第33話「役者は揃った」

 子供かと思えば婆みたいな事いって……。僕もいつかは子供を育てる事になるのだ、もし子供が産まれたら、こんなコだったら世話が掛からなくて良いな。なんて思った。


 うるさい闇市場を抜けてノゾミを見ればコッチを向いて警戒心の欠片もなくスヤスヤまるで遊び疲れた子供のような寝顔を見せている事が本当に僕はイツかドコかの世界でフミアという、ノゾミが敬愛する程の立派な人間だった証拠を裏付けるみたいだった。




 僕が思うに……そのフミアという人間は寂しく遣り切れない人だったのだろう……。僕は簡単に自殺の格好を見せたといってしまったがノゾミは幾歳いきてきたのかも判別不能なほど生きていて、フミアが生きているのならノゾミに餌をあげている筈だろう。

 ネコにヒト語を教えるのは至難の業であり、何かが不自由だったかでノゾミに自分の人生を託したのだという風に感じて、それが達成してノゾミを解放するに至ったという考えが自然だろう。言葉通り、猫の手を借りなければどうしようもなかったという事。


 しかし家ネコを解放するという事も互いに苦痛だったであろう。大好きなご主人様が死に、絶望に打ち拉がれ、それでもノゾミは生きようと思ったのだ。今は余裕を感じるが、そういうヤツほど苦労や切磋琢磨して今が在るもの。僕は本当に軽率な事をした。 

 でも裏を返せば僕の何かがフミアの何かに似ているという事で、僕も未だ不自由さを感じている。すなわちフミアが旅の始まりで……僕が旅の終わりとも考えられるのだ。ネコの顔は人間の顔と違って窺えないが、愛し愛されたフミアの片鱗に出会えた所為でノゾミが長い生命を終わらせてしまう可能性を、僕の軽はずみな口から出た綾で高めてしまった大罪を……考え過ぎかもしれないが重く受け止め、そして忘れず、物語ろう。




 僕はそう夢の中に居るノゾミの顔に誓いながら歩いて居ればウチに着くのも早いものであった。ただいま。とドアを開けると暖かく煙たい空気が外に漏れだしてきてやっと僕は凄い事をしてきたのだという実感が溢れたが、もう簡単には泣かないと決意した。


「おかえりなさい。交渉の方は――」

「これを見れば判るだろう」

「わーっ! かわいーっ! ノゾミのこんな顔はじめて見た!」

「んん……。あらあらまあまあ、お恥ずかしや、すっかり眠ってしまっていたヨ」

「いや、良いんだよ。まだ寒いだろう、少し暖炉にあたってから帰った方が良い」

「そうだネ~。ああ、あったかい」

 ノゾミを支えていた手を退けるとスルリと上着の中を降りて、暖炉の前で足を畳む。


「こちょこちょこちょー!」

「コラコラ、やめなされ~」


 ……チキの髪の毛の所為か、犬と猫が毛繕いし合ってじゃれているみたいで見ていてほっこりしているゲイン。へまをやったというのにいつも通り迎えてくれる二人を見てやっと僕は胸を撫で下ろす。椅子に座って約束していた吸いかけの葉巻に火を点け煙を腹いっぱいに入れて出し、目を瞑ると今日の事が走馬灯のように蘇る。僕の至らなさが色濃く出た一日だったなあ。と酔い痴れていると冷たい指で僕の瞼を抉じ開けられた。


「アナタ、ノゾミにどんな事したの?……ノゾミを、まるで懐柔させたみたいに……」

「お金はあの金額から三割引いて……足りるかな。今回はツケに出来たから今度また、行く時に余裕を作って持って行くよ」

「ツケ!……って、あのノゾミに弱みのひとつでも有ったとでもいうの……?」

「それは……ノゾミの名誉の為にいえない」


 僕はどうやら、ゲインですら吃驚びっくりする位の事をしたみたいでイツもなら嬉しい感情でいっぱいになってまた発作的なものが起こる所だが、葉巻のお陰様か妙に冷静で居る。


「ほーらノゾミ! パンの耳を召し上がれ!」

「ほほうコレは……水が欲しくなるがネ……ウム、んまい」

「お皿に水いれてくるねーっ!」

「パンを喉に詰まらせて死んだ仲間が居るんでネ~んん~」

 ノゾミはチキなりの接待に面倒と言わんばかりに伸びをし、食欲よりも睡眠欲の方が満たしたい様で、ネコ特有の気紛れの様にチキが水を用意する前にコロンと丸くなる。


「チキ、そっとしといてやれ。ノゾミも僕と喋り疲れたんだろう」

「しっかしねーっ、それってノゾミを言い負かしたって事でしょ? 新聞の一面に載るかもなのに、どうしてそんなに恐い顔してるの?」


「いや……。僕はコレで良いのだろうかって……」

 フミアという弱みはノゾミの猫生びょうせいの中で一番に思い出したくないものだっただろう。正直あの時フミアという存在は僕をあの耳栓の時の様にたぶらかす為の架空の人物だと捉えイツどんでん返しが来るのかと冷や冷やしていたのだが矢張り僕に似ていたからなのかノゾミはぽろっとその名前を出したが為に僕の口に言い包められ、去勢されたみたいにすっかり大人しくなって……いわば敵陣ともいえるこの家で顔を炙りくつろいでいる。


 僕のヘルに認められた力は僕に非ず、ただ僕の身体に付いている口であって、それも数撃ちゃ当たるという方法で相手を言い包めるという武器であり、僕自身には何の力も無く、強いて言えば当たった弾の後片付けという誰にでも備わっている力だと判った。

 そんなチンケな僕が偉そうに葉巻を味わいながらドッカリ座っていて良いものなのかと不安に成り、自分が解れば解るほど卑屈に成る僕は何ひとつと二人にしてやれない。


「なにをそんなに悩む事が有るのよ」

「ふう……。もう……自分がさ――」

「ーーー、これを見てっ!」

 ノゾミと一緒に暖炉の火で顔を炙っていたチキが突然ゲインに抱き付き舌を絡める。



「ははっ! これで悩み事は解決したでしょーっ? んんーっ」

「チキ……。そう、私たちも仲直りしたのよ。天秤を……釣り合わせたの。それを……アナタは、ーーーは、どうするといったかしら?」


 少女同士がキスをし合う光景を見て芸術的な美しさを感じ、それが余りにも想定外で現実感がトタンに薄れ眩暈を催すほど妖麗に感じたと同時に、確固たる愛が映し出されている二人のメドゥーサの様に輝く四つの瞳がコッチを向いた時、僕の心の中に在ったしこりのような理性と不安は石と成って砕かれ崩壊した。そうだ……忘れていたんだ。


 僕の仕事はカネを作る事ではない。この二人をーーー以上に恋愛する事であるのだ。



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 闇の世界に白い雪が降る……。白は美しさをより美しく、醜さをより醜くさせる力を持ち、暴き立てる力も携えている。

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