第35話「人を狂わす造語を置いてゆくな」

 等とぼんやり思い出してゆく内、少し気掛かりなものが在る事に気が付くのである。この世界には分厚い聖書が在る、それは字が読めない僕でも気が遠くなる程に分厚い、この終点である世界の設定が書き記されている聖書の存在……新約聖書まで在る事だ。 



 僕は思い出せばキリがないほど数多の並行世界を飛び歩いてきた事実は伊達や酔狂で決してないからして、この出来過ぎた世界に違和を感じるのだ。その聖書の文章が仮に回りくどく様々な表現を駆使して枚数をかさ増ししているとしても、白紙が間に何枚か在るとしたって余り有る設定が書き連なっている事は旧約でも新約でも一見して判る。


 それを、僕の希望として良いのだろうか? アヌやゲインに読み聴かされてもまだ、まだまだ未だ膨大な量の設定が存在しているこの世界は経験からして毛色が違うと確信出来る。逆に、今までの数多の並行世界は透き通るほど薄っぺらいものであったのだ。



 嗚呼、聖母ライト様よ、あなたも僕の娘なのでしょうか。そう問うと頭をズキンっと痛ませながら聴かせてくださる……だむだむっだむだむっ……木の床に強く反発して、広い屋内に反響するボールの音。そして連想する小さな身体、柔らかな短い黒髪……。 


 白黒少女の髪の毛は腰まで長い筈であるのにライト様という名を聴いた時に見えた、瞬く間の倍速の光景の中の少女は……白黒少女の顔と余りに似過ぎていて……だから、それを追い求めれば僕を追い詰める少女に会えると単純に考えて、無神論者である僕がわざわざアンダカントの遠くに在る教会に独りで出向き、何度も何度も祈り信仰した。それなのに成果はこの音……だむだむっ……これだけなんて、酷いよ聖母ライト様よ。


 ハアっ……と深い溜め息を吐いて椅子に座ると、自然にタバコの箱を開けてしまう。こうやってタバコを吸う事も、お酒の嗜み方も存在も、この世界で初めて知った事実。



 僕は実は並行世界を移動したと思い込んでいるだけ、もしくは本当に記憶喪失かとはノゾミがそれは違うとフミアという存在を出した時点で裏付けられているがソレは更に僕が生まれた世界ではタバコやお酒が存在していない事の十分な証拠に成り得るのだ。単に目にしなかった場合や禁止された場所に居たという場合も、もちろん考えられる。




 今の僕の状態は全種類ちがう札束をサラララと貴族が貧乏人に見せつけるみたいに、乱暴に捲られるが如くその札束の一枚一枚をしっかりとは認識できないで居るが、その世界に行ったことがあるという覚えを紙幣に描かれている肖像画を嗚呼、嗚呼と記憶が蘇る前に捲られてまた嗚呼、嗚呼とちゃんと幾重の札束に思い入れがあるのは確かではあるが僕に見せつけた札束全部を美談みたいに貰って一枚一枚しっかり確認したいのに貴族は貧乏人に意地悪なのが現実。どの世界でも共通認識だ。と強いられている様だ。



 狂人であるが故……という考えがズルいとは解っている。でも、そうしないとやって行けなく、そうでないと説明がつかないのも事実だ。と自分に言い訳をしてしまう事ももうウンザリ。自分の考えを解って貰おうと初めは意思疎通が出来れば解って貰えると思っていた。解って貰う上で人を愛でていた事も多々あった。だって解って貰えば僕が楽になるから。でもどうしたって無理で不可。だって狂人の脳髄はぐるぐるぐるぐると渦巻いているか、つるつる過ぎているのだから。狂人は人種ではないと思いたいが世間一般の考えでは狂人は人種と定義され、考えるだけ無駄、同調したならば自分も狂ってコイツと同じになってしまうかもしれないと思われるのも当然な話なのであった……。



