第31話「記憶喪失者の持つ可能性」

 有耶無耶にされて、本当に答えて欲しかった事を考えている内に、コトンと二缶目が置かれた音のお陰でようやく大事なことに気が付いた、僕はお金を持ってきていない、そしてここは「ぼったくり珈琲」……身の危険を感じるので僕もノゾミの様に、出来るだけ遠回しに煙に巻いて仕返しをしてやろうとするが、まずタバコを吸って落ち着く。

 ……さっき、ノゾミがいいたかった事は一体なんだったのか……何も無いのだろう。やっている事はアヌと同様、長居させて缶コーヒーを買わせるという商売方法なのだ。


「……ふう……。世界といえば、面白い話がある。ノゾミは一週間くらい前に僕と既に会っている事に気付いているかい?……僕はあの時ひどく酔っ払っていたから夢だったかもしれないけれど、あの美人さんのネコはちゃんとノゾミだった。段ボール箱の中に居て忌み嫌われている様だったけれど、僕の事を好いて足に顔を擦り付けていたね」


「夢でも幻でも、アチキの色香は健在なんだにゃ~ん」

「でね、その時ノゾミに魔力を感じたんだ、並行世界を何度も移動できたんだよ。もう自分でもドコが本当の世界なのか区別がつかない位にもうぐるぐるぐるぐる回ってさ、大変だったよ。段ボール箱をぐちゃぐちゃにしたら逃げて行って、ソレをするまで僕はもう何が何だか解らない位ぐるぐるして、でもどの並行世界でもヘルの口調をマネしてやつれていた僕を元気付けてくれて……ヘルが其の幻の中の僕を殴るとその魔力が忽ち消えたけれど……とりあえずあの時は、ありがとうねノゾミ」


「いえいえこちらこそ、『目ヤニを取ってくれてありがとうネ!』」



「……そう、その言葉を待っていた。やっとボロが出たね、僕は『目ヤニを取った』と一言もいっていないのだ。つまりあの時の魔力は僕のものであり、更にいえば僕はその力をもっと巧く制御できるようになればこの世界の王様にでもなれるのだよ!」

 どうだ、ビックリして言葉も出ないだろう。これは遠回しな脅迫だ、年増としまだからって余り舐めた口を利くな。僕は確かにあの時の並行世界に留まる事が出来たならノゾミはヘルに蹴られ投げられ住処も壊され痛い目をみていただろう。今はまだこの世界に来て一週間位だがこれから時間を掛けて力を制御する練習を重ねれば何事も、容易いのだ。

 ウーンといいながら座り直すノゾミはまるで僕の掌で踊るまいと苦悩している様だ。


「並行世界か……じゃあなんだ、例えばそれをシて誰かを強姦しに行って満足しながらここに帰ってくるとか、どっかの家に侵入して何か盗んでくるとか出来るんかい?」


「それも後々、可能になってくるだろう」


「そんなら前国王と一緒に仲良く拷問部屋に入る事になるよネ、一寸お喋りが過ぎたんじゃないかに? そういう事は密かに企んでないとダメだヨぼく~」

「…………」

 何でこういう時に現実的な話をするかな……脅迫しないとカネが無い……前言撤回をした方が……いや!……ノゾミは回りくどい喋り方をするんだから恐らく通報したって城の者もオオカミ少年の如くホラ話だと聴いてはくれないだろうと踏み出さなければ。


「僕はそんな拷問部屋に入っても脳髄が入れ替わるでもなし、しかもソレほどの状況に置かれたら僕は絶対『逃げたい』と思うからして、ウン、並行世界を移動出来るんだ、脱出も容易い。若しくは過去に戻って事前に避難する事だって――」

「過去に戻れる……?」


「そ、そうだ、僕は無敵も同然。もっと長生きしたければ僕に従うべきだ!」

「いや、過去に戻れるっつうんなら……。ちょいと一回やってみておくれよ」

「偉そうだな、口を慎め! この僕に従うか?」


「……はい、従います!」

 急に素直になってどうしたのかノゾミが立ち上がって前足を合わせて拝む程の弱みを握れたようだが……過去に戻れるというのは言葉の綾というか、恐らくあの時は夢から醒めただけで大袈裟にいってみただけだったが……いまさら引き返せなくなった……。



「うむ……後々可能になってくるだろうから。ウン、僕も精進する……けれど、過去に何か未練でもあるのか、その内容をいってくれなければ僕は何とも――」

「『フミア』という、アチキを育ててくれた人間が、アチキがお礼もいえず知らぬ間に自殺してしまったんです! どうか代わりに貴方様にお礼をいって頂きたい!」


 ノゾミは尚も前足を捏ね合わしながら本当に深い未練みたいに懇願する。さっき迄のふにゃふにゃした口調はどこへやらハッキリと声を荒げる。ネコは情が薄い筈なのに、先刻までそういった感じだったのに豹変したのか演技なのか?……どちらにせよ、僕はとんだ薄情者だ、どんな人よりもネコよりも薄情だ……僕はただカネを忘れたから煙に巻いて逃げようと……過去へ戻れるから従えなどと偉そうに虚言を吐き脅迫した……。



