第30話「賽を投げたネコ」

 息をのんで下り坂を一歩一歩すすめて行く度に臭いがきつくなるので鼻を抓みながらライト様の光が届かなくなっていって僕は気付いた、ここは闇市場だ。手を繋ぎながら大声でなにかを叫ぶ男女、地面には踏まれた玉虫色の平べったい袋、顎を上げれば沢山釣り針に吊られてある薬包紙……僕は歩を進めて行くと共に記憶が戻りつつあるのだ。富裕層が有るから貧困層が有り、醜きものは美を求め、表が在るから裏が在り、地獄が在るから天国が在る……僕はそういった安直な二元論をいう者に中庸ちゅうようを与えてきたのだが、与えられた者は皆一様に狂人と罵られ、次々と殺されてゆく、様々な神の名の下に殺されてゆく様をただ冷酷な顔をして、ぼうっと眺めていた。……それが仕事だった。


 ライト様が見られないこの場所は誰も罰せず、罵る者も居ず、僕はそういった奴らに報復を、唯一神の名の下に罰しながら歩を進めてゆき闇市場を抜ければ別世界だった。



 アシンメイクの郊外は木が茂に茂っていたが、アンダカントの郊外は毒々しい草花が茂り美味しそうなキノコが生えていて、栽培もココからしているのだろうと納得した。 

 伸びきった草花を掻き分けキノコを踏み歩いていると、走った疲れが今更でてきた。顔を上げると眩しい光を見つける。その衝撃的事実を疲れからか何の警戒もせずに吸い寄せされるが如く走った。そこは何かの店に見えたが中には誰も居ない様だった……。


「はあはあ……すみません、休憩させ――」

「おっ、来たネ。お前さんが来る事はこの電波受信機で受信済みサ」


 ……やっぱりああいう草花の匂いを嗅ぐだけでヤられるのか……ネコが寝転びながらふにゃふにゃヒト語を喋っている。それも僕が何をいっているか理解したくない言葉を喋っているので蹴り飛ばしてやろうかと思ったが黒ネコ……喋るネコ……ノゾミ……。


「ノゾミか!?」

「てやんでえべらぼうめ~。そしてアチキが『そもさん』と言ったら~?」

「……せっぱ?」

「ありゃ、こりゃ失敬失敬。本当にーーーではないみたいだネ、アヌから事情は聴いているヨ。ゆっくりしていくが良いサ。久しぶりの客だ、いらっしゃいまし~」


 本当にふにゃふにゃ良く喋るネコだ。人間みたいに小さな前足で手刀を切って礼儀もちゃんと弁えている……。確かに長寿ネコだと感心しながら疲れたので椅子に掛けるが矢張りぼったくり珈琲という店名なだけある、ここまで来るのに眩暈めまいをしながら走ってきたんだ、少々高くても入りたくなるだろう。だが、この世界で有り得ないモノが沢山陳列してある事に気付き、爆発的疑問が頭の中に一杯になって何から問えば良いのか?


「ノゾミ、なんで電球が有るんだ!」

「有っちゃいけないかいナ。はい、しゃっこいヒーコー」

「これ……缶コーヒーじゃないか!」


「よっこらせ~の~どっこいしょ!」

 腹を見せて小さな椅子に座るネコ……僕が動揺しているのは、ヤニが切れた所為だ。絶対そうなのだ、気取られてはいけない。タバコとマッチはさっき罰しながら歩いた時合法的に盗んだものが有るので、チュウッと音を立てて深く吸っては吐き吸っては吐き

……幾らか楽になって肩の荷が降りた気がすると視界に入る有り得ないモノたち……。


 まずはこのヘンテコで奇妙奇天烈摩訶不思議なノゾミを、話せば解る筈なのだから。


「アンダカントの看板猫と聞いたけれど、こんな郊外に居てどこが看板猫なんだ」

「ヤだにゃ~、アチキが市場に行けば分かるだろうに~」

「なにが?」

「皆まで言わすな~。人間様が黒猫を見たらもうキュンキュンしちゃうんだヨ」

「……そういう回りくどい事をいうのが好きなのかい?」

「回りくどい言い回しが好きという嫌いがあるが嫌いなくしてくれるんなら好きだネ。それより今日は両手に花が無いですナ、ケンカでもしたのかゴロゴロにゃん」


「まあ……」

 ケンカというのだろうか……僕がただ居ても経ってもいられなくなって逃げ出したが

……そんな僕を見て二人はどう思っているだろう?……と甘い缶コーヒーを飲みながら考えていると、ノゾミはハハハと笑いながら両耳の中に入っていた耳栓のようなものを爪で引っ掻き出して僕の足元にころんと置いて、顔を洗いながら目を瞑って座り直す。


「お前さんもココに来るまでの道程で気付いているみたいだが、このぼったくり珈琲に来るヤツは面白半分で来るヤツか、どうかしているヤツだヨ……この回答は正解かい?

