も無く気取ると、はじめ君は蛇に見込まれた蛙の様に先手を取られたと言わんばかりに笑い、私にだけ心を開いてくれるようになったのだ。


 はじめ君が親を殺した話を打ち明けるのはその後の話で、ソレを先に聴いていたら、立場は逆転していただろう。朝から晩まで色んな論議みたいな雑談を毎日にようにして気分が良くなったのか件の話をはじめ君は笑い話として、殺し方から自殺未遂の傷跡を見せながらいうので私も作り笑いをして相槌を打ちながら、ここはそういう所なんだとやっと思い知らされた。でも、はじめ君は私を窮地から救ってくれたのは事実であり、お互いに話をウンウンちゃんと聴いてくれるから、需要と供給の遭遇に違いないのだ。



 ……ああ、その時からだった……私の母をライトさんと畏れ呼び、来るたび来るたび身を潜めていたのは。そう、私は神の子……神の子でもケンカはする。そして私が神の胎内を作りイヴに、死んだはじめ君は霊界からやってきてアダムに成り復活したのだ。




 だから私たちはここでこの世界の歴史の最初を、根本を、総てを、変えるのだ……。



 こんな哀しく閉じた世界、苛まれて閉じ込められる弱者の普通、ただ見て居るだけの神、現実を見て見ぬフリする人たち。それ等は在ってはならないと私たちは身を以って理解して居るアダムとイヴなのだから、みんな安心して笑って居られる様にするのだ。




「はじめ……なんて美しい名前なのかしら……。創めの子供を光る子が作る事は絶対に運命に相違ないわ、さあ子を作りましょう。生理なんてもう直ぐ近くに在るのだから!

このエデンの園で! 禁断の果実を食べずに! 誰も悲しまない世界を作るのよ!」




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 俺はばかだ、この上ない不届き者だ。

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