「いつでも良いのです! ただフミアに有り難う御座いました、とだけで……」


「……ごめんなさい……僕は本当に口先だけの人間です……ごめんなさい……」

 生きる事さえロクに出来ていないのに、僕に力なんて在るワケないのだ……。強いて在るとすればヘルのいう通り「口が巧い」という力。それすらも巧くこなせているのか判らないのだから無いも同じで、さっきその口は恋人に向かってバカアホいう始末だ。


「いえ……良いんです、アチキにも夢を見させてくれたのですから……」

「ごめんなさい……本当に何も出来ないんです。僕は……ただお金を忘れて、偉そうに嘘を広げて逃げようとしました……申し訳ないです……」

「お、お金を……忘れた……と?」

「そうなんです、それがキッカケで……悲しい事を思い出させてしまって……」


「じゃあ……その分を、何か大事なものをココに置いて……カネを工面できそうな人を直ぐに呼んできてくださいっ……! お会計はコチラですっ……!」

「ごめんなさい……僕、まだ文字が解らなくて……」

「そんならココにメモ帳が有るのでっ……! しっかり払ってくださいっ……!」


 僕は泣きながら手を震わしてレジの金額だと思われる文字を模写して、缶コーヒーを半分のこしたまま僕の大事な防寒用の上着を置いて湿っぽく外へ出た。外は風が吹いて涙を乾かすと同時に身体を冷やす。チキとゲインはまだ買い物をしているだろうか……

家に帰っていなければ良いけれど……僕に愛想を尽かして居なければ良いけれど……。


 ノゾミは僕が来て久々の客だといっていた。ぼったくり珈琲という店名で見た事ない缶コーヒーを飲んだのだからソレなりの値段なのだろうがノゾミはあんな辺鄙な場所に店を構えているのだ、それも一匹で……。早く暮らしを豊かにしてあげなければという一心で草を掻き分けてまた暗い市場への道を走りながら罰しながら昇ると、良かったと息を吐いて跪き二人が市場に居る事をライト様に感謝してもし切れない想いを伝えた。



「チキ! ゲイン!」

「どうしたの? 上着も着ないで、震えているじゃない」

「ノゾミ! ぼったくり珈琲! 寒い! お金! 早く!」

「ーーー、興奮し過ぎで何いってるか判んないよ、落ち着いて深呼吸してみてー」


 吸うハア吸うハアと繰り返していく内にチキがすっかり元に戻って立っている事で、自分がどれだけ興奮していたか判って恥じらいの感情が生まれ、手を震わしてタバコに火を点けて、また吸うハア吸うハアと繰り返していく内に何が目的か忘れてしまった。



「……その臭いタバコどこで買ったの? アナタいつもお金は持ち歩かないじゃない」

「そそ、そう! お金を持っていないから……こ、コレ!」

 さっき金額を走り書きしたメモ用紙をポケットから出して見せると、二人も震える。


「ひえーっ」

「ぼったくりの意味くらい判っていると思っていたけれど……もう贅沢できないわね。前向きに考えれば……いつも通りになるって事になるけれど……」


「……まさか、あの袋の中の全額……?」

 二人には首を縦に振って欲しかった、横に振るのだ。つまり足りないという意味……

借金をするという事であった。アヌの借金の半額を返さなければ払えたがゲインのいう通り、借り手が増えるという事に……と思うのはまだ早い……僕の口が巧いという力を証明するのだ。ヘルからは一応の折り紙つきであるにはあるが心許なく、自信を付ける為と、状況が状況であるからして……もう当たって砕けろの精神で行くしかないのだ。



 値下げの催促振舞とツケに出来るかどうかを訊きに行くのだ。家に有るお金を持って行った方が……という二人を押し退けて再度また単独でぼったくり珈琲へ、ゆっくりと臭いらしいタバコを吸いながら根性焼きというものもやってもみながら堂々と闇市場を抜け虚勢を張って草花を掻き分けキノコを踏み歩き入店すると、ノゾミは笑っていた。


「随分と遅かったネ、寒かっただろ~。ちゃんと耳を揃えて持って来れたかな~?」

「ノゾミ、ちょっと深い話があるんだ」

「まあ座ってカネを出して落ち着きなさいな~。ガキの使いじゃないんだからネ~」


「まず僕はノゾミに訊きたいことがあってココに来た事を忘れていたんだ、この電球のお陰さんでね。ノゾミはネコか……まず、それは確かな事かい?」

「正確には美人看板黒猫だけどにゃ~。見て判るだろ、さっさと――」

「僕の最古の記憶は『真っ白な世界』……僕はノゾミの息子であるかもしれない」


「……はあ~?」

 良し、呆れてモノもいえなくなったみたいだ。でも信憑性は十分に有るのだ……僕はまだこの世界を一週間程しか旅をしていない……が、この世界は闇の世界だという事はもう当たり前で、光というものはライト様と火の灯りしかないと判ったのだから……。