不正解かい? それとも考えてすらいなかったかナ?」

「……? 回りくどすぎて、もはや意味が解らないよ」


「面白いネ~随分と面白くなったナ~。ソレ、耳にはめてご覧」

 ノゾミのいうソレとは足元に置かれた耳栓の事だろう。耳にはめると、ノゾミの口はふにゃふにゃ動いていないのに、頭の中で『何人の声が聴こえる?』と聴こえた……。



「ノゾミの声しか聴こえないけれど……これって……本当に電波受信機……!?」

『そうだ、これによって人類は一度に滅びたのだ。私はネコだから長話は疲れるので、コレにて勘弁して欲しい。コーヒーは山と有るからゆっくり、そして私の声に集中して欲しい。まず、お前の心に沢山の人々が嘆いていて私は先刻その無数の声の中の一つを聴いて答えたが、お前はあたかも考えていない様な事をいって応えた。これすなわち、電波が混線していて、それも入り乱れていてお前の脳髄の中に夥しい数の男女が居るというワケである。私は人類が一度に滅びたといったがネコである私も、ようやく合点がいった。お前は滅びる前の人類であり、人類を滅ぼしたのは人間であると』



「じゃあここは……未来……」



『人類が滅びると、やがてケダモノが謳歌するようになった。狂い死んだ人間が居て、草木も生い茂って食べ物には困らなかった。ただ一つ困った事は、私たちケダモノは、同種でしか会話が出来ないので争いや陣地作りが盛んになり、その時点で絶滅した者は可成りだ。……だが我々ネコは敏感で俊敏なのでソンな馬鹿げた事はせず、ケダモノの素っ頓狂な声が聴こえない所でひっそりとマタタビで一杯やりながらツマミも有るなら其れで満足だった。犬のヤツは可哀想に、あいつ等は落ち着くという事を知らないから自ら死んでゆく姿を眺めていた私たちは実に滑稽であった』



「……その口振りからするとノゾミは今も生きているからして聖母ライト様の生き姿を見た事があるという事だね?」



『まあそうくな急くな。でもまあ、美人だったよ。頭も良かったし、この地を作ったのも彼女だか――』

「じゃあなんでアダムとイヴは死んだんだ!?」

「にゃにゃ!?」

 ノゾミは急に飛び起きる様に前足を床に揃えた……どういう事だ、まるで僕が大声を出したから起きたみたいじゃないか……ノゾミは何も考えてないでただスヤスヤ椅子にもたれ掛かって眠っていただけみたいじゃないか……僕は誰の声を聴いていたと……。


「……アチキも、まだまだ現役だにゃ~」

「な、なにが……」

「思い込みって凄いネ! そりゃ只の耳栓だよ~ん」


「嘘だといってくれ……でも僕は確かに声が聴こえて……妄想にしても出来過ぎていて

……あっ、タバコ……この吸っている盗んだタバコの所為だ……!」

「ん~ではまず、アチキは何て話してたっけネ~」

「え……だってこれは只の耳栓なんじゃ……」

「会話が盛り上がってつい大声を出してしまったんだろ~? もしかして、アチキではない何者だったかネ? お呼びでない?」



 確かにさっき聴こえた声はノゾミの声であった……が……確かにちゃんと会話をして興奮し声を荒げてしまってノゾミがすやすや眠っている所を起こしてしまった事も確かだが……思い込み……確かにコレは耳栓といえば耳栓に見えるが、電波受信機といえば小型の電波受信機にも見えてしまう……前者も後者も、ノゾミの言葉によって象られたものであり、僕がコレを例えば超小型の音声再生機だとしてもそう捉えられるからしてこの耳栓の形をしたものの可能性は……更にこの世界は言語の所為なのか良い意味でも悪い意味でも適当、ぞんざい、大雑把、いい加減であるので……僕はあえてこの耳栓の形をしたものを定義せずに、何も恐れずに只々、ありのままを答えることにする……。



「僕はノゾミと話していた。コレで人類は一度に滅びてケダモノが謳歌する世界になりケダモノは同種でしか会話が出来ない所為で争いが起きて、なんだかネコ以外の殆どが絶滅した様な事をノゾミがいうから僕は『まるで聖母ライト様を見た事がある様だ』と訊ねると、美人で頭も良くて……と……確かにノゾミはそういっていた……」


「ほう、まるで聖書とは違うナ~。でも、そういう事なんだヨ?」

「……どういうこと?」

「それがお前さんの世界って事、アチキが定義付けてやったということになるのねん。良いかい、『世界』というものは五感で感じて自己中心的に考えた自分の理想なんだ」



「……それは、そう……かもしれないけれど……嗚呼もうワケが解らないよ……」

「タバコでも吸って落ち着け~。ついでに二缶目、いっちゃうかにゃ?」


「うん……二缶目……」

 世界は誰しも自分の中にしか無いと、いいたい事は判る。でも今の自分には的外れで釈然と出来ない回答で、脳髄がノゾミの喋り方の様にふにゃふにゃしてしまっている。

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