 ……ライト様、ライト様よ、今宵も雪化粧をして、より一層お綺麗でられる……。チキもゲインは疲れて果て眠ってしまった。タバコを揉み消し、気分転換がてらに男の僕が雪をはねて凝り固まった考えを改める事にする。厚着をして手袋と長靴を履いて、外の変わらぬ震える程の寒さを感じつつも道に積もる雪をスコップで掻いて居れば未だ懲りずに狂人学という言葉の意味する所を考えている。頭の中の天使と悪魔ではなく、この世界で沢山の事を学んだ僕と、並行世界ひとつひとつに未練タラタラな僕とが頭の中で口論を始める。ーーーが残した最期の言葉……それを汲んでやってやりたいのだ。



 狂人学……僕でいうアルバイトで役に立つイツかドコかで言った/聴いた憶えの有る巧い言葉の綾だとし、ーーーの心境を思い浮かべる。並行世界の存在定義も勿論の事、何の変哲もないモノを見て、これには絶対に何か意味が在るぞ。等と決め付ける事から始まるのが常だ。決め付けとは定義であり、その定義を他に洩らさなかったからして、そこにはーーーの持つ頭脳とひとつ、浮気に使用したラジオの存在が大きい事は十分に確かであるからして、妄想代理の弊害も視野に入れなければならない。初めての仕事でラジオはーーーの脳内の電波周波数と合致する世界を選んだのだから、気の合う生物と出会い、ソレに恋をしてしまったからチキとゲインを捨て置いて、又は長年の付き合いよりも……ときめく何かが遇ったから、胸を打つものが有ったから……恋愛ではなく、浮気相手から狂人学という言葉を聴き心を打たれて再度訊きに行って戻れないのでは?


 何故、ーーーがそこまで魅了されたか。それは円盤型の記録媒体に収録されている筈だが、再生する機械も収録された媒体も滅茶苦茶に壊してあいつは行ってしまったからそれを確認できる可能性は今むごい拷問をされている息子、前国王の口が開いた時に、やっとぜろから一(いち)に成るのだが、あいつも全く口を割らず未だ拷問を受け続けているのは何故なのか? 察するに狂人学とは彼らの琴線に触れる程の代物で、僕なんかが触れて成らない国家機密、設定がビッシリ書かれた聖書を其の一語で根こそぎ露わにする位の本質を持っているのかもしれないが……この蜘蛛の糸はまだ、僕の考えの域を出ない。


 そこでノゾミ初対面時に使われた電波受信機の欺瞞(ぎまん)が気になった。見た目は確かに、耳栓……でも暗示でそう見えた僕はノゾミの声の自分と話していたのだ……裏を返せば僕が城の拷問部屋だと思われる外壁に近付いて、耳栓にまた暗示をかけて貰い前国王が何を思っているかを少しでも解るとするならば……とまで考え詰めて僕は腰を抜かす。




 そうか……これが狂人学なんだな。ーーーよ、僕は狂人学の本質の理解が出来たよ。狂人学とは、証拠も何ひとつ無いぜろを人間の思考によって一(いち)にどう変換するかという、全く実験的な科学であった。僕は何の根拠も無い上でーーーを自分と同列として考え、様々に聞いただけの話でーーーを慮る事から始まって、未だに点けっぱなしのラジオは使用経験も無く未知数だというのにアヌとヘルの仮説を引き合いに出しーーーの経緯を勝手気ままに思い込んで、狂人学という言葉に魅入られている事に気が付かなかった。



 では、僕はどうやって考えていたか?……等と馬鹿げた錯覚に陥りながら雪を掻いて道を作っていれば、いつの間にかアヌのバーの前まで僅かな体感時間で来ていた……。

 ……そうだ、ヤニが切れているのだ、こんなに遠くまで道を作ったんだから……家に帰って残り少ない葉巻を報酬として頂こう、二人がクスリを飲むのと同じ様なものだ。

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