「おみゃ~がアチキのコっから出てくるんなら妊娠中に破裂しとるわい!」

「ノゾミ、落ち着いて聞いてくれ。確かに僕は人の形をしている以前に元々はーーーという親無しの男であったが事情があの憎きラジオによって変わったのは周知の事実だ。僕は記憶喪失者であり、どこの世界からーーーと交換されたかはまだ誰も、自分すらも判っていない。そこでさっきの並行世界を移動出来るという仮説だ」


「結構苦しいゾ? その屁理屈は」

「僕はまだこの世界では未熟者だ。だから未熟者なりに考えたんだ。僕という存在は、並行世界をぐるぐるぐるぐる……さっきノゾミにされていたと疑っていた其の何十倍、何百倍、何万倍……途方も無い位ぐるぐるぐるぐる回って、普通に考えてそんなことをして居れば、若しくはされて居れば頭がおかしくなり記憶なんてあったもんじゃない」


「屁理屈を前提にしても仮説は立たんがネ」

「その所為で記憶喪失になったという事にすると果たして『僕』という存在が人間だと定義付けられるか。可能性は無限大であり、プランクトンやアメーバが奇跡を起こして突然変異して出来たとしても、全然おかしくないんだよ」


「奇跡、にゃはは! もう胡散臭い言葉が出てきたネ~」

 あの時の様に何も考えずに勝手に喋らせている、この話がどこに着陸するのか僕にも判らない。口が渇いて物欲しげに潤いを求めたので半分余らせていたコーヒーを飲む。



「『必然の様に感じる怪しげな奇跡』をノゾミ位になれば山と感じた事はあるだろうがそれは置いておいて、胡散臭いのはどっちか? こうやってフィラメントを発光させる電力はどこから引っ張っているというのだ。この缶コーヒーの缶は誰が造ってどうして作れたのか。ノゾミの食べ物はソコらの草花や虫だろうが飲み水はなんだというのだ、雨水を貯めてそれを飲んでいるというのか、限界があるだろう?」

「それはオトナの事情、言うなれば実験サ。話が大分それてきたゾ~?」


「であるからして、白熱灯が懐かしく思えるという事は僕は巡り巡ってノゾミの膣から這い出て育てられたネコかもしれないという事だって、突然変異の奇跡と同じく、人類誕生と同じく全くおかしくなく、ノゾミが一体何匹のオスの色香に堕ちたかは知らんがおかしいのは、ノゾミがこの世界で一番生きているという矛盾、アダムとイヴが居ないという矛盾、矛盾だらけのこの世界であり、僕の最古の記憶は真っ白な世界……この、ここにしか存在しない白熱灯の様な眩しさがある。加えると白熱灯の様な真っ白ともうひとつ、ノゾミの様な真っ黒のコントラストに極度の懐かしさを覚えるのである」


「まあ~気の遠くなるほど可能性の話で、アチキも訊くよ、フミアを見た事はあるか」


「その可能性も無きにしも非ず! だが僕はこの世界で不幸にも記憶を失い、信憑性は微妙ではあるが、そうで無きにしも非ず、僕がフミアだった事も無きにしも非ず!」


 良し、ノゾミからボロを出したぞ。僕をその自殺したフミアであると少しでも信じてしまっているのなら、僕は鬼になる。可哀想だが、ごめんよ、こうするしかないのだ。



「フミア……だと仮定して少し話してみようか、自殺は、し損なったのかい?」

「僕は、もう十分だとノゾミを解放する為、自殺の格好を見せた。結果論ではあるが、ノゾミがこんなに立派になった。嘘を吐く様なマネをして良かったと思う」


「仮定の話ではあるけれど……う~ん……ありがとうございます。といっておこうか」

「そう考えすぎるんじゃない、これからまた一緒になれるって事じゃあないか。僕は、罪を犯した。育てたノゾミを欺き逃げ、とても哀しい思いをしただろう。これから僕は贖罪をする、ノゾミよ、僕の目をその爪で引っ掻いておくれ!」

「……なんだかなあ……」

「ノゾミが目を潰したって、直に治るものなのだから」


「あ~もう良い! アチキの負けだヨ! 何でかフミアの口調ソックリにしやがって! 

お前は一体なんなんだ! カネが足りなかったんだろ~ホントの所は~」



 ……アレ、案外はやく自爆してくれたお陰で決着がついた。余りにもアッサリ過ぎて後味が悪く、何か企んでいるんじゃないかと不安になるが、ノゾミは身体をゴロゴロと床に転がり回る様は本当に悔しそうで……本当に僕に力が在るという確証を得た……。


「ーーーだったらナ~、アイツだったら余裕だったのに畜生……はアチキか……。まあ面白い話だったから良いサ、でも三割引きが限界だかんナ~」

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